PANDORA


遠くから、まるで電車が走っていくような音がした。

耳に入ってきたその音と、背中に触れる固い平面の感覚により、僕の意識が浮かび上がってきた。

 

「・・・」

 

目を開くと、真四角の天井が目に入った。

升目状の金属製の枠にプラスチックの板が嵌め込まれ、その奥で照明が光っている。

そして各辺の中心から一際太い枠が延び、枠の交差する位置には照明の代わりに取っ手のついた金属板が嵌っていた。

 

「うぅ・・・」

 

頭にかすかな疼痛を覚えながら起き上がる。

すると目の前に、天井と全く同じデザインの壁があった。

右を向いても、左を向いても、後ろを振り返っても、顔を足元へ向けても同じデザインの平面。

金属の枠にプラスチック版が嵌め込まれ、その奥で照明が光っている。そして一際太い枠がクロスする位置には、プラスチック板の変わりに取っ手のついた金属板が嵌っている。

そんな壁面6枚で構成された、サイコロのような部屋の中に、僕は転がされていた。

 

「何だここ・・・」

 

呆然と言葉が、僕の口から漏れ出した。

確か、僕は学校からの帰りに電車に乗って・・・

 

「!!」

 

はっと思い出し辺りを見回すが、僕の通学カバンはなかった。

そもそも着ているものも、僕の学校の制服ではない。

ジャージのような灰色の作業服の上下に、すねの半ばまでを覆う安全靴。

そして左胸に『ARATA SAITOU』と黒の字でプリントされていた。

そう、『斉藤 新』。僕の名前だ。

 

 

 

電車の中から突然途切れる記憶。

見覚えのない部屋。

奪われた僕の荷物と服。

これらのことから言えるのは、僕は攫われた、ということだ。

とりあえず僕は立ち上がり、部屋の中を調べて回った。

部屋の大きさは、一辺5メートルほど。

壁面に十字に設置された太い枠にはくぼみが設けられ、はしごのようになっている。

そして、各壁面の中心にある1メートル四方ほどの金属板は、どうやらハッチのような構造の扉らしい。

僕はとりあえず、壁の一つに設けられたはしごを上り、扉の取っ手に手をかけると、回してみた。

 

ギギィギィギィ

 

金属のきしむ音と共に扉が壁面から浮かび上がり、スライドして開く。

すると扉とほぼ同じ大きさの通路が現れ、その奥にまた別な扉があった。

向こうの扉までの距離は、約1メートル。

通路の中央には継ぎ目がある。

僕はその通路に身を滑り込ませると、奥へと這い進んでみた。

 

ギギ ギギギギィ

 

僕の後ろで、扉が自動的に閉まる。

 

「・・・」

 

勝手にしまる扉から目を離すと、僕は前方にある扉の取っ手に手をかけた。

軋みと共に扉が奥へ引っ込み、スライドして開く。

扉の向こうにあったのは、さっきいた部屋と全く同じ部屋だった。

さて、どうしようか・・・

 

 

1.とりあえず、この部屋に入ってみる

2.とりあえず、前の部屋に戻ろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうせ同じならと、僕は通路の中で身を回転させると、もといた部屋に戻った。

はしごに足場に、体を通路からすべて出したところで、扉が音を立てて閉まる。

はしごから床の上に下りると、僕は腰を下ろした。

特に考えはない。

もしかしたら、僕を攫った犯人から何らかの反応があるかもしれないし、何か動きがあるかもしれない、といった程度の思いつきで待つことにしただけだ。

 

「・・・・・・」

 

時折、遠くから地下鉄が走るような音が聞こえる。

 

(もしかしたら、ここは線路の地下にでもあるのかもしれない)

 

そんなことをつらつらと考えていると、右手の壁の取っ手が音を立てた。

 

ギギギ ギギィ

 

思わず立ち上がった僕の目の前で、扉がスライドし、通路の奥から三十代ほどの男が顔を覗かせる。

 

「お?先客さんか・・・なら大丈夫だな」

 

男はそんなことを言いながら、手に握っていた安全靴を放り込むと、はしごを足場に通路から這い出した。

 

「おい、人がいた、大丈夫だぞ」

 

はしごを下りながら、開きっぱなしの扉の向こうに声をかけると、通路の向こうから僕と同じぐらいのセミロングの女の子と、二十台ぐらいの若い男が続けて出てきた。

 

「よお」

 

男が靴を拾い上げ、僕に声をかける。

 

「あ・・・こんにちは・・・」

「ま、今何時か分からんがね・・・ところで名前は?」

「あー、斉藤新です」

「オレは工藤亮二だ」

 

男が、作業服の左胸を見せるようにしながら名乗る。

 

「あっちの嬢ちゃんは国木エリ」

 

男の紹介に、女の子が頭を下げる。

 

「あっちの兄ちゃんは・・・」

「志賀竜彦だ」

「オレ達も、多分お前と同じようにここに連れてこられて、出口を探している。ま、よろしくな」

「はぁ、よろしく・・・」

 

とりあえず挨拶を交わすと、僕達は工藤の促すままに床に腰を下ろした。

 

「ところでその、工藤さん」

「何だ?ここがどこだっていう質問なら、お断りだ」

「・・・」

 

先手を打たれてしまった

 

「えー・・・じゃあ、皆さんはどうやってここに?」

「多分、お前と同じだと思うぞ?なあ、竜彦、エリ?」

「ああ」「うん」

「んじゃ、せーの・・・」

 

しばしの間を挟むと、三人は同時に口を開いた。

 

『気が付いたら、ここにいた』

 

まるっきり同じ答えに、僕は黙り込むほかなかった。

どうやら、手がかりは見つからないらしい。

 

「ところで新よ、お前、どうする?」

 

工藤は不意に問いを放つ。

 

「え?どうするって・・・」

「ここから出るために、オレ達についてくるか、どうか、って話さ」

「そりゃあ、ついていきますよ」

「だったら、オレの言うことを聞くと約束するか?」

「・・・はい」

 

僕は大人しく、工藤の言葉にうなづいた。

 

 

 

 

どうやら工藤の話によると、この部屋と全く同じ構造の部屋がいくつも集まり、この建物を作っているらしい。

そこで工藤は、この建物から脱出するために、部屋から部屋へと移動して、エリと竜彦の二人と合流したらしい。

 

「部屋には、罠がある部屋と、ない部屋がある。ない部屋はこんな風に安全だけど、ある部屋は入っただけで捕まって、おじゃんだ。

そこでだ、ある部屋とない部屋を区別するにはどうしたらいいと思う?

あいつらはご丁寧にも、ヒントを残しておいてくれたんだよ」

 

そう言いながら、工藤は手にした安全靴を掲げた。

 

「こいつだ」

「靴を・・・どうするんですか?」

「こいつの紐を解いて、入ろうと思う部屋の中に放り込むんだよ。そしたら罠が靴に反応して、安全かどうか分かる、って寸法さ」

 

工藤は立ち上がると、壁面の一つによじ登り、扉を開いた。

 

「ほれ、やってみろ」

「あ、はい」

 

促されるままにはしごを上り、通路に身を入れる。

そして通路の奥にたどり着くと扉を開き、手渡された靴を放り込んでみた。

床の上に靴が落下し、音を立てる。

 

「・・・どうだ?」

「大丈夫みたいです」

僕はそう言いながら隣の部屋に入り、床の上に降り立った。

続いて竜彦とエリが入り、工藤が最後に入った。

 

「ま、こんな感じだ。簡単だろ、新?」

「ええ、まあ・・・」

「んじゃ、もう一つやってみてくれるか?」

 

そう言いながら、工藤が左手にある扉を指し示す。

 

「あ、はい」

 

僕は靴を脇に挟むと、はしごを上って扉を開き、通路の奥に入っていった。

扉を開けると、全く同じ部屋が広がっている。

 

「ほっ、と・・・」

 

靴を放り投げると同時に、変化が起こった。

右側から飛んできた何かに靴が絡め取られ、左側へ飛ばされていく。

手を握り締める暇もなく、靴紐が手をすり抜けていった。

 

「どうだ?」

「あー、危険です。何かに靴を持っていかれました」

「畜生、糞が」

 

後のほうで、工藤の悪態が聞こえる。

 

「それじゃ新、今度は竜彦が部屋を確かめるから、お前の靴を竜彦に渡してくれ」

「あ、はい」

 

工藤の指示に答えながら、僕は通路を後ろへと這っていった。

 

「ん?」

 

ふと、僕の目に通路の継ぎ目が入る。

継ぎ目を挟むようにして二枚の金属プレートが設置されており、それぞれに3桁の数字が刻印されていた。

一つは255で、継ぎ目の向こう側に。もう一つは524で、継ぎ目のこちら側に、上下が逆になるように。

 

「・・・」

 

何となく気になる数字だ。

まるで、部屋番号か何かのような・・・。

釈然としないものを抱えたまま床の上に下りると、竜彦が手を出してきた。

 

「靴」

「あ、ちょっと待って・・・」

 

急いで片方の靴紐を解き、脱いで手渡す。

 

「ありがとう」

 

竜彦は受け取ると礼を言い、工藤の指示する次の部屋への通路へと身を滑り込ませていった。

 

「手、汚れてるよ?」

「え?」

 

いつの間にかそばに立っていたエリの言葉に、ふと右手に目を向ける。

ついさっき靴を脱ぐときについたのか、手は靴墨で黒く汚れていた。

 

「ああ、ありがと・・・」

 

ズボンの尻に手をこすりつけようとしたその時、ふとあることが思い浮かんだ。

 

「ねえ、国木さん・・・」

「エリでいいよ」

「じゃあ、エリちゃん」

「何?」

 

右手の汚れを、いや黒の靴墨を拭い取りながら、僕は彼女に問いかけた。

 

「ヘアピン、一本くれない?」

 

 

 

 

 

「・・・大丈夫みたいよー?」

「よし、じゃあ竜彦、行け」

 

エリの声を受けて、工藤が竜彦を促す。

 

「・・・」

 

竜彦は無言ではしごを上ると、隣の部屋へ向けて通路に身を滑り込ませた。

 

「よし、じゃあ次、新行け」

「はい」

 

僕は通路に入ると、継ぎ目の上辺りで一瞬動きを止めた。

 

(232・・・か)

 

継ぎ目の向こう側、これから入る部屋の方につけられたプレートの数字を記憶する。

そして通路を抜けて床に下りると、僕は左袖からもらったヘアピンを抜き取り、その先端についた靴墨で作業服の左袖に数字を書いた。

 

(2・・・3・・・2・・・と)

 

左袖には3桁の数字がいくつも並び、そのいくつかにはアンダーラインが引かれている。

これは、今まで僕達が通ってきた部屋に刻印されていた番号だ。

そしてアンダーラインが引かれているものは、罠のあった部屋の番号だ。

こうして記録した番号を見ていると、部屋番号と罠には何らかの法則があるように思える。

すでに僕はその法則の見当がつきつつあるけど、まだ確証はない。

もし次の罠のある部屋の番号が、法則に従うものであれば、法則は完全になる、はずだ。

 

「あーだめー、いきなり靴が燃やされましたー」

「糞、またか・・・」

 

エリの報告に、工藤が悪態をつく。

 

「そんじゃ新、次、お前行ってみろ」

「あ、ちょっと待ってください・・・」

 

僕はそういうと、いまだ通路の中にいる襟に向かって声を上げた。

 

「エリちゃん、ちょっと見て欲しいものがあるんだけど」

「えー?何?」

「そこの通路に継ぎ目あるよね?」

「あーあるよ」

「その継ぎ目の上と下に、数字が書いてあるでしょ?」

「・・・あ、ほんとだ」

「それの、継ぎ目の向こう側の数字読んでくれない?」

「えーと・・・211だって」

「ありがとう」

 

袖に数字を書き込み、アンダーラインを引く。

 

(思ったとおりだ・・・)

「おい新」

 

工藤が僕の肩を掴みながら言った。

 

「何だそれは」

「ああ、部屋の番号と、罠の有る無しを記録していたんですよ」

「部屋の番号?」

 

僕は部屋の番号を見つけた経緯を話した。

 

「・・・それで、ここまで記録した部屋番号によると、部屋番号が奇数のときは罠があって、偶数のときは罠がないはずなんです」

「・・・ふん、んなわけあるか。この数字はただのかく乱のための罠さ。

それにお前の言うとおりこれが部屋番号だとしたら、部屋は1000個もあることになるじゃねえか。

せいぜい十何個ぐらいしか調べてねえのに、そんなに簡単に法則が分かるもんか」

「でも・・・」

「ああ分かった、じゃああっちの部屋で試してみようじゃねえか」

 

工藤は僕の手を取ると、強引に壁の前に引いていく。

 

「この向こうの部屋が、安全かどうか見てみろ」

「・・・はい」

 

僕ははしごをよじ登ると通路に入り込み、継ぎ目の向こう側、向こうの部屋の番号を読んだ。

 

「・・・841・・・」

 

奇数、罠のある部屋だ。

 

「罠があります」

「よし、じゃあ待ってろ」

 

後から工藤の声が届いたと思うと、通路に彼が入り込んできた。

 

「ほら、ちょっと詰めろ」

 

強引に僕を通路の片隅に追いやり、身をねじ込ませる工藤。

彼は手を伸ばすと、扉の取っ手を掴み、回した。

 

ギキキ ギィ

 

音を立てて、扉が開く。

すると彼は、手にした安全靴を部屋の中へと放り込んだ。

しかし、トラップがあるはずなのに、靴は何事もなく床の上に落ちていった。

 

「・・・何も起きねえじゃねえか」

 

低く、工藤が口を開く。

 

「やっぱりお前の法則なんて間違ってたんだよ」

「いや、そんなはずは・・・」

 

彼は靴紐を手繰り寄せると、まるで無事な安全靴を僕の目の前に突きつけた。

 

「いいか新、これが現実何だよ。お前の法則は間違ってて、この数字はただのフェイクなんだよ」

「でも・・・」

「でも、じゃねえ!」

 

工藤が大声を上げる。

 

「全く、大人しく靴を投げ込んでおきゃいいのに、余計なことばっかりしやがって・・・。

そうだ、新、賭けをしようじゃねえか」

 

何かを思いついたらしく、工藤がにいと笑う。

 

「オレかお前が今からこの部屋に入って、無事だったら相手の言うことを一つ聞くってのはどうだ?」

 

笑みを浮かべたまま、工藤は続ける。

 

「無論オレが入ってみるが、無事だったら・・・そうだな・・・これから先の部屋の安全確認を、お前がやるっていうのはどうだ?」

「ちょっと、工藤さん、何勝手に決めてんの!?」

「お前は黙ってろ、エリ!」

 

姿は見えないが、エリが工藤の声にたじろぐ気配がした。

 

「さて、どうする新?」

 

そして、僕は応えた。

 

1.「すみません、僕が間違ってました」

2.「分かりました、その賭け、受けます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かりました、その賭け、受けます」

「よし、忘れんなよその言葉」

 

僕の答えに、工藤は笑みを浮かべた。

そして僕を押しのけると、扉をくぐり、はしごを足場に部屋に下り立った。

部屋の中央まで進み、こちらを向いて両手を広げる。

 

「どうだ新、オレは無事・・・」

 

彼の言葉が止まり、表情がきょとんとしたものに変わった。

彼は視線を足元に下ろすと、声を上げた。

 

「な、何だこれは!?」

 

彼の足が、透明な水あめのような何かに包まれていた。

工藤は声を上げて足を引き抜こうともがくが、透明な粘液は逆に彼の足を這い登り、絡み付いていく。

 

「く、糞っ、離れろ、離れろ・・・!」

 

悪態をつきながら足を動かしていた彼が、バランスを崩したのか、倒れこんだ。

すると、床といわず壁といわず、部屋の内壁の全面に薄く広がっていた粘液が、いっせいに滴り落ち、工藤のほうへ集まっていった。

 

「や、やめ・・・!」

 

声を上げようとしていた彼の口をふさぎ、その全身が透明な粘液に包まれていく。

 

「・・・!・・・!!」

 

粘液の中に包まれる彼の表情が歪み、抵抗が弱々しくなっていく。

 

「・・・っ」

 

僕はいたたまれず、通路を這って戻っていった。

 

 

 

 

「・・・どう、だった・・・?」

 

はしごを下り、力なく膝をついた僕に、エリが声をかける。

 

「エリ、やめろ。・・・新、お前のせいじゃない、お前の忠告を聞かなかった工藤が悪いんだ」

「でも、でも・・・!」

「言うな」

 

竜彦は僕を制すると、屈んで僕と視線を合わせた。

 

「いいか、お前の理論は正しかったんだ。それを工藤は身をもって証明してくれた」

「・・・」

「『もし、あの時工藤を止めていたら助けられたのに』と考える余力があるのなら・・・」

 

彼は僕の両肩を掴み、続けた。

 

「俺とエリを、そのお前の理論で助けてくれ」

「・・・分かった」

 

小さく答えると、僕は床に手をつき、腰を上げる。

 

「よし、行くぞ」

 

竜彦とエリが僕の手を取り、僕を立ち上がらせた。

 

 

 

 

 

部屋に入ると、エリと竜彦が数字を読み上げ、僕がそれを記録し、安全だと思われるを選ぶ。

そして念のため靴を放り込み、安全ならその部屋へ。

最も、今のところ外れはないが。

 

「ところで新」

 

エリがはしごを下りながら、口を開く。

 

「あなた、出口がどこか分かってるの?」

「いや。でも、このままなるべくまっすぐに進んでいけば、理論上はこの建物の端に来るはず」

「つまり、まずはその端に行ってから、後のことは考えようというわけだ」

 

僕の返答を竜彦が補足する。

 

「そう、竜彦さんの」

「竜彦でいい」

「・・・竜彦の言う通りだよ」

 

ふと、袖の数字に目を向ける。

すでに通ってきた部屋の数は、20を越している。

部屋番号から考えると、この建物は一辺九個の部屋を積み上げて構成されているはず。

途中で曲がったり、迂回したりした点を考えても、そろそろ端っこに着くはずだが・・・。

 

「おおっ!?」

 

はしごを上り、扉を開いていたエリが声を上げる。

 

「どうした!?」

「ねえ、これって端っこじゃない!?」

 

興奮するエリを通路から下ろすと、竜彦が通路に入っていった。

 

「ああ、端だな」

 

出て行った竜彦に続けて、僕も通路に身を滑り込ませる。

そして目を向けると、通路の向こう、本来なら扉があるべき場所には何もなく、ただ数メートル先のコンクリート製の壁が、小部屋の外壁が放つ光に照らし出されているだけだった。

顔を通路から出し下に向けると、かなり下のほうに床が見える。

積み上げられた部屋を数えると、ここから下に5つ。

つまり、ここは6階ということだ。

そこまで確認して、僕は通路を這い戻っていった。

 

「・・・とりあえず、ここから5つ下に下りれば、地階に着けるわけだな」

 

はしごを下りる僕に、竜彦が声をかける。

 

「うん、とりあえずこの建物の大きさを把握できただけでもよかったよ」

「それじゃあ、どうする?」

 

竜彦がエリと僕を交互に見ながら問いかける。

本当なら、すぐに下の階に下りてしまいたいところだが、すでに何時間も立ちっぱなしだ。

もう立っているだけでもやっとの状態だ。

 

「あたしは、できれば休みたいかなーって・・・」

「僕もだ」

「なら、一時休憩とするか」

 

そう言うと、床の上に座り込み、ごろりと横になる竜彦。

それに倣って、エリと僕も横になった。

 

「ところで一時ってどのぐらい?」

「時々、電車がとおるような音が聞こえるよね?」

 

エリの問いに僕は答えた。

 

「次の音が聞こえるまでにしようか」

「分かった」「了解」

 

二人の返答を聞くと、そう間もなく僕の意識は沈んでいった。

 

 

 

 

 

が たん

 

「うおっ!!」

 

強い振動に、僕は目を覚ました。

部屋が揺れている。

 

「新!足場につかまれ!」

 

向こうの方で、床に設けられた扉へのはしごに掴まりながら、竜彦が声を上げる。

僕は必死に壁際に這うと、壁に刻まれたはしごに腕をかけた。

見ると、向かい側の壁のはしごにはエリが掴まっている。

 

「!!」

 

急な加速度が、全身を襲う。

振動に必死に対抗し、はしごにしがみ付いて堪える。

右に、左に、上に、下に、時折力のかかる方向が変化する。

誰も悲鳴すら上げない。この振動で口を動かせば、確実に舌を噛み切ってしまうことを本能的に悟ったからだろうか。

やがて振動が収まり、完全に止まった。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

しばしの間、沈黙が流れる。

まるで、ふとした拍子にまたあの振動が始まるのではないか、と誰もが思っているようだった。

 

「・・・・・・止まった・・・な・・・」

 

竜彦がそういい、立ち上がるとはしごの一つに手を掛け、上り始めた。

確かあの壁の扉の向こうは、この建物の外壁だったはず。

そして扉を開き、通路を覗き込む。

 

「・・・移動している・・・」

 

竜彦が低くつぶやいた。

 

「え、移動しているって・・・」

「この部屋が、だ」

 

はしごを下りながら、竜彦は続けた。

 

「ここの向こうに、部屋が現れていた」

「部屋番号の順がでたらめな理由と、たまに聞こえるあの音は、部屋の移動が原因だったわけか・・・」

「ということは・・・今、ここはどこなの?」

 

不安げに、エリが声を上げる。

 

「さあ、分からない・・・けど、さっきみたいにまた端のほうを目指して進むしかないと思う・・・」

「そんな・・・」

 

僕の言葉に、エリはペタンと腰を落とした。

 

「まあ、この建物が無限の大きさを持つとかいうわけじゃない、いつかは出られるはずだ・・・」

 

竜彦はエリの手を取り、彼女を立ち上がらせた。

 

「行くぞ、新、俺はあっちの二つを調べる。エリは向こうの二つだ」

「・・・分かった」

 

二人がはしごを上り、扉を開けて部屋番号をチェックする。

 

「815だ」

「こっちはあれ?10、5、5だって・・・」

「え?4桁?」

 

おかしい、通常なら3桁のはずなのに・・・。

 

「どうする、新?」

「とりあえず・・・奇数だから止めておこうか・・・」

 

通路から顔を出し、こちっらを向く二人はうなずくと、それぞれ別の部屋を確認しに移動する。

僕も一応床についている扉を開き、数字を確認する。

 

「781、だめだ」

「243・・・こっちもだめ・・・」

「824・・・行ける!」

 

下の部屋の番号が、安全であることを示している。

これでここと上の部屋もだめだったら、また部屋が動き出すまで待っていなければいけないところだった。

僕は通路内の突起を足場に、下の部屋の扉を開けた。

 

「・・・ん?」

 

ふと、僕の鼻を妙な臭いがくすぐる。

何となく、かすかに生臭いような・・・

 

「どうしたの、新?」

 

エリが、通路の上から覗き込みながら、言う。

 

「あ、あたしなら下の部屋までいけるから大丈夫よ?小学校のときは鉄棒にぶら下がっているの得意だったし・・・」

「新、異常があるのか?」

 

竜彦が、ふと言い放った。

 

「異常があるのなら言ってくれ」

 

竜彦の問いに、僕は・・・

 

1.「いや、異常は特にないみたい」

2.「ちょっと待って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと待って・・・」

 

そういうと僕は、下の部屋の扉を閉じると、その上に残った片方の靴を脱いだ。

靴紐を解き、靴を投げ込んでも引き戻せるようにする。

 

「・・・よし」

 

靴を拾い上げると、再び扉を開く。

眼下に広がるのは、何の変化もない、全く今までと同じ内装の部屋。

しかし右のほう、壁と床の境目辺りに、僕たちのと同じ作業服が落ちている。

脱ぎ捨てられた、というより着ていた人間がその場からいなくなってしまったかのような様子だ。

僕は左手に紐を握りなおすと、靴を放り込んだ。

靴が部屋の中に落ちていき、もうすぐで床に触れるというその時・・・

 

ぎぎぃ がちゃん!

 

僕の目の前で、突然扉が勝手に閉まった。

手を伸ばして取っ手を掴むが、回そうにもびくともしない。

 

「どうした、新、何かあったのか?」

「竜彦、エリ・・・僕、間違ってたみたい・・・」

 

扉に挟まれた靴紐から手を離すと、僕は通路をよじ登っていった。

 

「間違えたって・・・」

 

部屋に戻り、扉を閉めなおす僕をエリの言葉が迎える。

 

「下の部屋、トラップがあった・・・」

「あったって・・・法則じゃ安全なんでしょ!?」

「でも、あったんだ!」

「って、今まであたしたち、そんな間違った法則でほいほい部屋に入ってたって訳!?」

「落ち着け、二人とも」

 

無意識のうちに声が大きくなる僕たちを、竜彦はなだめた。

 

「とりあえずここまで無事に来れた、それだけでいいだろう。

それにここから先は、工藤のやつがいた頃のように、靴を投げ込んで確かめていけばいいだけのことだ。そう悲観するな」

 

竜彦は自分の靴を脱ぐと、側にあったはしごを上って扉を開き、投げ込んだ。

 

「・・・よし」

 

通路の奥から竜彦の声がすると、しばしの間をおいて飛び降りるような音がした。

 

「二人とも、こっちは安全だ」

 

竜彦の声に、エリは僕をじろりと見てから、はしごを上っていった。

 

「・・・」

 

彼女が怒るのもわかる。よく今まであんな危ない橋を渡ってこれたものだ。

彼女の姿が通路の向こうに消えたのを見計らい、僕もまたはしごを上って行った。

 

「・・・そうだ」

 

もう同じ部屋を見つけたときぐらいにしか役に立たないと思うけど、僕は一応部屋の番号を記録することにした。

 

 

 

 

 

靴を投げ込み、投げ込んだものが入って安全を確認する。

工藤がいた頃の作業を再開して、すでに5部屋を通り過ぎていた。

もちろん、罠が起動することもあったが、幸い人が入ってから発動する形式の罠には、まだ当たっていなかった。

その間も、僕は作業服の袖に部屋番号を記録することは続けていた。

 

「・・・よし」

 

靴を投げ込み、しばらく待って部屋に何の反応もないことを確認する。

 

「行けるよ!」

 

後の二人に声をかけ、通路を這い進んで部屋に入る。相変わらず殺風景な部屋だ。

しばしの間を置いて、竜彦とエリが床に降り立った。

 

「次は、俺の番だったな」

 

竜彦は部屋に入るなりそう言い、僕から靴を受け取ると、向かいの壁に進んではしごに手をかけた。

そのときだ。

 

「あいっ・・・!」

 

エリが声を上げて、床に崩れた。

 

「だ、大丈夫・・・?」

「新っ!」

 

気を失ったのか、動かない彼女に駆け寄ろうとした僕に向けて、竜彦が声を上げる。

 

「いいか、エリに近寄るな・・・」

「え?でも・・・」

 

彼は床に降りると、指をエリが立っていた辺りに向けた。

 

「そこ、見てみろ・・・」

 

目を凝らすと、床の金属フレームの部分から針のような物が突き出ていた。

針は小さな音と共に、フレームの中へ引っ込んでいった。

 

「ん、んん・・・」

 

小さなうめき声を上げて、エリが身を起こした。

 

「大丈夫か、エリ」

 

竜彦ははしごから降りエリの近く、しかしぎりぎり手が届かない程度のところに近寄った。

 

「え、あたし・・・」

「ああ、座ったままでいい。何があった?」

「ええと、歩いていたら足の裏がチクってして・・・それで気が付いたら床の上に寝ていて・・・」

「そうか・・・何か、変わったことは?」

「・・・ちょっと体が熱い、かな?」

 

心なしか、彼女の顔に赤みが差しているようにも見える。

 

「新、エリ・・・信じなくてもいいが、一応言っておく」

「?」

「俺は、とある組織で戦闘員のようなことをしていた」

「・・・」

「その中で仲間や上官から聞いたんだが、戦法の一つに感染力の強いウィルスを注射した兵隊を、相手の部隊に紛れ込ませる方法がある」

「ええと、つまり・・・?」

 

あまりに突拍子もない話に、僕は反応に困った。

 

「そうだと決まったわけではないが、エリに何かが注射されたのは確実だ」

「え・・・?」

「つまり、エリとはここで別れた方がいい」

「そ、そんな!」

 

僕は声を荒げた。

 

「こんなところに女の子を一人で置いていくなんて!」

「しかし、連れて行ったところでいつかは力尽きる。それに、そうしないと俺たちの方がヤバい」

「それまでに外にたどり着けば、何か治療法が・・・」

「・・・分かった、それなら・・・エリ」

 

竜彦は混乱しているエリに目を向け、低い声で問いかけた。

 

「体が熱いだけで、特にだるいとかいう症状はないな?」

「え、あ、はい」

「ならば、急いで脱出しよう。ついていけなくなるような症状が出たら、それまでだ」

 

竜彦はそういうとはしごを上り、扉を開いて通路に潜り込んだ。

 

「・・・安全だ、行くぞ」

 

通路の向こう側から、声が響いてきた。

 

 

 

 

 

三つ、部屋を通り過ぎた。

エリの順番は飛ばし、僕と竜彦で隣の部屋の確認をすることとなった。

エリはついてきてはいるが、次第に顔が赤くなっていき、呼吸も荒いものに変わっていった。

僕達が罠の確認をしている間は、壁に背中を預けて息をついていた。

できれば介抱してやりたいけれど、竜彦が言うには感染の危険性があるから、あまり触ってはいけないらしい。

 

「・・・大丈夫だよ」

 

通路の向こうに呼びかけると、竜彦ははしごに足を掛けて部屋に入ってきた。

僕から靴を受け取ると、早速竜彦は別の扉を開いて靴を投げ込んでいる。

 

「エリちゃん、行くよ・・・」

 

部屋番号の記録をしてから、彼女に声を掛ける。

 

「今、行く・・・」

 

細い声の後、通路に彼女が上ってきた。

 

「新、ちょっと手を・・・」

 

そう言いながら、エリは手を伸ばしてきた。

汗ばんだ彼女の手が、小さく震えている。

 

僕はその手に。

1.手を伸ばさなかった。

2.手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんと悪いけど、自分であがってくれるかな・・・」

 

内心でも謝りながら、エリに言う。

かわいそうだが、もしものことを考えると手を貸すことができない。

 

「手を・・・貸せないのね・・・?」

 

エリが顔を上げながら言い、こちらに双眸を向けた。

 

「だったら・・・」

 

その瞳が、ぎらりと輝く。

 

「あたしから行くわ・・・!」

 

彼女の手が、猛禽類を思わせる勢いで僕に襲い掛かる。

その指先が僕の胸元にかかる直前、全身を衝撃が襲った。

手足がはしごから離れ、数瞬の間宙を舞う。直後、全身がプラスチック製の床面に叩きつけられ、痛みが全身に走った。

 

「大丈夫か、新!」

 

竜彦の声が耳に飛び込んだ。

顔を向けると、竜彦がはしごによじ登り、扉の取っ手を握り締めて押さえ込んでいる。

 

「ここは俺が抑えている。靴は正面の部屋のトラップで使ったが、次の部屋をお前が探してくれ!」

「で、でも・・・靴がないと」

 

身を起こしながら、僕は狼狽えた。

 

「何のために部屋番号を記録していたんだ、こういうときのためじゃないのか」

 

いかなる力が加えられているのか、取っ手は竜彦の力をもってしても少しずつ、少しずつ動いている。

もう、時間がない。

 

「俺はお前を信じている。お前が安全だと思う部屋を選べ!」

「・・・分かった」

 

竜彦の言葉に、僕は決心した。

 

(まず、真正面と上と下は除外だ)

 

真正面の扉は、竜彦が靴をトラップに持っていかれたといっているからだめだ。

上と下の部屋も、安全だとしても移動するのに時間がかかり、錯乱したエリに捕まるだろう。

だとすれば残るのは、右か左の部屋。

部屋番号を確認すると、それぞれ112と766だ。

以前の法則、つまり部屋番号が偶数ならば安全だというのならば、どちらも安全だ。

でも、偶数でトラップがあった場合もあったし、奇数でなかった場合もあった。

袖の記録を睨みつけながら、唇を噛む。

 

「どうだ、分かったか!?」

 

竜彦の声に、切羽詰ったものが感じられる。

早く決断しないと、時間がない。

そこで僕は―

1.112の部屋を選ぶ。

2.766の部屋を選ぶ。

3.もう少し考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少し考えてみよう。逃げるばかりが、方法ではないはずだ。

視線を下に下ろすと、床に取り付けられた扉が目に入った。

同時に、僕の脳内に一つの策が浮かんだ。

 

 

 

 

 

僕が扉を閉めると同時に、扉の向こうから扉が開く音がした。

 

「うふふ、やっと開いた・・・あら、新は?」

「さあな」

「やっぱり、あなたを見捨てたんだ・・・あーあ、あいつもひどいヤツだったのね」

 

扉の向こうの声に耳を傾けながら、取っ手を握り締める。

 

「いいや、俺が行かせたんだ」

「へえ?男同士の熱い友情、ってわけ?」

「いいや・・・」

 

扉の向こうで、ぎしりという軋みがした。

 

「あいつの、作戦だからだ」

 

一気に取っ手を回し、扉を開く。床の扉が急に開いたため、エリの身体は重力にしたがって落下した。

通路の片側に身を寄せて作ったスペースを、エリの体が通り過ぎていく。

予め開いておいた下の部屋の扉をくぐり、ぎゃんという短い悲鳴が僕の耳に届いた。

 

「よし、落ちたな」

「うん、うまくね」

 

竜彦が声と共に差し出した手に捕まり、僕はもといた部屋に引き上げられた。

 

「それで、前の部屋に戻るのか?」

「うん、下で待ち構えている間に思いついたことがあるんだ」

 

自動的にしまっていく床の扉に目もくれず、必死の攻防を繰り広げていた扉をくぐり、前の部屋に入る。

そして調べなかった扉を開くと、僕はその内側に記されたナンバーに目を走らせた。

 

「751・・・」

 

指を折り、簡単な計算をする。答えはすぐに出た。

 

「安全だ」

 

僕は小さく呟くと、通路の奥に這い進んで扉を開き、何のためらいもなくその向こうの部屋へ身を躍らせた。

 

「お、おい!」

 

竜彦のうろたえた声が背後から響く。

だがトラップは起動せず、僕は無事にプラスチック製の床板の上に着地していた。

 

「ね?安全でしょ」

「・・・全く、驚いたぞ・・・」

 

背後へ顔を向けると、竜彦がはしごをゆっくりと降りてきているところだった。

 

「それで、思いついたって、部屋番号の法則のことだな?」

「うん」

 

袖を広げ、竜彦に見えるようにしながら説明する。

 

「奇数か偶数か、じゃなくて数字の種類が問題だったんだ」

「ほう」

「こうやってトラップのある部屋とない部屋の番号を比べてみると、1、2、4、7、8が奇数個ある部屋は、トラップがあるんだよ。ほら見て」

 

袖の数字を、指で押さえながら続ける。

 

「233と323、824と248・・・番号は違うけど、使われている数字が同じだからこの部屋にはトラップがあったんだよ」

「ということは、この部屋は751だから・・・」

「安全、って言うこと」

 

そこまで言うと、竜彦は向かいの壁に駆け寄った。

はしごをよじ登り、扉を開いて部屋番号を読み上げる。

 

「815・・・」

 

袖の記録にもある番号だ。あの時は危険だと判断したけど・・・

 

「1と8だから・・・」

 

竜彦の声の後に、金属音が響き、何かが落ちる音が耳に届いた。

 

「確かに、大丈夫だ」

 

竜彦の声を聞き届けると、僕ははしごに手をかけた。

 

 

 

 

 

その後、部屋から部屋へと移動を繰り返すうちに、部屋の数字に変化が起こり始めていた。

次第に、部屋の番号が揃いつつあるのだ。

それまでは111の隣が989であったりと、むちゃくちゃな並びをしていた。

しかし次第に三桁の数字が似たものになりつつあった。

657と638、552と452。

 

「まるで、元の並びに戻ってるみたいだ・・・」

 

部屋番号を確認しながら、ふと呟く。

 

「待て、新。今なんて言った?」

 

予想外に大きな声を出していたのだろうか、他の番号を調べていた竜彦が声を上げた。

 

「いや、単に元の並びに戻ってるみたいだ、って・・・」

「元の並び・・・」

 

しばしの間を挟んで、竜彦は口を開いた。

 

「なあ新。前に、この部屋番号がでたらめなのは、部屋が移動しているからだって言ったよな?」

「あ、うん」

「それで、途中で4桁の部屋番号の部屋があったよな?」

「あー、そういえば・・・」

「仮にだ、すべての部屋が番号通りの位置に納まったとしたら・・・どうなる?」

「・・・」

 

すべての部屋が元の位置に戻れば・・・

4桁の部屋、1055の部屋が10、5、5だとすれば・・・

外壁と、部屋の間がちょうど部屋一つの幅だとすれば・・・

 

「立方体から、外壁への桟橋代わりの部屋が、一つだけ部屋が突き出た形に・・・」

 

気が付くと、僕は竜彦のほうへ顔を向けていた。

彼は大きく一つうなづくと、続けた。

 

「そうだ、4桁の部屋の向こうが、出口だ」

「元に戻る前に、探さなきゃ・・・!」

 

今いる部屋の番号を確認する。

745。

向こうの部屋は・・・755。

 

「竜彦、そっちは!?」

「こっちは845だ!」

 

1055と同じ5段目で、他の数字も近い。

 

「そっちの部屋だ!」

 

声を上げると、竜彦はそのまま通路の向こうへ消えていった。

僕もはしごを降りて、遅れて845の部屋に入る。

見ると、竜彦が向かいの扉を開いて番号を確認しているところだった。

部屋に飛び込み、床で受身を取りながら叫んだ。

 

「番号は!?」

 

ここで部屋の位置が元の位置ならば前に進むことはできず、上の部屋から迂回するしかない。

まだもとの位置に戻っていないのならば・・・

 

「9、5、5・・・だ」

「よかった・・・」

 

運良くずれていたことに、全身から力が抜けそうになる。

 

「新、せめて向こうに入ってからほっとしろ。先に行くぞ」

「あ、うん、すぐ行く!」

 

竜彦の声に我を取り戻すと、僕は慌てて彼の後を追った。

 

 

 

 

 

955の部屋は、他の部屋となんら変わらないつくりだった。

左右の並びは揃っているが、前後はまだ揃っていない。

 

「後は、4桁の部屋が来るまで待てばいい、ってことか」

 

床の上に腰を下ろしながら、竜彦が言った。

僕も久しぶりに腰を下ろす。

 

「なあ、新」

 

竜彦が不意に口を開いた。

 

「お前、家に戻れたら、最初に何をしたい?」

「うーん・・・」

 

しばしの間考え、僕は口を開いた。

 

「とりあえず、何か食べて飲んで、ぐっすり眠って・・・あ、父さんと母さんに謝っておかないと」

「そうか、両親か・・・うらやましいな・・・」

 

竜彦は一瞬遠い眼をした後、続けた。

 

「俺は・・・そうだな、まず」

 

ぎぎきぃ・・・

 

竜彦の言葉をさえぎるように、金属がこすれあう音が部屋の中に響いた。

立ち上がり、身構えながら音源に顔を向けると、ちょうど1055の部屋に繋がるはずの扉の取っ手が、ゆっくりと回転しているのが見えた。

取っ手が回りきり、扉がこちらに向かって突き出、スライドする。

 

「あ!やっとみーつけたー」

 

扉の向こう、まだ部屋も何もない空間から、聞き覚えのある高い声が飛び込んできた。

 

「はーい、おひさしぶりー」

 

部屋と外壁の間の暗がりから、声と共に少女が顔を覗かせた。

セミロングの髪に、僕と同じくらいの年のころの―

 

「エリ・・・?」

 

呆然と、僕は彼女の名を呼んでいた。

 

「お前・・・エリなのか?」

 

竜彦も、確証を得ていない様子で彼女に呼びかけた。

無理もない。今の彼女は、額から二本の角が顔をのぞかせていた。

人間かどうかも怪しいところなのに、声と顔から僕たちはエリと呼びかけていた。

 

「ええ、そうよ。もしかして忘れてた?」

 

狭い通路を潜り抜け、プラスチック製の床の上にひらりと着地する。

動きやすさを優先したためか作業衣めいた服の袖は千切られ、ズボンも両足を千切られて太ももがあらわになっていた。

さらに、背中からはこうもりめいた形の翼が広がっており、足の間からは先端に三角形のついた尻尾がぶら下がっている。

 

「あ、そうだ新、どう?この格好」

 

そう言いながら、彼女はその場でくるりと回った。

 

「あなた達と別れてからしばらくして、こんなのが生えてきたの」

 

尻尾の先端を手に取り、愛しそうに撫でながらエリは続けた。

 

「この羽、見た目は小さいけど飛んで回れるし、尻尾も結構すごいのよ?それで、あなた達に早く見せてあげたくて、ずうっと探してたの」

 

僕も竜彦も、動けなかった。

口調こそ穏やかだが、今のエリからは異様な雰囲気を感じる。

まるで爆弾のように、触れることさえ危ぶまれるような雰囲気を。

 

「・・・・・・」

 

視線を竜彦に向けると、彼と目が合った。

彼はエリに一瞬視線を向けると、僕へ向けなおし、ゆっくりと瞬きをした。

何かを伝えようとしているのだろう。

これは

1.『エリに飛び掛り、押さえ込め』という合図だ。

2.『エリは俺が押さえ込む』という合図だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『エリは俺が押さえ込む』

 

アイコンタクトだけだったが、竜彦の意図は十分に伝わった。

竜彦はエリに目を向けると、じっくりと見ていないと分からないほどゆっくりと、膝を屈め全身のバネを縮ませていた。

 

「それでね、最初どっちに見せてあげようかって迷ってたんだけどね・・・」

 

スタート直前の短距離選手のように、矢を放つ直前の弓のように、全身が引き絞られていく。

 

「あたしを落としてくれた、新からにするわ」

 

エリの言葉が耳に入ると同時に、僕は背中を壁に強くぶつけられていた。

 

「・・・!?」

 

衝撃と痛みに、肺の空気が搾り出される。

 

「痛かった?」

 

いつの間にか僕の襟首を掴み、体当たりするようにして壁に叩きつけていたエリが、僕の眼前でそう問いかけた。

彼女の手を掴み、押し返そうとするがびくともしない。

 

「あたしはもっと痛かったよ・・・でもね」

「エリぃぃいいいいっ!」

 

竜彦が声を上げながら、エリの肩に掴みかかる。

だが、エリは竜彦のほうを向きもせず、彼を軽く突き飛ばした。

それだけで竜彦の身体は軽々と宙を舞い、向こうの壁に叩きつけられ、床へと崩れ落ちていった。

 

「もう痛いのはおしまい」

 

何事もなかったかのように、彼女は続けた。

 

「これからこの体のこと、たっぷり教えてあげるね?」

 

エリが顔を寄せると、甘い香りが僕の鼻をくすぐった。

彼女の体臭や呼気、そして髪の毛からその香りが漂ってくる。

 

「あ・・・」

 

正月におとそを飲んだときのような、アルコールの酩酊に似た感覚が僕の脳を支配していく。

彼女の手を掴む僕の手から力が抜け、自然と指が緩みブランと垂れ下がった。

 

「うふふ・・・」

 

笑みを浮かべながら彼女は僕の股間に、作業衣のズボン越しに手を重ねてきた。

布地越しでも分かる柔らかな掌が、優しくペニスを包み込んだ。

 

「あは、もう大きくなってきた・・・」

 

甘い吐息を吐きかけながら、エリが言う。

布地越しにエリの体温がペニスに伝わり、彼女の香りが快感を増幅させて、ペニスを膨張させていた。

屹立したペニスは彼女の掌を押し返して、布と腹の隙間で大きく脈打っていた。

 

「それじゃあ、まずはこのまま・・・」

 

言いながら、エリはぐりぐりと掌を押し付けてきた

 

「うわ・・・」

 

ペニスが腹に押し付けられ、転がされる。

その感覚に僕は喘ぎ声を漏らした。

 

「どう、気持ちいい?」

「あぁ、うぅ・・・」

 

布越しに自分の腹に押し付けられているというのに、僕はまるでエリ自身が直接触れているような錯覚を覚え、快感を味わっていた。

緩やかな、ぬるま湯のような快感。その快感に僕の意識は溶かされていく。

やがて限界が訪れ、僕の意識がはじけた。

 

「あ、あ、あぁぁぁぁ・・・」

 

情けない声と共にペニスが脈打ち、吹き出た精液が僕の下着と腹を汚していく。

 

「・・・ん?あーあ、もう漏らした」

 

脈打つペニスの感触に、エリが不満げに声を上げて手を離した。

 

「ズボンの上から触ってただけなのに、もう出たの?はあ、新って早漏なんだね・・・」

 

力なく、壁を背にして座り込んでしまった僕に向けて、エリは見下ろしながら。

その後も蔑むような言葉が続くが、その言葉が優しく脳にしみこんでいく。

屈辱的な言葉だったが、それでも僕のペニスは射精直後だというのに屹立し、早くも脈打ち始めていた。

ペニスに絡みつく、べちゃべちゃとしたの精液の感触さえも、心地よい。

 

「あれ?貶してるのにまた大きくなってるよ・・・もしかして、新ってマゾ?あは、イジメがいがありそ!」

 

再びズボンの布地を押し上げるペニスに気が付き、エリが嬉しそうに声を上げた。

彼女の声を聞きながら、僕の視線は部屋をさまよった。

目に入るのは、部屋の壁と床と扉。そして、向こうの壁に背を預け、膝を抱えるようにして屈んでいる竜彦。

 

「それじゃあ、次はこの尻尾で・・・」

 

そう言いながら、彼女が尻尾を掲げると同時に、部屋全体を衝撃が襲った。

いや、衝撃というほどのものでもない。

停車していた電車が動き出す時程度の衝撃だ。

ただ、立っている人間がよろめいて、バランスをとろうとするために数秒間無防備になるには、十分すぎる衝撃だった。

向こうの壁の下で屈んでいた竜彦が、弾けるように飛び出した。

 

「!?」

 

突然の衝撃によろめくエリの腰に、竜彦がタックルを叩き込んだ。

エリはバランスを崩し、二人まとめて床の上に転がった。

竜彦はエリの手首を掴むと、一気に背中へとねじり上げて、叫んだ。

 

「新ぁっ!早く、行けぇっ!」

 

竜彦の声に、霞がかっていた僕の意識に光が差し込んでくる。

ぬるま湯のような快感が引いていき、背中を打ちつけたときの痛み、股間に纏わりつく精液の気持ち悪さ、そして危機感が蘇る。

 

「何をしてるっ!早く、出口へ行くんだっ!」

 

竜彦の声に、僕は立ち上がった。

部屋が動いた、つまりは部屋の位置が初期状態に戻ったということ。

僕のちょうど向かいの扉の向こうに、この建物の外へと繋がる部屋があるはずだ。

脱出するためにはどうにかして、竜彦を助け出さないと。

 

「くそっ、竜彦!放しなさい、放しなさいよ!」

 

ねじり上げられた腕の痛みに歯を食いしばりながらも、エリは空いた方の手や足を振り回す。

 

「放しなさい!新ぁっ!早く、竜彦をどうにかしてよぉ!」

 

彼女の細腕が竜彦の胴や顔に当たるたびに、竜彦の体が揺れた。

 

「早くしろ!もう、俺は持たない!」

「で、でも・・・」

 

自分を切り捨てろ、という竜彦の発言に僕は躊躇した。

 

「バカ野郎!ここでお前も出られなかったら、ここはこのままなんだぞ!お前が出れば、お前ならば、ここをどうにかできるはずだ!だから!」

 

首を捻り、竜彦が僕に顔を向けた。

その両の瞳には、何かを決断し、受け入れる用意のできた光が宿っていた。

彼の言葉、

彼の瞳、

それらが、僕の決心を後押しした。

 

「分かった」

 

僕は大きく一つ頷くと、竜彦とエリに背を向け駆け出した。

 

「な、何やってんのよ新!あたしを置いていくの!?」

 

はしごに手をかけた僕の背に向けて、エリが声を上げる。

 

「竜彦をどうにかして、一緒に出ようよ!一緒だったら、もっとすごい事してあげるから!」

 

拳を振るい、どうにかして竜彦の拘束から逃れようとしながら、エリが僕に向けて言う。

しかし、僕は彼女の言葉に耳を貸さず、一段一段はしごを上り、扉の取っ手に手をかけた。

 

「お願い、新ぁ!助けて・・・!」

 

扉が開き、現れた通路に身を滑り込ませる。そして―

 

「おね・・・」

 

扉が閉じると同時に、エリの声が消滅した。

 

 

 

 

 

 

桟橋代わりの部屋は、静かに僕を迎え入れた。

トラップも、他の人間も、死体も、何もなかった。

僕は部屋を横切ると、はしごを上り、扉の取っ手を回した。

金属の擦れる音と共に、扉がスライドしてまばゆい光が僕の目を射った。

 

「・・・!」

 

まぶしさに顔をそらし、ゆっくりと細めた目を開く。

何も見えない、ただ白い光。

 

「・・・」

 

背後を振り返ると、ついさっきくぐってきた扉が僕の視線の先にあった。

あの扉の向こうに、竜彦とエリがいる。

三人で出たかったが、それは叶わなかった。

二人で出るつもりだったが、それも叶わなかった。

ただ、竜彦の言葉だけが、僕の耳に残っている。

 

『お前なら、ここをどうにかできる』

 

ここを出て、この施設を停止させる。

そうすれば、僕達のような思いをする人間はもう出ないだろう。

エリの様になってしまう人間も、もう出ないだろう。

工藤の様になる人間も、もう出ないだろう。

そんな思いを僕に託して、竜彦は僕を送り出したんだ

どうやれば、ここを停止させられるかは分からない。

だけど、停めてみせる。

その決意を胸に、僕は光の中へと這い進んでいった。

 

 

 

 

 

-THE END-



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