アラウネ・ブルーム


 

 「……」

 特殊部隊用のタクティカルベストにボディーアーマー、屋内用の迷彩に身を包んだ4人の人影。

 その顔面はヘルメットとフェイスマスクで防護し、M4カービンという軍用ライフルを手にしている。

 そんな装備に身を包んだ物々しい一団は、ジャングルのような学校の廊下を注意深く進んでいた。

 

 ジャングルのような学校――とういう表現になんら間違いはない。

 ここは学校の廊下でありながら、ジャングルのような様相。

 無数のツタや茎、根などの植物が床や壁に侵食していたのだ。

 背後に、真横に警戒しながら進む4人の人影――より注意深く見れば、うち1人は女性である事に気付くであろう。

 彼等はこの学校に足を踏み入れ、その余りに異常な光景に圧倒されていた。

 

 

 

 バイオハザードが発生したのは、某県某市にある私立聖志林学園。

 そこは全国でも有名な、小中高一貫のエスカレーター校だという。

 数年前までは完全に女子校だったらしいが、現在は男子も少数ながら入学しているという話だ。

 また聖志林学園は全国でも有数のお嬢様学園であるらしい。

 俺はその学校に、3人の部下を伴って乗り込んでいたのだ――

 

 俺――須藤啓の率いるチームに、出動命令が下ったのはほんの30分前。

 そして、今では既に現場に入っている……俺達の出動は常に緊急を要するため、この性急さも驚くにはあたらない。

 俺達のチームは化け物狩りが専門、よって出動命令が下る場合は『そっち方面』の事件が起きた時のみ。

 しかし、今回の任務はどこか違った。

 もともと異質な任務を担当している俺達であるが、その中でもさらに異質な相手――最初から、その思いが拭えなかったのだ。

 とにかく俺達のチームは、まるでジャングルが侵食してきたかのごとき聖志林学園の1階廊下に立っていた。

 

 

 外に待機している対BC(生物・化学)サポートと連絡を取り終えた俺は、3人の部下達に告げた。

 「……マスクを外していいそうだ。細菌や毒ガスの危険性はない」

 「……了解」

 「分かりました」

 俺の言葉に従い、窮屈なマスクを外す3人。

 そのマスクの下から出てきたのは、いずれも10代後半の顔。

 そういう俺も、ほんの1ヶ月前に20歳になったばかりだが。

 

 「それにしても隊長、これは……」

 メンバーで最若年のリョウは、廊下の壁に這う巨大な根や茎に視線を向けて呟いた。

 その腕の震えが手にしている軍用ライフル――M4カービンに伝わり、カタカタと音を立てる。

 彼は18歳、このチームに入って1年も経っていない。

 そして彼の外見だけを見れば、とても軍隊に準ずる組織の隊員には見えないだろう。

 リョウは非常に華奢で、軟弱な最近の若者、という表現がぴったりの外見だった。

 当然ながらリョウの能力までが『軟弱な最近の若者』ならば、この場に立ってなどいない。

 

 そういう俺にしても……いや、このチーム全員にしても、いかにも屈強な男というのはいない。

 特に俺はリョウ以上に華奢で身長も低く、女性的な体付きとすら言われる。

 学生時代、「どこか中性的」とか「クールなのがカッコいい」などと噂されていた事は知っていた。

 だが、そういう友情だの恋愛だのといったコミュニケーションなど俺とは無縁な話だ。

 

 「敵は植物型ですね。まあ、見たままですが」

 怯えの色すら見せるリョウとは対照的に、落ち着きの色を崩さないジン。

 この男はチームのサブリーダーで、俺の良き右腕でもある。

 「……かと言って、こんな屋内じゃ火炎放射器の類も危険だろう」

 俺は、周囲をゆっくりと見回しながら言った。

 「この様子じゃ『スピーシー』を探すのは面倒だな。厄介な事件だ……どうした、マドカ?」

 「……いえ。大丈夫です、先輩」

 俺は、怒りをこらえるような表情を見せているマドカを見留めた。

 その怒りの理由は明白。この学園は、マドカの母校だという話なのだ。

 

 「……生徒の姿が見えませんね。急いで元を断たないと、取り返しのつかないことになる恐れもあります」

 ショートカットの髪を軽く揺らし、気を取り直したように告げるマドカ。

 「しかしこの状況では、生存者の存在そのものが絶望的――」

 そこまで言って、ジンはマドカに遠慮したのか黙り込んだ。

 

 俺達の業界は男女平等。無能な男性は不要だし、有能な女性は重用される。

 とはいえいくらフェミニズムが主流の現代でも、生存能力ならばともかく格闘能力ともなると女は男に劣る。

 結局のところ女性軽視の思想とは関係なく、俺達の業界の構成員はほとんど男のみで占められるのだ。

 それなのに女の身でチームに加わっているマドカは、それだけ有能だという事である。

 スラリとしたモデルのような体格に、あどけなさすら残る整った容姿。

 そして、この聖志林学園というお嬢様学校に所属していたという境遇――

 それでいながら血生臭い世界に身を投じたマドカにも、何か深い事情があるのかもしれない。

 

 俺達のチームは、リーダーの俺、ジン、リョウ、そして紅一点であるマドカの4人だ。

 妻子のいない、そして強靭な意志と能力を持った者だけで構成されている特殊チーム。

 俺とジンが20歳、マドカが19歳、最年少のリョウが18歳と、極めて若年の精鋭メンバーなのである。

 また彼等の名は作戦上のコードネームであり、皆の本名はリーダーである俺でも知らない――いや、知る必要はない。

 

 

 「とりあえず、現状の報告だな……」

 俺は通信機を取り出し、司令部に繋いだ。

 「こちらアルファ、現在は聖志林学園の1階。相手は植物型で、学内のほぼ全てを占拠。生存者の数は不明」

 『ふむ…… とにかく、早急に『スピーシー』の破壊を』

 思ったよりもクリアな音声で、司令の言葉が伝わってくる。

 この状況だと、電波不通すら覚悟したが――

 「……了解、『スピーシー』の破壊にあたります」

 『スピーシー』というのは『種』という意味、その名の通り植物型妖魔の大元だ。

 それさえ見つけだして狩れば、この学園を覆っている怪異も消え去るはず。

 「では、これより1階から捜索を――」

 『いや、それは得策ではない。時間のロスを防ぐべく、各個分散しての捜索を命じる』

 「は……!?」

 司令の言葉に、思わず俺は表情を歪めた。

 「しかし司令、この状況でそれは余りにも危険……」

 『危険は承知の上だが、生存者がいる可能性があるのなら悠長なことはできない。君達の手腕を信用している』

 「……了解しました」

 俺は通信を切ると、メンバーの顔を見回した。

 「……では、これより分散して学園内を捜索しよう」

 「えっ!?」

 目を見開き、硬直するリョウ。続いてジンも口を開いた。

 「しかしリーダー、この状況で分散行動は余りにも危険では?」

 「ジ、ジンさんの言う通りですよ。危ないです!」

 血相を変えているリョウはともかく、ジンは臆病風に吹かれたわけではないだろう。

 情報が極めて少ない状況において、敵地での分散行動は余りにも危険なのだ。

 「しかし、ここは生存者の救出が優先されるべきです」

 マドカは、司令の命令に賛同した――が、彼女の心境を考えると不思議ではない。

 この学園の生徒は皆、マドカの後輩でもあるのだから。

 「……その通り、生存者の救出が優先だ」

 俺はそう結論した。

 「過剰な人命重視は二次被害にも繋がります。それに賛同はできませんが……司令の指示に背くわけにもいかない」

 ジンは不服そうな表情を浮かべる。

 そういう俺自身も、納得した表情を浮かべている訳ではないだろうが――

 「いや、助けを待ってる人がいるなら話は別です……! やりましょう!」

 気を取り直したように――いや、自らを奮い立たせるようにリョウは言った。

 任務の前にはいつも震えているが、リョウも選りすぐりの精鋭。その身体能力や判断力は極めて高い。

 そして彼は、常に他者を助ける事を意識した上で勇気を奮い立たせる――つくづく、この仕事向けの好青年だ。

 化け物への憎悪のみで戦っている俺とは根本的に違う。

 

 「じゃあ――」

 俺は、事前にチェックしたこの学園の地図を思い出した。この校舎は4階建てで、そう広くはない。

 小等部、中等部、高等部と分かれているものの、生徒の数は非常に少なく、一つの校舎に教室が収まっているのである。

 「マドカは1階、俺は2階、リョウは3階、ジンは4階の担当としよう。

  『スピーシー』を発見した場合、1人で立ち向かわずただちに応援を要請しろ。

  とりあえず、30分後に再びこの場所に集合だ。いいな?」

 「……了解です」

 「はい」

 「了解しました!」

 瞬時に配置を決め、散り散りになる一同。

 こうして俺達は、それぞれ割り当てられた階に散っていった。

 

 

 

 

 

 警戒しながら階段を上がり、2階に踏み込む俺。

 「……?」

 この階の廊下に立った瞬間、ふんわりと甘い匂いが鼻についた。

 非常に心地よい、身を任せてしまいたくなるような芳香。

 そしてどこか作為的な、人を狂わせてしまうような芳香――

 普通の人間なら感じ取れるのは前者のみ。

 幾多の修羅場を潜り抜けた俺は、後者の匂いも確かに感じ取っていた。

 

 対BCサポートからの通信では、細菌や毒ガスの危険性はないという話だが――

 俺はM4カービンを構えながら、ゆっくりと廊下を進む。

 この階には、中学生――中等部の教室があったはずだ。

 1つの学年の生徒数は極めて少なく、いずれも1クラス分。

 つまりこの階には、中学1年生〜3年生の教室があるという事になる。

 なおマドカの担当する1階は小等部の、ジンとリョウの担当する3階と4階は高等部の教室だった。

 

 「……ひどいな」

 M4カービンを構えて廊下を進みながら、俺は口の中だけで呟いた。

 やはり壁や床、天井は植物で覆われ、さながら緑の洞窟をさまよっているかのよう。

 ところどころに教室の扉や机が見え、かろうじて学校らしさを覗かせている。

 廊下の右側は窓、そして左側には教室が並ぶという配置。

 窓の外には紫色の空が広がり、外界から隔絶されているかのよう――

 いや、なんらかの魔力で実際に外界から隔絶されている可能性が高い。

 俺達が学園に侵入した直後に、遮断されたのだろう。

 司令部と通信が可能なだけでも御の字である。

 

 そして俺は、もっとも手前にある教室の前に立った。

 「……」

 呼吸を整え、精神を集中させる。

 ここは敵地であり、どんな奇襲を受けるか分からない――俺の緊張の原因は、それだけではなかった。

 この教室の中からは、確かに奇妙な音がしていたのだ。

 

 ――ちゅぷ、ちゅぷちゅぷ。

 ――はぁ、あ、ああぁぁぁ……

 ――ふふ、ふふふふ……

 

 何かを啜るような物音と、男性――おそらく少年の荒い息。

 そして、少女のものらしき笑い声。

 この教室の中に、何かいるのは間違いない――

 

 「……動くな!」

 俺はドアを蹴破ると同時に、その教室へ踏み込んだ。

 すかさず、室内に向けるM4カービンの銃口。

 通常なら手榴弾を中に投げ込む手順だが、生存者がいる可能性がある以上それもできない。

 そして非致死性の手榴弾など、俺達の装備品には入っていない。

 そもそも俺達の仕事は殺すことであって、救うことではないのだから――

 

 その教室に足を踏み入れた瞬間、今まで以上にキツい芳香がむわ……と鼻をつく。

 それに圧倒されると同時に、俺は教室内の信じられない光景を目にした。

 「こ、これは……!?」

 目の前の余りにも奇妙な光景に、呆然とする俺。

 教室中央の椅子にもたれかかるように座り、うつろな表情を浮かべている男子生徒――

 彼の全身には、植物のツタがびっしりと絡んでいた。

 そして男子の下半身は裸で、その股間を何かがぐにゅぐにゅと蠢いている。

 まるで、男性器を貪るかのように――

 

 あれは――花?

 

 「くすくす……どう、佐々木君? 気持ちいい?」

 その男子の前に座り込んでいる、セーラー服姿の女子中学生。

 一見、彼女はごく普通の少女に見える。

 しかし女子の右肘から先は植物化し、その延長上にある赤い花が男子の股間に覆い被さっていたのだ。

 おそらく、あの花にペニスをぱっくりと咥え込まれている――

 

 「ずっと大好きだったんだ、佐々木君……」

 うっとりとした表情で、少女は男子に愛の言葉を囁いている。

 「あ、ああぁぁ……! 美香ちゃん……、美香ちゃん……」

 男子の感じているのは、どう見ても苦痛ではなく快楽。

 ペニスを咥え込んでいる花が上下するごとに、少年は喘ぎ声を漏らす。

 ぐちゅぐちゅという音が静かな教室に響き渡り、俺はM4カービンを構えたまま硬直していた。

 「あ、あ、ああぁぁぁ……」

 不意に、少年の腰がびくびくと跳ねる――それと同時に、花がペニスの根元まで一気に咥え込んだ。

 外から見ても分かるほど、その花は肉棒を中に収めたままぐねぐねと蠕動している。

 涎を垂らし、弛緩した表情で息を荒げる少年。

 「ふふ、佐々木君……またイっちゃったね」

 快楽を味わいながら陶酔した表情を浮かべる男子――その唇を、少女の唇がねっとりと塞いだ。

 彼のペニスを咥えている花は、ずちゅずちゅと上下運動を再開し始める。

 そんな狂態が行われているこの教室は、甘い匂いに満ちていた――

 

 「動くな、その少年を離せ!!」

 俺はM4カービンの銃口を少女に合わせ、目の前の現実を振り払うかのような大声で警告した。

 「……なぁに、あなた?」

 少女は少年の口から唇を離すと、ゆっくりと俺の方に視線をやった。

 軍用ライフルを構える俺を見て、少女は唇の端を妖艶に歪ませる。

 「もしかして、あなたもシてほしいの……?」

 「ッ……!?」

 少女の言葉に、俺は思わず表情を歪ませた。

 そこで初めて、ズボンの下で自分の股間が隆起している事に気付く。

 

 にこ……と、セーラー服の少女は俺に微笑を投げ掛けてきた。

 「ふふ……いいよ。あなた、かっこいいし。食べてあげるね……」

 すっと差し出された、少女の細い左腕――

 それはしゅるしゅると形が崩れ、たちまちツタ状の植物と化してしまう。

 しゅる、しゅるるるる……

 そのツタは、しゅるしゅると俺に向かって伸び――その先端には、少年のペニスを嫐っているものと同じ花が見えた。

 真っ赤な5枚の花弁の中央に、まるで口腔のように奇妙な穴がくぱぁ……と開く。

 俺は――

 

 その少女に向かって発砲した。

 花を避けようともせず、ただ呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……!」

 俺はすかさず、少女に向かってM4カービンを発砲した。

 「え……?」

 俺に向かい、得体の知れない花を伸ばしてきた少女――彼女の目が大きく見開く。

 その胸を数発のライフル弾が貫き、セーラー服がたちまち血に染まった。

 

 「い、いや…… 佐々木君……」

 床にがくりと膝を着き、げほげほと血を吐く少女。

 彼女は、ツタで捕らえていた少年に震える手を差し伸べる――

 同時に、彼の股間を貪る妖花がぐにゅぐにゅと収縮し始めた。

 「あ、あああああああぁぁぁ!!」

 その途端、がくがくと痙攣しながら断末魔の叫びを上げる男子。

 彼はそのまま椅子からぐらりと崩れ落ち、そのままどさりと床に転がる。

 目を見開いて床に横たわり、ピクリとも動かなくなる男子。

 そんな少年に覆い被さるように、女子生徒もうつぶせに倒れ伏す。

 両者とも、息絶えたようだ……

 

 「どうなってるんだ、これは……?」

 俺は身を屈め、少女の体に見られる異変を観察した。

 両腕の先は植物と化し、先端には奇妙かつ淫靡な妖花が開いている。

 またそのスカートの中からも数本のツタが伸び、少年の体に絡み付いていた。

 植物に侵食された少女――いや、確かに彼女は植物の肉体も自在に操っていたのだ。

 この少女が『スピーシー』……?

 それにしては、周囲の壁を覆う根やツタに何も変化は見られない。

 

 「……」

 俺はその教室を出ると、今度は隣の教室の前に立った。

 その中からも、何かを啜る音や男子の喘ぎ声が聞こえてくる……それも複数。

 この中でも、やはり――

 

 俺はM4カービンを構えつつ、ゆっくりと教室内に踏み込んだ。

 鼻をつく甘い匂いは、さらに濃い――そんな教室にいたのは10組以上の男女。

 そして、そのいずれもが男女のペアで絡み合っている。

 女子達はなんらかの形で、男子のペニスを妖花で貪っているのだ。

 

 「鈴原君、大好き…… 鈴原君の精液、美味しいよ……」

 「あ、あぅぅぅぅぅ……」

 じゅる、じゅるじゅる……

 「うぁ、あああぁぁ……!」

 「ケースケ、どう? もっともっと気持ちよくしてあげるね」

 くちゅくちゅ、じゅぶぶぶ……

 「はぁぁぁぁぁ…… ああっ!」

 ちゅぶ、ちゅぅぅぅぅぅ……

 

 おそらくクラスメイトであろう女子にツタで拘束され、その精を啜られている男子達。

 彼らはみな夢うつつの表情を浮かべ、女子生徒の――妖花の与える快楽に身も心も委ねているようだ。

 そして女子達は、中学生とは思えない淫猥な表情を浮かべながら同学年の男子を責め嫐っていた。

 俺という異分子が教室に浸入したにもかかわらず、女子は誰も俺の方を見ようともしない。

 おそらく、彼女達が人間であった時の想い人を嫐るので夢中なのだろう。

 

 「……」

 隣の教室での事を思い出すと、うかつに攻撃するべきではないだろう。

 人間ではなくなった様子の女子はともかく、男子の身も危険である。

 ……もっとも、こうなってしまった男子を救う方法があるのかどうかは分からないが。

 「……」

 俺は狂気の宴に興じる妖女達に背を向け、その教室を後にする。

 背後からは、男子達の喘ぎ声、そして妖花が精を貪る音が響いていた――

 

 

 「……ジン、聞こえるか? 俺だ」

 廊下に出た俺は即座に通信機を取り出し、4階を捜索しているジンに繋いだ。

 『……はい、こちらジン。この階は異常です。女子生徒が男子生徒を襲っている。襲っていると言っても――』

 「ああ、分かってる。俺も目にした」

 どうやら、ジンのいる4階もここと状況は同じらしい。

 『敵の影響下にいると見られる女生徒を何人か狩りましたが、これじゃキリがない。いったん集まって対策を練るべきでは?』

 「……そうだな。さっきの場所に集まろう。1階廊下だ」

 『了解、ただちに向かいます』

 とりあえず話がまとまり、俺はジンとの通信を切った。次に、リョウへと通信を繋いだが――

 「おい、リョウ。どうした? 返事をしろ、リョウ!」

 ――しかし、リョウからは何の応答もなかった。

 「そんな、まさか……」

 当然ながら、任務中に理由もなく通信を無視するなどありえない。

 応答すらできない状況なのか、それとも――

 「……くっ!」

 だからと言って、ただちに3階に駆けつけることはできない。

 俺はリーダー、誰よりも軽挙妄動は控えなければならない身なのだ。

 はやる身を落ち着け、今度はマドカに通信を繋いだ。

 『はい、マドカです……。信じられないわ。何をしているの、これ……』

 「やはり、1階でも女子が男子生徒を……?」

 『ええ。あんまり報告したくない事を。私の口から聞きたい?』

 「……いや、見当はつく。一旦さっきの場所に集合だ。とりあえず、対策を練るぞ」

 俺は、リョウの消息が絶たれた事は告げなかった。

 『了解……じゃあ、そっちも気をつけて』

 「ああ、マドカも無事で」

 そんな言葉を交わし、俺は通信を切った。

 とにかく、応答のないリョウの様子が気に掛かる。

 さっきの集合場所に急がなければ――

 

 

 「あら? 部外者の人……?」

 「……!?」

 無線機をしまうと同時に、背後から少女の声が呼び掛けてきた。

 俺は肩越しに首だけを背後に向け、そちらの様子を伺う。

 そこに立っていたのは、おさげ髪の可愛らしい少女。

 やはりセーラー服、間違いなくこの学園の生徒だ。

 

 「お前は……生存者か? それとも化け物か?」

 少女に背中を見せたまま、肩越しに俺は尋ねた。

 「あは、あははは……」

 女生徒はくすくす笑うばかりで、こちらの質問に答えない。

 「そんな事、どうでもいいじゃないですか。それよりお兄さん、かっこいいですね……」

 「……?」

 俺はM4カービンに添えた腕に力を込める。

 こいつも、やはり――

 「私、年上の人がタイプなんです。他の子みたいに、同年代の男の子じゃ物足りなくて――」

 するり、と少女の右掌に可憐な花が咲いた。

 同時に、周囲に甘い匂いがふわりと満たされる。

 

 「……」

 背中を向けたまま、少女の様子を伺う俺――

 そんな俺の眼前で、少女は左手の人差し指を、その花弁の中央にある穴に突き入れる。

 そして、花の中をくちゅくちゅとかき回した。

 「ん……は、あ…… 指、気持ちいい…… 中がぐにゅぐにゅって……」

 上気した表情で、花の中央に開いた穴を弄り回す少女。

 俺は、まるで憑かれたようにその動作から目が離せない。

 「ふふ…… この中、温かくてうねってます……」

 微かに息を弾ませながら、少女は花の口腔からちゅぽ……と指を抜く。

 指と花の間に、琥珀色の蜜がつぅ……と糸を引いた。

 

 「あは……指、溶けちゃうかと思いました。お兄さんも、おちんちん溶けちゃうような気持ちになりたいですよね……?」

 少女はそのままつかつかと歩み寄ってくると、どん、と俺の背中に軽くもたれかかってきた。

 清楚なセーラー服を通して、まだ小振りな胸の感触が伝わってくる。

 俺の背中に抱きついてきた少女は、そのまま腰に両腕を回してきた。

 「お兄さん、意外とほっそりしてるんですね……軍人さんみたいな格好してるから、マッチョだと思っちゃった」

 左手でベルトを緩め、右掌に咲いた花は俺の股間に――

 「じゃあ、食べちゃいますね……お兄さんの大事なところ」

 

 抵抗する

 抵抗しない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ッ……!」

 俺はすかさずナイフを抜き、股間に迫ってきた花を切断した。

 同時に背中に抱きついてきた少女を突き飛ばし、すかさず距離を置く。

 あの妖花の中に挿入してしまえば終わり――そんな危険な予感がする。

 

 「ああ、もう……」

 少女はまるで痛がりもせず、こちらに批難の目を向けた。

 「恥ずかしがってるんですか、お兄さん?」

 右掌をぺろりと舐め、にこにこと笑う少女。

 「それとも、強引にレイプされるのが好きなんですか……?」

 彼女のスカートから、しゅるしゅると無数のツタが伸びる。

 ツタの先端には、いずれもあの妖花。

 それが、俺目掛けて一斉に迫ってきた。

 

 「遅い……!」

 すかさず真横に駆け、その妖花をかわす俺。

 幾多の化け物を相手にしてきた身からすれば、敵の動作は極めて緩慢。

 「あっ…… え……?」

 少女も、こちらの動きをまるで捉えきれていない。

 このまま接近して組み技に持ち込むか、それとも遠距離から戦うか――

 しかし、この類の生態が良く分からない相手に、組み技は極めて危険だ。

 どんな反撃を食らうか分かったものではないし、そもそも窒息するのか、間接が極められるのかすら分からない。

 ここは距離をとって戦うという選択肢しかありえないが――

 

 距離をおいたまま戦闘

 それでも、あえて組み技に持ち込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 向こうは、こっちの動きにすらついてこれない。

 俺は素早く少女の背後に回り込むと、フルオートでライフル弾を叩き込んだ。

 「え……?」

 信じられない、といった表情を浮かべたまま、少女のセーラー服が血に染まる。

 そのままどっさりと倒れ込み、血溜まりの中に崩れ落ちた。

 いとも簡単に、少女は絶命してしまう。

 

 「……」

 知覚能力は人間と変わらず、銃弾に当たれば大ダメージを受ける――

 俺達が相手をしてきた化け物達に比べれば、か弱いとも言える相手だ。

 普通に戦えば、敵じゃない。

 しかし普通の戦いを持ちかけてこない、極めて異質の相手でもある。

 これは単なる植物型モンスターじゃない――俺は、そう察した。

 この学校に入り込んだ『スピーシー』は何だ?

 いったい、どういう種族なんだ――?

 女生徒達を、こんな肉体に変化させてしまうというのは一体――

 

 ――思考に沈みそうになる俺だが、今はそれどころではない。

 とにかく、早く1階廊下の集合場所に向かわないと……!

 その途中で再度リョウに連絡を取ってみたが、やはり応答はなかった。

 

 

 

 

 

 さっきの廊下に、俺達のチームは再び顔を揃える。

 いつもながら冷静沈着なジンと、やや動揺しているマドカ。そして、リョウの姿はない。

 「……さっきからリョウと連絡が取れない。何かあったようだ」

 俺は、二人にそう告げた。

 

 「リョウが……!?」

 「……」

 驚きの声を上げるマドカと、無言で表情を曇らせるジン。

 「リョウが捜索していたのは、高等部の教室があるっていう3階だったな……」

 俺は顎に手をやった。

 ここは、全員で救出に向かうべきだろうが――その前に、情報を整理しておく必要がある。

 「4階はどうだった、ジン?」

 「……」

 いかにも不快そうな表情を浮かべつつ、ジンは口を開く。

 「数多く――ほとんど全員の男子生徒が、変異した女生徒に『摂取』されていました。

  何人か女生徒を狩りましたが、捕らえられている男子生徒が道連れにされただけです」

 「女子生徒を狩ったって…… ジン、貴方……!」

 マドカは、ジンに批難の視線を送る。

 それも当然だろう、この学園の生徒はみな彼女の後輩に当たるのだ。

 「あれは、もはや生存者ではなく敵とみなすべきです」

 「ああ、それは間違ってない……」

 ジンの言葉に賛同しつつも、俺は不快感を隠せなかった。

 この男――ジンの戦闘能力は俺よりやや劣るが、とっさの状況判断力は俺より格段に上。

 それなのに、俺がリーダーを任されている理由はたった一つ……ジンは、酷薄過ぎるからだ。

 戦術的な妥当性があれば、仲間すら簡単に見捨ててしまいかねない男。

 冷徹な視点を持った者の存在もチームに必要ではあるが、少なくともリーダー向きではないのである。

 

 「それでマドカ、1階の様子はどうだった……?」

 「ジンの行った4階と同じよ。その、女子に男子が――」

  そこで、マドカは言い難そうに言葉を選んだ。

 「その…… 生徒達の股間の部分に、花が……」

 「そうか、大体分かった」

 こんな事を、女性に無理やり言わせる趣味はない――俺はため息をついた。

 すると、なにやら考え込んでいたジンが口を開く。

 「今までにないタイプのモンスターですね。吸血鬼なら血を、妖鬼なら人の肉を貪るように――」

 「ああ、こいつらは人の精を吸っている……」

 俺は呟いた。

 そんなモンスターなど、これまで聞いた事はない――少なくとも、俺達が現実に経験した任務の中では。

 「succubus……」

 マドカは不意に呟く。

 「サキュバス、か。男性の精を採取する夢魔。単なる伝承上の存在と思っていたが――」

 ジンは腕を組み、露骨なため息を漏らした。

 「ああ、本当に存在したとはな……しかも、感染してる」

 俺は、あの女生徒達の様子を思い返していた。

 明らかに精神状態も普通ではなく、その肉体も変貌している。

 とはいえ、判断力や記憶は残っており、単に植物に侵食された訳でもないようだ。

 むしろ、女生徒達自身もサキュバスの仲間となっている――そう解釈した方が正確である。

 「仲間を増やすタイプですね……それも女性のみ。ウィルス感染なのか、それとも別の感染経路なのか――」

 俺は遠慮がちに、そしてジンは露骨に、マドカへと視線をやった。

 「……私には、何の変化もないわ。今のところだけど」

 やや不安げな表情ながら、しっかりとした口振りで告げるマドカ。

 彼女は決して素人ではなく、紛れもない化け物狩りチームのメンバーなのだ。

 変な遠慮は無用だった――俺はそう思い返す。

 「潜伏期間があるのかないのかは分かりませんが、マドカをこれ以上この場にとどめるのは控えるべきでは……?」

 ジンはそう提案した。

 「そうだな。マドカはとりあえずこの学園から退避。俺とジンの二人で、リョウの通信が途絶えた3階へ――」

 「いえ、私も行きます。危険がどうとか言ってられない状況でしょう」

 マドカは、俺の言葉を遮った。

 「やれやれ……」

 それを聞き、ジンはため息をつく。

 「……最悪、敵がもう1『匹』増える事になりかねない。それも非力な女生徒と違い、戦闘訓練を積んだ強敵としてだ――」

 「そうだ、マドカ。この現場に留まることは許さない」

 ジンの物言いは悪いものの、彼の意見そのものには俺も賛成である。

 「リーダーとしての命令だ。ここから離れ、本部に帰還してただちに精密検査を受けろ」

 「は、はい……」

 がっくりと肩を落とすマドカ。

 話は決まった。とにかくマドカを引き返させ、俺とジンで3階に向かう――俺は無線機を手に取った。

 「司令、こちらアルファ。状況は錯綜しています」

 『ふむ? どういう事だ?』

 「この学校に巣食っているモンスターは、既存のものとは全く違うタイプ。

  該当する語彙がないため、以後は便宜上サキュバスと呼称します」

 『サキュバス…… それは、キリスト教における夢魔の事か?』

 「ええ、その通り。男性の精を摂取するという生態もそれに準じます。

  そして、なんらかの形で女性に感染。ほとんどの女子生徒は、サキュバスと化していると思われます」

 『ふむ…… 植物型、というのは違いないのだな?』

 「ええ、植物型のサキュバス――とでも言うのでしょうか。間違いなく『スピーシー』――大元となった存在がいるはずです」

 『ならば、こちらの手はただ一つ。そちらの総員で分散し、『スピーシー』を捜索して滅ぼしたまえ』

 「は……?」

 俺は眉をひそめた。

 「お言葉ですが司令、分散行動の結果、リョウとの通信が途絶えました。

  それに、マドカにも感染の可能性があります。ここは大事を取って――」

 『それは認めん。君達のできることは、一刻も早く『スピーシー』を見付けだして滅ぼす事のみだ』

 「で、ですが……!」

 『迅速に『スピーシー』を滅ぼせ。この任務では、それを何よりの優先事項とする』

 そう告げ、通信は一方的に切れてしまった。

 「……くそ」

 通信機をしまいながら、俺は呟く。

 これまでにも、現場と司令部の方針が食い違うことはあった。

 こういう現場を知らない連中は、常に理不尽な事を言う――

 刑事ドラマなどでは、そんな『中央軽視』の観点が流行っているが、決してそれが正しいとは思わない。

 現場と司令部の意見が対立した結果、司令部の判断のほうが正しかった……そういう事だって何度もある。

 現場だからこそ見えるものがあるのと同様に、そこから距離がある司令部だからこそ見えることもある――俺は、そう思う。

 俺達前線の人間は、現場の切迫した雰囲気に呑まれ、誤った判断を下してしまうことがあるというのは重々承知の上。

 それでも、この場での分散捜索の指示だけは――正直、承服しかねる。

 

 「どうします、リーダー? 一刻も早く『スピーシー』を見付け、滅ぼす……

  落伍者の保護より何より、早急な事態の収拾をはかるというのも一理ある話です」

 ジンは自身の意見を述べた。

 この世で最も駄目な生物は、「悩むリーダー」である。

 その存在はチームの不安や不信を生み、害悪としかならない。

 「そうだな…… 上の命令に逆らう訳にもいかない。

  リョウだってプロだ。何かあっても、自分で切り抜けられるだけの力量はある」

 俺は迷いを外面に出さず、涼しい顔で言った。

 「連絡を密にしつつ、再び分散して任務にあたるぞ」

 「何にしろ…… 私は、おめおめと帰る事は許されないようですね」

 そう言いつつ、マドカは非常に満足げである。

 司令部からの命令は、ここで任務を続行したいというマドカの希望を後押しする形となったからだ。

 

 「それぞれ、さっき向かった階の探索は不十分のはずです。まず、それを徹底するべきでしょう」

 ジンは提案した。

 「そうだな。ジンは4階、マドカは1階……さっき割り当てられた階の探索を続行しろ。ただし俺は、3階へ向かうけどな」

 「ふ、やれやれ……」

 ジンは軽く肩をすくめた。

 「気をつけて下さい、先輩……」

 非常に心配そうに、そう口にするマドカ。

 「ああ、みんなも細心の注意を払え。異常があれば、ただちに全員へ連絡を。じゃあ、行くぞ!」

 「はっ!」

 「はい!」

 こうして俺達は、再び各階に散っていった。

 

 

 

 

 

 M4カービンを構えたまま、3階への階段を駆け上がる俺。

 呼吸を整え、周囲に注意を払いながらゆっくりと廊下を進む。

 

 やはり、リョウと通信が繋がる気配はない。

 最良の場合、現在も交戦中。もしくは、応答できないほどのダメージを負っている。

 最悪の場合、すでに殺されたか、あの妖花の餌食に――

 どちらにしろ、かなり切迫した状況である事は間違いない。

 

 そしてリョウの手腕ならば、2階で会った程度の女子生徒なら問題なく処理できるはず。

 この階にいるのはそれ以上の何か――この3階に一歩踏み込んだ瞬間、俺はそれを確信していた。

 廊下のあちこちに、高校生らしき生徒達が倒れている。

 学生服を着た男子生徒は、みなミイラ化して無残に転がっていた。

 そして、女子生徒達までが倒れているのである。

 中等部の制服はセーラー服だったが、高等部はブレザーのようだ。

 紺のブレザーに身を包んだ彼女達はみな廊下に転がったまま、もがき苦しんでいた。

 辛そうな呻き声を上げ、苦悶の表情を浮かべながら……

 

 「これは……」

 俺は、近くに倒れているポニーテールの女子高生の脇に立った。

 彼女の右目部分には青く綺麗な花が咲き、襟首からは数本のツタが伸びてきている。

 また両膝から下もツタとなり、ばらばらとほどけて廊下に広がっていた。

 何が起きたのかは分からないが、少女は弱りきっているようだ。

 

 「水を……」

 俺を見上げ、そう呻く少女。

 彼女の体から、ふわ……と甘い匂いが舞い上がった。

 

 「……」

 俺は、その少女の脇に屈み込んで――

 

 殺す。

 水をあげる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女の脇に屈み込み、俺はM4カービンの銃口を彼女の額に押し当てた。

 そして、そのまま引き金を弾く。

 廊下に発砲音がつんざき、頭部を撃ち抜かれた少女はがっくりとうなだれた。

 

 「――あらあら。残酷なのですね、お兄様」

 

 不意に、背後から聞こえてくる少女の声。

 「……!!」

 俺はすかさずM4カービンを構え、体勢を変えながら飛び退いた。

 そこに立っていたのは、いかにも清楚そうな眼鏡の女生徒。

 その腰に届くほどの長髪は、ため息が漏れるほどに華麗。

 利発そうな眼差し、不適な微笑を浮かべた口元、そしてあどけなさを残す顔立ち――

 良家の令嬢を思わせるその少女は、この高校の美麗なブレザーとスカートを纏ってそこに立っていた。

 

 「お兄様……俺の事か? お前の兄になった覚えはないが?」

 「ええ、私も貴方を兄に持った覚えはありませんが……年上の方をお呼びするのに、これ以外の呼び方を知りません」

 まさに、お嬢様そのものの台詞――そして俺は、一つの事実を確信していた。

 

 ――こいつだ。

 この3階の男子生徒達を吸い尽くし、サキュバスに変異した女子生徒達を飢えに追い込んだのはこいつ。

 リョウを捕らえるか、殺すか……とにかく、リョウをやったのもこいつ。

 そして、『スピーシー』――この怪異の元凶になったのこいつ。

 最後の想像には確証がないものの、幾多の戦いを経験した俺の勘はそう確信していた。

 目の前のこの娘は、他の女子生徒と格が違う……!

 

 「お前…… いったい、何者なんだ?」

 「私、ですか……? 私の名は九条さつき、この学校の生徒会長を務めております。どうかお見知りおきを」

 少女は、洗練された仕草ですっと頭を下げた。

 「人間ヅラするな、化け物。お前は何者だと聞いている」

 「ふふ…… 私の種族は、アルラウネと申します。正確に言えば、その幼態のアラウネ・ブルームに区分されておりますが」

 柔らかな笑みを浮かべつつ、九条さつきと名乗った少女は言った。

 「アラウネ……ブルーム……?」

 「ええ。貴方達が類推した通り、男性の精を糧とするサキュバス――その種族の一種」

 「で……なんでそんな化け物が、人間の――それも女子学生の振りをしている?」

 少女から決して銃口を逸らさず、俺は質問を投げ掛ける。

 見たところ、身体性能は他の女子よりも高いよう――それでも、俺にとって脅威と言えるほどではない。

 むしろ問題は、男の精を啜るという特質だろう。

 これを受ければ、もはや負けは確定と覚悟しておいた方が良さそうだ。

 つまり、迂闊な接近は危険――

 

 「それは違いますわ、お兄様。私自身、ほんの最近まで自身を人間だと思い込んでおりました。

  才女と呼ばれ、この学校に入学し、生徒会長となり――それでもどこか、物足りない感覚を抱いていたものです」

 少女は言葉を切ると、あどけない顔に似つかわしい淫靡な笑みを浮かべた。

 「しかし18歳の誕生日を迎え、私は淫魔として覚醒したのです。

  普通のアルラウネとも異なる特別変種、中級淫魔にも匹敵する魔力や搾精能力を備えた存在として――」

 「そうか…… で、通い慣れた学校をこんな有様にした訳だな」

 俺は九条さつきを睨み、その銃口を頭部に合わせる。

 それにもかかわらず、少女は気圧された様子も見せない。

 銃弾など容易くかわせるというところだろうが――そんな程度、俺が今まで相手をしてきた化け物と比べれば珍しくもない。

 「ええ…… 通い慣れていた学校なもので。愛着があったので、餌場にしようかと」

 少女はくすくすと笑った。その笑い方一つにも、品の良さが伺える。

 化け物の分際で、人間よりも上品に笑いやがる――俺は、その滑稽さにうんざりする。

 さらに俺は、この九条さつきの間合いの取り方や隙の作り方を見て結論した。

 こいつの――アルラウネとやらの戦闘能力は、大して高くはない。

 搾精、とかいう特質に気をつければ、十分に殺せる相手――

 「で……リョウを、俺達の仲間をどうした?」

 「リョウ……、さんと仰せられるのですか? この素敵なお兄様は……」

 

 ぐぐぐ……!

 唐突に、めきめきと廊下が盛り上がった。

 床面を突き破って出現したのは、巨大な植物の茎とその先端に無数に咲く花。

 そして花々の中心には、リョウの上半身が覗いていた。

 まるで巨大な花束に、リョウ自身の体も添えられたような――

 

 「リ……、リーダー……」

 息があるらしいリョウは、俺の姿を確認して目を見開いた。

 「ふふ…… このお兄様も、存分に搾り尽くさせて頂きました。

  後でまたゆっくり楽しもうと、生かしたままにしておいたのですが――貴方の方が、美味しそうですね」

 くすり、と九条さつきは微笑う。

 「う、うぁ……!」

 それと同時に、リョウが表情を歪めた。

 彼の下半身は植物に埋もれて見えないが、一体どんな責めを受けているのか――

 「あ……! リ、リーダー……! た、助けて……! ああぁぁ……!」

 苦痛と快楽が入り混じった声で、リョウは俺に助けを求めてくる。

 リョウを弄びながら、九条さつきは笑みを浮かべた。

 「少し待って下さいね。このお兄様を完全に吸い尽くした後、貴方の相手をして差し上げますから――」

 「た、たすけ…… ああぁぁ……」

 切れ切れの声で、助けを求めてくるリョウ。俺は――

 

 リョウを撃つ

 リョウを助ける

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下に響く、一発の発砲音――

 俺の撃ったライフル弾は、植物に囚われたリョウの額を貫いた。

 

 「……あら」

 微かに、驚きの表情を浮かべる九条さつき。

 頭を撃ち抜かれたリョウの体が、みるみる緑色に染まっていく――と、たちまちツタで構成された人型となった。

 そして、そのツタはバラバラと解けていく。

 案の定、ツタや植物で組み上げられた偽者だったようだ。

 

 「なぜ……贋物だと気付いたのですか?」

 「贋物だと思った訳じゃないさ。他の隊員まで巻き添えにするような状況で助けを求める奴はチームに必要ない。

  すなわち、チーム全体を危険にさらす行為だからな」

 そう言いつつも、俺はあれが本物のリョウでない事を確信していた。

 「本物のリョウなら、あの状況で――お前に接近する必要がある状況で、むざむざ俺に助けを求めたりはしないさ」

 「ふふ、格好の良い事を仰せられますね――おいでなさい」

 九条さつきの言葉と同時に、またもや巨大な茎が床を突き破って姿を現した。

 ツタによって、その茎に拘束されているのはリョウの姿。

 そのタクティカルベストやボディアーマーのあちこちが破損し、股間は完全に露出しているという無残な状態。

 おそらく、かなりの責めを受けたのだろう。

 「う、ぐぅ……」

 衰弱している様子のリョウは表情を歪め、荒い息をついている。

 

 「ふふ……こちらが本物」

 そう言いながら、九条さつきは磔のリョウに向かって左腕を伸ばす。

 その腕はしゅるしゅると植物状になって解け――そして、まるで大きな口のような形状に組み上がった。

 人間など簡単に呑み込めそうなほどの大顎。牙や目はないものの、それは巨大な大蛇を連想させる。

 

 「リョウ様という方…… この素敵な方をあと50年は弄ぼうと思っていましたが、貴方はそれ以上の上物。

  決めました……これからは、貴方が私の玩具。そういう訳で、リョウ様はもう不要ですね――」

 その透き通るような瞳に残虐の色を浮かべ、九条さつきはそう告げる。

 そして、植物で構成された異形の大口がゆっくりとリョウに迫った――

 「やめろ、貴様……!」

 すかさずM4カービンを構える俺――その瞬間、リョウの制止の声が響いた。

 「だ、駄目です……リーダー……! 迂闊にこの女に近付いてはいけない……それに……」

 拘束され、眼前に大口が迫った状態で、振り絞るような声で警告を放つリョウ。

 「ただちにここから撤退して下さい……リーダーも、もう十分に吸ってしまったはず……

  そうなら勝ち目はありません。ただちに撤退して、対BC装備を整えてから……」

 切れ切れの声で、リョウはそう訴えた。

 対生物・化学装備……? 突入時点で、その危険性はないと判明したはずだが――

 「あは、お兄様の言った通りでしたわね。なんて強靭な精神を持つ方。

  ご褒美に……極上の快楽を与えながら、消化して差し上げます」

 植物の大口がリョウに迫り、そして――

 ぱくり、とその体をひと呑みにしてしまった。

 

 「あ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 巨大な口内に全身を収められ、リョウの痛ましい悲鳴が響く。

 彼を呑み込んだ巨大な植物は、ぶちゅぶちゅと蠢いた。まるで飴玉をしゃぶるように――

 

 「うふふ……どうですか、気持ちよさそうでしょう? 私のお口の中で、体中しゃぶり回されているのですよ」

 九条さつきはその左腕でリョウを咀嚼しながら、口の端を淫らに歪める。

 「貴方も、たっぷり遊んだ後は同じように食べてあげますね。

  体中を舐め尽くして、おちんちんもしゃぶり抜いて――」

 「黙れ、化け物――」

 俺はライフルを構えると、目の前の少女に向けて発砲した。

 その瞬間、天井や壁からツタが飛び出し、向かってきた弾丸を全て受け止めてしまう。

 「私に銃弾なんて効きません。いくら撃っても無駄ですよ」

 軽く腕を組み、涼しげに告げる九条さつき。

 その左手は、すでにほっそりとした彼女本来のものとなっている。

 リョウは、もう――

 その怒りを、俺の脳内を駆け巡る冷徹な分析が打ち消した。

 

 「……銃弾が効かないのなら、なんでわざわざツタで止めたんだ?」

 「……!」

 俺の言葉に対し、少女は微かに眉をひそめる。

 つまり、それが答え――俺は再びM4カービンを構えた。

 「それはつまり、体に当たりさえすればダメージを受けるって解釈でいいんだな!」

 そのまま、フルオートでM4カービンを掃射する俺。

 「くっ……!」

 九条さつきは、すかさずその場から飛び退いた。

 本当に弾丸が効かないのなら、避ける必要もないはず――

 

 「本当に凄いですね、お兄様。感心致しますわ」

 そう言いながら、なかなかの敏捷性で銃弾を避けつつ移動する九条さつき。

 その姿を正面に捉えながら、俺はM4カービンを撃ち続ける。

 彼女の避けた弾は、植物に覆われた壁に当たって緑色の汁を放った。

 「ふふ……」

 弾丸を避けつつ、両掌を俺の方に向ける九条さつき。

 その腕がみるみるツタに変化し、俺の方に伸びてくる。

 その先端には、例の妖花が――

 

 「……ッ!」

 俺は背後に飛び退いてツタをかわした。

 着地の瞬間を狙ったように、後方の壁から迫ってくる妖花――

 後ろ手に構えた拳銃を射撃し、すかさずその妖花を撃ち落とす。

 「凄い……お兄様、本当に戦い慣れているようですね」

 ひらり、とスカートを直し、九条さつきは感嘆したように言った。

 「これでも、化け物狩りが仕事だからな――!」

 「でも、サキュバスのお相手は初めてなのでしょう?」

 床から、しゅるしゅると何本ものツタが伸びてくる。

 2本は両腕を封じ、1本は下半身を捕捉。そして妖化の咲く1本が、搾精用――

 「……!」

 俺は背中のホルダーからナイフを抜き、両腕を狙ってきたツタを切断した。

 さらに身を屈め、下段のツタを切断。最後に妖花のツタを銃床で抑え込み、先端に咲く真紅の妖花にナイフを突き立てる。

 

 「それで終わりか? 人狼の方がお前の十倍は早いぞ……!」

 すかさずM4カービンを構え直し、俺は前方に掃射した。

 九条さつきは高くジャンプし、くるりと一回転して天井に着地する。

 いかなる魔力か、上下反転したまま天井に立つ九条さつき。

 「凄い、とても人間とは思えない…… 心から、自身がサキュバスという種族で良かったと思っていますわ。

  単純な戦闘技能のみなら、妖魔のこの身ですらお兄様に敵いそうにありませんから――」

 天井を蹴り、そのまま床に着地する九条さつき。

 「……しかし私はアルラウネ、サキュバスに類別される中で植物タイプの淫魔。

  サキュバスの前では、男性である限りいかなる強者でも無力である事を思い知らせてあげますわ……」

 ふわり、と長い髪をかき上げる九条さつき。

 その瞬間、甘い匂いが周囲に立ち込めた。

 「……ッ、ぐ……!」

 脳内に霧が掛かったかのような、奇妙な気分。

 意識が朦朧とする。

 少しでも気を抜けば、目の前の九条さつきに身を捧げてしまいたくなる。

 この学校に侵入してから、何度も嗅いだ匂い――今までで、一番強烈な芳香だった。

 「何だ……? 毒、か……?」

 俺は、乱れそうになる感情を必死でコントロールした。

 ヨロけそうになる体を立て直し、目の前の少女に対して必死で憎悪を燃やす。

 

 「毒……という無粋な表現は戴けませんが、似たようなものかもしれませんね。

  身体能力や判断力を極端に低下させ、その精神を屈服させてしまう淫香ですから」

 九条さつきは、白魚のように綺麗な手で自らの長い髪を撫でた。

 「アルラウネ特有の芳香をこれだけ吸い込んで、理性を保っていられる人間もそうはおりません。

  今までにも、何度かあったでしょう? 自分自身の判断を裏切ったような、妙な行動を取りそうになった事が――」

 「ああ、妙だと思ったよ……!」

 震える腕でM4カービンを構える――が、どうしても狙いが定まらない。

 「まだ戦意を失わないなんて…… 並みの男なら、完全に私の奴隷になってしまう程の淫気なのに」

 「くっ……!」

 九条さつきの奴隷……僅かでも、それを魅力的と思ってしまう自分がいた。

 これが、アルラウネとかいう種族の淫香の効力か……!!

 

 「……では、犯して差し上げます。私の前で、快感に悶えて下さい」

 九条さつきのスカートから、しゅるしゅると伸びる真っ赤な妖花。

 「くッ……!」

 股間を狙ってくる妖花に対し、俺は渾身の力を込めてナイフを突き立てた。

 その刃は妖花を貫通し、足元の床に突き刺さる。

 妖花を床へ磔にした――と同時に、俺はとうとう片膝を地に着いてしまった。

 もう、立っているのも辛い。

 目の前に、化け物の大ボスがいるというのに――

 

 「そんなに、私に犯されるのは嫌なのですか?

  では……一つ趣向を思い付きました。お兄様が、自分からこの妖花に挿入するようにしてあげましょうか」

 「ふざけるな、誰が……!」

 そう口を開いた瞬間、俺の屈み込んでいる足元が一気に陥没した。

 「くっ……!」

 通常なら、軽く飛んで避けられるような罠――しかし、淫香に蝕まれている俺の体では反応できない。

 まるで落とし穴に落ちたかのように、俺の体は床へずぶずぶと沈んでいく。

 そう、この学校は全て『スピーシー』である九条さつきの支配下にあるのだ――

 

 たちまち、俺は洞窟のような狭い空間に落とされた。

 直径3メートル程度の、極めて狭いスペースだ。

 自分が今までいた場所が、20メートルほど真上に見える。

 周囲の壁は植物で構成されていて、とても登れそうにない。

 そして穴の上では、九条さつきが俺を見下ろしていた。

 

 「もう、お兄様はそこから出る事はできません。私に恭順の意を示さない限りは……」

 九条さつきは、勝者の優越を込めて笑った。

 「誰が、お前なんかに……!」

 俺は毒づきながら、周囲の様子をチェックした……と言っても、全く何もない。

 脱出しようにも、道具も何もないのだ。ただ、緑の壁がぐるりと周りを取り巻くのみ。

 

 「ふふ、選んで下さい。そのままそこで衰弱死するか、それとも――」

 不意に、壁面に一房の赤い妖花が咲いた。

 「私に屈服する証として、その中に貴方のおちんちんを挿入するか……」

 「ふざけるな……!」

 俺はその妖花を引き千切ろうと、乱雑に花を掴んだ。

 そこで思わず、その淫猥な妖花に視線が吸い寄せられる。

 幾つもの花弁が広がる中央部に開く、いかにも柔らかそうな肉穴――

 そこは妖しい粘液に満たされ、ひくひくうにゅうにゅと蠢いている。

 この穴でペニスを咥え込まれ、精を吸い尽くされる――

 その感触を味わってみたい、という感情が俺の中に芽生えた事は否定できない。

 アルラウネの芳香のせいだろうか、少しでも気を抜けば理性を失ってしまいそうだ。

 

 「……どうですか、お兄様? 挿入れてみたいでしょう?

  その中におちんちんを呑み込まれた男の子達は、何度も何度も私の名を呼びながら果てたのですよ。

  お兄様も声が出なくなるまで喘がせてあげますから、ご自分でその中に挿入して下さいね……」

 「……!」

 俺はようやく九条さつきの強制する趣向を理解し、表情を歪ませた。

 彼女を拒めば、このままここで無残に餓死、もしくは衰弱死。

 彼女に屈服してこの妖花に挿入すれば、ここから出して貰える――その後は、彼女の玩具にされるのだろうが。

 「ふふ……私はお兄様に何も致しません。ただ、ここからお兄様の決断を見ているだけです。

  そのまま衰弱死を選ぶというのなら、無理に精を吸おうとは思いません。

  しかし屈服の証を示して貰えたのなら――私もそれに応え、お兄様に天国を味あわせてあげますね」

 「くっ……!」

 唐突に突き付けられた選択に、俺は唇を噛んだ。

 たった一つ分かっていることは、自力での脱出は絶対に不可能だという事である。

 九条さつきを拒絶するか、それとも屈服するか、どちらかしかない。

 俺は――

 

 九条さつきを拒む

 九条さつきに屈服する

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぐっ……」

 俺は歯を食いしばり、肉欲に流されそうになる己を制した。

 そして、手にしていた妖花を壁面に投げつける。

 「ふざけるなよ。誰が、お前なんかに……!」

 「ふふ……お兄様が衰弱死するまで、時間はまだまだあります。

  心変わりして、私に屈服するも良し。そのまま、尊厳ある死を迎えるのも良し……」

 「……」

 俺は、遥か上で笑みを浮かべている九条さつきを見上げた。

 彼女の甘い香りは、この穴の中にも満ちてくる。

 こんな状況で、どこまで意地が張れるのか――

 

 

 「……え?」

 不意に、九条さつきは目を見開いた。

 そのブレザーの胸の部分に、じんわりと赤い血が広がる。

 そして、ぐらりと崩れる少女の体。

 同時に響く、凄まじい銃声。

 一瞬の喧騒の後、上はたちまち静かになった。

 一体、何が起きている……? 何があった……?

 

 「……先輩、大丈夫ですか?」

 唐突に、顔を出したのはマドカだった。

 「マ、マドカ……! どうして……?」

 「良かった、大丈夫そうですね。ロープを下ろしますが、自力で登れますか?」

 「ああ……」

 しゅるしゅると下ろされるロープ。

 俺はそれに掴まり、壁面をよじ登った。

 なぜか淫香の効果もなくなり、身体は驚くほど軽い。

 たちまち、俺は植物に覆われた廊下に出た。

 3階廊下――九条さつきと戦った場所だ。

 

 「いいタイミングで助けてもらったな……ありがとう、マドカ」

 「いえいえ。通信が繋がらなかったもので、1階の捜索を切り上げて駆けつけました。大事がなくて良かったです……」

 そう言いながら、マドカは廊下の片隅で横たわっている少女に視線を向けた。

 大の字になって、仰向けに倒れている九条さつき――

 そのブレザーは血で染まっていたが、綺麗な顔には傷一つ付いていない。

 ただ、その口から一筋の血が伝っていた。

 顔色は蒼白となり、絶命しているのは明白――それでも、彼女は美しかった。

 

 「……殺ったのか?」

 「ええ。完全に先輩に気を取られていた様子で、隙だらけでした。この少女が『スピーシー』なのでしょうか?」

 「そのはずだが……」

 俺は、周囲の様子を見回した。

 壁や床、天井を覆う植物に、まるで消え去る気配はない。

 だからと言って、この九条さつきが実は『スピーシー』ではなかったというのも考えられない話だ。

 彼女は完全にこの学校を包む植物を使いこなしていたし、やはり他の女生徒とは格が違う。

 もしかして、まだ息が――

 

 「マドカ、少し離れてろ」

 俺は懐から焼夷手榴弾を取り出すと、九条さつきの屍に投げつけた。

 たちまち炎に包まれ、ぶすぶすと炎上していく屍。

 対化け物仕様の焼夷手榴弾が放つ強烈な熱量は、少女の美しかった身体をたちまち墨屑に変えてしまった。

 

 「……変化がありませんね」

 きょろきょろと周囲を見回し、マドカは怪訝な表情を浮かべる。

 「やはり、別の大ボスがいるのでは……?」

 「いや、さっきのあいつがボスだ。それは間違いないはずなんだが……」

 「勘ですか?」

 「ああ、勘だ」

 この類の勘は、外れた事がないのだが……

 ここまで派手に異界化してしまった学校なのだから、『スピーシー』を倒してすぐ元に戻る訳ではないのかもしれない。

 俺は、そう思うことにした。

 

 「それとマドカ……リョウの戦死を確認した」

 「そう……ですか」

 眉をぴくりと動かし、すぐに平素の顔に戻るマドカ。

 それでいい。今は任務中。あいつの死を悼むのは、任務が終わってからだ――

 「ところで先輩……気になることが」

 マドカは、おずおずと声を掛けてくる。

 「……ん?」

 「ジンとも連絡が繋がらないんです。彼に限って、何かあったとは思えないんですが……」

 「ジンも、か……? あいつは4階だったな」

 するとマドカは、俺の方を先に助けに来た事になる。

 彼女は1階から駆け上がってきたはずだから、4階のジンより3階の俺を優先したのか……

 それとも、俺の方が頼りないと思われているのか……まあ、ここは好意的に受け取っておこう。

 

 「ジンとも音信不通か…… とにかく、助けに向かおう」

 「ええ……」

 俺とマドカは、3階の廊下を進み始めた。

 4階への階段は、この廊下を抜けた先だ。

 

 その途中で、学生服を着た男子のミイラと、苦悶の声を上げてもがく女子達の姿を目にする。

 彼女達の変異具合も、かなり個体差があるようだ。

 ところどころ、植物化している者。

 ほとんど、人間の姿から変化が見られない者。

 身体の半分以上が植物化し、人間の姿をとどめていない者――

 「う、うう……」

 「か、身体が…… 渇いて……」

 「み、水を……」

 そんな彼女達の呻きが、あちこちから聞こえてくる。

 この階の男子は全て九条さつきが吸い尽くしたせいで、中途半端にサキュバス化した彼女達は精に飢えているのだ。

 

 「彼女達は……どうなるのでしょうか?」

 そんな地獄絵図に視線をやり、マドカは呟いた。

 残念ながら、俺は――いや、人類はサキュバスに関する知識を持っていない。

 「『スピーシー』を滅ぼしたから、しばらくしたら元に戻るのか…… それとも、ずっとあのままなのか……」

 俺はそう呟く。結局のところ、分からないというのが本音。

 とにかく俺達は階段を駆け上がり、4階へと急いだ。

 

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