アラウネ・ブルーム


 

 俺とマドカが足を踏み入れた4階――そこは、2階と同じく女生徒達の搾精の巣と化していた。

 ただ、2階にいたのは中等部の女子達だったのに対し、4階にいるのは高等部の女子達。

 おそらくジンがやったのだろう、廊下や教室には頭や胴体を撃ち抜かれて絶命している女生徒もいた。

 そんなクラスメイトの死にも、俺達の存在にも構わず、彼女達は教室や廊下のあちこちで男子の精を貪り続けている。

 

 「高谷君、気持ちいい……?」

 ぐじゅぐじゅぐじゅ……

 「あ、うううう……」

 「美味しい、美味しいよ……」

 どくん、どくどくどく……

 「ふふ……大好きだよ……」

 ちゅるるるる……

 

 「ひどい……」

 目の前で繰り広げられている狂宴に、マドカは露骨に表情を歪めた。

 やはり『スピーシー』を倒しても、彼女達は解放されないのだろうか……

 

 「先輩、あれ……!」

 唐突に血相を変えるマドカ。

 彼女が指差す先の廊下には、戦闘服姿の男がうつ伏せに倒れていた。

 あれは、ジン……!

 

 「……!」

 すかさず、ジンに駆け寄る俺とマドカ。

 「……間に合わなかったか」

 俺は思わず声のトーンを落として呟いた。

 ジンは、すでに息絶えていたのだ。

 

 「ねぇ、先輩……これ、おかしくないですか……?」

 「ああ……」

 俺とマドカが同時に気付いた奇妙な点――それは、ジンは心臓部を貫かれた形跡があったことだ。

 そして、衣服の乱れが一切ない――つまり彼は吸い殺されたのではなく、戦って死んだのである。

 「奇妙だな……これは、アルラウネの戦い方じゃない」

 九条さつきと相対した経験から、俺はそう察していた。

 心臓を貫いて殺すなど、サキュバスのやり方ではないのだ。

 「……撃ってないな。不意をつかれたのか?」

 ジンの屍の横に転がっているM4カービンには、弾が全て残っていた。

 最後にリロードしてから、一発も撃っていないようだ。

 「油断……したんでしょうか。そんな人ではないはずなのに……」

 表情を曇らせるマドカを尻目に、俺は通信機を取り出した。

 「……こちらアルファ、『スピーシー』の撃退に成功。しかしジンとリョウの戦死を確認しました」

 『なんと、辛い戦いだったようだな……しかし、学校を覆う植物に変化が見られたという報告は聞いておらんが?』

 「ええ、いかなる理由かは分かりませんが……」

 『そうか…… 万全を期し、二人で手分けして捜索を続行せよ。まだ何があるか分からん――』

 「……また分散ですか!? これだけの犠牲が出てるのに、まだ――!!」

 俺は、思わず声を荒げた。

 いくらんなんでも、これ以上そんな指示には従えない。

 『だが、しかし――』

 「……」

 俺は、無言で通信を切った。

 

 「どう、します……?」

 少し戸惑った表情で、マドカは尋ねてくる。

 「ここで分散行動を取るのは得策じゃないな。俺とマドカで、校舎の捜索を続行する」

 『スピーシー』を倒した今、これ以上捜索して何かが見付かるのか――

 全く分からないが、おめおめ帰るには余りにも情報が不足している。

 「しかし、司令部の命令を無視するのも――」

 そう言いつつも、マドカ自身ここで分散する事の危険性は分かっているようだ。

 「……と言うか、何かおかしくありません? なぜ司令部は、あんなに分散行動に執着しているのか……」

 「……」

 俺は黙り込んだ。

 確かに妙だ。頑なに単独行動の方針を保持し続ける司令部の判断は、腑に落ちないなどというレベルではない。

 「まるで、意図的に私達を全滅させようとしているかのような……」

 続くマドカの言葉は、俺の疑念と一致していた。

 「……司令部の意思は、帰還してから問い質す。今は捜索を続行するのが最優先だ」

 マドカの言葉を否定せず、俺はそう告げた。

 

 こうして、4階の探索を始める俺とマドカ。

 廊下でも教室でも、職員室でもトイレでも――

 至るところで、延々と女子達による吸精が行われている。

 「女の子達には……どの程度、記憶や意思が残っているのでしょうか……?」

 不意に、マドカは口を開いた。

 「さあ…… 己が貪っている相手のことは、ちゃんと把握してるようだがな」

 「……もし、私もああなってしまったら――」

 マドカは、言い難そうに口を開いた。

 「たぶん、先輩を襲ってしまうと思います。だから、その時は――」

 「その時はその時だ。こちらで状況を見て判断する」

 俺は、意図的に冷たい口調でマドカの言葉を突き放す。

 その場を支配する重苦しい沈黙――俺達は、4階の捜索を続行した。

 

 

 

 「……」

 「……」

 無言のまま、4階の捜索を終える俺達。

 結局のところ、特に気になるモノは発見できなかった。

 「これで、4階は終了か……」

 3階も2階も調べているし、1階もマドカが捜索を終えている。

 「後は、屋上か……」

 俺は、ふと屋上の存在を思い返した。

 「屋上……ですか? あそこは何もないと思いますが」

 目を丸くして、そう告げるマドカ。

 「……いや、屋上に行ってみよう」

 行きもしないで、結論を出すことなど出来ない。

 こうして俺とマドカは階段を上がり、屋上へ向かった。

 

 

 

 「……空が見えますね」

 4階から少し階段を上がるだけ――俺とマドカは、すぐに屋上に到達した。

 この異界から見ると、空は紫色とオレンジ色が混じったかのような不気味な色をしている。

 この学園は、外界から完全に隔絶された空間。

 やはり床や手摺には植物が侵食し、一面の緑が目に付く――

 

 「……ん?」

 不意に、通信機の呼び出し音が鳴った。

 俺は素早く通信機を取り出し応答する。

 おそらく、司令部だろう。

 「こちらアルファ……何か?」

 先程の事もあり、疑念を抱きながら応対する俺。

 『おお、ようやく繋がったか。何があった? 一体、そちらはどうなっているんだ?』

 「どうなっている……ですって!?」

 流石の俺も、この物言いには憤りを隠せない。

 「司令部の……貴方達の命令に従ったまでです! それで、2人もの尊い犠牲を出してしまった!

  貴方達は、我々を消耗品か何かだと思って――!!」

 『ま、待ちたまえ! 尊い犠牲とは何のことだ? 順序立てて報告したまえ』

 「もううんざりです! あれだけ分散命令を出しておいて、シラを切るつもりですか!?」

 『……どういう事だ? 我々は、そんな命令など出してはおらんぞ?』

 「はぁ……?」

 俺は、思わず立ち呆けたまま硬直した。

 命令を出していない……とはどういう事だ? 出任せ? 責任逃れのでっち上げ? それとも――

 『そもそも、君達が学校に入って以来、ずっと連絡が取れなかったのだ。

  おそらく、何らかの方法で電波が遮断されていたのだろう……』

 「ちょっと待って下さい! ずっと連絡が取れなかったというのは、どういう……?」

 『言葉通りの意味、ずっと通信が繋がらなかったのだよ。そして今、ようやく君と連絡が取れたのだ』

 「そ、そんな…… じゃあ、あれは……」

 俺達のチームに対し、何度も分散命令を出していたのは……しかし、あれは確かに司令の声だった。

 という事は、まさか――

 

 「……!」

 俺は、思わず通信機を取り落とした。

 『あと、敵の種族が特殊である事が判明した。今すぐ専門の者を――おい、どうした? 聞いているのか?』

 床に転がった無線機から聞こえる声も、もはや俺の耳には届かない。

 あの司令部との通信は、全て贋物。

 対BCサポートからの通信――生物・化学兵器の危険性はないというのも嘘。

 実際、この学園はアルラウネの芳香で満ちていたのだ。

 こちらの事情や司令の声を知っている相手。そして、俺達の使用している通信機の周波数も知られている。

 さらに、ツタで作られたリョウの贋物。油断したまま殺されたジン。この学校が母校だというマドカ。

 大の字に横たわったまま焼失した、『スピーシー』であるはずの九条さつき。

 これらの事実が示す答えは、たった一つ――

 

 「ど、どういう事なんです!? 先輩!?」

 感情を抑えきれず、声を荒げるマドカ。

 俺は呼吸を整え、ゆっくりと彼女の方に振り返った。

 「俺達はあくまで極秘特殊部隊の人間、互いに本名もプライベートも知らない……

  俺の本名が須藤啓だという事も、ジンもリョウも……そして、マドカも知らなかったはずだ」

 「え、ええ。初めてお聞きしましたが…… 今は、それよりも――」

 マドカの言葉を遮り、俺は目の前の同僚をまっすぐに見据えた。

 「でもマドカ、お前の本名は分かったよ――なぁ、九条さつき」

 

 「……」

 少し呆けた表情を浮かべた後、マドカはにっこりと笑った。

 その瞬間、マドカの足元から幾多ものツルが飛び出す。

 それは不適な笑みを浮かべる彼女の胴と腰に巻き付き――

 さらにマドカのショートカットの髪が、しゅるしゅると腰の長さにまで伸びていく。

 胴体に巻き付いていたツルが離れ――その下から、この高校のブレザーが姿を見せた。

 そしてマドカはポケットから眼鏡を取り出すと、手馴れた動作でそれを装着する。

 そこには、3階で会った『スピーシー』……九条さつきが立っていた。

 

 「大正解です、先輩……いや、お兄様」

 九条さつきは、上品な笑みを浮かべた。

 「ふふ……高校時代の私と、今の私は随分と雰囲気が違うでしょう。

  もう少し女性の扱いに手馴れていれば、もっと早く気付いたのかもしれませんね」

 眼鏡、髪型、そして全く違う雰囲気……

 同一人物だと知って初めて、顔のパーツが全く同じであることに気付く。

 こいつが……今まで同僚として任務をこなしてきたマドカが、全ての元凶だったとは――

 

 「3階でお会いした時の、私の身の上話を覚えていますか? あの時、私は少しだけ虚偽を申しました。

  18歳で淫魔として覚醒したというのは嘘――本当は、覚醒などせずこの学園を卒業したのです。

  そして法務庁に就職した後、公安調査庁に属する化け物狩りのチームに……その頃も、私はまだ人間でした」

 すっ……と、九条さつきは一瞬でマドカの姿に戻る。

 小柄な女性用のタクティカルベストにショートカット、ショートカットのボーイッシュなスタイル。

 それは、俺の知っているマドカそのものだった。

 

 「でも、今は違うんだろう……? 笑い話にもならん、化け物狩りチームに化け物が混じっていたなんて……」

 「ええ。貴方の部下として、幾多の魔を滅ぼしているうち――私は、自らも妖魔である事を知ったのです。

  それも、淫魔に属するアルラウネ――同じ妖魔でありながら、一般に知られている化け物とは全く概念の異なる存在」

 「それで、人間狩りに精を出す事にしたわけか……!?」

 俺はM4カービンを構えると、マドカに向かって乱射した。

 床を軽く蹴り、高く跳躍するマドカ。3階で戦った時より――九条さつきの姿であった時よりも動きが良い。

 「ええ。小学生の時から通い慣れていたので、餌場は愛着あるこの学校で。

  そして、同僚の皆を――いや、先輩を招待しようかと」

 「俺を……何故だ!?」

 素早く体勢を変えつつ、俺は頭上のマドカに向かって射撃する。

 まるで新体操の選手のように、華麗に宙を舞うマドカ――彼女は弾丸を避けつつ、俺の背後へと着地した。

 確かに、マドカは対化け物チームの一員として戦い続けてきた精鋭中の精鋭。

 それでも10年以上化け物を憎み、戦い続けてきた俺とはキャリアが違う。

 

 「遅い……!」

 すかさずマドカの着地点を捕捉し、銃口を向ける俺――その視界が、ぐらりと傾いた。

 「ぐっ……」

 思わずM4カービンを取り落とし、膝を着いてしまう俺。

 またもや、あの甘い匂いが――

 

 「何故って……そんな事を女に言わせないで下さい。貴方をお慕いしてるから――ではいけませんか?」

 くす……とマドカは妖艶な笑みを浮かべる。

 「な、何を……!」

 必死で立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。

 戦闘能力だけの戦いなら、相手がマドカであろうとも俺の方が完全に上。

 しかし、こんなハンデがあるのなら――

 

 「はっきり言いますと……私は高校を卒業するまで、世の中には下らないオスしかいないと思っておりました。

  これまで接してきた男性は全て、私に尻尾を振る盛りの付いたオス犬ばかり――ずっと、そう思っていたんです」

 「……」

 俺はぼんやりする頭を奮い立たせながら、かつての仲間を睨み付けた。

 「しかし、先輩の下で働くようになって、その認識は間違いだったと知りました。

  頑強な精神力、そして暖かな包容力――貴方になら、この身を任せても良い、と思ったんです。

  ジンも、『強者』という観点では尊敬できる人でしたが……あの人は冷たいです、妖魔の私よりも。

  だからサキュバスとしてでなく、マドカとして暗殺しました。吸うことや、弄ぶ事を考えていたら逆に狩られますから」

 「……」

 流石のジンも、仲間と思い込んでいるマドカの前では隙を見せてしまったのか。

 そうでなかったら、淫魔などに殺される男じゃない。

 「リョウも、純粋で勇気があって――嫌いではありませんでした。だから、たっぷり気持ちよくしてあげたんですよ」

 くすり……と妖艶に笑うマドカ。

 「き、貴様……!」

 九条さつきに肉体ごと捕食されたリョウ――彼のことを思い出すと、眼前の女への憎しみが沸いてくる。

 俺はM4カービンを射撃したが、目標が定まらず弾丸はあらぬ方向へ飛んでいった。

 「しかし……私の中には、まだ男性に対する不信感が根付いておりました。

  先輩も誘惑の多い場所に放り込まれてしまえば、ただのオスと化してしまうのではないか。

  先輩は違う、先輩だけは違う――そう信じながら、先輩をこの学園に招待したんです」

 「試した……とでも言うつもりか!? これだけの犠牲を出して、そんな下らない事を……!」

 俺の脳内で、怒りが爆発する。

 屈したはずの膝に力を込め、目の前の女に憎悪を燃やす。

 「ええ。先輩はいかなる誘惑にも屈さず、私の前に立った――

  私が一生を懸けて愛する価値のある男性である事を、貴方は示したんです」

 

 めりめり……!

 俺の足元の床が盛り上がり、巨大な茎やツタが這い出してきた。

 「くッ……!」

 ナイフを抜こうとするが、腕に力が入らない。

 俺の身体はたちまちツタに絡め取られ、茎に磔にされてしまった。

 

 「くそ、この……!」

 完全にツタで拘束され、腕一本まともに動かせない。

 そんな俺の眼前まで、マドカはつかつかと近付いてくる。

 「じゃあ…… 啜っちゃいますね」

 しゅるしゅると伸びたツタが俺のズボンを引き裂き、股間を剥き出しにさせた。

 甘い匂いのせいだろうか……そこから現れた肉棒は、悲しいほどに怒張している。

 

 「あらあら。今から何をされるのか、よく分かってるみたいですね」

 くすくす笑いながら、マドカは右掌を差し出した。

 その中央に、ピンク色の綺麗な花がふわりと咲く。

 中央にペニスを貪るための穴が開いた、あの妖花が――

 ひくひくと蠢き、にゅるにゅると表面がざわついている肉洞に、俺の視線は吸い寄せられた。

 あの妖しい蠕動の感触――それを受ければ、たちまちあの男子生徒達のようになってしまうのだ。

 

 「当然ですが、私の妖花は他のアルラウネとは気持ちよさが違いますよ。

  ぎゅっ、と締め付けて、れろれろ……と舐めて、うにうに〜とうねって、ひくひく、と蠢いて、くちゅくちゅ、と扱いて、

  ぎゅるるる……と絡み付いて、ちゅぅぅ……と吸い付いて、ぬるぬる〜とまとわり付いて……」

 マドカの口にする淫らな言葉に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。

 彼女の手にする妖花は、腰を突き上げれば挿入できてしまう位置にまで近付いている。

 「先っぽも、亀さんも、出っ張ったところも、根元も、ずるずるのどろどろにされるんです。

  おちんちんだけじゃありませんよ。花弁もタマタマやお尻の穴を包み込んで、たっぷり可愛がってもらえますから」

 「う……あ……」

 妖花の挿入口から垂れた蜜が、ねっとりと亀頭に垂れる。

 挿入れたい。あの中に、挿入れたい――!

 

 「ふふ……責められ、嫐られ、弄られ、犯され、蹂躙され、いたぶられ、弄ばれ、陵辱され……

  貴方は射精して、射精して、何度も射精して、泣き叫んで、それでも射精して、延々とこのお花の中で果て続けるんです。

  でも貴方を愛していますから、決して命を奪ったりはしません。ずっと、ずっと、ず〜っと、吸い続けてあげますね」

 「……」

 表情を歪め、硬直する俺。

 マドカの手にする妖花は、ペニスの間近。

 彼女が少し押し当てるだけで、たちまちペニスは妖花内部に挿入されるであろう。

 「う、あ……」

 怯え、恐怖、期待、怒り――様々な感情が、俺の脳内に渦巻く。

 「じゃあ……覚悟はいいですね?」

 マドカは、にっこりと笑いかけてきた。

 

 抗う

 受け入れる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「では――」

 妖花を手に、俺の眼前にまで接近してくるマドカ――

 これが、おそらく最後のチャンス。

 そして俺の最後の切り札は、靴先に仕込んだ飛び出しナイフ――俺は軽く靴先をひねりつつ、思いっきり足を蹴り上げた。

 その刃でツタがブチブチと切れ、鋭い刃先がマドカの顎に迫る――

 

 「……!?」

 素早く飛び退き、俺から距離を取るマドカ。

 1/100秒レベルの、ほんの紙一重――マドカは、俺の渾身の一撃をかわした。

 「ぐッ……!」

 俺は、思わず押し殺した声を漏らす。

 ――万策、尽きた。

 もう後はなく、このままマドカの餌食となるのみ。

 「……驚きました。そこまで私の淫香に蝕まれながら、まだそれほどの力が残っているなんて――」

 再び、すたすたと近寄ってくるマドカ。

 そして俺に顔を近付けると、ふぅ……と甘い息を吐きかけてきた。

 「あ、あぅ……」

 頭が朦朧として、視界がピンク色に染まる。

 もう、抵抗する気力が――

 

 「ふふ、これで――」

 マドカが微笑んだ瞬間、彼女の背後の空間がぴしりと裂けた。

 空中にぴしぴしとヒビが入り、まるでガラスが割れるかのように砕け散ったのだ。

 これも、マドカの仕業……?

 ……とも思ったが、当のマドカも信じられないような表情でその空間の裂け目を凝視していた。

 これは、一体……?

 

 「まさか…… 転移魔術!?」

 「うぅ…… な、なにが……?」

 俺とマドカの視線は、その異変の空間に集中した。

 空間を破って現れたのは、なんと小柄の少女。

 この学園で目にした中等部女子と同じくらいの年齢、そしてドレスのような煌びやかな服装。

 流れるような長い金髪に、幼さの残る顔。

 そして、いかにも尊大そうな不敵な笑み――

 

 「……何ですか、貴女は? 人間の魔術師?」

 俺にくるりと背を向け、唐突に現れた謎の少女に視線をやるマドカ。

 「化け物狩り専門だ。お前のような下等淫魔のな――」

 謎の少女はマドカに視線を合わせ、不敵に口の端を歪ませる。

 と同時に、少女はどこからか取り出した剣を構えた。

 「淫魔専門……? 私も化け物狩りに従事してきたけれど、淫魔の狩人など聞いた事がありませんが――」

 すっ……とマドカは短い髪をかき上げた。

 同時に、甘い香りがふんわりと周囲に広がる。

 「女性とは言え、私の淫香からは逃れらるとでも――」

 

 「――下等淫魔ごときが、小賢しい!!」

 

 まさに一喝、と言うのだろうか。

 謎の少女の気合とともに、周囲を覆い尽くしていた芳香が一瞬で掻き消えた。

 同時に、少女の背からは蝙蝠のような翼がばさりと姿を見せる。

 そして腰からは、悪魔のごとき矢印型の尻尾が――

 

 「そんな……! 私の魔力が……!?」

 その一喝に圧倒され、驚愕の表情を浮かべるマドカ。

 同時に、床などを侵食していた植物がぶすぶすと腐食し始めた。

 俺を茎に磔にしていたツタもボロボロと崩れ始め、その拘束が緩む。

 俺の身体を蝕んでいた淫香とやらも消滅したのか、頭が徐々にクリアになってきた。

 「一瞬で無効化するなんて……中級淫魔とも同等の、私の魔力が……」

 「中級淫魔? 魔界の貴族の中では、中級など最下層。それしきで何を奢るか!」

 謎の少女は大きく翼を広げ、マドカの眼前にまで飛翔した。

 そのまま、剣をマドカの胸に突き立てる――

 「……ッ!」

 その一撃を素早く避け、太股のホルスターから拳銃を取り出すマドカ。

 「――甘く見ないで、お嬢さん!」

 マドカは素早く銃口を少女に合わせると、飛び退きざまに発砲する。

 少女はその銃撃を避けきれず、弾丸がその右肩を貫いた。

 「ちッ……!」

 「淫魔としては貴女が格上でも、単純な戦闘技能なら私の方が上よ!」

 すかさずナイフを抜いて、少女に追い討ちをかけようとするマドカ――

 「それは違うだろ――」

 俺はマドカの左腕を取り、そのまま背負い投げの形で彼女の身体を床に叩きつけた。

 「ぐッ……!」

 コンクリートの床面に激突し、顔を歪ませるマドカ。

 「……単純な殺し合いなら、この中で俺が一番強いぞ」

 拘束が解け、淫香の効果も消失し――もはや、俺が圧倒される理由も要因もない。

 「そんな……なんで……! なんで……!?」

 マドカは素早く起き上がると、その腕をしゅるしゅるとツタに変えた。

 そのツタは真っ直ぐ――非常に読み易い軌道で、俺に向かってくる。

 「九条さつきの時も言っただろ? お前の敏捷性は人狼以下。そこらの化け物にも劣る――」

 俺はツタをナイフで切り裂きながら、迫ってくる妖花に拳銃弾を撃ち込んだ。

 「く、このぉ……」

 ふわりと立ち込める甘い匂い――しかし謎の少女が指を鳴らしただけで、その香りは消え去った。

 「そして、淫魔としては二流。その程度の淫技など、我の前では児戯に等しい」

 そう呟いた後、少女は屋上の柵に軽く腰を下ろした。

 そして謎の少女は、俺の方に視線をやる。

 「……おい、貴様。見ての通り我は高貴なる存在。ゆえに下賎な荒事など好まん。貴様に任せる」

 「……!」

 少女の、異常なほどに尊大な口振り――だが、一から十までこんな振って沸いたような少女に頼り切るつもりはない。

 元々、化け物狩りは俺の仕事だ。

 M4カービンを拾いマガジンを入れ替える俺――マドカは憂いに満ちた視線を投げ掛けてくる。

 「私を……殺すんですか?」

 「お前のせいで死んだ者の数を思い出せ。お前はもう、この世に生きていていい奴じゃないんだ。だから――」

 俺は、M4カービンの銃口をまっすぐにマドカに向けた。

 「――悪いが、殺す」

 

 「なんで……!? 先輩に会えて、やっと恋っていうのがどういう事なのか分かったのに!」

 拳銃を構え、滅茶苦茶に乱射してくるマドカ。

 俺は巧みにその射線を逸らしながら、彼女に接近しつつM4カービンの引き金を引いた。

 マドカは肩や足にライフル弾を受けつつも、リロードしては拳銃を撃ち続ける。

 「先輩に会えて、やっと普通の恋が出来ると思ったのに……! なんで……!?」

 「喜ぶと思ったのか、俺が……! こんなものを見せられて! こんな事をされて!」

 拳銃弾を避けつつ、マドカの眼前に立つ俺――

 マドカの体から、足元の床から妖花のツタが伸びる。

 俺は右手でナイフを抜き、群れ寄ってくるツタを切断した。

 それでも手数が足りない、数が多過ぎるか――

 「見てみろ、この学園を……! お前は本当に、俺がこれで喜ぶとでも思ったのかッ!」

 さらに左手でサブのナイフを抜き、後方から迫ってきた妖花をぶった切る。

 その状態で、至近距離からマドカにM4カービンの掃射を食らわせた。

 「……ッ!」

 とっさに急所を逸らすものの、腹や肩などの数発の弾丸を受けるマドカ。

 彼女は全身から血を流しながら、俺に右手を伸ばしてくる。

 ツタではなく、人間の腕を差し伸べて――

 俺はマドカの脇をすり抜けざまに、その腕をナイフで切断した。

 どさり……と屋上の床に転がるマドカの右腕。

 

 「ええ……思ったわ。この学校を餌場にした時は、ここに先輩を迎えようって思ったときは……

  最初は不快でも、すぐに気に入ってくれるって……本当に、そう思ったの……」

 マドカは、よろめきながら俺に視線をやる。

 その体はもはやボロボロ。

 皮膚のあちこちが裂けて植物部分が露出し、流した血の量も余りに多い。

 彼女は、泣き笑いのような表情を俺に見せていた。

 「こんなになって、今やっと気付いたんです。こんな事したって、貴方が喜んでくれるはずがなかったって――」

 

 「……」

 俺は、攻撃の手を止めなかった。

 逆手にナイフを構え、そのままマドカの心臓部へ――

 「今、初めて気付きました――私は、随分と歪んでいたんですね。

  この学園で何年も過ごしてきて、ずっと周りが歪んでると思ってた……一番歪んでるのは、私だったんだ……」

 「遅いんだよ、もう……お前は、遅過ぎたんだ」

 

 マドカの胸に、ナイフが突き刺さる。

 「……う、あ……」

 どさりと膝を突き、空を見上げるマドカ。

 そんな彼女の眼前に、いつの間にか接近していた謎の少女が立っていた。

 「貴様は、人間として歪みきっていた。とうの昔から――この学園の生徒だった頃からな。

  周りの男への嫌悪――それが嗜虐心に摩り替わった時から貴様は歪み始めていたよ」

 謎の少女は、手にしている剣をマドカに突き付ける。

 「そして貴様は、まともなサキュバスですらない。学園一つ丸ごと潰せば、本格的に人間を敵に回すことになる――

  我々が人間との衝突を避けてきたのは、何のためだと思っている?

  闇の住人は闇に生きればいい。光を求めたとて、その眩しさに焼かれるのみ――」

 

 そして謎の少女は――マドカの胸を剣で串刺しにした。

 マドカの体はぐらりと傾き、傍に立っていた俺にもたれかかってきた。

 もはや、マドカに力など残っていない――俺は、彼女を突き飛ばしたりはしなかった。

 

 「なぜ、私は淫魔だったんでしょう……? いっそ一片の花ならば、貴方に愛でて貰えたかもしれないのに――」

 俺を見上げ、そう呟くマドカ――その体が、ばらばらとツタとなって崩れていく。

 ほんの数秒で、マドカの体は風化してしまった。

 妖魔の死はあっけなく、その生きていた痕跡すらこの世にとどめはしない――

 

 「ふん、馬鹿者が……人と淫魔の間に愛など成り立つと思ったか」

 蔑んだ風にではなく、むしろ哀しそうに呟く少女――

 俺は彼女の顔面に、M4カービンの銃口を突き付けた。

 「……お前、何者だ?」

 いつの間にか、マドカに負わされた肩の傷も治っているようだ。

 そして、あの蝙蝠のような翼や尻尾も見えない。

 しかしこいつは、間違いなく――

 

 「見境がないな、野蛮人が……」

 少女は、済ました顔のまま口を開いた。

 「我は淫魔専門の狩人。お主の救援に来たのだから、もっと感謝してはどうだ?」

 「淫魔専門の狩人……? お前もサキュバスの分際で――」

 そう言い掛けた瞬間、学校に異変が起きた――いや、異変が解除されたと言った方が正しいか。

 毒々しい色だった空は、星の瞬く夜空へと変貌する。

 周囲を覆っていた植物は、全て枯れ果てた。

 この学校は、元の姿に戻ったのだ。

 

 「貴様の任務も終わりだ。そもそも、我は正当なルートでここに派遣されたのだぞ。

  その我に危害を加えれば、問題が起きるのは貴様だ」

 「はぁ……?」

 訳のわからない事を言いながら、少女は床に転がっていたある物体を拾った。

 それは、俺が落とした通信機。どうやら、司令部から何度も呼び出しが掛かっていたようだ。

 「呼んでいるぞ、そら――」

 少女は俺に無線機を投げ渡す。

 俺は銃口を下に向け、司令部に応答した。

 「……こちらアルファ。『スピーシー』は完全に滅びました、が……」

 『そうか……さっきも言ったが、そこに根付いていた妖魔は、今まで君達が相手をしてきた奴とはタイプが違ってな。

  本部から来たというウェステンラ君を向かわせた。彼女はまだまだ若いが、イギリスの退魔師。その身元も信頼できる――」

 どこが、どう信頼できるんだ。

 そもそも、人間じゃないじゃないか。

 「しかし司令、こいつはサキュぁぅ――」

 何故か、妙なところで噛んでしまう俺。

 突然、舌がもつれてまともに言葉が発せられなくなったのだ。

 「……!」

 少女――ウェステンラの方に視線をやると、なにやらニヤニヤと笑っている。

 こいつが、何かやったのだ。

 そしてウェステンラは、俺の腕から通信機をもぎ取った。

 

 「……こちらウェステンラ、すでに合流しておりますわ」

 いきなり、ウェステンラの声が数オクターブ上がった。

 どこのお嬢様か分からないくらいの、吹けば飛ぶほどか弱い喋り方。

 『そうか、では帰還したまえ』

 「はい、了解致しました――」

 か細い声でそう述べた後、少女は俺の方に向き直る。

 「――と、言うことだな」

 「……」

 俺は大きなため息をつく。

 こいつに危害を加えたら問題が起きるというのは、こういう事か。

 司令の話では、本部――欧州から派遣されたという名目のようだ。

 

 「ところで……あの、サキュバス化した女子はどうなるんだ? 治るのか?」

 いつまでも、どうしようもない事を考えていても仕方がない――俺はただちに思考を切り替えた。

 「我がわざわざ足を運んだのは、あのアルラウネを片付けるためだけと思ったか?

  とはいえ……吸い殺された男子や、死んだ貴様の仲間はどうにもならぬな。いかなる上級妖魔とて、生命の復活は出来ぬ」

 「そうか……」

 俺はため息をつき、夜空を見上げた。

 マドカはともかく、リョウもジンも死んだ。

 生き残ったのは、またもや俺一人だけ――

 「なら……チームも解散だな」

 

 「ふむ――」

 そこでウェステンラとかいう少女は、初めていたわるような表情を見せた。

 「――ならば貴様、我に仕えることを許そう」

 「おい……愁傷なツラで、何を偉そうな事を言ってやがる?」

 外見的には、どう見ても小娘――

 しかし、実年齢は幾つか分かったものではないが。

 「何を言うか。我に仕える事を上回る栄光が、この世にあるか?」

 そう言いながら、ウェステンラはくるりと俺に背を向けた。

 「それに、貴様は見所がある。我の生業は淫魔狩りだが、下賎な淫魔は暴力に訴えることが多くてな……

  我は荒事を好かぬ。ゆえに貴様は我に仕え、ひたすら我を守るがいい」

 「ふざけるな! 大体、俺は公安調査庁所属だ。なんで淫魔狩りの手伝いなんか――」

 俺の言葉に耳を貸さず、ウェステンラは携帯電話を取り出して何か話し始めた。

 一言二言、誰かと言葉を交わして電話を切り――

 「よし、責任者に話はつけた。これで貴様は晴れて公安をクビになったぞ」

 ――そしてウェステンラは、恐ろしい事を言った。

 

 「な、お前……!?」

 俺は思わずM4カービンに手を掛けるところだった。

 クビ? あんな電話一本で、俺が?

 「どうせチームは解散なら、貴様の仕事もないだろうが」

 憤懣やるせない俺にそう告げ、ウェステンラはくるりと背を向けた。

 「それに……仲間を失う悲しみは、我とて知らん訳ではない」

 「……」

 「という訳で……貴様の身柄、我が貰い受けるぞ」

 酷薄な笑みを浮かべ、ウェステンラは言った。

 いまさらどう文句を言っても、俺がクビになったのは間違いないようだ――

 

 「……これは?」

 俺は、ふと屋上の床に目を留めた。

 マドカが絶命した場所――そこには、一片の赤い花が咲いていたのだ。

 植物の完全に消失した屋上で、ぽつりと人目をはばかるように。

 「おい、あれはまさか……?」

 「ん……? あれは、あのアルラウネだ。我が、何の芸もなく突き殺したとでも思ったか?」

 ウェステンラは、いかにも面倒そうにため息をつく。

 「魔力も知性も封じ、ただの花にまで退行させてやったわ。もはやこうなってしまえば、何もできはしない。

  長い年月が経てば魔力を取り戻すかもしれんが、それも100年、200年単位のこと。

  愚か者め、せいぜい頭を冷やすがよいわ――」

 生意気な口調で言い終え、ウェステンラは階段で階下へと下りていく。

 「……」

 俺は、つかつかと階段を下りるウェステンラの背中を見ていた。

 彼女は、見た目や態度ほど傲慢な女ではないのかもしれない――

 とはいえ、それでも化け物である事に変わりはないが。

 

 柔らかな風が吹く屋上――そこで、赤い花はゆらゆらと揺れる。

 俺の手許にいるよりも、この学園にいる方がいい――俺は、そう思っていた。

 余り良い思い出はなかった場所だろうが……それでも、彼女の居場所は昔からここなのだ。

 「……じゃあな、マドカ」

 俺は赤い花をその場に残して、屋上から去っていった。

 

 −THE END−

 


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