フェイスハガー娘


 

 アイゼンハワー級異星揚陸艦「メンフィス」――

 星間移動二十一日目、目的地の惑星プロロフィル到着まで残り12時間。

 

 「……以上、五回だ。五回の射精で命はない」

 スクリーンには、甲殻類のような蜘蛛のような、不気味な生物の姿が映し出されていた――

 それを指示棒で軽く叩き、俺はミーティングルームの一同に告げる。

 十五歳から十八歳あたりの少年兵士達――彼らの顔には、ありありと恐怖の色が浮かんでいた。

 それもそのはず、このヒヨコ達は実戦そのものが初めてなのである。

 よりにもよって、初陣の相手がこんな得体の知れない生命体――彼らの不安はどれほどのものだろう。

 

 「そして五回分の精液を吸い取ると、スイッチが入る――とでも言うべきか。

  そうなると、もう助からない。そのまま肉体を溶かされ、繭にされてしまう」

 そう偉そうに解説している俺とて、出発前に聞いた知識に過ぎない。

 そんなおぞましい異種生命体など、今まで耳にしたことすらなかったのだ。

 「よって、諸君には麻酔薬が支給されている。この生物に取り付かれた際は、ただちに使用すること。

  使用法は通常のビタミン剤などと同じく、注射方式で――」

 そんなブリーフィングを行いつつ、俺自身の心中も不安で覆われていた。

 あまりにも得体の知れない相手なのに加えて、率いなければいけない兵は全て少年。

 十五歳から十八歳、おそらく技量も年齢相応に未熟――

 かく言う俺とて十九歳、彼らとそう年齢は変わらないのだが。

 ……それでも、踏んだ場数が違うのだ。

 俺は途方に暮れたくなる気持ちを隠しながら、最終ミーティングを終えたのだった。

 

 

 

 

 

 「……どういうことなのか、詳しい説明をお願いします!」

 ブリーフィングを終え、ここは士官室。

 俺は通信機を片手に、上官相手にきつく問い質していた。

 階級が上の者に対する口の利き方でないのは承知の上、憤るだけの理由は十分だ。

 部下を率いている以上、俺は彼らの一挙一動全てに責任を持たなければならない。

 

 「わずか一個中隊――200人程度の兵員で、どう対処しろと!?」

 『あくまで任務は威力偵察に過ぎん。君達の報告を元にして、ただちに本隊が――』

 「威力偵察!? 敵の数は不明、目的も不明――何もかも不明!

  そもそも相手は武装対象ではないどころか、人間でさえない! 何をどう偵察しろと!?」

 部下の命を預かっている――そんな立場の俺にとって、あまりにも理不尽な任務。

 俺は通路まで響きかねない大声で、そうまくしたてていたのだった。

 

 

 

 惑星プロロフィルから緊急警報が入ったのは、ちょうど一ヶ月前。

 かの星は月と同じ程度の大きさで、約十万人の植民者が存在する小型惑星都市。

 そんな小惑星に、とてつもない異変が発生したのである。

 

 最初に入電したのは、特別指定一級危険生物発生の報告だった。

 フェイスハガー娘などという、幻の宇宙生物が出現したという報せである。

 しかし最初の電信の後は何の続報もなく、それ以来通信は途絶えてしまった。

 そしてこちらからの通信も繋がらず、完全に音信不通となってしまったのである。

 全住民十万人と、全く連絡が取れない――これは、ただならぬ事態であることは明白。

 ただちに、海兵隊が惑星プロロフィルへと派遣されることになった――

 たった二百人程度という過小な兵力、それも明らかに不可解な任務を背負わされたまま。

 そんな中隊の指揮官として抜擢されたのが、俺というわけだ。

 

 

 

 「そもそも、危険生物発生への対処というのは公衆衛生局の仕事でしょう!

  我々は、人間相手の訓練しかしていないんだ。なぜ海兵隊に回ってくるんです!?」

 もはや俺は、上への不信感を隠してはいない。

 これは、二百人を不用意に死地へと追いやる行為――そう俺はみなしていた。

 『……』

 「そして、この部隊は何なのです!? 全員が第三種志願兵、それも若造ばかり!」

 第三種志願兵というのは、いわゆる孤児志願兵。

 両親を失った子供や捨て子が、生活を保障してもらえる代償に軍隊入りとなるシステム。

 家族がいないということで、戦死した場合にも遺族からの訴訟がない――

 そういうわけで孤児志願兵は危険な任務ばかりに投入され、社会問題ともなっている。

 とは言え、そんな第三種志願兵のみで中隊が編制されるなど過去に例はない。

 この任務は不可解だ。何もかもがおかしい。

 

 「答えて下さい、どういうことなんです!? なぜ、害獣相手に我々が?」

 害獣の掃討、という任務ならまだ理解できる。

 しかし任務は威力偵察――軍事施設でもないところに威力偵察など、どうしろというのだ?

 『諸君は任務を完遂すればよい――これで通信を終わる』

 「あっ、ちょっと……! 話はまだ……!」

 しかし俺の言葉は顧みられることなく、通信はあっさりと切れてしまう。

 「くそっ!」

 悪態を吐いても始まらない――が、俺はそう呟くしかなかった。

 

 とんとん、と士官室のドアがノックされた。

 「ロゼットです、お茶をお淹れしました――」

 そして、凛とした女性の声が響く。

 「ああ、入れ……」

 「――失礼します」

 湯飲みの置かれたお盆を片手に、作り物のように綺麗で無表情な美女が入ってくる。

 黒のロングヘアで、外見は10代後半。なんとも落ち着いた風貌――というよりも、むしろ無機質めいていた。

 それもそのはず、彼女は人間ではなく軍用アンドロイドなのである。

 

 「やや激昂しているように見受けられます。任務開始まで十時間、リラックスすることをお勧めします」

 机の上にお茶を置きながら、ロゼットは静かに言った。

 「ああ、そうしたいのはヤマヤマなんだがな……」

 そうボヤきながら、俺は適温の茶を啜る。

 そして、お盆を片手にじっと控えているロゼットをまじまじと眺めていた。

 その人工皮膚は人間のものとほぼ同じ、外見は人間女性と全く変わらない。

 特別製の軍服は紺色で、タイトスカートや装飾品など色々手が込んでいる。

 そのスタイルが日本の婦警の制服にやや似ているのは、ロゼットの開発元が日系企業である影響だろうか。

 ロゼット――それは個体の名前ではなく、女性型軍用アンドロイドそのものの総称。

 軍務はもちろん、宇宙船のオペレーターや雑務、料理などまでこなすマルチタイプのアンドロイドなのである。

 異星揚陸艦一隻程度の雑務なら、彼女が一人でこなしてくれているのだ。

 

 「それにしても、まさか今回の任務はロゼット付きとはな。恵まれてるのか、そうでないのか……」

 無表情の彼女を前に、俺はため息を吐いていた。

 彼女は軍用の高級品であり、軍全体での所持数も限られている。

 よって、ロゼットが回される任務もそう多くはないのだった。

 「スドウ大尉、僅かながら平常心が乱れています。メディカルチェックを必要としますか?」

 茶を啜る俺に対し、ロゼットは機械的に尋ねてくる。

 「いや……メンタル的な問題だ、すぐに落ち着く。

  メディカルチェックは軍上層部の連中に受けさせてやりたいな。脳の中を中心にだ」

 「脳の検査を受けるよう、司令部に上申書を書けと――そういう命令でしょうか?」

 「いや、ただの冗談だ……」

 糞真面目に対応するロゼットを見ていると、わずかに心が安らいだ気もした。

 女性型アンドロイドなど気味が悪いと思っていた頃もあったが、なかなか馬鹿にしたものでもない。

 いくら作り物だとはいえ、荒んだ心を和らがせるには効果十分なのかもしれない。

 「……他の兵達にも、声を掛けてきてやってくれ。彼らは実戦が初めてだ」

 「了解しました。メンタル面に配慮しつつ、激励を行います」

 ロゼットはくるりと背を向け、そのままスタスタと艦長室を後にしたのだった。

 

 「さて、どうなることやら……」

 実際のところ、状況が分からない以上、対策も立てようがない。

 向こうとは音信不通であるため、打ち合わせすら出来ない。

 そもそも目的さえ曖昧で、何が任務なのかも良く分からない有様。

 とにかく行ってこい、とばかりに放り出されたに等しい――

 それも、ほとんど使い物にならないであろうヒヨコ二百人をあてがわれて。

 「なんとか形になる奴を十名ほど選抜して、惑星を探査するか――」

 それが、おそらく一番だろう。

 二百人ものヒヨコをぞろぞろ引き連れて状況不明の場所を進むなど、身の毛もよだつ。

 それならば、戦力分散の愚を犯してでも探査グループと待機グループに分けた方がマシだ。

 なにせ実戦が初めてどころか、まだ訓練過程を修了していない奴すらいるのだから――

 「そうすると……まずは軍駐留所か」

 どのような植民星にも軍駐留所があり、相応の数の警備兵がいる――惑星プロロフィルとて例外ではない。

 まず彼らに接触して、状況を詳しく把握すべきだろう。

 問題は、その彼らと連絡が取れないことなのだが――もはや、直に接触するしかあるまい。

 

 「オリファー少佐がいながら、なぜそんな事に……」

 俺は、プロロフィル駐留軍の責任者とは面識があった――どころか、親代わりの大恩人。

 九歳で軍隊に入ってから八年もの間、オリファー少佐の下で世話になってきたのである。

 その間に、軍人としての心構えや技術を教わった。親でもあり、恩師でもある人物なのだ。

 この任務のリーダーとして俺が抜擢されたのは、そのあたりの理由があっての事かもしれない。

 そんなオリファー少佐でさえ、生死不明の状況。そこに俺が、ヒヨコ連れで赴くとは……

 「……ふぅ、少し気分を入れ替えるか」

 この任務は俺一人の肩にのしかかっているにもかかわらず、当の俺がネガティブでは成否に関わる――

 陰鬱とした気持ちを抱え、士官室にこもっているのもメンタル的に問題だろう。

 どうせ艦長とは名ばかりで、この宇宙艦の統括はロゼットがやってくれている。

 そういうわけで、俺はなんとなく士官室を出たのだった。

 

 

 

 

 

 食堂は少年兵達のレクリエーションルームと化し、まるで休み時間の教室のようだった。

 だが、おのおのどこか無理をしてはしゃいでいる様子も見受けられる。

 初の実戦を控え、緊張を紛らわそうとしているのだろう。

 こんなヒヨコ達を連れて、実戦に赴かなくてはいけない頼りなさ――

 ――と言うよりもむしろ、何とも言えない痛々しさを俺は感じていた。

 彼ら自身には、何の罪もない。

 こんな新米をひとまとめにして実戦に投入するという上層部の判断が、正気の沙汰ではないだけだ。

 

 「あっ……」

 「スドウ大尉! どうも、ご苦労様です!」

 彼らは俺の姿を確認すると、ぴしりと姿勢を正した。

 「ああ、改まらなくていい。到着1時間前まではのんびりしてくれ」

 「はっ……」

 そして彼らは、普段の談笑に戻る。

 テーブルには少年兵達が集まり、何やらわいわいと騒いでいた。

 その中心にいるのはロゼット。

 彼女は果物ナイフを右手に、そして左掌を机の上で大きく広げ、その刃を五本の指の合間に突き刺していた。

 親指と人差し指の間を突き刺し、人差し指と中指の間を突き刺し――それを出来る限り素早く、正確にナイフをさばく。

 その狙いが少しでもズレれば、ナイフは指に刺さってしまう。ちょっとした度胸試しの一芸であった。

 「うおっ、すげぇ……!」

 「さすが、ロゼットだ……!」

 しかしロゼットは機械特有の正確さと驚くべき速さをもって、指の隙間にナイフを通していく。

 その速さは、残像が見えるほど――それを見て、周囲の兵士達がざわめいていた。

 この技は、ロゼットの精密性をアピールするCMで良く見たものである。

 それを離れた位置でぼんやりと眺めながら俺は思索にふける――

 

 その刹那、凄まじい大音響と震動が艦全体を揺るがしていた。

 「うわっ!」

 「あぐっ!」

 床が引っ繰り返ったと錯覚せんばかりの震動に、兵士の多くが床に転がってしまう。

 かく言う俺も、転倒しないようにするのが精一杯だった。

 衝撃はほんの一瞬で収まり、そして艦は安定を取り戻したかのようだが――

 少年兵達は周囲を見回してうろたえ、パニック寸前の状況だった。

 

 「報告します、スドウ大尉。エンジンルームにて爆発が発生しました」

 ロゼットは椅子から立ち上がり、静かな声でそう告げる。

 彼女は常時、この異星揚陸艦のコントロールに接続しているのだ。

 「爆発だと……!? ロゼット、被害状況を報告しろ!」

 「居住ブロック、および司令ブロックに異常なし。死者はゼロ、転倒して負傷した者が13名、いずれも軽傷」

 犠牲者はいない……その言葉に俺は胸を撫で下ろす。

 「艦内に負傷者が複数出たようだ。ただちに救護に向かえ!」

 「はっ!」

 食堂で右往左往していた少年兵達は、命令を与えられることで我に返ったようだ。

 そのまま、慌ただしく居住区へと走っていく。

 彼らがこの場を去り、ロゼットと俺の二人になる――それを確認し、ロゼットはおもむろに口を開いた。

 他のクルーには聞かせられない報告だと判断し、責任者の俺にのみ伝えてきたのである。

 「メインコントロールに異常発生、第一、第二、第四ノズルの駆動は不可能。艦は制御不能に陥っています」

 「な、なんだって……!?」

 一瞬だけ乱れた感情も、みるみる落ち着いていく。

 今は、慌てている場合などではない――

 「ロゼット、立て直しは可能か?」

 「不可能です。このまま惑星プロロフィルの重力圏に突入し、地表へ激突することは確実でしょう」

 「そ、そうか――」

 こういう時、機械の判断というのはタチが悪い。

 まず、アンドロイドは人間に決して嘘を吐かない。そして慰めも、希望的観測も口にしない。

 言葉を濁さず、非常に正確に報告してくれるのだ――時として、残酷なまでに。

 

 「ロゼット……俺達は、もう助からないのか?」

 俺は覚悟しながらも、その質問を投げ掛けていた。

 流石の俺でも、その答えを聞くのは怖い――

 「幸いにして第三ノズルは駆動します。地表に衝突する瞬間に逆噴射を実行すれば、衝撃の92%はカットできるでしょう」

 「92%……どの程度の被害が予想される?」

 「艦は間違いなく大破します。衝撃による想定死者数はクルーの10%、負傷者数はその4倍」

 「……ッ!」

 クルーの総数は二百人なので、二十人程度の死者が出るという予測になる。

 「衝突予想時間は?」

 「計算によれば……二分十一秒後となります」

 「よし、艦内に通告を頼む。総員、二分後の衝突に備えよと」

 「了解しました――」

 ロゼットは艦のスピーカーを通じ、ただちに警告を流す。

 そして俺はというと、天に祈るような気持ちで姿勢を屈めていた。

 どうか、一人でも多くのクルーが助からんことを――

 

 

 

 

 

 それから二分後、アイゼンハワー級異星揚陸艦「メンフィス」は惑星プロロフィルに墜落した。

 大破した艦を脱出した俺達を迎えたのは、赤茶けた大地。

 最悪の形でこの星に降り立った俺達の前に、その乾いた大地が広がっていたのである。

 その第一歩からして、なんとも悲惨な成り行きとなってしまったのだった――

 

 「……この星の環境制御システムに異常はありません。人間の生体活動は問題なく維持できます」

 ロゼットは周囲の状況を確認し、そう告げる。

 「そうか……よし、気密装備を外すことを許可する」

 俺の命令と共に、少年兵達は窮屈な装備を一斉に放り出し始めた。

 同様に俺もヘルメットとマスクを外し、背負っていたボンベを地面に落とす。

 そして、配合気体ではない酸素を胸一杯に吸い込む――こんな状況とはいえ、それはやはり清々しい。

 命が助かった者達は、まず自らの幸運に喜び――そして、戦友の不幸に肩を落とすのだ。

 それは俺自身も、まだまだ未熟な少年兵達も例外ではなかった。

 

 「……十七人、全員の遺体が運び出されました」

 「そうか……」

 なんとも辛そうな少年兵の報告に、俺は頷くのみ。

 居住区Fブロックに巨大な岩が直撃し、十五人が即死。他にも衝撃で外に投げ出された者が二人――死者数十七人。

 さらに八十二人もの人間が大なり小なり怪我をし、動けない状態である。

 その数は、ちょうどロゼットの事前被害予想に一致していた。

 負傷者達は元気な者によって運び出され、プロロフィルの赤茶けた大地に並んで横たえられる。

 その少し離れた位置には、ブルーの寝袋に入れられた十七人の遺体が安置されていた。

 彼らと特に仲の良かった者達が、その屍に取りすがって泣いている。

 

 「……」

 そんな様子を、俺はしばし眺め――そして、黒焦げになった艦の残骸から出て来たロゼットに視線を向けた。

 「ロゼット、消火は終わったか?」

 「はい、完全に鎮火しました。幾つかの区画は、なんとか使用可能な状態にあります」

 負傷者を、いつまでもこの大地に転がしておくわけにはいかない。

 艦の居住区はまだ使える状態にあるようなので、そこに負傷者を運び込むよう指示する。

 そして、死者は冷蔵室へと――

 「ロゼット。艦の通信システムとリンクして、救難信号を出してくれ」

 「不可能です。通信システムは完全に破壊されています」

 「星間通信機器が、みんなやられたのか……?」

 まるで、狙いすましたかのように厄介な損害である。

 当然ながら俺を含む全ての兵員は無線機を携帯しているが、それは互いの連絡用。

 惑星間通信を行うには、出力が全く足りないのだ。

 「救難信号が出せないとなると、ここプロロフィルの施設を使うしかないが……」

 この規模の小惑星では、星間通信を行える施設など極めて限られてくるだろう。

 植民省の公舎、駐留軍施設、宇宙港――おそらく、この三箇所程度。

 しかも音信不通に陥っていることを考えると、それらの機器も満足に使えるか分からない。

 俺達は、この星から脱出することすら難しい状態に陥ってしまったようだ。

 

 「負傷者の艦内収容、終了しました!」

 そう思考している間に、作業は終わったようだ。

 俺の前に、動ける者約百人が整然と並ぶ。

 さて――

 「否応もなく、都市の探索に向かわなきゃならんみたいだな……」

 俺はそう呟くと、居並ぶ少年兵達の方に向き直った。

 ここは地点BH10023458、市街より数キロ離れた場所のようだ。

 「これより、この星からの脱出を最優先とする。その手段を確保するため、市街に向かうが――」

 とりあえず、探索隊は俺が指揮しなければ始まらない。

 艦内でも考えていたように、人数は少ない方が身軽でよい――なにより、この大人数を引率する自身はない。

 戦力にならない連中をぞろぞろ連れて行くのは、足枷になりかねないのだ。

 

 「確か、三種過程を成績Aで卒業した奴が二人いたな」

 「はっ!」

 手を挙げた二人は、まだ使い物になりそうだった。

 「それと……お前とお前、お前もだ――」

 良い面構えをしている奴、落ち着いた様子の奴、素質のありそうな奴――

 ヒヨコの中でも少しはマシといった程度だが、不平不満を言える状況でもない。

 俺独自の判断で十人を見繕い、臨時探索班を編成した。

 「ロゼットは、この場に残ってくれ。兵員達の生存を何より優先する、忘れるな」

 「了解しました、お任せを――」

 さっ、とロゼットは敬礼のポーズを取る。

 「では、行くぞ……!」

 「はっ!」

 こうして俺は十人の部下を率い、徒歩で市街の方角に向かったのである。

 

 

 

 

 

 その都市は、まさにゴーストタウンそのものだった。

 人っ子一人いない大通り、あちこちに乗り捨てられた車、変わり果てた建築物――

 この惑星から連絡が途絶えて一ヶ月。わずかそれだけの時間で、ここまで荒廃してしまうものなのか。

 人の気配が全くない大通りを、リーダーの俺を先頭に十一名が粛々と進んでいた。

 海兵隊制式装備であるパルスライフルを手に、周囲を警戒しながら――

 

 「隊長、これは何でしょう……?」

 少年兵の一人が立ち止まり、かがみ込んで路面を人差し指でなぞる。

 路上のあちこちには、グリーンの不気味な粘液がへばりつき、妙なぬめりを放っていたのだ。

 それは路面のみならず、車や建築物のあちこちにも付着し、中には粘液で覆われてしまったかのような住宅まである。

 また、建造物にまとわりついているのは粘液だけではない。

 肉のような――奇妙なピンクの軟体が、まるで取り付くかのように壁面を包んでいる光景もあちこちに見られるのだ。

 「何だろ、この匂い……頭が、ぼんやりして……」

 指でその粘液をすくい取り、鼻を近付け――少年兵は、うっとりしたような表情を浮かべた。

 「うかつな事をするな。毒性があるかもしれん」

 「あ、はい……!」

 少年兵は我に返り、指先に絡み付く粘液をハンカチで拭う。

 

 「しかし……住人達は、どこへ行ったんでしょうか……?」

 別の少年兵が、周囲を見回して呟いた。

 まさに、忽然と消えた十万人の住人。

 いかに特別指定一級危険生物が発生したとは言え、釈然としない状況である。

 「まさか……みんな、死――」

 口を開いた少年兵は、俺の鋭い視線を受けて姿勢を正した。

 「いえ、失言でした!」

 「……全滅したとしても、死体がいっさい見当たらないのは不可解だ」

 「スドウ大尉、一つだけ質問よろしいでしょうか……」

 次に少年兵の一人が、おずおずと口を開く。

 「あれ……戦闘痕ですよね?」

 「……そのようだな」

 見れば確かに、路面にはえぐれたような痕がある。

 周囲のビルの窓ガラスの幾つかは割れ、なんらかの戦いがあったようだ。

 だとしたら、いっさい死体が残っていないのが釈然としない。

 いったい誰が、何と戦ったのか――

 アメーバ状の軟肉やグリーンの粘液に浸食された市内で、俺達は不安に駆られるばかりだった。

 

 

 

 ともかく俺達は、第一目的地の植民省公舎に到着した。

 通信設備が使えるかもしれないというのもあるが、ここに生存者がいるかもしれない。

 住人達が救助を待つとしたら、この建物以外にないだろう――

 

 「うわっ、なんだこれ――」

 「気持ち悪い……」

 そこに踏み込むなり、少年兵達は異口同音の感想を漏らした。

 植民省公舎の内部は、まるで巨大な生物の腹の中のようだったのだ。

 例のグリーンの粘液や、ネバついた不気味な肉――そんな軟体が、壁や床を覆い包んでいるのだ。

 そして、甘ったるい奇妙な芳香が鼻を突く。

 

 「隊長、これは……」

 兵の一人が、壁を覆う軟肉に指先で触れた――

 「わっ……、ひっ……! 引き込まれるっ……!」

 ずぶずぶずぶ……と、その肉は彼の指先を引き込んできた。

 第一関節から指の付け根、さらに掌――まるで底なし沼に引きずり込まれるかのよう。

 「お、おい……!」

 別の兵が彼の右腕を掴み、ぐっと引っ張った。

 するとその手は壁の軟肉からぐちゅりと抜け、その勢いで尻餅をついてしまう。

 座り込んだまま、彼は呆然と掌を眺めていた。

 「おい、大丈夫か……!?」

 「は、はい……、気持ちよかった……」

 熱に浮かされたように、少年兵は呆然と呟く。

 「なんでも不用意に触るんじゃない。どんな危険があるか分からないからな」

 「はっ……!」

 そう念押しした後、俺達はようやく玄関口からロビーに踏み込む。

 緊張した面持ち、そして震える手で銃を握りながら周囲を見回す少年兵達。

 一歩踏み出すごとに靴底に粘液がへばり付き、糸を引いて不快な気分にさせた。

 じゅぐっ、じゅぐっ、と湿りを帯びた靴音が周囲に響く――

 

 「おーい! 誰かいませんか!?」

 唐突に、俺の後を進んでいた少年兵が大声を上げていた。

 「……馬鹿野郎、大声を上げるんじゃない。状況は不明なんだ」

 俺は小声ながら、鋭く告げる。

 「す、すみません……! 生存者はいないのかなと……」

 「必要なく声を出すんじゃない、どんな危険があるのか分からないからな」

 そう言いつつ、俺はため息をこらえざるをえなかった。

 こんな未熟な連中を率いなければいけないという絶望感――

 しかし実際のところ、咎められるべきは彼らではない。

 こんなヒヨコを現場に投入した連中なのだ。

 

 「しかし……何なんだ、この状況は?」

 この建物は、いわば市役所――そのロビーにあるソファーや棚、ブースにも粘液や肉が絡み、異常な状態になっている。

 「……あれは?」

 事務用の窓口内――肉で埋もれるように、人の姿が見えたような気がした。

 いや、実際に誰かいる。

 肉に絡め取られ、壁に貼り付けられている人物――それは、十代前半と思われる少年だった。

 彼は全裸で、その手足や胸が肉や粘液に覆い込まれている。

 「人です、人がいます!」

 「分かってる、大声を出すな……」

 俺は警戒しながら、その少年の元にじりじりと近付いた。

 「う、あ……た、たすけ……」

 少年は震える声を絞り出しながらも、俺達の姿さえ見えていない様子。

 衰弱しきった様子で、その目は狂気の色すら帯びていた。

 いったい彼は、どんな目にあったのか――

 「これは……強引に引き剥がしていいものなのか?」

 彼の全身には粘液や体組織が絡み、まるで生物の一部に取り込まれたかのようだ。

 無理に引き剥がそうとしたら、怪我をしてしまうという可能性もある。

 それにしても、誰が何のためにこんなことを――

 「たす……、け……」

 少年の下腹部は体組織から露出した状態にあり、男性器がぶらぶらと垂れていた。

 その先端から糸を引いて垂れているのは、精液――?

 肉床――そんな言葉が、俺の脳内に去来していた。

 

 「ひ、ひどい……」

 俺の背後に控えていた少年兵の一人が、口を押さえて呟く。

 「大丈夫か、何があった……?」

 少年の頬を軽く叩き、その注意を向けさせる。

 眼前に立ってもなお、彼は俺達の存在に気付かなかったのだ。

 「だ、だれ……?」

 少年はようやくこちらに淀んだ目を向け、呻くように言った。

 「海兵隊だ、救出に来た」

 「き、きゅうしゅつ……?」

 少年の瞳に、徐々に色が戻っていく。

 体を震わせ、身をよじりながら彼は声を荒げていた。

 「た、助けて下さい……! み、みんな捕まって、エサに……! は、はやく……!」

 さっきまで呆然としていた反動か、過度に興奮している様子だ。

 「ぼ、僕の他のみんなも……! はやく、助けないと……エサに……!」

 「みんな――? 他に生存者がいるのか?」

 「は、はい……! 母さんも妹も、多分奥の方に……!」

 「そうか――とにかく、落ち着くんだ」

 鎮静剤を取り出そうとした、ちょうど次の瞬間だった。

 「分かった、奥だな!」

 一人の少年兵が、おもむろに走り出したのだ。

 彼は何の迷いもなく、ロビーの奥へ突進していく。

 「おい馬鹿、戻れ――!!」

 「しかし、まだ生存者が居るんです! 早く助けないと!」

 「そうだ! この建物なら、みんなで手分けすれば――」

 その正義感と情熱たっぷりの兵に扇動されるように、少年兵達はバラバラに動き出していた。

 それは決して勇気ある行動ではなく、不安を無理に振り払おうとする偽りの積極性。

 ともかく彼らは、次々と奥へと走り去る。

 「おい、待つんだ! おい――」

 そんな俺の声も、虚しくロビーに響くのみ。

 やはりこいつらは、まるで使い物にならない。

 我々はレスキュー隊でも赤十字でもない、軍隊なのだ。

 

 「くっ、これじゃ遠足の引率だ――」

 とっさに、彼らを追い掛けようとする俺――

 しかし左方から響いた微かな物音が、俺の頭の中のスイッチを切り替えていた。

 ――何か、いる。

 続けて、ぐちゅっ、という奇妙な粘音。

 

 「ひ、ひぃ――!」

 少年が恐怖の叫び声を漏らす――そして俺は、息を潜めて音の方向を探っていた。

 何かいるとすれば、人間よりも遙かに小さいサイズ。

 そいつはカサカサと地面を這い、絶えず位置を変えているようだ。

 まずい、ここは机やブースなど、遮蔽物が多すぎる――

 

 ひゅっと、小動物のような何かが物陰から飛び出した。

 大きな蟹、もしくは蜘蛛のような、奇妙な生命体――それは、この星に来る前に渡された資料で見覚えがある。

 「ちっ……一級危険生物か!」

 すかさずパルスライフルを構える――しかしそいつの狙いは、俺ではなかった。

 「しまった……!」

 無抵抗の相手より、武器を持った相手の方が脅威。

 よって、俺を先に狙って来るはず――そんな軍人としての判断は、完全にアダとなってしまった。

 飛び掛かってきた「そいつ」は、俺の横を素通りして、無防備な少年の股間にぴったりと貼り付いてしまったのである。

 間違いない、フェイスハガー娘――この星に発生したという一級危険生物。

 宿主を五回射精させ、そして養分にしてしまうという異星生命体――

 

 「あ、はぅぅぅぅぅ……!!」

 フェイスハガー娘に股間を覆われてしまった少年は、みるみるその顔を快楽に歪ませていた。

 とろんとした目、そして半開きになった口からこぼれ落ちる唾液。

 その股間からは、ぐちゅぐちゅという湿った音が響く。

 彼は今、天にも昇るような快感を味わっているのだ。

 「くっ、待ってろ。今、麻酔薬を――」

 ベストに取り付けられた雑嚢から注射針を取り出そうとする俺。

 「あ、あぁぁぁ――ッ!!」

 同時に少年は快楽の叫びを上げ、その体をビクビクとわななかせる――早くも、一回目の射精に至ったのだ。

 快楽に悶える少年の首筋に針を当て、麻酔薬を注射しようとした時だった。

 「な、これは……!?」

 彼の股間に貼り付いていたフェイスハガー娘が、おもむろに変化を開始したのだ。

 その甲殻類めいた異形の肉体がドロドロと溶け始め、グリーンの粘液状となっていく。

 それはじんわりと広がり始め、まるで浸食するかのように少年の身体を包み込んでいった。

 まるで、アメーバが彼を取り込んでしまうかのように――

 

 「あああああぁぁぁ! ふぁぁぁぁぁぁ!!」

 少年は全身をびくびくと震わせたまま、ゆっくりとその身体を包み込まれていく。

 スライム状のゲルに呑み込まれ、それが足先から頭部まで侵食していくのだ。

 「くっ……!」

 俺はどうすることもできず、その光景をただ眺めるしかなかった。

 少年の身体は完全にスライム状のゲルに包み込まれ、それはぐにゅぐにゅと蠕動している。

 取り込んでしまった人間を、ゆっくりと溶解しているのだ。

 「そんな、どういうことなんだ……?」

 五回射精すれば、宿主の命はない――そういう話だったはずだ。

 しかし今、たった一度の射精で少年はフェイスハガー娘の餌食になってしまったのである。

 「話が違うぞ。これは、まさか……」

 もしかして、新種――なのか?

 なんらかの生物学的変化を遂げて、その生態が変化したとでもいうのか?

 フェイスハガー娘だった粘体は少年の身体を飲み込み、繭状と化してぐちゅぐちゅと蠢いている。

 ――これでは、もう助かるまい。

 

 「うわぁぁぁぁぁッ!!」

 「ああっ! はぅぅぅぅぅぅ……!」

 「い、いいぃぃぃ……」

 建物の奥からは、口々に激しい悲鳴が響いてきた。

 快楽と恐怖の入り交じった、断末魔の喘ぎ声。

 「まずい、奥にも――!」

 あのヒヨコ達が向かった先にも、複数のフェイスハガー娘がいたのだ。

 しかも今の叫び声からして、もう股間に貼り付かれて――

 

 「くそ、何てことだ……!」

 パルスライフルを構え、即座に奥へと駆け出そうとした――ちょうどその時だった。

 物陰から、ひゅっと飛び掛かってくる小型生物の影。

 蜘蛛のような蟹のような不気味な形状――その狙いは、俺の下半身。

 「ちッ……!!」

 フェイスハガー娘――もう一匹いたのか。

 こいつに貼り付かれたら、もう終わりだ。

 どんな男でも耐えられない快楽を与えられ、精液を搾り出されてしまうのだ――

 それがどれほどの快感なのか、少しだけでいいから味わってみたいと思う俺がいた。

 抵抗しない――それだけで、天にも昇る感覚が体験できるのだ。

 

 雑念を振り払う

 味わってみよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「くっ――!」

 俺は心の中に沸き上がった奇妙な雑念を押さえ、飛来してくるフェイスハガー娘に弾丸を叩き込んでいた。

 平常心さえ維持していれば、見切れないような動きではない。

 銃弾は奇怪な生物の腹を貫通し、地面に叩き落としてしまう。

 「キィィィィ……!!」

 奇怪な悲鳴を上げながら、緑色の体液を撒き散らせつつ地面に落ちるフェイスハガー娘。

 つんと鼻につく甘い臭気が、さらに濃くなった。

 「この匂いは……こいつの体液か?」

 地面に落ちたままひくひくと痙攣していたフェイスハガー娘は、引っ繰り返ったまま動かなくなった。

 完全に絶命していることを確認し、俺はその死骸を覗き込む。

 蟹で言えば甲羅に位置する背中側は、女性の顔のようなものが備わっていた。

 そして腹側は柔らかそうな肉に覆われ、その真ん中には奇妙な肉腔が開いている。

 おそらく、あそこで男性器を包み込んで――

 

 「……そうだ、あいつらは!?」

 こうしている場合ではない、部下達は勝手に先へ進んでしまったのだ。

 俺はフェイスハガー娘の屍をその場に打ち捨て、警戒を怠らないままに奥へと急ぐ。

 ロビーを抜け、非常階段に出て――

 「……畜生」

 非常階段に広がっている光景を一瞥し、俺はそう吐き捨てていた。

 階段の斜面から踊り場にかけて転がっていたのは、無数の繭。

 グリーンの粘液が固まって出来た、生きた棺桶。

 その周囲には、パルスライフルやヘルメット、背嚢といった装備品が転がっている。

 この繭の中身は――いや、中身だったのは先行した少年兵達であることは間違いない。

 

 「ん……? おい、大丈夫か!?」

 そんな中で、たった一人生存者が居た。

 「あ、あひぃぃぃぃ……!」

 彼は肉に包まれた壁に股間を押し当て、その軟肉にペニスを包まれている。

 いや――肉棒のみならず、下腹や胸、両手なども肉壁に埋もれていた。

 「聞こえてるか? おい!」

 「あぐ、あぐ、あぁぁ……」

 少年兵は唾液を垂れ流しながら、肉壁にその身を預け続けている。

 こいつは確か、この建物に入った時に掌を肉壁にうずめてしまった少年――

 彼は俺の言葉も聞こえない様子で、恍惚に浸っている。

 「ひぐ……ああぁぁッ!!」

 その体がびくびくと跳ね上がり、股間を壁にきつく押し付けていた。

 ペニスがより深く肉壁に埋まり、その根本がびゅくびゅくと痙攣する――射精してしまったのだ。

 「これは……?」

 すると、肉壁が蠢いて厚みを増した。

 じゅくじゅくと広がり、それは天井にまで浸食していく。

 「精液を吸って、成長してるのか……?」

 この公舎のみならず、あちこちの建築物を覆っていく粘肉。

 それは精液を吸い取り、自己培養されていくもののようである。

 ともかく――

 

 「おい、正気に戻れ!」

 俺はそいつの頬を強くはたき、壁から引き剥がそうとした――が、ビクともしない。

 壁自体が、彼の体を取り込んでしまって離そうとしないのだ。

 どうも、身体の一部が肉壁と同化してしまっているらしい。

 「あ、あぅぅぅぅぅ……」

 そして少年兵は、もはや正気を失ってしまったようだ。

 無理に引き剥がすと危険かもしれない上に、彼を背負ったまま行動するほどの余裕など今の俺にはない。

 「畜生、なんてことだ……!」

 胸を渦巻く幾多の感情をこらえ、俺は唇を噛んでいた。

 結局のところ、事実上の全滅。

 部下をこんな形で死なせてしまうなど、最悪の失態である。

 そもそも、軍人として使い物にならない連中だったのは明らかだったはずだ。

 それが分かっていながら、なぜこんな末路を歩ませることしか出来なかったのか――

 「くっ……!」

 俺はあらためて、階段に転がる繭を見回した。

 この世のものではないほどの快楽を味わいながら昇天したのが、せめてもの救いだろう。

 ともかく、この現実を俺は受け止めなければならない。

 そして、なんとしても残る兵員でこの星を脱出しなければ――

 

 

 

 その忌まわしい階段を上がり、最上階の三階に辿り着く。

 生存者がいるのかどうか、積極的に探すことはしなかった。

 仮にいたとしても、俺一人では助けることもできないのは明らかだからだ。

 ともかく増援を呼び、大部隊をこの星に派遣してもらうしかない。

 そのためには、救難信号を送らなければいけないのだ。

 アンテナの近い最上階に、星間通信が可能な施設があるはずだが――

 「しかし、この状態じゃあ……」

 壁のあちこちには粘液や肉が絡み付き、不気味な体組織に浸食されている。

 このような状態で、通信機器は無事なのだろうか。

 「……この階、突き当たりか」

 案内板で通信室の位置を確かめ、肉と粘液でぬめった廊下を進む。

 それでも一階よりはまだマシで、壁や天井の地肌が見えている箇所も多い。

 そして突き当たりには、奇跡的に肉で塞がれていないドアが見えた。

 粘液でぬめるノブを回し、ゆっくりと扉を開ける――

 

 「……」

 いきなり中に足を踏み入れるほど、俺は呑気ではない。

 パルスライフルの銃口だけを室内に滑り込ませ、素早く周囲に這わせる。

 右方、左方、真上、物陰――奇妙な気配はない。

 「……やれやれ、ここもか」

 部屋の中にはやはり肉や粘液が絡み付き、異界同然となっていた。

 大型の通信装置と、三つほど並んだパイプ椅子。

 部屋の隅には、繭の残骸のようなものが転がっていた。

 今までに何回か見てきた繭が、内部から裂かれたかのように引き裂かれて転がっているのだ。

 「これは――」

 ――と、ここで俺はあらためて思い至る。

 おそらく、無意識のうちに考えるのを避けていたのだが――

 この繭から産まれたのは、いったい何者だ?

 フェイスハガー娘の成体――それは、どんな生物だ?

 そして、どこにいる?

 

 俺は最大限に警戒しながら、そう広くもない通信室に踏み込んでいた。

 何者の気配もなく、物音もない――それを確認しながらも、決して警戒は解かない。

 そして俺は、通信装置の前に立っていた。

 「これは……使えるのか?」

 大型の星間無線機にも粘液が糸を引いて絡み付き、肉がまとわりついている。

 電源スイッチを押してみるものの――起動する気配は、全くもってなかった。

 室内のライトは点っているので、電源自体は来ているはずだ。

 「くそ……!」

 半ば投げ槍にボタンをあちこち押してみるものの、何の変化も見られない。

 やはり、機器自体が故障しているようだ。

 「ここまで来て、無駄足だったか……」

 この公舎の通信装置は使えない――となれば、残るは軍隊の駐留所か宇宙港。

 もしくは、いったん異星揚陸艦の墜落地に戻るという選択肢もあるか。

 「……やれやれ、散々だな」

 あれだけ被害を出しておいて、この始末。

 しかし、悲嘆する余裕も愚痴を言う暇もありはしない。

 俺は通信室を出て、来た道をただ引き返すのみだった。

 

 

 

 

 

 再び廊下を進む――そして一歩を踏み出した瞬間、来た時とは違う雰囲気を感じ取っていた。

 じっとりとした、粘り着くような視線。何者かが、どこからか俺を見ている――

 

 くすくすくす……

 

 「誰だ……!?」

 続けて聞こえてきた奇妙な笑い声に、俺は足を止めていた。

 そして、肉とグリーンの粘液がまとわりつく周囲の光景を見回す。

 ベンチにゴミ箱、台の上に転がる何かの申込用紙とペン。

 肉と粘液さえなければ、ごく普通の役所の風景。

 ざっと見た限り、隠れられそうな場所はどこにも見られないが――

 今のは、確かに女の声。背筋が凍り付くような、不気味な笑い声だった。

 

 くすくすくす……

 

 ――後ろか?

 とっさに向き直った俺だったが、そこにはあちこち肉に取り込まれた壁が広がっているだけ。

 壁には納税に関するポスターが貼ってあり、その下部には通風口が開いていた。

 やはり、そこには何者の姿もない。

 

 くすくすくす……

 

 「生存者か? こちらは海兵隊大尉ケージ・スドウ。

  ただちに姿を現せ。事情でそちらから動けないのならば、その旨を言葉で伝えろ」

 俺は、姿の見えない相手にそう呼び掛けていた。

 返答を期待してのことではない、ただの手続きだ。

 「さもなければ――敵対する者とみなし、排除する。5秒数えるぞ。5、4……」

 

 くすくすくす……

 

 俺のカウントダウンをあざ笑うように、笑い声は廊下に響いていた。

 その声は静かな廊下に何重にも反響し、不気味な残響音となる。

 

 「3、2、1……ゼロ。了解、貴様を敵と認識した」

 タクティカルベストから素早く手榴弾を抜き出し、ピンを抜いてそのまま真下に落とす――

 それをサッカーボールのように膝で受け止め、そして通風口に蹴り込んでいた。

 その直後、奥から響く爆発音。

 通風口の奥に蹴り込まれた手榴弾が、その中で炸裂したのだ。

 

 「……!!」

 次の瞬間、通風口から一つの影が這い出てきた。

 まるで海中を泳ぐ海蛇のような、奇妙で迅速な動き。

 その背から、しなやかなムチのようなものが振るわれる。

 「……ッ!」

 俺は体勢をかがめてそれを避けると、パルスライフルでの銃撃を叩き込んでいた。

 影はしゅるしゅると高速で床を這い、連射される弾丸の間を縫うように避けてしまう――

 かなり大きい、人間ほどのサイズはある生物だ。

 

 「くすくすくす……」

 それが俺から数メートルの距離を取って直立した時、俺も撃つのを止めていた。

 人間ほどの大きさがあって当然――そいつは、人間によく似た姿をしていたのだ。

 動いている時はどこか爬虫類的だが、直立すると人間そのもの。

 それも、女――何の冗談か、とんでもなく妖艶な美女だった。

 年齢は二十代前半、髪はブロンドでその長さは腰まで届くほど。

 衣類の類はまったく纏っておらず、肉感的な裸体をまるで隠そうとしない。

 男の悲しい本能か、まずその豊満な胸、次に陰部に視線をやってしまう。

 「おいおい、何の冗談なんだ……?」

 しかし、この女が人間でないことは一目で分かった。

 体のあちこち――例えば背中や肩、手の甲や腕の外側にあたる部分の皮膚が硬質化し、黒い甲冑のようになっている。

 どこか昆虫的な、甲殻類を思わせる皮膚が背中や肩、上腕などに広がっていたのだった。

 それでいて下半身や頭部、胸、腹、掌、腕の内側に当たる部分は女性特有の柔らかな肉感そのもの。

 また尻からぶら下がっている長い尻尾は、甲殻類のようでありながらしなやかに動き回っている。

 ――間違いない。

 この生物こそが、あのフェイスハガー娘の成体――

 

 「言葉は、通じるのか……?」

 「ふふ、あはは……」

 俺の言葉に全く反応を示さず、異形の女は笑った。

 これは、まるで意志が通じていない。

 おそらく、言葉を介するほどの知能はないのだ。

 あの不気味な笑い声は、鳴き声のようなものだろう――

 

 「くす、くすくす……」

 異形の女は艶やかな唇を歪め、にぃ……と笑った。

 ぞっとするほど淫靡な笑み、男の本能が掻き立てられる妖艶な表情。

 そしてその唇から、ピンク色の舌がれろりとこぼれ出た。

 それは長く、長く伸び――その顎から首、そして胸の谷間へと伸びていく。

 「……何をしている?」

 れろ、れろろろろ……

 そのピンクの舌は、まるで蛇のように異形の女の体を這う。

 唇からは、水飴のように濃い唾液がだらりと滴っていた。

 それは舌にもたっぷりと絡み、まるで見せ付けるようにじゅるじゅると蠢く。

 甘い芳香が、むん、と濃くなった。

 「うぐ……」

 その奇妙な香りに、俺は脳が痺れるような不快感を受ける。

 いや――むしろ、これは快感に近いのかもしれない。

 判断力を狂わせ、男を惑わす嫌な匂い――

 

 「ふふふ……」

 異形の女は舌を伸ばし、れるれるくちゃくちゃと意図的に淫らな音を立てていた。

 その動作の意味するところは一つ――男を誘っている。

 この女に身を任せれば、あの自在に蠢く舌でペニスを舐め回してもらえるのだ――

 

 「くっ……!」

 ――何を考えているんだ、俺は。

 やはり、この匂いだ。

 奴から放たれているフェロモンじみた匂いが、正常な判断力を衰えさせているらしい。

 

 「うふ、ふふふふふ……」

 れろれろ……じゅるるるるる。

 ねっとりと唾液の糸を引きながら、2メートル以上に伸びた舌が女体を淫らに這い回る。

 あの舌で肉棒を舐め回してもらったら、どれほど気持ちいいのだろうか――

 少しでも気を抜けば、そう考えてしまっている。

 そして、舐めてもらうのは簡単だ。

 あの女に、ペニスを見せ付ければいい――それだけで、ねっとりと舐め尽くしてくれる。

 俺は異形の女の動作から、そう確信していたのだった――

 

 誘いには乗らず、戦闘を開始する

 ズボンを下ろし、舐めてもらう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何を考えているんだ、俺は――!

 雑念を振り払うように、目の前の怪物目掛けてパルスライフルを乱射していた。

 異形の女は一瞬で反応し、やはり爬虫類じみた動作で身をかわす。

 素早い横移動を繰り出し、壁スレスレを駆けながら細腕を振るってくる女――

 

 「……!?」

 不意に、その右腕がビキビキと変化していた。

 手の甲側が硬質化している以外、しなやかな女性そのものだった手。

 その爪が伸び、鋭く尖り、まるで鉄の熊手のごとく変貌していたのだ。

 殺傷力を備えた凶器と化した右腕が、俺の顔面へと迫る――

 

 「くっ……!」

 スライディングするように体勢を低くし、とっさにその攻撃を避ける。

 俺の頭上をかすめていった一撃は、壁に横一文字の爪痕を形作っていた。

 あんなものをまともに食らえば、頭蓋骨ごと真っ二つだっただろう――

 

 ――ひゅっ、と風を切る音が耳を付く。

 今度は、頭上から鋭い尻尾が迫ってきたのだ。

 「ちっ、速いな……」

 とっさに飛び退くと同時に、その強靱な尻尾での打撃が床を穿つ。

 コンクリートの床面はぴしりと砕け、階下へ貫かんほど強烈な一撃。

 やはりこれも、直撃してしまえば致命傷は免れまい。

 「化け物め……」

 その驚くべき敏捷性と、凄まじいまでの怪力。

 華奢な女の姿をしていながら、その戦闘能力は人間とは段違いのようだ。

 こんな化け物がいるなど、聞いていなかった――

 

 「くす、くすくす……」

 怪物はその尻尾と両腕を振り回し、連続で攻撃を仕掛けてくる。

 一撃一撃が即死級の攻撃、俺はその軌道を見切って避けつつパルスライフルを発砲した。

 しかし次の瞬間に敵は素早く移動し、攻撃を繰り出してくる――

 つまり、どちらの攻撃も互いの体に届かない攻防。

 ただし俺は攻撃を受ければ即死するのに対し、向こうは数発の銃撃でくたばるか怪しいものだ。

 「持久戦は、勘弁だな――」

 仕方なく、俺は積極攻勢に移る。

 異形の女はその長く伸びた舌をしならせ、ムチのように振るってきた。

 その舌の動きは恐ろしく速いが、直線的で単調。

 俺は素早く踏み込むと、パルスライフルに装着された銃剣でその舌を断ち切ってしまう。

 「ふふ、あはははははは……」

 グリーンの粘液を飛び散らしながら千切れ飛び、べちゃりと床に転がった舌――

 それでも、異形の女は痛みを感じる様子すら見せない。

 爪や髪のように神経が通っていない箇所なのか、それとも痛覚そのものが存在しないのか。

 ともかく俺は舌を切断した勢いのまま、一気に深い間合いまで踏み込んでいた。

 

 「もらった――!」

 俺がパルスライフルを構えた瞬間、そいつは口をぱっくりと開けた。

 水飴のような唾液がたっぷりとしたたる、扇情的な口内――

 その奥から、何か触手のようなものが飛び出してきた!

 

 「ッ……!?」

 なんとか回避が間に合い、俺はその槍のごとく鋭い一撃を紙一重で避ける。

 一瞬、それは舌だと思った。

 しかし奴の口から飛び出したのは、なんと一回り小さなもう一つの口。

 口内にもう一つの顎を隠し持っており、それを伸ばして食らいつかせた――

 おそらく、この生物の切り札なのだろう。

 「くすくすくす……」

 まるで、巨大な口を備えた目のない蛇が口内から飛び出したようなもの。

 そんなもう一つの口にも小振りながら歯が備わり、舌さえある――

 その隠し顎はくちゅくちゅと口を開けたり閉じたりした後、するすると本来の口に戻っていった。

 やはりこの女は、いくら見た目が人間に近かろうが怪物そのものなのだ。

 

 「……くッ!」

 そんな隠し顎の一撃を避けた刹那、二段攻撃のように左方から尻尾が迫ってきた。

 まるで、その尻尾で俺の体を抱き込むような軌道。

 おそらく、俺が背後に飛び退くことも計算に入れているのだ――

 

 異形の女にあえて接近することで、尻尾での攻撃を避ける

 それでも、背後に飛び退いて避ける

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……!」

 俺は床を蹴り、異形の女の間合いまで一気に踏み込んでいた。

 俺の体を捕らえるはずだった尻尾は虚しく空を切り、奴の狙いは損なわれたのである。

 「あは、はは……!?」

 一歩、遅れた――

 異形の女は、今ので勝利を確信していただろう。

 しかしそれを避け、奴の前に立った――向こうの反応は、一歩遅れた。

 

 俺はパルスライフルを構え、その出力を最大限まで上げる。

 そして、奴の胴体に――ではなく、頭上に弾丸を叩き込んでいた。

 一歩程度の遅れに乗じたところで、当たるのは数発程度。

 この異形の怪物を片付けるのに、おそらくそれでは足りない。

 

 「ふふ……?」

 飛び退こうとしていた異形の女は、俺の行動を読み損ねてまごついていた。

 ――と同時に、真上目掛けて発射された弾丸が天井を破壊する。

 榴弾モードで発射された銃弾が、天井の建築材にダメージを与えたのだ。

 そして、ガラガラと崩れ出す天井。

 真上から降り注いでくる、コンクリートの破片。

 

 ――二歩、遅れた。

 奴は、天井から降り注ぐコンクリートの雨に一瞬ながら気を取られてしまった。

 それを狙ってやった俺と、まるで意図していなかった異形の女。

 その差は、奴の大きな隙となって現出したのだ。

 俺自身もコンクリートの破片を避けつつ、隙だらけの相手に銃口を向ける――

 

 ――と、そこで俺の本能が警告していた。

 この距離から奴を蜂の巣にすれば、その返り血を全身に浴びることになる。

 もしかしたら、毒性が含まれているかもしれない体液――それを浴びるのは危険だ、と俺の本能は判断していたのだ。

 

 距離を置いてとどめを刺す

 それでも、至近距離で弾丸を叩き込む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺はタクティカルベストから手榴弾をまとめて三個取り出し、ピンを抜いて床に転がした。

 同時に身を翻し、爆風の届かない距離まで飛び退く――

 真上から降り注ぐコンクリの破片に気を取られていた女は、足元の手榴弾に反応できなかった。

 次の瞬間、手榴弾が三つまとめて炸裂し、周囲を爆音と衝撃が支配する。

 

 「さすがに、効いたみたいだな……」

 爆発の瞬間、女の体が四散するのを俺は確かに確認した。

 普通の人間よりも強靱な肉体だったようだが、火薬を増量した特製手榴弾を至近距離で食らえばひとたまりもなかったようだ。

 女の肉体は原型もとどめないほどに爆砕し、肉片と化してびちゃびちゃと周囲に飛び散っていた。

 あたりには緑色の粘液――あの生物の血液が撒き散らされ、むせるほど甘い匂いが漂う。

 「うぐ……」

 その匂いに酔いそうになり、俺は思わず口許を押さえていた。

 至近で攻撃を加えていたら、この得体の知れない粘液を全身で浴びるところだった――

 

 かさり……

 かさかさ。

 かさかさかさかさかさかさ。

 

 「……!?」

 唐突に、あちこちから奇妙な物音が響き始めた。

 通風口の中、通路の先、天井の方からも――

 「くすくす……」

 「ふふふ……」

 「あは、あははは……」

 そして、例の奇妙な笑い声。

 俺は唾を飲み、パルスライフルを構え直す。

 通路の先から、先の女と同種の生物が姿を現していた――それも三匹。

 人間女性の顔が個人によって違うように、奴等の顔や体つき、髪の色も違うようだ。

 共通点は、いずれも魅惑的な女性の姿といったところだろうか。

 「ちっ、まだ来るのか……」

 その三匹に続いて、通風口からもずるずると一匹が這い出してきた。

 さらに、さっき天井に開けた穴からも一匹――

 

 「何匹いやがるんだ……」

 爆音を聞き付けたのか、それとも周囲に飛び散った同胞の体液を嗅ぎつけたのか。

 奴等は肉塊となって散らばっている同胞の死骸には目もくれず、俺の方に熱の籠もった視線を向ける。

 好色そのものの視線と、口許に浮かんだ淫靡な笑み――

 「流石に、これは数が多いか……」

 さっきの奴と同じレベルの相手、そしてこれだけの数相手では面倒だ。

 俺はさっと背を向け、突き当たりの窓に向けて突進していた。

 そのままパルスライフルを前方に叩き込み、窓ガラスや窓枠をまとめて吹き飛ばす。

 「くす、くすくす……」

 「あはははは……」

 奇怪な笑い声を背中で受けながら、俺は窓から身を踊らせていた。

 幸いにしてここは三階、大した高さではない――

 俺は空中で身を翻し、公舎前歩道の路面に着地する。

 そして公舎の窓からは、俺を追って飛び降りようとしている怪物達――

 

 「食らえ……!」

 俺は着地ざまにパルスライフルを構え、その窓に弾丸を叩き込んでいた。

 一匹の頭がスイカのように弾け、残る怪物達は弾丸を避けようと建物内に引っ込んでしまう。

 同時に俺は周囲を見回し――そして、枯れた街路樹の脇に倒れていたバイクに目を付けた。

 キーは付けっぱなしで、見たところ壊れてはいなさそうだ。

 「頼むぞ、走ってくれよ……!」

 俺はそのバイクを起こし、素早く跨るとエンジンを掛けた。

 幸いにして燃料は残っていたらしく、特に故障もないようだ。

 「よし……!」

 もう、ここに用はない――

 俺はアクセルを噴かせ、そのまま公舎を後にしたのだった。

 

 

 

 ただでさえ広い大通り。ましてそれが無人ともなれば、なおさら広く感じられる。

 どの建物にもグリーンの粘液や肉が粘り着き、奴等の巣と化していることは間違いない。

 ゴーストタウンと化した町の大通りをバイクで駆けながら、俺は言い知れない孤独感にさいなまれていた。

 そして、あの公舎で見た数々の怪異が思い起こされる。

 繋がらない通信、全滅した部下、そして女の形をした怪物――

 間違いない。この星の住人達は、あの怪物どもに襲われたのだ。

 

 「ったく、とんでもないことになってきたな……」

 ともかく、外部に連絡を取らなければどうしようもない。

 俺一人やロゼット、そして負傷者をも含んだヒヨッコどもでは荷が重すぎる事態だ。

 植民省公舎の通信設備が使えないとなれば、後は駐留軍施設か宇宙港――

 もしくは、いったん異星揚陸艦の墜落地点に引き返すという選択肢も考えられる。

 

 「ここはやはり……駐留施設だな」

 もしかしたら、駐留軍施設には生き残りがいるかもしれない。

 俺に軍務のイロハを叩き込んでくれたオリファー少佐ならば、あんな怪物の一匹や二匹程度、軽く始末してしまうだろう。

 問題は、敵の数が一匹や二匹ではないことだが――

 「宇宙港は近寄りたくないな……それに、墜落場所も無駄足か」

 ともかく、宇宙港は目的地としてまずい気がする。

 こういう異星危険生物の侵入事故が勃発した際、そのルートはたいてい港。

 ゆえに、宇宙港は奴等の巣窟になっている可能性が高い――すなわち、かなり危険度が高いと言える。

 いったん墜落地点に戻り、ロゼットと協議するというのも良い選択ではないだろう。

 どうせ外部と早急に連絡を取らなければならないのだから、結局は無駄手間だ。

 色々と考慮すると、向かうべき目的地は自然と限られるが――さて、どうするか。

 

 軍の駐留施設へ向かう

 危険を覚悟で宇宙港に向かう

 それでも墜落地点へ引き返す

 


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