フェイスハガー娘


 

 

 

             ※            ※            ※

 

 

 

 「オリファー少佐、全区画の閉鎖を完了しました」

 「そうか、よくやってくれた……」

 疲れた顔を隠しながら、オリファーは部下の功をねぎらっていた。

 ここは、惑星プロロフィル軍駐留施設の車庫。

 二人の若い男と三十代前半の隊長が、顔を突き合わせて座り込む。

 封鎖が完了すれば、もはや他に行うことはない――ただ、息を潜めるだけだった。

 

 リーダーの名は、オリファー・ノーマン少佐。

 歴戦の勇士であり、それなりに名の知れた軍人である。

 しかし幾多の修羅場を経験してきた彼でさえ、ここまで苦境のは初めてだった。

 そして残る二人の若者も、相応の実力と勇気を備えた勇士である。

 二百人の駐留軍の中で、最後まで生き残った者達――そうである以上、優秀で当然かもしれない。

 

 「隔壁の強度からして、おそらく三日は持ちません。それまでに、救援が来なかったら――」

 「来るさ……必ず来る」

 そう断言しながらも、オリファーは懐にしまったディスクを無意識の内にまさぐっていた。

 このデータディスクには、この星を襲った怪異――それを記録したレポートが収められている。

 自分達が全滅した後でも、誰かにそれを伝えるために――

 

 オリファーは口にこそ出さないが、もはや生還は期待していなかった。

 もはや四面楚歌、籠城するにも食料はなし。城壁代わりの隔壁は、もって三日程度。

 武器も人員もほとんど残されておらず、外部とは連絡が取れない――

 絶望を味わっていたのは、この災禍の中で生き残った腹心二人も同じ。

 もはや、希望は失われていたといっていい状況なのである。

 

 「しかし、残るはたった三人とはな……」

 「随分と、第四一九駐留部隊も寂しくなったものですね」

 嘆息混じりに、部下の一人は告げる。

 フェイスハガー娘の成体――システィリアン達の襲撃で、ほとんどの兵士達は命を奪われた。

 繭にされ、犯され、捕食され――その巣に連れ去られた者も多いが、人間的な扱いは受けていないだろう。

 まだ快楽の中で死ねた者はマシな方で、システィリアン達の戦闘能力の前に無惨な死を遂げた者も多い。

 誘うような淫靡さを見せるシスティリアンに魅了され、自ら進んで餌食となってしまった者さえいる。

 そのうちに、残るは三人だけになってしまったのだ。

 このガレージに閉じこもり、隔壁を降ろして死を待つのみ――そんな絶望的状況。

 

 「どうせ死ぬなら……最期にイイ思いしたいッスねぇ」

 部下の一人であるモンドはそう軽口を叩き、ぱっと口を押さえた。

 「いや、失言ッス。そういう意味じゃなくてですねぇ……」

 モンドのそんな失言に気を咎めず、オリファーはむしろ乾いた笑みを見せた。

 「そういう最期が好みなら、俺は止めんぞ? 向こうも温かく迎えてくれるだろう」

 「さよなら、モンド。お前が最期に快楽を選んだってこと、無事に救助された折には皆に伝えないとな」

 冗談めかしつつ、もう一人の生き残り――エドウィンも告げる。

 「少佐も、エドウィンも……冗談ッスよ! 俺は人間として死にますんで、よろしく」

 「……まあ実際のところ、死に方を選ぶのも個人の自由だ」

 オリファーは、不意に真顔で言った。

 「苦痛の多い死より、快楽に満ちた死を選ぼうとも止めはせん」

 「やだなぁ、少佐。ここまで来たんだから、最期まで足掻き抜いてやるッスよ。

  誰が、システィリアンどもの獲物になんかなってやるもんか――」

 「モンドの言う通り。それに、まだ助けが来ないと決まったわけでもありません」

 エドウィンは沈着冷静な表情を崩さず、パルスライフルを握る手に力を込める。

 「うむ……」

 オリファーは軽く頷き、頼りになる部下達に何かを言おうとしたその時――不意に、ガラガラと重い音が響いた。

 ガレージの四方を囲んでいる隔壁が、何の前触れもなく地面にせり下がっていったのだ。

 三人の閉じこもった城を守る最後の城壁は、いともあっさりと効力を失ったのである。

 「隔壁が……開いた?」

 ――そう。破られたのではない、開いたのだ。

 電子ロックを解除するか、もしくは物理的な力で破壊するかしない限り突破できない隔壁。

 それが、まるで冗談のように開けられてしまったのである――

 

 「システィリアンの仕業か……!?」

 パルスライフルを片手に、すかさず立ち上がるモンド。

 いや――奴等に、そこまでの知性があるのか?

 乱数から組み上げられたパスワードを割り出し、それを入力するほどの知能が?

 「いや、救援では……?」

 続けて、怪訝な表情を浮かべながらも立ち上がるエドウィン。

 救援ならば、隔壁を解除するまでに一切の無線連絡がないのが腑に落ちない。

 何か、嫌な予感がする――

 

 「モンド、エドウィン、油断するな……」

 オリファーはパルスライフルを構え、息を潜めて周囲を見回した。

 開いた隔壁から、システィリアンがどっと侵入してくる様子はない。

 やはり、奴等ではないのか。

 ガレージの外は、驚くほど静かだった――

 

 「……ん?」

 一瞬だけ、視界の端に何かが動いた気がした。

 「何だ、今のは……?」

 見間違いか?

 そこには、何の異変もない。

 「どうしました、少佐……?」

 「いや――」

 次の瞬間、視界の端がまたもや微かに揺らいだ。

 やはり、何か居る――!

 

 「モンド! エドウィン! 気をつけろ……!」

 「いますか、奴等が……?」

 二人の部下は、連中の潜みそうな狭いところに視線を這わせる。

 通風口や天井の隙間――システィリアンの好みそうな空間。

 しかしそこには、何も潜んでなどいない。

 「どうしたんっスか、少佐? 奴等の影は、どこにも――」

 そう言い掛けたモンドの胸から、棒状の何かがずぶりと突き出した。

 やや遅れるように、鮮血がぶしゅりと周囲に飛び散る。

 

 「がッ……!」

 「モ、モンド!!」

 突然の事態に、呆気にとられるオリファーとエドウィン。

 モンドの胸を貫いたのはシスティリアンの尻尾でも舌でもなく、銀色のスピアだった。

 先端が鋭利に尖った、3メートルほどの長細い槍――それは、明らかに人工物。

 そしてオリファーの目は、モンドの背後で、何かが地面を蹴って跳躍するのを捉えていた。

 今のが、彼の背後からその胸を串刺しにした張本人――

 「な、何だ……!?」

 エドウィンがそう叫ぶと同時に、モンドはずしゃりと地面に倒れ伏す。

 その体が僅かに痙攣して、たちまち動かなくなる――即死だった。

 「そんな……! いったい、何が!!」

 「システィリアン――なのか?」

 オリファーは、モンドを一突きにした敵の姿を一瞬ながら捉えていた。

 後方の風景と混じったように透けているという、異様な姿。

 まるで全身がガラスでできているかのようで、人型の輪郭のみが確認できたのである。

 今のは、新種のシスティリアンか? それとも――

 

 「エドウィン、気をつけろ……敵は透明だ」

 「と、透明……?」

 「カメレオンのような保護色か、もしくは――光学迷彩」

 「光学迷彩ですって……!? システィリアンが、そんなものを使うはずが――」

 その刹那、かさり……と、頭上から物音がした。

 「上だ、エドウィン!!」

 「くっ――!」

 エドウィンが真上に銃口を向けるよりも早く、敵は地上に着地していた。

 その生物が地面に足を下ろすと同時に、エドウィンの右肩からぶしゅりと血が吹き出る。

 「あぐ……、少佐ぁ……」

 「エドウィン……!!」

 その透明の襲撃者は、鋭利な刃の着いた円盤のような武器を手にしていた。

 大型の手裏剣にも似た武器で、着地ざまにエドウィンを斬り裂いたのである。

 その一撃は右肩から胸、腰のあたりまでを縦に裂き、一瞬で致命傷を与えたのだった。

 

 「なんだ、貴様は……!!」

 得体の知れない襲撃者目掛けて、オリファーはパルスライフルを撃ち込む。

 しかし相手は驚くべき敏捷性で、その弾道を見切って跳躍していた。

 「くっ……!」

 そいつはたちまち周囲の風景に溶け込み、その姿を見失ってしまう。

 何だ、この敵は……?

 スピア、円盤状の武器、光学迷彩――いずれも、システィリアンの知性で扱えるものではない。

 それどころか光学迷彩など、我々人類の技術ですら実現していないのだ。

 間違いない、相手はシスティリアンなどではありえない。

 そんなものより、もっと手強い相手――

 

 「……」

 殺意を持った相手が、どこにいるのかも分からないという状況。

 オリファーは、森林でのレンジャー訓練を思い出していた。

 目隠しをした状態で、五人の相手を倒せという無茶な訓練だ。

 自分は軍人であり、武道の達人になりたいわけではない――そう思いながらも、達成している自分がいた。

 音と気配だけを頼りに、敵を倒す――その訓練は、事実上の精神鍛練。

 まさか、実戦でその技術を用いるとは思いもしなかった――

 

 「……ッ!!」

 背後に何者かが降り立った気配――瞬時にオリファーは身を逸らしていた。

 その背に、スピアが紙一重で掠っていく――カウンター気味に、オリファーは銃撃を叩き込んでいた。

 「――――!!」

 今度は、謎の襲撃者が押し殺した声を漏らす番だった。

 しかし、手応えはない。

 おそらく向こうもギリギリで射線を見切り、紙一重で避けたようだ。

 信じられない身のこなし、システィリアンのように強靱な肉体性能だけでゴリ押ししてくるのとは訳が違う。

 鍛練され、研ぎ澄まされた武技を備えた相手であることは間違いない。

 そいつは、再び距離を置こうと飛び退いた――

 

 「逃がすか……!」

 おそらく、同じ手段はもう通用しない。

 今度見失ったら、もはや勝機はなくなると言っていい。

 オリファーはすかさずパルスライフルを構える――と同時に、敵が何かを一閃させた。

 それは、エドウィンを仕留めた円盤状の武器。

 形状からして、本来は投擲させて使うもの――

 

 「くっ……!」

 オリファーは顔面向けて投げられたその円盤を、ギリギリで頭部を後方に逸らして避けていた。

 額を掠り、鮮血が飛び散る――それにもひるまず、前方の敵にパルスライフルの照準を合わせる――

 次の瞬間、左肩を重い衝撃が襲った。

 「な……、が……ッ!」

 それは、背後から受けた鋭利な一撃。

 攻撃を受けた位置から、オリファーは何が起きたかを瞬時に察する。

 さっき投げた円盤状の武器――あれが弧の軌道を描き、ブーメランのように戻ってきたのだ。

 そして、無防備だった肩に直撃してしまったということ。

 うかつだった。あの投擲武器の形状を見て、察するべきだった――

 「くっ……してやられたか」

 パルスライフルを取り落とし、オリファーはがくりと地面に膝を着く。

 なんとか立ち上がろうとしたが、実際の動きはまるで逆。

 そのまま、仰向けに倒れ込んでしまっていた。

 傷はかなり深く、肩ばかりか肺にまで達しているだろう。

 出血も非常に多く、これはもう助かりそうにない――

 

 「……」

 透明な襲撃者は、地に倒れ伏したオリファーの前に立つ。

 注意深く見れば、それが人型をしているのがはっきりと分かった。

 「……なん、だと?」

 次の瞬間、オリファーは衝撃な事実に気付く。

 正面に立つ人物以外に、左方の少し離れたところにも一体。

 壁にもたれるようにしながら、やはり透明な人物が存在していた。

 いや、それだけではない――

 右方にも、距離を置きつつもう一体が立っている。

 全部で、三人もいたのか――

 

 「……どういう、わけだ?」

 言葉が通じるかどうかは考える余裕もなく、オリファーは薄れ行く意識の中で呟いていた。

 仲間が三人いるのに、なぜ同時にかかってこなかったのか。

 オリファーが一瞬だけ相手を追い詰めた時も、残る二人は加勢の様子すら見せなかったのだ。

 まさか、異種生命体の分際で正当な勝負にこだわっていたというわけでもあるまい。

 

 「――――」

 不意に、正面に立っていた透明の人型がばちばちと放電に包まれた。

 そして、透けていた姿がブゥーンという音と共に可視化していく――

 肩当てに胸甲、手甲、腰当て――シルバーの金属素材で形作られた、軽装の鎧のような装着物。

 右手には三メートルほどもある細いスピア、その両先端に刃が備わっている。

 ダキアやケルトの古代戦士を思わせる装束に、混然と調和した近未来的な武装。

 そして襲撃者は、顔全体をすっぽりと多うマスクのような防具を被っていた。

 それはガスマスクをも思わせる不気味な形状で、その隙間からは肩ほどの長さの銀髪が覗いている。

 やはり、人間に酷似した肢体を持つ異星生命体――

 しかしその体格は意外にも華奢で、背などはオリファー少佐よりもかなり低い。

 むしろその肉付きやボディラインは、女性としか思えなかった。

 

 「そうか、お前は……いや、お前達は……」

 なぜ、三人で同時に襲ってこなかったか――

 その戦士然とした姿を見て、オリファーはたちまち悟っていた。

 こいつらは、研ぎ澄まされた闘争本能を持つ狩人。

 そして最期に姿を見せたのは、自分に対する敬意――

 こちらが負けるという結果に終わったが、それでもひとかどの戦士として認めて貰えたということ。

 

 「――――」

 銀髪の襲撃者は、静かにスピアを構えていた。

 とどめを刺そうと――いや、死に行く戦士を介錯しようというわけか。

 「ふぅ……」

 軽く息を吐くオリファーに、全く悔いはない。むしろ感謝したいほどだ。

 システィリアンのエサとして惨めな最期を遂げることなく、戦士として死んでいける――

 純粋な軍人としてしか生きられなかった自分にとって、これに勝る栄誉などあろうか。

 

 

 

 大量の出血で薄れ行くオリファーの意識を、スピアでの一撃が完全に吹き消した。

 その瞬間、彼の懐から一枚のディスクケースがこぼれ落ちる。

 ケースの表面には「後の者へ、これを託す」と殴り書きがしてあった。

 

 「――――」

 襲撃者は、そのディスクケースを無言で拾い上げる。

 その表面に書かれていた文字を読み取り――そして、それを腰当て内の雑用具入れに収納していた。

 もしこの男と同種の者に会ったならば、これを渡すとしよう。

 ――その者が、紛れもない戦士だったならば。

 

 そして襲撃者達は顔を見合わせて頷き、その場から去っていった。

 海兵隊大尉ケージ・スドウが、この駐留軍施設に到着する一週間前の出来事である。

 

 

 

             ※            ※            ※

 

 

 

 俺はバイクから降り、軍駐留所のゲート前に立っていた。

 監獄のようにそびえる施設には、まるで人の気配がない。

 やはり粘液と肉に覆われ、公舎と同じような状況のようだ。

 しかし、ここには何かがある――なぜか、そんな気がする。

 「さて――」

 帰りも使えるよう、バイクをゲートに建てかけておいた。

 出入りをチェックするゲート前詰所も無人であり、やはり荒廃しきっている。

 オリファー少佐率いる駐留軍は、あの化け物どもの前に全滅してしまったのだろうか。

 それとも、中で籠城しているのだろうか――

 ともかく俺は、建物内に足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 「ひどいな……」

 玄関ホールに一歩踏み込むなり、俺は呟いていた。

 そこは植民省公舎よりも荒れ果て、天井から床に至るまで粘液や肉が屋内を包み込んでいる。

 そして、例の甘い芳香――これは、グリーンの粘液から放たれるものだろう。

 集中力を乱す、イヤな匂いだ。

 「これは……」

 警戒しながらホールに足を踏み入れ、周囲を見回す。

 やはり軍隊が駐留していただけあり、相当の激戦が繰り広げたのだろう。

 ガラスは割れ、壁のあちこちが崩れ、無数の弾痕がムキ出しになっている。

 奴等の繭の抜け殻がいくつか転がっているのが目に付き、俺は眉をひそめていた。

 あの繭の数だけ、犠牲者がいるということなのだ――

 中には、まだ産まれていないであろう繭すらある。

 

 「……」

 奇襲にも対応できるよう全神経を集中しながら、俺は無人のホールを進む。

 靴底に粘り着き、ぐちゅぐちゅと音を立てる粘液がなんとも不快だ。

 とりあえず、目指すはやはり通信室。

 オリファー少佐のことも気になるが、今はまず救援要請を優先する。

 「通信室は……屋上だったな」

 植民星の駐留軍施設は、大きな星を除いてだいたいのレイアウト・構造が同じ。

 それゆえ他の駐留所に滞在経験のある俺には、地図など不要である。

 まず通信室へ行ってから、生存者を捜すとしよう――

 

 みし、びちびちゅ……

 

 「……!?」

 不意に、ホールの隅から不気味な音が響いていた。

 何かが潰れる音と、粘音がない交ぜになったような異音。

 その音の方向には、びくびくと激しく脈動する繭があった。

 表面がぬちゅぬちゅと裂け、どろりとグリーンの粘液が溢れ出る――

 

 「まさか、孵化するのか……?」

 素早く繭に銃口を向ける俺だが、引き金を引くのをためらってしまう。

 生まれたての相手に、仏心を持ったわけではない。

 潜入早々に、派手な発砲音を響かせたくはなかった。

 無音のままナイフで始末できるなら、その方が良い――そういう判断。

 

 ぶちゅ、ぐちゅぐちゅ……ぶちゅっ!!

 

 繭を内部から潰し、その中からぬるりと一体の女が這い出してきた。

 その全身はぬらぬらと粘液にまみれている――非常に可愛らしい、幼い少女。

 髪は黒のショートで、胸は僅かに膨らんでいる。

 人間で言えば、小学生ほどの外見だろうか。

 当然ながら裸で、あの植民省公舎で会った怪物と同じ身体的特徴を持っていた。

 背中や肩、手の甲や上腕――体の外面にあたる部分が硬質化し、尻には尻尾を備えている。

 

 「えへへ……」

 幼体はあどけない表情を浮かべ――そして、俺の方に視線を定めて微笑んだ。

 それは、面白そうなオモチャを見付けた子供のような顔――

 そして、驚くべき跳躍力で一気に間合いを詰めてきた。

 

 「ちッ……!」

 まずい、こいつらは幼い頃から怪物そのもの。

 物音を立てたくない、などと呑気な事は言っていられないようだ。

 俺は、パルスライフルの引き金に指を掛けていた――

 

 仕方なく発砲する

 それでもナイフで挑む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び掛かってくる幼体に向かい、俺は仕方なく発砲していた。

 静かなホール内に、けたたましく響き渡る銃声――

 

 「えへへ……?」

 その音に驚いたのか、幼体はすちゃりと着地する。

 素早く身を翻し、くるりと背中を見せると一目散に俺から離れていった。

 そのまま幼体は通風口に飛び込み、中へと姿を消したのである。

 大した俊敏性、逃げるのもあっという間だ。

 

 「逃げた……か」

 物音が確かに遠ざかっていくのを確認し、軽く息を吐いた。

 いったん身を隠し再襲撃を企んでいるわけでもなく、本当に逃げたようだ。

 とは言え、俺も早急にここから離れた方が良さそうだ。

 今の発砲音は、この静かな施設内の隅々まで響き渡っただろうから――

 

 「……?」

 そこから、一歩を踏み出そうとした時だった。

 不意に、周囲の空気が変わった――いや、ぴしりと張り詰めていた。

 場を満たしていたのは、背筋も凍るような冷たい殺気。

 この場が狩人のフィールドと化したような、そんな凍った空気。

 

 「……」

 俺は息を呑み、パルスライフルのトリガーに指を掛けていた。

 明らかに、厄介そうな奴が近くにいるようだ。

 例の怪物どもか――いや、どこか違う気がする。

 あの連中は、こんな寒気がするほどの殺気を放たない。

 奴等は強靱で、凶暴で、そして凶悪な――獣。

 しかしこいつは単なる獣ではなく――そう、狩人だ。

 

 ……びちゃ。

 

 床に満ちた粘体を、何者かが踏みつける音。

 姿は見えない、だが何かがいる――

 

 「……ッ!」

 次の刹那、凄まじい刺突が俺を襲った。

 繰り出されたのは、銀色のスピアによる鋭い一撃。

 なんとか身を反らし、その攻撃の回避に成功する――

 そして俺は、謎の狩人の姿を確認していた。

 

 そいつは――そう、透明人間だった。

 いや、半透明人間とでもいうべきか。

 その体はガラスのように透け、後方の風景が映っていたのだ。

 動いている状態ならば、その輪郭を視認することはできる。

 だが息を潜められれば、発見するのは困難だろう。

 つまり、離れられたら勝機は格段に薄くなる――

 こいつは何者なのかを考える前に、まず闘争本能が戦況を分析していた。

 

 「――――」

 すかさずスピアを振り上げ、さらなる追撃に移る狩人。

 俺はとっさにその肘を蹴り上げ、スピアを弾き飛ばしていた。

 この距離なら、銃を使うより肉弾戦の方が速い――

 

 「もらった……!」

 そのまま敵の右手に組み付き、背負い投げを仕掛ける――

 その次の瞬間、猛烈な一撃が俺の腰に直撃していた。

 とっさに、そいつが蹴りを放ったのだ――それを理解した時、俺の体は数メートルも弾き飛ばされていた。

 まるで、サッカーボールになったような気分。

 体勢を崩した状態でありながら、ここまで強烈な蹴りを繰り出す――その怪力は、もはや人間のものではない。

 やはりこの狩人も、強靱な肉体能力を誇っているようだ。

 

 「まずい……か!」

 距離を置けば、もはや勝機はない――

 俺はなんとか空中で身を翻し、パルスライフルの弾丸を狩人に叩き込んでいた。

 そいつは驚くべき身軽さで、バク転でもするかのように射線から逃れてしまう。

 

 「……ッ!」

 「――――」

 そして、ほぼ同時に着地する俺と狩人。

 敵は着地ざまに、円盤に刃が付いた大型手裏剣のような武器を投げ付けてきた。

 それはあまりに直線的な軌道で、避けるのはたやすい――

 俺はその軌道を見切り、軽く身をかわす。

 

 ……回避に成功したにもかかわらず、一抹の不安感が頭をよぎった。

 気になったのは、今の武器の形状。

 あれは、投げて終わりの単純な武器なのだろうか――

 

 そうは思えない

 投げて終わりの単純な武器だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの形状、ブーメランのような軌道で戻ってくるとしか思えない――

 俺がそう思い至った時には、すでに円盤は弧の軌道を描いて俺の背に迫っていた。

 

 「くっ……!」

 姿勢をかがめて、その円盤をかわす俺。

 敵の姿を見失ってしまったが――その位置は明白。

 戻ってきた円盤をキャッチするため、その軌道上にいるはず――

 

 「そこか……!」

 円盤の向かう先の風景が、僅かながら歪んでいる。

 注意深く見れば、それは明らかに人型をしていた――

 俺は円盤の後を追うように猛ダッシュし、その位置に猛然と接近する。

 「――――」

 接近してくる俺に気付き、円盤をキャッチすることを放棄して飛び退こうとする狩人。

 ここから銃弾を放っても、おそらく避けられる。

 そして再び距離を取られ、また見失うぐらいならば――

 

 「うぉぉぉぉ……!」

 俺は左掌を、襲撃者の方向にまっすぐかざした。

 そしてパルスライフルの銃口を手の甲に押し付け、自身の左掌を貫通モードで撃ち抜く――

 「ぐぅっ!」

 痛いというより、熱い。

 鋭い衝撃と共に、辺りへと飛び散った血液が狩人の体にも降りかかっていた。

 「――――!」

 その透明な体のあちこちに、血液が付着してしまう。

 それは決して大量とは言えなかったが、位置を把握する目印程度なら十分だ。

 これで、あの厄介な光学迷彩は役に立たないも同然――

 

 「――――」

 血の目印を付けられた狩人は、その場で静かにたたずんでいた。

 「どうした、かかってこないのか……?」

 まさか、呆けているはずでもあるまい――

 そう思った次の瞬間、不意に相手が動きを見せた。

 ブゥゥゥーンという重苦しい音と共に、その姿が露わになっていく。

 華奢な体躯に、金属製の胸当て、手甲、腰当て、足甲。

 頭部全体を覆っているのは、兜にも似た金属製のフェイスマスク。

 その隙間から、非常に長い髪が流れ落ちている。

 それは目を奪われるほど綺麗な銀髪で、腰まで届くほどだった。

 ここに至り、謎の狩人はようやく俺の前に姿をさらしたのである。

 

 不意に、そいつは自身のフェイスマスクに手を掛ける。

 そのままゆっくりと頭部の防具を外し、そして素顔を見せた――

 「おいおい、冗談だろ……」

 俺はそう呟き、思わず息を呑んでしまう。

 その兜の下から出て来たのは、なんと美しい少女のもの。

 人間で言えば10代後半、驚くほどに可憐な顔付き。

 無表情ながら整った顔、そして氷のように冷たい眼。

 髪は流れるような銀色の長髪で、ふぁさりと背中から腰を覆っている。

 彼女はぞっとするほどに可憐で、凍り付くほどに美しかった。

 

 「――――」

 少女は重そうな兜を無造作に投げ捨て、右腕を構えていた。

 その腕に装着された手甲から、二つ連なった鋭利なかぎ爪が突き出る。

 もはや余計な小細工は必要ない――ということらしい。

 いっさい言葉を交わさなくても、その言わんとすることなど分かっていた。

 俺も接近戦に備え、パルスライフルの先端に備わっている銃剣を構える――

 

 「……あれは!?」

 その時俺は、そいつの背後にも同種と思われる存在がいるのに気付いていた。

 しかも二人――狩人は、全部で三人いたのだ。

 そいつらは、加勢する様子も見せずただこちらを見守っている。

 

 「そうか、そういうことか――」

 こいつらの奇妙な様子。

 そして、唐突に見せた素顔。

 その銀色の瞳が意味しているところを、俺はようやく理解した。

 これは、連中にとっての狩り。

 そして俺は狩られる側ではなく、奴等と同じ狩る側であるということを認めたのだ。

 だからこそ小細工は無用、素顔をさらして挑んできた――

 

 「懐かしいな、こういうのも――」

 俺の脳裏には、昔の感覚が蘇っていた。

 軍人としてのイロハを叩き込まれる以前。

 辛い境遇の中、誰よりも強くありたいと思っていた頃の感情。

 今にして、こんな状況でそれが蘇るとは思わなかった――

 ――いいだろう、やってやる。

 

 「うぉぉぉ……!」

 「――――!」

 俺と少女は咆哮しながら一気に間合いを詰め、互いの武器をぶつかり合わせる。

 一撃、二撃――敵の攻撃は速度を増し、俺はそれをギリギリでいなしていた。

 もはや、何の遠慮も小細工もない肉弾戦。

 強い方が勝つという、それだけの原始的な戦い。

 

 「――――!」

 俺の耳には聞き取れない叫びを上げながら、狩人は鋭く重い攻撃を繰り出してくる。

 それを必死でさばき、避け、いなし――

 金属の刃がぶつかり合う音が、ひたすら周囲に響いていた――

 

 「……?」

 と――刃の応酬に専念する俺の視界に、奇妙なものが映った。

 相対して刃を交えている、美貌の狩人の背後。

 天井から、不気味な長い物体がスルスルと垂れ下がってきたのだ。

 ムチのようにしなり、先端は鋭利な刃物のように尖っている――

 あれは――公舎にもいた、異形の女の尻尾。

 

 「おい、後ろだ――!」

 なぜか俺は、戦っているはずの相手に警告していた。

 「――――?」

 たちまち攻撃の手を止め、その言葉を疑う様子すら見せず、背後を振り向こうとする狩人。

 俺がそんな姑息な手を使うことはないと確信していたのか、不気味な気配があったからか――

 ――しかし、それはもう手遅れだった。

 その鋭利な先端を持つ尻尾は、狩人の胸をずぶりと貫いていたのだ。

 

 「――――!」

 金属製の胸当てを、まるで紙のように貫いてしまうほど強力な一撃。

 吹き出た血液が、びちゃびちゃと周囲に飛び散る。

 とっさにそれぞれの武器を構え、臨戦態勢に入る二人の狩人仲間――そして俺。

 その視線が交差する先――天井には、一人の美しい怪物の姿があった。

 上下が逆さまになって、そいつは天井に立っていたのだ。

 

 「ふふふ……」

 ブロンドの長い髪は床に付くほどまでに垂れ下がり、その顔や豊満な肉体は思わず抱き付きたくなるほどに魅力的。

 二十代前半とおぼしきその整った顔は、少女のあどけなさと熟女の艶めかしさの両方を備えていた。

 その得意げな表情と、寒気がするほど淫靡な笑み。

 そいつは長い尻尾で狩人を貫き、力なく項垂れた獲物を誇るかのようにブラブラとぶら下げていた――

 天井には、あの公舎でも見た異形の怪物女が立っていたのである。

 

 「――――」

 尻尾で貫かれたまま、宙吊りにされた狩人――彼女は瀕死のダメージを受けながらも、まだ戦意を失っていなかった。

 震える右手に備わった鋭いかぎ爪を、異形の女へと向ける――

 にぃ……と怪物女は不敵な笑みを見せ、ぱっくりとその口を開けた。

 中から飛び出してきたのは、二重構造になっているもう一つの口。

 「――――!」

 それは槍のように一直線に伸び、瀕死の狩人の額を穿つ。

 ぶわっ、と周囲に飛び散る鮮血。

 少女の華奢な体はどさりと地面に落ち、壊れた玩具のように転がった。

 当然ながら、あれでは即死だろう。

 

 「あはは……!」

 俺や狩人達が反応する前に、異形の女は天井を蹴って襲い掛かってきた。

 その狙う先は、仲間を殺られたばかりの二人の狩人――

 そのうち一人に狙いを定めて飛び掛かりながら、もう一方の相手に対して尻尾を振りかざす。

 異形の女は、狩人二人に対する同時攻撃を繰り出していたのだ。

 

 「――――!」

 その尻尾を避けきれず、狩人は尻尾での一撃を頭部に食らう――

 しかし瞬時に反応して身を反らしていたためか、ほとんどダメージはなかったようだ。

 フェイスマスクが衝撃で外れ、音を立てて床に転がる――

 その下から現れた素顔は、やはり可憐さと冷たさが同居した少女のもの。

 その銀髪は肩ほどの長さのセミロングで、ふわりと風にそよいでいる。

 思わず見とれてしまうような、あまりにも綺麗な少女だった――

 

 そしてもう一方の狩人は、異形の女に飛び掛かられていた。

 空中で振りかざされた怪物の右手が、空中で鋭いかぎ爪へと変貌する――

 頭上から振り下ろされた強烈の一撃を、少女は手甲で受けていた。

 あまりにも強烈な一撃を抑えきれず、足元の床がクレーター状にへこむ。

 同時にぴしりと亀裂が入り、床がガラガラと崩れ出した――

 

 「――――!」

 「あははは……」

 床が砕けて大きな穴ができ、異形の女と狩人の一人は階下へと落下していった。

 まさに、人間離れした肉体を持った者同士の壮絶な戦闘。

 階下からは破壊音が響き、両者の戦いは地下一階までもつれこんでいるようだ。

 ともかく、何とか危機は脱した――と言って、良いだろうか。

 

 「……」

 さて、どうしたものか。

 このホールに残されたのは、俺と――そして、もう一人の狩人。

 さっき怪物に叩き落とされたフェイスマスクは壊れてしまったらしく、拾う気はないようだ。

 少女は素顔をさらしたまま、腕を組んでその場に立っている。

 それが彼女達の戦闘の流儀なのか、仲間に加勢しに行く気もないらしい。

 

 「……どうするんだ? 続きをやるか、それとも――」

 言葉が通じるか通じないか分からないものの、俺はそいつに銃口を向けていた。

 見た感じ、こいつにはもう敵意はないようだ。

 面倒なことになったものだ――相手も、俺と同じくそう思っているような気がした。

 

 「――――」

 不意にそいつは、腰当てに備わっている雑用具入れに手をやる。

 何か武器が出てくるのか――そう思って身構える俺。

 しかしそこから取り出されたのは、おそらくデータ用のディスクだった。

 そして、少女はそれを俺に差し出す。

 「受け取れ……ということか?」

 「――――」

 こくり、と頷く狩人の少女。

 どうやら、俺の言葉は通じているようだ。

 しかし、これは何のディスクだ? 何のために、俺に渡すというのか……?

 

 「……」

 困惑しながらも、そいつの手からディスクを受け取る。

 そのディスクケースには、ポラリス総合雑貨のマークが入っていた――つまり、ありふれた民生品のデータディスク。

 ポラリス総合雑貨は確かに大企業だが、異星人にまで物品を納入したという話など聞いたこともない。

 つまりこのディスクは、狩人の本来の持ち物ではないということだ。

 「これは……」

 そしてケースには、ペンで「後の者へ、これを託す」と記されている。

 ――どういうことだ?

 地球人の誰かが作成したデータディスクが、なんらかの理由でこの狩人達の手に渡ったということか?

 そして、それを律儀に返してくれた……そういうことになるのか?

 

 「おい、どういうことなんだ……?」

 「――――」

 少女は俺の質問に答えない――かと思ったら、すっと右手を上げた。

 そして軽く円を描き、すとんと人差し指を真下に向ける。

 これは――異言語間交渉用のハンドシグナル?

 それは当然ながら、異なる言語を話す人間同士のためのもの。

 この異星人達が、我々地球のハンドシグナルを習得しているというのか……?

 そしてさっきのシグナルは、「勇者」という単語を意味していた。

 

 「敢闘賞、ってわけか……?」

 「――――」

 軽く頷くと、そのまま狩人はくるりと背を向けた。

 俺とこいつの同胞は、死力を尽くして戦った。

 勝負の行く末はあんなことになってしまったが、俺の勝ちだと認めた――そういうことか。

 こいつらの考え方は、だいたいのところ察することが出来る。

 そんな俺も、地球人というよりむしろ、この異星の狩人達に近い思考回路なのかもしれない。

 

 ともかく美貌の狩人は、その場から歩み去ろうとしていた。

 完全に無防備な背中を見せ、すたすたと――

 俺は、その華奢な背中を眺めていた。

 今ならば――こいつを殺せるかもしれない。

 

 ――だが、いったい何のため?

 敵でもない者相手に、どうしようというのだ?

 俺の目的は、なんとしてもこの星から脱出すること。

 ここで、敵意を見せていない相手を闇討ちすることなどではないはずだ――

 

 俺には俺のすべき事がある

 それでも、奇襲を仕掛ける

 


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