フェイスハガー娘
※ ※ ※
二体のモンスターは、地下一階で激戦を繰り広げていた。
かたや異星の最新鋭装備で武装した狩人と、異形の進化を遂げた怪物。
両者は息を呑むほどの美貌と、そして並み外れた戦闘能力を持ち合わせている。
それを真正面からぶつけ合い、両者は地下空間を駆けた。
「うふ、あはははは……!」
「――――」
奇妙な笑い声を上げながら、鋭い凶器と化した右腕を振るう怪物。
コンクリートを砕き、切り裂くその攻撃を狩人は細いスピアでいなす。
真上からの一撃を柄で受け止め、続けて左方から迫る攻撃を刃で弾き――
その瞬間の隙を突いて、怪物は舌での突きを繰り出していた。
男を悦ばせる器官にもなれば、拘束する縄にも、強打する鞭にも、刺し穿つ槍にもなる舌――
その一撃は、狩人のスピアを弾き飛ばしてしまった。
「――――」
「あはっ……!」
続けて、ガラ空きになった懐に尻尾での一撃を食らわそうとする怪物。
しかし狩人はその一撃を見切り、尻尾を両手で受け止めて掴んでいた。
「――――!」
その尻尾を強く引っ張り、常識離れしている怪力でもって狩人は怪物の体を浮かせる。
そのまま時計回りに、まるでハンマー投げのようにぶんぶんと怪物の体を振り回した。
怪物の頭は周囲の壁や柱に激しく激突し、構造物を打ち砕いていく。
それにも構わず狩人は怪物の体を振り回し、そして前方へと放り投げていた。
遠心力と向心力が合わさり、怪物の体は正面の壁へと吹っ飛んでいく――
そのまま床に激突し、バウンドして壁を崩す勢いで突っ込むほどの衝撃。
さらに狩人は、壁を突き破って隣の部屋に転がっていった怪物に追撃を仕掛ける。
手甲から突き出したかぎ爪を構え、そのまま疾走し――
凄まじい衝撃を受けて地面に転がった怪物は、まるで弾幕を張るように尾をヒュンヒュンと360度全方位に振り回した。
そこへ狩人のかぎ爪が一閃し、その尻尾をも両断してしまう。
そのまま狩人は、かぎ爪を怪物の頭部に突き立てようとした――
怪物はとっさに頭を反らせ、その一撃を避ける。
目標を失ったかぎ爪が、背後の壁に突き立っていた。
「――――」
それを引き抜く、ほんの僅かな隙――
それを、怪物は見逃さなかった。
艶やかな唇が開き、その奥に隠されたもう一つの顎が飛び出す。
「――――!」
狩人の反応は、間に合うことはなかった。
その一撃は、狩人の首を一瞬で貫いていてしまう。
血がぶしゅっと飛び散り、びちゃびちゃと足元を濡らした。
どさりと膝を着き、そのまま倒れ伏す狩人。
数秒の後、その生命活動も停止してしまった。
「あははははははははははははは……!」
切断されて半分の長さになった尻尾を機嫌良さそうに振り、淫らとも言える表情で笑う怪物。
この程度の傷なら、ほんの数分で再生してしまう。
こうして、狩人を撃退した怪物――彼女は、新たなる獲物を求めて動き出したのだった。
※ ※ ※
あの狩人と一階ホールで別れてから、俺は三階の電算室に向かっていた。
そこにある端末で、受け取ったデータディスクの内容を閲覧するためである。
屋上の通信室には――行っても、無駄だろう。
もし通信設備が生きているならば、こんなデータディスクを後の者のために残す必要などない。
その内容を、送信すれば済むだけの話。
こんなものを残さなければならなかった――つまり、この施設の通信設備も使えないということだ。
「ったく……揚陸艦も公舎もここも、都合良く通信設備ばかり壊れやがって……」
愚痴混じりに口にした言葉だったが、それが心に引っ掛かってしまった。
奴等の巣と化した公舎と軍施設はともかく、異星揚陸艦の通信設備まで壊れるのは話が出来すぎていないか?
そもそも、艦が航行不能となって墜落した原因は何だ?
――何かおかしい。
一連の出来事に、何者かの意志を感じる――そう思ったのは、単なる被害妄想に過ぎないのだろうか。
ともかく無人の階段や廊下を進み、俺は敵と遭遇しないまま三階電信室に足を踏み入れていた。
その中は幸いにも肉や粘液の侵食は激しくなく、機器のダメージも少なそうだ。
「さて、電源は――」
PCの前に座り、電源ボタンを押すが――まるで反応はない。
どうやら、ここには電源が来ていないようだ。
俺は携帯品の中から簡易バッテリーを取り出し、PCに繋いでいた。
そしてもう一度電源ボタンを押す――と、今度は無事に起動したようだ。
「よし……」
そう頷いたのも束の間、今度はパスワードの認証画面が表示される。
どうやら部外者に、この端末を勝手に使わせないようロックが掛かっているらしい。
「ちっ、参ったな――」
適当に英数字を入力してみるが、そんなものが偶然に当たるはずもない。
ここにきて、俺は途方に暮れるしかなかった。
「くそ、どうするか……」
ここで必要なのは、この駐留基地特有のパスワード――さすがに、そこまでは俺も知らない。
大破した異星揚陸艦の電算室も使えなくなっている。
一般家屋に立ち入って私用のPCを拝借するというのも、あまりに危険度が高すぎるだろう。
どこの家も、おそらく怪物連中の巣と化していると考えて間違いないのだ。
これは、本格的に手詰まりだろうか――
「……なんだ!?」
異常を察知した俺は、パルスライフル片手に椅子を蹴って立ち上がった。
同じ階――しかもごく近い部屋から、派手な物音が響いているのだ。
けたたましい破壊音と、そして奴等の笑い声。
どうやら、何者かが集団で争っているらしい。
「ったく、どうなってるんだ……」
この建物には怪物どもばかりか、謎の狩人連中すらいる。
生身の人間である俺が、何の因果でこんなところに投げ出されてしまったのか――
ともかく、争いの騒音はだんだんと派手になってくる。
相当数の怪物が集まり、激闘を繰り広げているようだ。
まさか同種の争いでもあるまい――ということは、相手はあの少女。
ここで息を潜めているわけにもいかず、状況を確認しようとした矢先――
いきなり壁を突き破って、電算室に怪物の体が飛び込んできた。
そいつは、どっさりと床に転がってしまう。
「ちっ……!」
パルスライフルを向けた直後に、俺はその怪物が瀕死であることに気付いた。
そして隣の部屋から、つかつかと近付いてくる影。
それは、やはり狩人の少女――しかも、さっきデータディスクを受け取った奴と同一個体だ。
「――――」
そのまま狩人は俺のいる電算室まで踏み込み、手甲のかぎ爪を構え、瀕死の怪物に刃を突き立てる。
頭部に鋭い刃を叩き込まれ、奇声を上げながら絶命する怪物。
隣の部屋からもう一匹の怪物が疾走してきて、狩人の背中に飛び掛かった――
「――――」
狩人は素早く刃の備わった円盤を抜き出し、背中を向けたまま投げ付ける。
それは円の軌道を描きながら、怪物の頭部をすっぱりと切断していた。
相変わらず、人間離れした戦闘の手腕――いや、そもそも人間ではないのか。
「うふふ……」
「くすくす……」
それでも怪物達の数は多く、崩れた壁から次々と現れてくる。
三匹、四匹、五匹と数を増していき――
もはや狩人と怪物の戦闘は電算室にまでなだれ込み、俺も日和ってはいられないようだ。
ぞろぞろ現れる怪物の集団の中に、狩人はスピアを構えて踏み込んでいた。
その一方で、俺は――
俺はパルスライフルを構え、狩人に群れ寄る怪物達に向けて弾丸を叩き込んでいた。
「あは……!」
「ふふ、ふふふ……!」
あらぬ方向から銃弾を食らい、怪物達は笑い声の悲鳴を上げながら体を飛散させる。
狩人の少女側に敵意はない以上、明らかな敵対者である怪物達に攻撃するのは当然だ。
敵の敵は味方――かどうかは分からないが、わざわざ積極的に敵対する理由もない。
「――――」
少女は、一瞬だけ俺の方を伺った――ただ、それだけ。
前方から迫ってくる怪物達をスピアで薙ぎ倒し、円盤を投げ付けて軌道上の怪物を殺傷する。
それを援護するように、俺はパルスライフルを掃射していた。
次々に肉体を破壊され、どさどさと倒れていく怪物達。
舞い散るグリーンの粘液には触れないように、そして深く吸い込まないように。
もう十体は片付けただろうか――それでも奴等は壁の穴からドアから次々と現れ、数を増していく。
「くっ……! わらわら集まってきやがって――」
ひたすらにパルスライフルを乱射する――不意に、少女は俺の方向に視線を向けた。
そして、槍投げのごとくスピアを構える。
狩人は、明らかにこちらを狙っているようだ――
「おい、間違えるな! 俺は敵じゃ――」
そんな俺の言葉を無視し、少女はぶんとスピアを投げた――
「……ッ!」
そのスピアは、背後の壁に付き立っていた。
俺の背中から忍び寄り、奇襲しようとしていた怪物の頭を見事に串刺しにして――
主武器のスピアを手放した少女に、怪物が三匹ほど飛び掛かる――
彼女は手甲のかぎ爪を構え、扇を描くように大きく薙ぎ払った。
その三体の上半身と下半身がまとめて寸断され、緑の粘液を噴き出しながら床に転がる。
「ったく、そうならそう最初に言えよ――」
いや――喋れないのか。
ともかく俺は怪物の頭部を貫通して壁に突き立ったスピアを引き抜き、それを片手に疾走する。
道を阻む怪物に、パルスライフルの弾丸を見舞いながら――
「そらよ!」
少女の間近まで接近し、俺はスピアを持ち主に投げ渡していた。
「――――」
当然のようにそれを受け取り、怪物達に向かって武器を振るう少女。
そして俺の背中からも怪物が襲ってくる――
瞬時に俺は身を翻し、後方に弾丸を叩き込んでいた。
そんな俺と少女を囲い込んでくるかのように、怪物達は周囲を取り巻く。
パルスライフルを乱射する俺の背中と、スピアを振るう少女の背中が接触した――
そして背中合わせのまま、俺と狩人はひたすらに武器を振るい続ける。
絶え間ない銃撃と斬撃、互いに背後をカバーしているので死角はない。
視界内の敵をひたすらに片付けていれば足る、非常に楽な戦い。
撃って撃って撃ちまくり、斬って斬って斬りまくる――
そして気付いた時、百体近くもの怪物が肉塊と化して周囲に転がっていたのだった。
「ふぅ、さすがにこれで打ち止めか……」
俺は周囲の気配を探りながらも、軽く息を吐いた。
この怪物達は個体によって戦闘能力に差があるらしく、今回の連中はそこまで強力な奴でもない。
狩人の一人を瞬殺した女は、かなり強力な個体だったようだが――
同様に少女も周囲を見回し、そして当座の敵は全滅したと判断したようだ。
ようやく、派手な戦いにも一区切り付いたのである。
「さて……」
本当に、どうしたものか。
俺の前には、美貌の狩人が無表情で立っている。
しかも改めて見れば見るほど若い。
かくいう俺も十九歳と、年齢だけなら新兵に相当するが――
こいつは、そんな俺よりも一歳か二歳ばかり下かもしれない。
「お前、言葉は通じるんだよな……」
こくり、と無表情のまま少女は頷いていた。
そして、その右手と左手がしなやかに動く。
彼女のハンドシグナルによれば『我々の声、地球の人間、可聴音域の範囲外』――
つまり彼女達の声は、俺達地球人の耳には聞き取れないのだという。
そして『可聴音域』という高度な単語を使いこなしていることからして、高い知能を誇ることも分かる。
もっとも、彼女達の持っている武器は俺達の文明より高度なものもあるわけだが。
むしろ知的水準で劣るのは、こちらの方なのかもしれない。
「お前達は、何者なんだ……?」
その問いに返されたハンドシグナルは単純なものだった。
『狩猟者』――それだけだ。
「なるほどな、分かったよ……」
本当のところは、さっぱり分からない。
彼女達がなぜこんなところで怪物相手に狩りをしているのか、腑に落ちないことはいくらでもある。
しかし今は、異文化交流に花を咲かせているような状況ではないのだ。
「さて、これからどうするか。データディスクの内容も分からない、通信もできない――八方塞がりだな」
あの激戦の中でもPCは無事のようで、その画面は薄暗い部屋で輝きを放っている。
しかし、使えないのでは全く意味はない。
「――――?」
少女はPCに視線をやった後、くいっと首を傾げた。
なぜPCが起動しているのに内容を見ないのか、そう聞いているのだろう。
無表情のままで小首を傾げる様子は、少しだけ可愛かった。
「マシンはパスワードでロックしてあってな。知らない者は勝手に使えないようにされているらしい……」
すると少女は腰当ての小物入れに手を伸ばし、妙な小型器具を取り出した。
そして、それをPCのUE端子接続口に差し込む。
「ん? 何を――」
次の瞬間、俺を悩ませていたパスワード認証画面が消え失せた。
なんとPCは通常起動を始め、見る間にOS画面が表示されたのである。
「おい、何をやったんだ……!? その機械は……!?」
俺達が使用しているコンピューターの共通規格であるUE端子、それに接続可能な機器を異星人が持っている――
しかも、パスワードのロックを無効化してしまったというのか……?
「――――」
――『地球人の施設、潜入する時、この機械、我々は携帯する』。
――『地球人の科学力、その程度の電子的ロック、簡単に解除できる』。
どうやら、そういうことらしい。
この連中は俺達の技術をも解析し、専用の解除器具すら持っているのだそうだ。
確かに人間の施設に潜入する際は、ロックの解除が必要な時も多いだろう。
「なるほど……助かった、礼を言う」
――『このディスクの中、私の必要な情報、あるかもしれない』。
そんな風に、少女はハンドシグナルで答えていた。
「ふむ……じゃあ、見てみるか」
俺はキーボードを操作し、ディスクの内容を閲覧する。
その中に保存されていたのは、簡単なテキストデータのみだった。
しかしその短いレポートには、驚くべき内容が綴られていたのである――
「6月16日か……」
ちょうど、今より一ヶ月前。
この時の警告が、中央に届いたというわけだ。
そして俺は、ディスプレイに表示される文面を追う。
「な――!!」
思わず俺は、声に出してしまった。
心の底では、その事実が気になっていたのである。
はるか昔の推理小説じゃあるまいし、そう通信設備ばかりが都合良く壊れるものか――
「――――」
背後からディスプレイを覗き込んでいる少女は、早く先を読め、と眼で合図を送ってきた。
「そんな、馬鹿な――!!」
俺は思わず絶句していた。
フェイスハガー娘の成体、システィリアン――
軍中央は、これだけ詳細な情報を事前に握っていた。
それなのに、なぜ俺に――いや、俺達派遣部隊に伝えなかった!?
これだけのことが分かっていながら、なぜフェイスハガー娘――幼体の事しか情報を与えられなかった!?
「くそっ……!!」
俺は、拳を机に叩きつけていた。
事前にこれだけの情報があれば、こんな事態にはならなかった。
あのヒヨコ達が、無駄に命を散らすことなどなかった――
――いや、それ以前にどこかおかしい。
これだけ凶悪で危険な相手だと分かっていたにもかかわらず、なぜ派遣されたのが一個中隊のみなのだ?
それも、兵員は全て俺以外ヒヨコばかり――まるで生け贄に捧げられたようなものだ。
「生け贄、だと――?」
自分で想起したその単語が、不意に重くのしかかってくる。
俺達の立場を、これほど明確に示している言葉はないのだ。
もしかして軍上層部は、最初から――
「――――」
先を読み進めない俺に焦れたのか、少女は横からキーボートに手を伸ばしてきた。
そして、続きの文面を画面に表示させる。
最後の日付は、今から一週間前だった。
そして、署名した人物は――俺の恩師であり、事実上の育ての親。
「オリファー少佐……」
やはり、あの人の文章だったのか。
そしてこのディスクが、狩人の少女の手に渡ったということは――
「……なぁ。オリファー少佐は、強かったか?」
「――――」
『勇者』――そんなハンドシグナルを、少女は伝えてきた。
簡単なシグナルながら、それに付随する重みは俺にも分かる。
おそらくオリファー少佐は、システィリアンではなくこの狩人達と戦って命を落としたのだろう。
だからといって、こいつらを憎む気持ちはない。
一週間前――救援も間に合わず、システィリアン達の餌食となるしかない状況。
おぞましい怪物ではなく、闘争のなんたるかを理解している者によって命を断たれたのはせめてもの救い。
システィリアンの餌となるよりは、戦士として死ぬことをよしとするだろう――少佐は、そういう人だった。
「……行くのか?」
「――――」
静かに腰を上げ、少女は無表情のままこくりと頷いた。
彼女が知りたかった情報というのは、おそらくクィーンの居場所――宇宙港、動力ブロック。
同行することも考えたが、異星揚陸艦の墜落地点では多くの負傷者が俺の帰りを待っている。
彼女と、一緒に行くことはできない――
「……おい、お前の名前は?」
名前を聞いて、どうしようというのか――にもかかわらず、俺は尋ねていた。
「――――」
少女はキーボードに手を伸ばし、片手で滑らかにタイピングする。
ディスプレイに表示された文字は、『Branden』。
ブランデン――それが、この少女の名前。
「ブランデン……俺の名前はケージだ。海兵隊大尉、ケージ・スドウ」
少女はこくりと頷いた。
僅かながら微笑んだような気もする――のは、俺の思い過ごしだろうか。
そしてブランデンはくるりと背を向け、すたすたと電算室出口の方に進んでいく。
「……死ぬなよ」
ブランデンは背中を向けたまま、軽く右腕を上げた。
そして、この電算室から去ってしまったのである。
「さて――」
オリファー少佐のディスクを雑嚢に収め、俺もパルスライフル片手に立ち上がった。
情報を得たことで、状況はずいぶんと変わってきた。
外部との通信が不可能となれば、自力で脱出する以外にない。
『小型宇宙艇の出航準備が出来たので、市長など重要人物をまず送り出す予定――』
それを最後に音信が途絶えたなら、燃料補給の済んだ小型艇が今も宇宙港に存在することになる。
生存者百数十名全員を乗せることは流石に無理だが、数名を送り出して救援を要請することは可能だ。
「よし、希望が沸いてきたな……!」
やはり俺とて人間、希望があるのとないのではやる気が違う。
ともかく、いったん異星揚陸艦の墜落地に戻ろう。
それが先決――そういうわけで、俺は電算室を後にした。
静かな廊下をひたひたと進む俺。
さっきの戦いで周囲のシスティリアンを一掃したからか、敵に遭遇する気配はない。
と――
「何だ……?」
微かに殺気がした、そんな気がする。
しかし今、周囲は秋の湖面のように静まりかえっていた。
「気のせいか……」
そう思った時だった。
ぴちゃ……と水滴が床に滴る音がする。
「……ッ!」
その刹那、俺は身を翻して飛び退いていた。
同時に、俺の頭をかすめていく尻尾の一撃。
それは、天井の通風口からぶら下がっていた。
あの狩人の一人を殺ったのと全く同じ奇襲――あの時に見ていなければ、おそらく殺られていただろう。
「この……!」
俺は飛び退きながら、天井通風口にパルスライフルの銃撃を叩き込む。
尾を翻しながら、床の上に降り立つ異形の怪物女――システィリアン。
しかも、こいつには見覚えがある。
ブランデンの仲間を、あの奇襲で片付けた張本人。
そしてもう一人の仲間と共に階下へと落下したはずだが――ここに平然と立っているということは、そいつも殺したのか。
「ふふ、うふふ……」
美しい顔を淫らに歪ませ、不敵に笑うシスティリアン。
こいつはどうも、その他大勢とは格が違う個体らしい。
「やれやれ、ここから脱出もさせてもらえないってわけか……!!」
俺はそいつに向けて、パルスライフルを掃射していた。
「あはは……!」
それにも全く怯まないどころか、猛然とこちらに疾走してくるシスティリアン。
弾丸の嵐の中をジグザグに縫い、恐ろしい速度で接近してくる。
「くっ……!」
接近戦に備えて銃剣を構えた時にはもう、尻尾での一撃が頭上にまで迫っていた。
俺はとっさに真横へ飛び退く――と同時に、ハンマーのごとく強力な尾が床に一撃を加える。
みしみしとヒビが入り、たちまち床が崩れ出してしまった。
「ちっ……! 建物を片っ端からぶっ壊しやがって……!」
ブランデンの仲間もそうだったが、これだけの怪力を備えた連中は暴れる度に建築物を破壊する。
たちまち廊下は崩れ出し、俺はそのまま階下に落下していた――むろん、床を崩した当のシスティリアンも。
「ッ……!」
受け身は取ったものの、落下してくる破片を全て避けるというのには無理があった。
鉄骨が肩に激突し、倒れそうなほどの衝撃を味わう――
対するシスティリアンはというと、そんな俺の前に悠々と着地していた。
「ここは……」
暗闇に目が慣れ、周囲の光景を確認し――俺は、思わず絶句していた。
ここはおそらく、人間が使っていた頃は食料庫。
そして怪物達に占拠された今でも、使途はたいして変わっていないらしい。
周囲の床に転がっているのは繭、繭、繭――
壁という壁には若い男が生きたまま練り込まれ、奴等の粘液や軟肉で拘束されている。
彼らの精神は強烈な快感によって壊され、恍惚の表情のまま呻き声を上げていた。
ここに囚われたまま、大勢の怪物に延々と犯されて、精を搾り取られていたのである。
そこは巣穴であり、食事場であり、生殖の場であった。
すなわち、人間の尊厳を否定する陵辱の空間――
「お前ら……!」
その光景に、俺はあらためて怒りが沸き上がってきた。
人間は、餌としてしか生存を許されない――そんな態度をありありと示す怪物どもに対する、生理的な嫌悪感。
「うふふ……」
システィリアンは笑みを浮かべながら、しゅるしゅると尻尾を伸ばした――
それは、俺に対してではなく――壁に埋め込まれている一人の若い男に向かって。
「あ、あぅ……」
散々に嫐られたであろう男は、もはや正気を失っているようだ。
その彼の体に尻尾がしゅるしゅると絡み、壁から引き剥がされていく。
そして――
「ふふ……」
尻尾の先端が肥大化し始め、その先端にぱっくりと穴が開いた。
それはまるで口のよう、そして男の体に巻き付く太い尻尾は大蛇のように見える――
そのまま大きな口と化した尻尾は、男の頭にじゅっぷりと食らいついていた。
「あ、うぅぅぅ……」
男の掠れた声も、尻尾の奥へと消えていく。
そして――男の体は、ずるずると尻尾の中に啜り込まれていった。
まるで、大蛇が人間を頭から丸呑みにしているかのよう。
システィリアンが、尻尾という捕食器官で人間を食らっているのだ。
「……ッ!」
俺は息を呑み、その様子を眺めるしかなかった。
こうなってしまえば、もう男を救うことはできないのだから――
じゅるじゅるじゅる……ごくん。
男の肉体は、尻尾の中に完全に飲み込まれてしまった。
そのままぐむぐむと蠢き、尻尾全体がぐにゅぐにゅと蠕動する――
人間大の大きさに膨れていた尻尾は、徐々に元のサイズへと戻っていった。
男の体は消化され、吸収されてしまったのだろう。
「貴様……!」
「うふふ……」
俺の眼前で人間一人を食らい尽くし、システィリアンは淫靡に笑った。
一戦交える前に、腹ごしらえでもしておこうということか――
「ふふ……私の言葉が聞こえる? きちんと喋れているかしら?」
次の瞬間、システィリアンはなんと人語を喋り始めた。
「な、何!?」
「うん、ちゃんと聞き取れているようね……」
明らかに人間の言葉を喋りながら、システィリアンはにやりと笑った。
「さっきのエサから、言語を吸収させて貰ったわ。貴方と言葉を交わしたい――そう思ったものだから」
衝撃を受ける俺をよそに、システィリアンは平然と言葉を連ねる。
それは全く淀みが無く、語彙の使用も適切。
何が、知能は低い――だ。まったくデタラメじゃないか。
「私の名は、レアリスティヌ――クイーンから頂いた、栄えある名前」
「そうか……生憎こちらは、お前程度に名乗るほど安い名は持ち合わせていないもんでな」
「ふふふ……」
人語を解してさえも、その淫らな笑みは変わらない。
レアリスティヌとやらは人差し指を立てて唇に重ね、その指に舌をしゅるしゅると巻き付かせる。
「貴方を、犯してあげる……嫐って、陵辱して、いじめ抜いて、狂わせてあげる。
オスの器官をたっぷりと可愛がって、垂れ流しにさせてあげるわ」
目を淫らに細め、人差し指に舌を螺旋状に巻き付かせ――レアリスティヌは甘く囁いてくる。
「ずいぶん、饒舌になったもんだな――」
この空間に立ち込めた、催淫性の高い芳香がじんわりと俺の思考を蝕んできた。
少しでも気を抜けば、この女に身を委ねてしまいたいという欲求が沸き起こってくるほど。
「それとも――」
レアリスティヌは尻尾をこちらに向け、その先端を再び膨らませた。
さっき男を丸呑みにしたもう一つの口を、俺の方に見せ付ける。
その中はでは、ピンクの粘膜がうねうねと波打って蠢いていた。
「いっそ私に食べてもらいたい? いいわよ……おいしく食べてあげる。
貴方の体、優しくドロドロに溶かしてあげるわ――とてもいい気持ちよ」
「ふざけるな……!」
俺はパルスライフルを構え、眼前の女に銃撃を叩き込んでいた。
「ふふ……」
レアリスティヌはいとも容易く跳躍してかわし、重力が逆さまになったかのごとく天井に立つ。
「じゃあ、殺し合いを始めましょうか。でも、たまらなくなったら、いつでも私の胸に飛び込んできていいから……
その時は、じっくりと愛し抜いてあげる」
「黙れ、化け物が!」
俺は拒絶を示しながら、頭上に弾丸を食らわせていた。
それを素早く避け、レアリスティヌは恐ろしいスピードで尻尾での攻撃を繰り出してくる。
俺には、それを避けるだけで精一杯。
たちまち守勢一方に追い詰められつつあった――
「ふふ……」
時に攻撃の手を止め、レアリスティヌは「つまみ食い」を行う。
壁に塗り込められて呻いている人間の股間に尻尾をあてがって、ペニスを包み込み――
そのまま、じゅるじゅると精液を吸い出し始めたのだ。
「貴様……!」
それを止めようと弾丸を叩き込んだところで、鞭のような舌に叩き落とされてしまう。
「あ、あぅぅ……」
精を吸われた男の体がびくびくと震え、そしてみるみる干からびていく。
その哀れな男は、あっという間に精を吸い尽くされてミイラとなってしまったのだ。
「ふふ、妹たちの食べ残しだけど……美味しく頂いたわ」
ぺろりと舌で唇を舐め、レアリスティヌは笑う。
銃弾を避け、そして尻尾を俺に振るい――今度はひゅるりと舌を伸ばして、別の男のペニスに巻き付けていた。
じゅるじゅる、じゅるじゅる……
ピンク色の舌がペニスに取り付いて蠢き、たちまち精液を吸い出してしまう。
「ふふ、美味しい……」
そしてみるみる、男は枯れ果ててミイラ化してしまった。
「この、貴様……!」
戦闘を行いながらも、そのような行為を止められない無力感。
さらに尻尾を伸ばして別の男を貪りながら、レアリスティヌは笑う。
「ふふ、興奮しちゃって……貴方さえその気なら、いつでもしてあげるのに。
極上の貴方は、勿体ないから精を吸い尽くしたりはしないわ。永遠に可愛がってあげる――」
くすくすと笑いながら、レアリスティヌは囁き続ける。
その尻尾で、男の精液をねっとりと吸い上げながら――
「果てて、果てて、狂いそうになるくらい射精して、射精して――オシッコも精液も漏らし放題にしてあげる。
おチンチン責めで泣かせてあげる。そして貴方は、とうとう快楽のことしか考えられなくなってしまうの。
次はどんな風に嫐られるのか。次はどんな風に犯してもらえるのか――射精することしか考えられない、私だけの肉奴隷」
そしてまた一人の男をミイラに変え、次の犠牲者の精液を搾り取り――
「貴方のされたいコト、みんなしてあげる。おチンチンどうされたい?
ふやけるまで舐め回されたい? この手で扱き抜かれたい? 尻尾でジュルジュル吸い付かれたい? アソコでグチュグチュに犯されたい?
ぐるぐるに巻き付かれたい? ネバネバを味わいたい? ドロドロに溶かされたい? じゅぷじゅぷされたい? くちゅくちゅされたい?
ふふ……全部やってあげる。オスが味わえる快感、全部体験させてあげるわ……だから、私の胸に飛び込んでいらっしゃい」
くぷ……とミイラ化した男の股間から尻尾を離し、レアリスティヌは大きく両手を広げる。
周囲に満ちた芳香が俺の脳を蝕み、闘争心を麻痺させていた。
このままレアリスティヌに抱き付けば、彼女は間違いなく受け入れてくれるだろう。
そして俺に、予告した通り快楽の世界を味わわせてくれるに違いない――
「そんなものに惑わされるか、怪物が!!」
不幸中の幸いというにはあまりにも残酷だが、周囲への影響を配慮せず火器を使用できるようになっていた。
周りの生存者――もっとも生ける屍に等しかったが――は、全てレアリスティヌに精を吸い尽くされ、ミイラ化してしまったのだ。
「ふふ……貴方が私を怪物怪物と罵るのは、その怪物相手に堕ちてしまいそうになる自分への反発。そうなのでしょう?」
弾丸の雨を驚くべき俊敏性で縫いながら、レアリスティヌは笑う。
「言葉を喋ったと思ったら、今度はセラピストの真似事か……?」
奴が四方に繰り出す舌と尻尾の攻撃を見切りながら、俺はなんとか反撃の弾丸を撃ち込み続ける――
が、それも虚しく空を切って壁に弾痕を残すのみ。
しかし向こうの攻撃も、こちらに届くことはない。
レアリスティヌの戦闘方法は、ひたすらに単純なのだ。
ただこちらの弾丸を避けながら、スピードとパワーに任せて尻尾を叩きつけてくるだけの攻撃。
ときおり思い出したかのようにこちらへ突進してきて、腕を無造作に振り回す。
当たりさえすれば致命傷だが、そんな散発的な攻撃など当たりはしない――
つまり、お互いに有効打も決定打もないのだ。
「妙ね――」
俺が撤退をも考え始めていた矢先、レアリスティヌの方が先に攻撃の手を緩めた。
「私の攻撃は、貴方の速度よりも遙かに速い――
なのに、そのことごとくが避けられる。これは物理的におかしいと、私は思うの」
「だから、どうした……!?」
頭部に向けて放たれた銃弾を、レアリスティヌは飛び退いてかわす。
「私が貴方の攻撃を避けられるのは、私の方が動きが速いから。これは単純な理屈。
でも貴方は、速いはずの私の攻撃を避けてしまう――これは道理に合わないんじゃないかしら?」
そう呟き、動きを止めるレアリスティヌ。
しかし隙を見せているわけでもなく、今攻撃しても避けられるのが関の山だろう。
「つまり――貴方にあって、私には足りないものがある。
肉体的強度、反射速度、瞬間的に出せる破壊力――そんなものではない何かが、私には足りない」
「今度は、怪物が哲学か……?」
そんな軽口とは裏腹に、俺は恐怖を感じ取っていた。
こいつは、まだ産まれて一ヶ月も経っていない。
本格的な戦闘技能を身につけるには、幼いといってもいいくらいだ。
逆に言えば、こいつが戦闘経験を積んだ時――もはや、手に負えないほど強力な存在になるだろう。
そしてレアリスティヌは自分の戦い方に疑問を感じ、より深い次元に足を踏み入れようとしている。
こいつはここで片付けなければ、さらなる脅威になりかねない――
「教えてやろうか? そら、受け取れ――」
俺はおもむろに、手榴弾を投げ渡していた。
「え……?」
思わず反応し、それを受け取ってしまうレアリスティヌ。
投げられたものを受け止める――本能的に行ってしまうその動作は、戦闘においては好ましくない。
俺は狙いを定め、パルスライフルの銃弾で怪物の手の中にある手榴弾を撃ち抜いていた。
レアリスティヌを巻き込み、たちまち起きる爆発。
その中に、俺は追い打ちを掛けるようにグレネード数発を叩き込んでいた。
連鎖的に爆発が発生し、狭い部屋を爆炎が焼き尽くす――
俺はというと、あらかじめ目を付けていた部屋の角に飛び込んで爆風から逃れていた。
そして数秒ほど経ち――周囲を吹き荒れた爆風や爆炎が収まったようだ。
「やったか……?」
その爆発は、この食料庫――奴等の巣をまとめて焼き尽くしていた。
残り火が繭を燃やし、ミイラ化した犠牲者の体などにくすぶり続けている。
そして、爆心地には――根本からもぎ取られた女の腕が落ちていた。
腕を残し、完全に爆散してしまったのか――それとも、腕を落としつつ逃げ伸びたのか。
成り行きがはっきりしない結末だが、俺にはレアリスティヌの生死を確認する術はない。
それよりも、優先すべきことが俺にはあるのだから――
こうして俺は、軍駐留施設からの脱出を急ぐのだった。
駐留施設、ゲート前――公舎前で奪ったバイクは、まだそこにあった。
「さて、行くか――」
颯爽とバイクにまたがり、俺は異星揚陸艦の墜落地を目指していた。
行きは多人数の歩きだったが、帰りは二十分も掛からない。
俺を残して全滅してしまったという辛い事実が、あらためて身に染みる――
ともかく俺は、大破した揚陸艦の突き刺さる赤茶けた大地へと戻ってきたのだった。
「なんだ、これは――!?」
艦内に一歩足を踏み入れ――そして最初に感じたのは、散々に嗅いだあの臭気。
甘ったるい、頭脳が麻痺してしまいそうな芳香――
そして艦内のあちこちには、あのグリーンの粘液が粘り着いていた。
「そんな、どういうことだ……?」
まさか、あの怪物達の襲撃に会ったのか……?
そうだとすると、この艦に残ったロゼットやヒヨコ達は……?
「――ッ!」
俺は最大限に警戒しつつも、艦の奥に駆け込む。
中には人の気配は全くなく、まるで無人。
怪我人が寝かされているはずの居住区には――無数に並んだベッドの上に、あの繭が無数に転がっていた。
「まさか、そんな……!!」
船内のどこにも、生存者は一人として見当たらない。
代わりに見つかるのは、繭、繭、繭……
――どういうことだ?
俺達がここから離れてから、奴等の襲撃を受けたのか?
もしかして、生き残りはもう――
「……ロゼットは?」
アンドロイド相手ならば、流石のフェイスハガー娘も寄生できないはず。
そして高い戦闘能力を備えているロゼットならば、システィリアン数体程度なら撃退可能。
もっとも、レアリスティヌのような特別に強力な個体ならば難しいだろうが――
ともかく俺は、ブリッジに踏み込む。
そこには、その場にたたずむロゼットの姿があった。
まるで、亡き主人の帰りを待ち続ける忠犬のように――
「……申し訳ありません、スドウ大尉」
ロゼットは、無表情のまま頭を下げた。
その無機質であるはずの顔も、どこか悲しげに見える。
「命令を守ることが出来ませんでした。機械ゆえに寄生できなかった私を除き、全滅です……」
「ああ……ロゼットが悪いわけじゃない。俺の見通しが甘かった」
機械に対して慰めても仕方ないが――俺は、そう口にしていた。
やはりこの墜落艦は、システィリアン達の襲撃を受けたのだ。
この場に残っていたのはヒヨコ連中、ましてその多くが負傷者。
ロゼット一人が奮戦したところで、どうなるものでもないだろう。
「生き残りは、俺一人になったってことか……」
流石に、これにはがっくりきた。
何のために、俺は脱出路を求めて駆けずり回ったのだろう。
こんなことなら、ブランデンと共に行動しておけば良かった――
などと、いまさら愚痴っても始まらない。
「……システィリアン達に、生きたまま連れ去られた兵達が十名ほどいます」
「なんだって……!?」
ロゼットの言葉に、俺は驚かざるをえなかった。
――いや、それも十分にありえることだ。
奴等は生殖に人間の男を「使う」が、食事にも人間の精液を必要とする。
その供給源とするため、健康な男性を確保する――これまでも確認されている奴等の生態だ。
だとすれば、宇宙港に根付いているというクィーンの元に連れて行かれた可能性が高い。
「捕虜達を救助しに向かいますか……?」
ロゼットは作り物の目で俺をじっと見据え、そう尋ねてきた。
「……」
助けたい、という気持ちはやまやまである。
任務の達成を優先するか、部下の生命を優先するか――それは、指揮官を悩ませる二者択一。
しかし今回の場合に限っては、任務などもはや論外。
部下が生存しているならば、何をおいても救出するのが当然だろう。