妖魔の城
※ ※ ※
「何なのよ、さっきの光。それに、変な地響きまで……」
「マルガレーテ様――」
『当主の間』の床をブチ抜いてしまい、階下のメイド控え室で対峙しているメリアヴィスタとエミリア。
互いに射貫くような視線をぶつけながらも、『星見の間』で起きている異常に心を奪わていた。
マルガレーテと侵入者達のいる『星見の間』――そこで、何かが起きているのだ。
「……どきなさい、メリアヴィスタ。私は主の元に急がないと――」
鋭い爪を構えるメリアヴィスタを見据え、エミリアは告げる。
彼女にとって、メリアヴィスタの強さは計算外だった。
気まぐれで粗野な田舎領主が、『紅狂姫』ともてはやされ過信しているだけかと思っていたが――
――しかしその敏捷性も破壊力も、紛れもなく研ぎ澄まされたもの。
戦闘能力のみならば、百八姫の中でもかなりの上位に位置するだろう。
「私も、早くダーリンの元に行きたいのよ。あんたを片付けてからね――」
そしてメリアヴィスタにとっても、エミリアの強さは予想外だった。
単に主人に気に入られているだけの給仕――そう思っていた。
しかしこの強さは、淫魔の常識をも超えている。
その卓越した剣の技量を見るに――かなりの期間、研鑽したのは間違いない。
「どくつもりはない――のですね」
「もちろん……あんたが行ったら、ダーリン殺しちゃうでしょ……?」
その刹那、二人は同時に地面を蹴った。
空中で何度もぶつかり合う刃と爪。
何度も何度も、互いの体を狙って斬り結ぶ斬撃の応酬。
「ぐ……!」
「このぉ……!!」
しかし、メリアヴィスタが徐々に速度を上げてきた。
その目が赤く光り、猫のような縦割れの瞳へと変貌していく。
体には赤い刻印が浮かび、獣人の肉体へと変化していく――
「く――!」
「そら、そら、そらぁっ……!」
互角だった斬撃の応酬は、いつしかエミリアの一方的な防戦に変わっていった。
四方からの爪の攻撃を、刀身で受け止めるのが精一杯――
防御に専念するエミリアの顔面を、すかさずメリアヴィスタは鷲掴みにする。
「てーいっ!」
そのまま床へと叩き付け、そして思いっきり蹴り上げる。
エミリアの体は激しく吹っ飛び、壁面を崩す勢いで叩きつけられた。
ガラガラと崩れる壁に、エミリアはその身を預けてしまう。
「ダーリン、早く行かないと――!」
倒れ伏すエミリアに一瞥もせず、階上へ向かおうとするメリアヴィスタ。
――その瞬間、不意に悪寒が走った。
「な、なに……?」
振り返ると――エミリアが、ゆらりと起き上がっている。
メイド服の裾はボロボロに破け、風にひらひらとなびいていた。
ヘッドドレスが落ちて髪は乱れ、その両目は静かに閉じられている。
そんな状態でありながら――どこか不可解な迫力を醸し出しているエミリア。
妙な寒気に、メリアヴィスタは足を止めて向き直った。
「……まだ来るんですか? 私は、早くダーリンの所へ――」
「――行くことはできません。これより、全力であなたを叩きのめしますので」
乱れた髪を直しながら、エミリアは不敵に言い放った。
つまり――これ以上、髪は乱れないということだ。
「全力……? それじゃあ、今までは全力でなかったとでも……?」
メリアヴィスタは、似たようなやり取りがエミリアと須藤啓との間であったことを思い出していた。
あの時、エミリアは初めて日本刀を持ち出してきたのだ。
この期に及んで、まだ実力を隠していたなど考えられないのだが――
「……ええ、確かに全力です。私がマルガレーテ様の従者である限り、今までのが全力」
「なに、それ……何かのハッタリ?」
そう言いつつも――エミリアの異様な気配が、ハッタリでないことを証明していた。
この女は、いったいどれだけ自分の力を隠しているのか――
「この力を使ってしまえば、マルガレーテ様の従者という分を超えてしまう――それゆえ控えておりました。
しかし、マルガレーテ様の御身が危ないという今なら、話はまた別――」
そして――静かに目を開くエミリア。
その瞳は、まばゆいばかりの金色に輝いていた。
「そんな、あれは――」
似たような瞳を、メリアヴィスタは知っている。
それは――マルガレーテの瞳。
その神秘的な美しさから、魔界では『明けの明星』と称される金色の瞳。
そんな美しい輝きを、エミリアの瞳はたたえていたのだ。
「なんであんたが、『明けの明星』を――」
『明けの明星』は、特定の家系――ノイエンドルフ家に連なる者にのみ遺伝する特色のはず。
前当主ルーシー亡き今、現在『明けの明星』を継承しているのは――
ノイエンドルフ家当主マルガレーテと、その妹ウェステンラ。
そして、ノイエンドルフ家の近親にあたる『魔王』――その三名のみであるはず。
それなのに――なぜ、エミリアが『明けの明星』を――?
「まさか、あんたは……!?」
「……それ以上は、何も知る必要などありません」
「――ッ!!」
広間は金色に照りつけ、そしてメリアヴィスタの視界は朱に染まる。
それから数秒の後――メリアヴィスタの体は、血まみれで床に転がっていた。
※ ※ ※
『星見の間』は重い沈黙に支配され、俺も、ウェステンラも、深山優も、アレクサンドラも――ただ、息を呑んでいた。
その場は静まりかえり、誰もが動かない。
俺も固唾を呑んだまま、一言も発せない。そして、一歩も動けない。
玉座から動かされ、数歩離れた位置に立つマルガレーテ――その頬を、一筋の血が伝う。
それを、マルガレーテは掌で確認し――微かな笑みを浮かべた。
「あら……私にも、血が流れているのね。こんな事でもないと、思い出す機会もないわ……」
何とも嫌な雰囲気を醸し出しながら、にこやかに笑うマルガレーテ。
これは、嵐の前の静けさなのか。
プライドを傷つけられたマルガレーテは、烈火の如く怒り狂うのか――
それとも、前言を曲げずに負けを認めるのか――
ただ一つ、確かなことがある。
マルガレーテがプライドも余裕もかなぐり捨てて牙を剥いたら――
俺達など、五秒ももたずに全滅してしまうだろう。
その光景を誰もが思い描き、そしてこの場は重苦しい沈黙に包まれた――
「素晴らしい健闘ね、まさか私を玉座から動かすなんて――
約束通り、あなた達の望みをひとつ叶えてあげようかしら」
頬の傷を指先で撫で、そう告げるマルガレーテ。
その傷は、みるみる塞がっていく。
「ぐ……」
どうやら、マルガレーテは約束を守るつもりらしい。
しかし――この状態でさえなお、場の主導権はマルガレーテが握っているかのようだ。
「何がいいかしら……? 永遠の命? それとも金銀財宝?
私を殺しに来たのだから、私の命がほしいのかしら……?」
「ならば、ひとつ叶えて貰おうか……」
マルガレーテを真っ直ぐに見据え、ウェステンラはおもむろに口を開く。
その足が、僅かによろめいているのを俺は見逃さなかった。
あれは、この場の重圧による緊張か? それとも――
「我の望みは、真実を知ること――答えよ、姉上! なぜ母を殺した!
手を下したのはエミリアだったとはいえ、お前の差し金だったのだろう!?」
「……エミリアにも、私とはまた違った事情があるわ。
あなたが聞きたいのは、この私の思惑よねぇ……?」
「その通りだ! なぜ、母様を殺した! 答えよ!」
感情のまま、怒鳴るウェステンラ。
それに対し、マルガレーテは余裕の態度をまるで崩しはしない。
「そのような答え、ただの一言で済む。――愚かだったからよ、あの母は」
「答えになっておらん! なぜ、殺す必要があった!
あの頃、もはや全ては姉上の手にあっただろう! この城も、実権も――ノイエンドルフ家の全てが!
なのに、なぜ母様を殺めた!! 愚かだったから、母上は死ななければならなかったのか!?」
一歩踏み出し、そう叫ぶウェステンラ。
本人は隠しているつもりでも、その体が僅かによろめくのが分かる。
話の内容よりも、俺はそちらの方が気に掛かった。
「あれだけ弱り切っていても、母ルーシーは『ノーブル・ロード』。その資格を、私は早急に受け継ぐ必要があったからよ」
「え……?」
姉の返答に対し、ウェステンラは困惑の表情を浮かべる。
「『ノーブル・ロード』を……受け継ぐ、だと? どういうことだ……?」
「ウェステンラ。あなたは、『ノーブル・ロード』とは女王七淫魔という地位の別称だとでも思っていたのかしら?」
くすり……とマルガレーテは笑った。
「とんだ勘違いね、ウェステンラ。『ノーブル・ロード』とは、女王七淫魔の別称などではない。
現在、世界に存在する七つの『ノーブル・ロード』――それを魂に刻んだ七人を、女王七淫魔というの」
「なんだと……? どういうことだ……?」
当の女王七淫魔の妹であるウェステンラでさえ知らない――すなわち、魔界でもほとんど知られていないことなのだろう。
しかし俺はそんなことよりも、ウェステンラの異変の方が気に掛かっていた。
さっきの戦いで、物理的なダメージは一切受けていないはず。なのに、こいつはなぜ――
「姉上……『ノーブル・ロード』とは、何なのだ……?」
「それは、物理的に存在するものではない――世界で最も優れた淫魔七人の魂にのみ宿る、霊的な力。
来たるべき時が来れば、鍵となる――すなわち、魂の鍵」
そう言って、マルガレーテはくすくすと笑った。
「まあ……来たるべき時が来ない限りは、全く意味がないものでもあるわ。
だから――『ノーブル・ロード』が別称同然に理解されていても、仕方ないわね」
「来たるべき時だと……? それは、まさか――」
ウェステンラの表情が、さっと青ざめた。
俺も、アレクサンドラも、天井の上の深山優も――話についていけなくて、呆けるばかり。
「ええ。来たるべき時――『約束の時』。それは、もう寸前にまで迫っているわ」
「まさか、そんな――あれは、ただのおとぎ話では……」
「そう――魔界においてさえ、大部分の人間は『約束の時』など寓話に過ぎないと思っているわね。
しかし、女王七淫魔は知っている。今より約6500万年前、『約束の時』は確かにあったと。
そして、今から一年を待たずに『約束の時』が到来すると――」
「そ、そんな――」
わなわなと震え、ショックを受けた様子のウェステンラ。
その様子からして、『約束の時』とやらはあまり愉快なものではなさそうだ。
何かの災害か、大異変か――
その際に、『ノーブル・ロード』が鍵になるとはどういうことだ?
『約束の時』とやらが来た時、女王七淫魔は何か特別な役割を果たすのか……?
何もかも、分からないことだらけだ――
「あと一つ、教えてあげるわ。あなた達がこの城で見た、あの封印物――」
マルガレーテは、そこで俺にも視線をやる。
あれは確か――あの研究室めいた部屋にある、地下への隠し階段。
血も凍るような、異様な雰囲気――あれを思い出すだけで、背筋に寒気が走るほどだ。
「あそこに封印されているものこそ、魔祖システリア・ノイエンドルフ。
覚醒していない今だからこそ、あの程度の封印に甘んじている――でも、もうすぐ魔祖も目を覚ます時よ」
「そうなれば、『約束の時』が――」
ウェステンラは、思い詰めた表情で呟いた。
「その日のために、姉上は母様を殺したのか……? その日、自分が『ノーブル・ロード』であるために……?」
「……もう一度言うわ、ウェステンラ。私が母ルーシーを殺めたのは、あの女が愚かだからよ。
母は運命や宿命に振り回され、身も心も疲れ切っていた。人間界と中途半端に関わり、不要の混乱さえもたらした。
『約束の時』も、滅びさえも、運命として受け入れようとしていた――そんな愚かな女から、私は『ノーブル・ロード』を奪ったの」
「なら、姉上は――!」
母を殺した実姉に対し、ウェステンラは声を荒げる。
「姉上なら、母様とは別の道を歩めるとでも言うのか!?」
「ええ。私は、下らない運命とか、生まれついた宿命とか、気まぐれな神とか――そういうものに振り回される気はないの」
「……」
ウェステンラは、マルガレーテをきつく睨みつけた。
「姉上……あなたは、間違っている!」
「そう思うなら、言葉ではなく行動で示しなさい。私が、母ルーシーの過ちを正したように――」
「ぐ……」
きっぱりと告げるマルガレーテに対し、ウェステンラは一言も口を挟めない。
そして、それだけの力もない――ウェステンラも、そして俺も、淫魔の女王の前ではあまりに無力なのだ。
「では、今度は私からあなたに尋ねようかしら。
ウェステンラ――私を殺しに来ておきながら、なぜさっき私の死を願わなかったの?」
「それは――」
おもむろに投げ掛けられた姉からの問いに対し、ウェステンラは少しだけ口ごもった。
「我にも、プライドというものがある! 死を命じるくらいなら、我が実力で命を奪う!」
「……無駄なプライドねぇ。だからあなたは、女王に相応しくないの」
ウェステンラの答えを、マルガレーテはあっさりと一蹴する。
「なんだと……?」
「もし私があなたの立場なら、間違いなく憎き姉に死を命じていた。真実など、それからいくらでも探せるでしょう……?
その合理性こそが、王者として必要な資質。プライドというものに遠慮して、好機を失う――それは愚か者の証明よ」
「……ならば! もし我が死を命じていれば、姉上は言われるがまま命を断っていたというのか!?」
「ふ……そんなはずがないでしょう?」
マルガレーテは、くすくすと笑った。
何を愚かなことを言うのか――とでも、言いたげに。
「もし死を命じていたなら……その瞬間、あなた達を即座に皆殺し。
履行者が死に絶えた約束など、守る意味も価値もない――そういうことよ」
「……それが、王者の資質ということか?」
唇を噛み、ウェステンラはマルガレーテを――淫魔の女王を睨む。
「ええ、その通り。魔界では、女王というのは怯え忌み嫌われる汚れ役。
支配者というのは、そういうものよ。生半可な覚悟では、務まらないからこその女王なの」
「ぐ……!」
――駄目だ、格で負けている。
端から見ている俺としても、この姉妹の格の違いは明白だ。
「それでも――健闘はたたえてあげるわ、あなた達。H-ウィルスの女王に、その変異実験体。それに、勇敢なる人間――」
この場の一同に視線を這わせ――そしてマルガレーテは、ふと俺の顔に目を留めた。
「これは……面白いわね。何もかもが矛盾に満ちた、実に数奇な生――」
「なんだと……!?」
「その矛盾は、いつかあなたの心を壊してしまう。
しかし――そんな試練を乗り越えたとき、ウェステンラとの絆は強固なものとなるのかも。
そうなれば、あなた達は再び私の前に立つのかもね。今日のような遊び相手じゃなく、真の強敵として――」
「なんだ……予言者気取りか?」
動揺を隠し、俺はマルガレーテに毒づく。
ただ一つ、確かなこと――今日の俺達を「遊び相手」と断じたのは、ただの負け惜しみではないということだ。
「……マルガレーテ様」
その時――不意にマルガレーテの後方に、影がふわりと出現した。
乱れたメイド服に、整った顔、無感情の瞳――忠実なる従者、エミリアだ。
「遅れ馳せ、申し訳ありません。これより、侵入者を――」
「……その必要はないわ、エミリア。もう勝負は決まっているから」
刀を抜こうとするエミリアを、マルガレーテは制する。
「ぐ……! まだ、勝負は――」
おもむろに一歩を踏み出したウェステンラは、がっくりと床に膝を着いた。
その息も荒くなり、もはや衰弱は隠せないほどらしい――
「ウェステンラ……忘れたわけではないわよね? あなたは生命力を振り絞り、私の『イージス』にぶつけたのを――」
「ぐ……!」
よろめきながら立ち上がるウェステンラだが、とても戦えるような状態ではない。
「無駄な努力ね。おそらく、その『器』はもう持たないわ――」
そう言って、くるりと背を向けるマルガレーテ。
そのままエミリアを従え、この場から歩み去ろうとする――
「――逃がさないで、ネメシア!」
その瞬間、アレクサンドラの指示が響いた。
今まで静かに控えていたネメシアが、猛然とマルガレーテに挑みかかる。
その腕を振り上げて触手に変え、マルガレーテへと伸ばした――
「お下がり下さい、マルガレーテ様。ここは、私が――」
瞬時に日本刀を抜き、たちまちのうちにネメシアの触手を両断するエミリア。
そのまま流れるような足運びでネメシアとの間合いを詰め――その腰部を撫で斬った。
上半身と下半身が分断する――その前に、脳天から打ち下ろしを叩き込む。
まさに神速の剣さばきの前に、ネメシアの体は四つに分断されて床へと転がった。
「終わりました、マルガレーテ様。それでは、ここから――」
エミリアがネメシアに背を向けた、その瞬間だった。
ネメシアの体がたちまち再生し、起き上がりながらエミリアへと飛び掛かったのだ。
「――ッ!」
振り向きざまにネメシアの胴部を輪切りにし、心臓部に刃を突き立てるエミリア。
それでもネメシアはたちまち再生し、エミリアの前に立つ。
「あら、エミリア……苦戦しているのかしら?」
「いえ……大したことはない相手ですが、生命力のみは一流かと。
一分ほどお時間を下さい。完全に消滅させますので――」
ネメシアと対峙しながら、再び刀を抜くエミリア――
そんな従者の背へと、マルガレーテは呼び掛ける。
「……エミリア。あなたはこの私に、一分も待たせるつもりかしら?」
「マルガレーテ様……?」
おもむろに、マルガレーテは動いた。
少女の姿をした女王は、つかつかと優雅に歩み――そして、ネメシアの前に立つ。
そのまま、小さな右掌でネメシアの顔面を掴んだ――
次の瞬間、凄まじい衝撃波が放たれた。
「うわっ……!」
「ぐっ……!」
強烈な爆風と衝撃、閃光――
マルガレーテを中心に、大爆発が起こったかのようだ。
その瞬間、俺にも何が起きたのか分からなかった。
おそらく、ネメシアの顔面を掴んだ右掌から魔力の衝撃波を放ったのだ。
「う、うぐ……!」
爆風が止み、周囲を荒れ狂った衝撃も消えていく。
そして――俺が目にしたのは、信じられない光景。
マルガレーテの前に存在したものは、根こそぎ消滅していた。
ネメシアの体など、もはや欠片も残っていない。
そればかりか、柱も、床も、広間の壁も、城自体の外壁も――のきなみ薙ぎ払われていた。
壁に開いた直径20メートルほどの大穴からは、外からの風が吹き抜けてくる。
マルガレーテの掌――その延長線上にあるものは、全て吹き飛ばされてしまったのだ。
その凄まじい破壊力に、俺達は呆然とたたずむばかりだった――
「ふふっ……ちょうど良い出口が出来たわね。行くわよ、エミリア――」
「了解しました――」
目の前に開いた壁の大穴へ、つかつかと歩みを進めるマルガレーテとエミリア。
こいつらは空が飛べるのだから、あそこから出る気なのだろう。
余裕綽々の態度で去ろうとするマルガレーテ達に対し、俺は――
「ぐ……!」
俺は、無力のまま歯ぎしりをするしかなかった。
コウモリのような羽を広げ、壁の大穴から優雅に飛び立っていくマルガレーテとエミリア――
その後ろ姿を、俺達はただ見送るだけだった。
ともかく、戦いは終わったのだ――
「ぐ……なにか、まずくないか……?」
足下の妙な鳴動にさらされながら、俺は言った。
壁にはぴしぴしとヒビが入り、その亀裂は広がり続けている。
そして、床にも――明らかに不安を感じるほどのヒビが走っていた。
立派な赤絨毯には火が付き、かなり激しい勢いで燃え始めている。
思えば、凄まじい激戦に衛星兵器の一撃。ネメシアの触手が乱れ、マルガレーテの衝撃波がとどめ――
とうとう、城の崩壊が始まろうとしているのだ。
「……僕達も、早く脱出した方が良さそうだね」
今までずっと天井付近に潜んでいた深山優が、ようやく広間へと下り立った。
彼が飛び降りた衝撃だけでも、床のヒビが広がってしまう――これは、いよいよマズい。
「え……!? なに、この状況……!?」
不意に素っ頓狂な声を上げたのは、アレクサンドラ――いや、違う。
その外見は、ノイエンドルフ城の外で会った少女のものに戻っていた。
「もしかして、私が寝てる間に終わっちゃったの……!?」
「沙亜羅、今はともかく脱出を――」
深山優が、そう言い掛けた時だった。
突然にウェステンラが、片膝を着いたのだ。
「おい、どうした……!?」
慌ててウェステンラを抱き起こそうとした、その時――
不意に、巨大な柱の瓦礫がガラガラと頭上から崩れ落ちてきたのだ。
ウェステンラに気を取られ、反応できなかった――
「ぐ――!?」
「どけ、啓!」
共に下敷きになる寸前、ウェステンラは俺をきつく突き飛ばした。
「うぐ……!」
俺はその場から弾き出され、床に転がる――
それと同時に、ウェステンラの体を瓦礫の鉄骨がずぶりと貫いてしまった。
よりにもよって、ちょうど胸の辺りを――
「ウ、ウェステンラ――!」
「ぐっ……!」
瓦礫の下敷きになったまま、大量の血を吐くウェステンラ。
俺は、慌ててその側へと駆け寄った。
「おい、手伝え!」
「あ、あぁ……!」
深山優と沙亜羅の助けを借り、瓦礫の下からウェステンラの小さな体を救い出す。
こうしてあらためて抱くと分かる――驚くほど軽く、非常に小さな体だ。
「ぐ……この出血は……」
傷の位置も悪ければ、出血量も凄まじい。
これは、人間だったら間違いなく致命傷だ。
ウェステンラの顔からどんどん血の気が引き、蒼白になっていく――
「嘘だろ、おい……! 淫魔の生命力なら、こんな傷……!」
思わず俺は、ウェステンラの手を取った。
その小さな手にさえ、もう力が残されていないことがはっきりと分かる。
「いや……もうダメそうだな……
さっきの戦いで、我は全生命力を振り絞った……その時点で、この肉体はもう持たなかったのだ……」
「なんだと……!? お、おい!」
俺は、ウェステンラの小さな体を揺さぶる。
「待ってろ、今すぐ病院に運んでやる! すぐにここから脱出して――」
「無理だ……もう、数分も持たん……我の体は、ここに捨てていけ……
お前達まで、城の崩壊に……巻き込まれ、て……」
「ふざけるなぁッ! お前を見捨ててたまるかッ!」
俺は、ウェステンラの体をきつく掻き抱いていた。
その俺自身が、はっきりと悟っていたのだ。もう、ウェステンラは助からないと――
「少し待て……召喚を……」
ウェステンラは、俺の胸の中で何やらブツブツと唱えている。
何か、魔術を使っているようだが――
「ち……少し座標がズレたな……だが、すぐ近くだ……すぐ、合流……」
「もういい、喋るな!」
俺は、ウェステンラのか細い体をきつく抱き締めた。
その体からは、徐々に生命と体温が失われていく――
「我は、捨てていけ……だっしゅ、つ……を……」
――それ以上、言葉は続かなかった。
かくり……とうなだれ、ウェステンラは動かなくなってしまったのだ。
まるで、冗談のように――
つい先程まで、生意気な口を利いていたのに――
しかも、俺をかばって――
「そんな――」
俺は、ウェステンラの体をゆさゆさと揺すった。
「嘘だろ……おい、勝手に死ぬなよ……!」
当然、返事はない。
もう、力尽きているのだ。返事があるわけがない――
「う、ぁぁ……」
俺の体が、ぶるぶると震え始める。
あれは――今も忘れない、幼き日に見た地獄。
俺に覆い被さるようにしながら、体温を失っていく父親――
またしても、俺は救うことができなかった。
今はあの時と違う。
あの時よりも、段違いに強くなった。
何のために強くなった? 復讐のためか?
いや、違う――もう失いたくなかった、だから強くなった。
それなのに――また、俺は失ってしまったのだ。
「いやだぁ……! 」
ウェステンラの亡骸にしがみつき、俺は涙声を上げた。
涙が、震えが、嗚咽が、次から次から溢れ出して止まらない。
「また、一人にしないでくれ……! 俺は……! 俺は――」
物言わぬ屍を抱えながら、俺は子供のように泣きついていた。
それ以上は言葉も漏れず、ただウェステンラの屍を抱き締めるのみ。
深山優も、沙亜羅も――口を開くことなく、静かに視線を落としている。
そして、無情な沈黙が訪れた――
そこへ――
「おい、何をしておる! 早く脱出するぞ!!」
唐突に出入り口から聞こえてきた声が、そんな悲痛な沈黙を一瞬で打ち破る。
『星見の間』に駆け込んできたのは――なんと、もう一人のウェステンラだった。
※ ※ ※
こういう光景を、今までも何度か見ることがあったが――
何度出くわしても、決して慣れるものではない。
最愛の者を失った哀しみ――それがまた、僕の眼前で展開されていた。
「ウェステンラ……ウェステンラ、俺は……」
屍にすがりつき、声を掛け続ける須藤啓。
「……」
沙亜羅も神妙な表情のまま、声を掛けることも出来ない。
と――また、足下の床にぴしぴしとヒビが入った。
絨毯や調度品はめらめらと燃え続け、かなり火も広がってきている。
このままここにこうしていると、城の崩壊に巻き込まれてしまうだろう。
須藤啓に声を掛けようとした、その時だった――
「おい、何をしておる! 早く脱出するぞ!!」
なんと――目の前で死んだはずのウェステンラ本人が、広間の出入り口からひょっこり現れたのだ。
「……ぬおっ、なんだ!? 」
そしてウェステンラは、涙でくしゃくしゃになっている須藤啓を見て目を丸くした。
その胸の中には、もう一人のウェステンラの屍が抱かれているのに――
これはいったい、どういうことだ……?
「ウ……ウェステンラ、なんで……?」
「その『器』は、もう使い物にならんと言っただろうが。
だから力尽きる前に、新しい『器』を召喚して魂を移動させたというわけだ」
胸を突き出し、ウェステンラは威張るようなポーズで反り返った。
「こういう時のために、スペアの『器』を用意しておいて良かったぞ。
衣服を脱ぎ捨てるように体を換えるのは好きではないが、こういう窮地に――」
ウェステンラは言葉を止め、ふるふると肩を震わせる須藤啓を眺めた。
「どうした……啓? その様子……もしかして、我が死んだと勘違いして泣き暮れておったのか?」
須藤啓の顔を覗き込み、ウェステンラはにんまりと笑う。
「う……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォー!!」
不意に須藤啓は立ち上がり、ウェステンラの屍を抱え上げると――
目の前に広がっていた火の海へと投げ込んでしまった。
ウェステンラの屍は火に包まれ、たちまちめらめらと燃えていく。
「な……なんてことをするか、貴様! もう不要な体とはいえ、あまり気分の良いものではないぞ!」
「黙れ、この大馬鹿野郎!!」
須藤啓は立ち上がり、思いっきり瓦礫に拳を叩きつけた。
「……誤解するな。俺は、お前が生きようが死のうがどうでもいい」
そして、何事もなかったかのように平然と告げる須藤啓。
ツンデレは、こんなところにもいたようだ――
「……ねぇ。話もまとまったし、早く逃げようよ――!」
そう言ったのは、ツンデレ一号の沙亜羅。
「そうだな。しかし、どうやって……」
ここは、ノイエンドルフ城の最上階。
崩壊する城の中を、今さら階下に戻るのは危険すぎる。
「どうやっても何も……空を飛べばいいだろうが。飛んで逃げる作戦だ!」
あっさりと告げるウェステンラ。
「……お前はそれでいいだろうが、人間は空を飛べんのだ」
須藤啓は、ウェステンラの頭を軽く小突く。
「そうよ。あんたが一人で飛んだって、私達三人は――」
そう告げる沙亜羅の背中から、にゅっと蝶の羽根が突き出した。
「――人間だし、飛べないんだからぁ……」
その羽根が、機嫌良さそうにパタパタとはためく。
「わたしも、人間なんだから……なによぉ、これぇ……」
背中の羽根をはためかせながら、切なそうに呟く沙亜羅。
……どうやら、飛んで逃げる作戦は上手くいきそうだ。
「よし、二人が飛べるとなれば問題なかろう。それぞれ、男一人ずつを抱えて飛ぶぞ」
「格好の悪い話だが、仕方ないな――」
須藤啓が頷いた、その時だった。
不意に、足下の床にぴしぴしと亀裂が走る――と思ったら、たちまちガラガラと崩れ始めた。
「わぁっ!」
「うおっ!」
「お、おい……!」
突然の足場の崩壊に巻き込まれ、瓦礫に混じりながら僕達は階下へと落ちていく。
激しい衝撃と共に、僕の体は階下の床へと叩きつけられ――
「う、ぐ……!」
そして、僕達が落下した場所は――あの城内回廊だった。
僕のすぐ側で、須藤啓が頭を振りながら立ち上がる。
「ぐ……数階分ほど落ちたようだな。……ウェステンラは?」
「沙亜羅も、いないな――」
二人の少女の姿はなく、側にいるのは須藤啓のみ。
もしかして、この瓦礫の下敷きになってしまったのか……?
『――おい、大丈夫か!?』
不意に、頭の中に少女の声が響いた。
これは――確か、ウェステンラの念話というやつか。
その呼びかけに、須藤啓は素早く応答する。
「……ああ、大した怪我はない。お前達はどこにいる?」
『我と沙亜羅は、城の真上――あの崩壊の瞬間、空を飛んで真上へと逃れたのだ。
待ってろ、今すぐ救出に向かうから――』
「……いや、その必要はない。お前達は来なくていい」
須藤啓は、当然のように言った。
まるで、このような事態は慣れていると言わんばかりに。
「深山優――お前も、それで異論はないな。俺達なんとか脱出するぞ」
「ああ……構わないよ」
空が飛べる以上、女性陣の脱出は容易。
それを再び危険の中に引き戻すよりは、男性陣のみで脱出する――
つまり、男の意地という奴か。
そういうのは、僕も嫌いじゃない。
『……分かった。気を付けろよ』
そう言い残し、ウェステンラからの念話は途絶えてしまう。
「さて……」
須藤啓と二人での行動――想定もしていなかった組み合わせだ。
正直、気が重い。
好き嫌い云々より、性質的な相性が恐ろしく悪いのである。
間違いなく、向こうもそう思っているはずだ――
「……さて、どうする? このまま階下に降りるのは、危険すぎると思うけど」
「ああ……俺に考えがある。こっちだ」
須藤啓は、おもむろに通路を駆け出した。
いちおう彼を信頼し、僕もその後に続く。
「で……そっちに、何があるんだ?」
「来るときに、脱出にうってつけのモノを見つけてな……」
そんなやり取りを交わしながら角を曲がり、広間に出る僕達――
「……見つけたわよ、侵入者!」
その広間の真ん中には、一人の女性が立っていた。
白衣に眼鏡の、サキュバスとしてはやや華やかさに欠ける女。
彼女の周囲には、十個ほどの大きな檻があった。
こいつは崩壊する城で、避難もせずに僕たちを待ち受けていたのか……?
「お前は……?」
「マルガレーテ様の配下にして、ノイエンドルフ城生体工学研究主任――レムシェル。
よくも、私の研究をメチャクチャにしてくれたわね――」
レムシェルは、敵意を込めた視線を僕たちに投げ掛けた。
「そんな場合か……? 今すぐ脱出しないと、お前まで城と運命を共にすることになるぞ?」
「あははは……どちらにしろ、命より大切な研究データは瓦礫の下。
こんなことになったあなた達を片付けた後、可愛い実験生物達と運命を共にするわ――」
どうもこの女科学者、半狂乱の様子――研究データの喪失が、よほど痛かったのか。
そして、レムシェルは手にしていたリモコンスイッチを押す。
すると――周囲の檻が次々に蓋を開けた。
そこから這い出てきたのは――いずれも、淫魔の類ではなさそうだ。
毛むくじゃらで牙を剥き出しにした、いかにも凶暴そうな顔付きの獣人。
その背に巨大な翼を生やしている、目の血走った吸血鬼。
フランケンシュタインを彷彿とさせるような、ツギハギだらけの人造人間――
他にも、色々――淫魔とは全く種類の違う、見るからに凶悪そうな怪物達だ。
「あはははは……! こいつらは、今まであなた達が片付けてきたサキュバスほど優しくはないわ。
敵を引き裂き、潰し、食らい尽くす凶悪な怪物達よ。
後悔しなさい! サキュバス相手に吸われていた方が幸せだったとね――!」
レムシェルの指示と共に、醜いゾンビのような怪物が須藤啓へと躍り掛かった。
「さあ、引き裂いてしまいなさい――!」
ゾンビの拳が、須藤啓の顔面を一撃する――
「悪いが――」
そのゾンビの拳は須藤啓の体には届かず――逆にゾンビの方が斬り刻まれた。
須藤啓は、袖から取り出したナイフを軽く回転させる。
「――俺は、こういう相手の方が専門なんだがな」
「……それは同感だね。サキュバス相手より、よっぽどやりやすい」
飛びかかってきた狼男の顔面に銃弾叩き込みながら、僕も呟く。
たちまち、二体の怪物の屍が僕達の前に転がった。
「え……? そんな――」
勝ち誇っていたレムシェルの顔が、みるみる歪んでいく。
「悪いな……あまり時間は掛けられない。30秒で片付けさせてもらうぞ」
「やれやれ……僕は、専門外なんだけどね」
「ひ、ひぃ……!」
僕と須藤啓を前にして、いつしかレムシェルは後ずさりしていた。
※ ※ ※
「……あやつら、うまく逃げておるかのう?」
コウモリの羽根をはためかせながら、ウェステンラは崩れゆくノイエンドルフ城を眺める。
ネメシアに土台を潰され、衛星兵器の直撃を受け、『星見の間』で人外達が暴れ狂い――
いかに妖魔の城といえども、ここまでされて平気なほど頑丈ではない。
「あっ……ちょっと待って。まだ……飛び方が……うまく……」
蝶の羽根をパタパタとはためかせながら、沙亜羅はフラフラとウェステンラに接近する。
「……どうしたの、あんた。なんか寂しそうじゃない?」
「一応は、我の生まれ育った城だからな。こうして崩れる様を見るのは、なんとも複雑なのだ――」
「生まれ育った城……? じゃあ、あのマルガレーテってのは――」
「……我の、姉だ」
ウェステンラは、自嘲するように笑った。
「このたびの一件も、姉と妹のつまらぬ因縁――いや、意地の張り合いなのかもしれぬな」
「そう……あんたも、ろくでもない姉に苦しめられてるのね……」
同情顔で、しみじみと溜め息を吐く沙亜羅。
「そう言えば――あのマルガレーテが言ってたじゃない。
あいつを玉座から動かしたご褒美に、なんでマルガレーテに死ねと命じなかったのかって……」
「ああ……そう命じていたら、全員を即座に皆殺しにし、不履行にしていた――というやつだな。
ふふ……なんとも姉上らしいことだ」
「でも、本当にそうなのかな……?って、私の中の姉さんはさっき言ってた」
轟音を立てながら、ゆっくりと崩壊していくノイエンドルフ城――
それを遠巻きに眺めつつ、沙亜羅は感傷的に呟く。
「もしあんたが、迷わず淫魔の女王に死を命じていたら――それで、マルガレーテは覚悟するんじゃないかな、って。
自殺はしないまでも、全てをあんたに譲る決心をして、隠居してたんじゃないかな――って、姉さんは言ってるけど」
「……さて、どうなのだろうな」
そう呟き、城に視線をやるウェステンラ――その時、妙なものを視界に捉えた。
「ちょっと……何、あれ……!」
沙亜羅も、その異変を前に血相を変えてしまう。
「ぬぅ……」
不意に、城の一階部分からぞわぞわと黒い巨大な影が現れ始めたのだ。
巨大な触手の渦、不定形の奇妙な生物――そいつは崩壊する城に取り付いていく。
「あれって、ネメシア……?」
「……そのようだな。姉上に吹っ飛ばされた以外にも、まだ残りがいたらしい――」
再び広がっていくネメシアを前に、ウェステンラと沙亜羅は表情を曇らせた。
「沙亜羅、あいつは貴様の言うことを聞くのではなかったか……?」
「そうだけど――ここからじゃ遠くて、命令を聞いてくれないみたい……」
心の中にいるアレクサンドラと言葉を交わしながら、沙亜羅は慌てた。
「それに――今のネメシアって、かなり異常な状態にあるみたい。
ほとんどはマルガレーテに吹き飛ばされちゃって、本体を失った残骸みたいなものなんだって。
それで今、残骸から本体を回復しているところらしくて――」
「ふむ……凄まじい生命力だな」
ウェステンラは、城に取り付く触手の渦を見据えた。
あの中には、無数の淫魔の意志さえ感じられるほどだ。
「だから、今のネメシアは本体を欠いている暴走状態――
命令を聞かせたかったら、ネメシアが頭脳中枢を回復させるまで待つ必要があるんだって」
「むぅ……それまで、あの二人は大丈夫なのか……?」
「ど、どうんなんだろ……」
結局のところ――今の沙亜羅とウェステンラは、二人の無事を願うしかないのだった。
※ ※ ※
「すまないけど……9mmパラベラム分けてくれる?」
「ああ、代わりに手榴弾を数発よこしてくれ」
それぞれの正面から迫る怪物達を薙ぎ倒しながら、僕と須藤啓は背中を合わせる。
そのまま、後ろ手で弾薬と手榴弾を交換し――僕は素早く前方の敵に弾丸を撃ち込んでいた。
「そ、そんな……なんなの、こいつら……」
戦闘時は意外に息の合う僕達を前に、顔を蒼白にして戸惑うレムシェル。
そんな彼女の可愛い実験生物達を、僕と須藤啓は流れ作業のように始末していく――
たちまちこの場に、怪物達の肉塊が散乱するという有様になった。
そして、残るは厄介そうなのが一体――
「おっと……!」
身の丈10メートルはあろう醜い巨人が、その大木のような腕を振り回した。
パワーは凄いが単調で直線的な攻撃、避けられないはずがない。
「あとは、こいつか……」
「おい、お前は足を狙って動きを止めろ。とどめは俺がやる」
「はいはい……」
溜め息を吐きつつも、その戦術は悪くない。
僕は素直に従い、ライフル弾を巨人の右足へと集中的に撃ち込んだ。
ダメージを受けた足で自重が支えきれなくなり、巨人は地に膝を着いてしまう――
「よし――」
それにぴったりと息を合わせるように、須藤啓は跳んだ。
膝を着く巨人の腰を駆け上がり、その心臓部に至近距離から弾丸を浴びせかける。
そのまま流れるような動作で、ナイフで首筋を引き裂いた――
「あが……がぁぁぁぁぁ……!!」
大口を開け、苦しみの咆吼を上げる巨人――
須藤啓は、その口の中に容赦なく手榴弾を放り込んだ。
「……じゃあな」
彼がひらりと離れると同時に、巨人の頭が爆砕してしまう。
そのまま、頭部を失った巨体はずしんと地面に倒れ伏せた。
「ふぅ……これで全部か」
「意外に、チーム戦が得意なんだね。もっとワンマンな戦い方だと思ったよ」
「これでも、ずっとリーダーだった身だ。本来、俺の専門はチーム戦さ」
「なるほどね……」
そんな会話を交わしながら、僕達は腰を抜かしているレムシェルの前に立った。
「ひ、ひぃ……たすけて……」
「……やれやれ。命だけは助けてやるけど――」
「ダメだ、死ね――」
そのまま須藤啓は銃を構え、フルオートでレムシェルの顔面に銃弾の雨を浴びせた。
……これだ。
憎悪と怒りが、ぷんぷん匂ってくるような戦い方。
こういうのは、僕の趣味ではない――
「そう言えば、マルガレーテが言ってたね。あんたには大きな矛盾に満ちているって……」
「……」
「あのウェステンラも、淫魔なんだろ? それなのに、あんたは――」
「……とっとと行くぞ。このまま城と心中したいのか?」
「ああ、そうだね……」
確かに、こんな状況でのんびり話をするというのも僕らしくない。
そのまま僕は、須藤啓の後について通路を駆けるのだった。
彼の想定している脱出手段とは、いったい何なのだろうか――
「これは……」
須藤啓に導かれた展示場には、汽車や高射砲などといったものが所狭しと並んでいた。
「マルガレーテのコレクションルームだ。あれを見ろ――」
須藤啓が指さしたのは――零戦。
あれを使って、脱出しようということだろうが――そう上手くいくのか?
展示品の飛行機を、そう簡単に動かせるわけもない――その位は、須藤啓も分かっているだろうが。
「本当に動くのか、あれ……?」
「ああ。飛行可能機であることは確かめた」
「滑走路はどうするんだ……?」
「それなんだが……あのマルガレーテが、この零戦をただ眺めて楽しんでいたと思うか?」
そう言いながら、須藤啓は周囲をぐるりと見回した。
そして、すぐ近くの壁面に取り付けられた操作パネルに目を付ける。
「あいつは間違いなく、それだけで満足するようなタマじゃない。
絶対に、これを乗り回して楽しんでいるはずだ。だとすると――」
パネルの表記を確かめながら、須藤啓はボタンの一つを押した。
すると――
不意に、零戦の正面にある展示場壁面が開き始める。
その開いた先は、なんと城の外にまで繋がっているようだ。
同時に、零戦の進行方向にある展示物なども横に押しのけられ――
その展示場は、そのまま城の頂上近くからの滑走路と化してしまった。
この馬鹿馬鹿しい仕掛け――さすがは、淫魔の女王だ。
思いついても、普通はやらない。
「……なんで、この仕掛けに気付いたんだ?」
「ここの展示場の壁は、城の外壁と不自然に近すぎる。高射砲でブチ抜いた時、構造に疑問を感じてな。
それとマルガレーテのマニア心を合わせて考えれば――すぐ分かることさ」
そう言いながら、須藤啓は零戦の操縦席に飛び乗ってキャノピーを開ける。
……何食わぬ顔をして、先に行かれた。
この機は一人乗りである以上――
一人は操縦席の椅子に座り、もう一人は操縦席の狭いスペースに強引に入り込むことになる。
そして須藤啓は、当然のような顔をして操縦席に座った。
「さあ、お前も乗り込め。すぐに離陸するぞ」
「……」
僕は狭いスペースに体を預け、操縦席の左側になんとか体をねじ込んだ。
「ぐ……狭すぎる……雷電なら、もう少しマシだったのに……」
動けないとか、そういうレベルではない。
一人でさえ狭い操縦席に二人が入り込む――もはや、息が詰まるレベルだ。
乗っているというより、操縦席の脇スペースに挟まっているといった方が正しい。
「よし、行くぞ……!」
「あぐ……前が見えない……揺れる……ぎゃぁぁぁぁ……!」
密着している機体から、激しい揺れが伝わってくる。
機体が滑走しているのは分かるが、前など見えはしない。
「よし、このまま城から飛び出すぞ、行けぇぇぇ……!」
「いたい……うぐ、狭い……くるしい……」
ぱっと外が明るくなり、屋外に出たのが分かる。
しかし、脱出の爽快感とか飛翔感とか――そういうのは微塵もない。
「すごい。すごい。これが零戦か。零戦の乗り心地か。俺の心はワクワクする――」
「……」
おまけに、やけに楽しそうでテンションの高い須藤啓が気に障る。
とは言え――とりあえず、窮地を脱したことは確かだった。
「さて……どこに着地するか」
須藤啓が、そう呟いたその時だった。
「おい、見ろ――あれを!」
突然に彼は、上擦った声を上げた。
「みえない……せつめいして……」
「城を、訳の分からん触手みたいなのが取り巻いて……! なんだ、あのバケモノは……?」
「まさか……ネメシア……!?」
マルガレーテに吹き飛ばされたはずのネメシア――まだ、生きていたのか。
しかも、あいつは僕を狙ってくるはずだ――
「ぐっ……こっちにも触手が伸びてくるぞ!」
「ひ……うわぁ……!」
その次の瞬間――がくん、と機体が揺れた。
直撃したら、木っ端微塵のはず。なんとか避けたようだが――
「く……主翼に掠ったか……!? 機体の制御が――!」
機体は傾き、妙な旋回をしながら高度を下げていくようだ。
必死で機体を操作しながら、須藤啓は血相を変える。
「ぐ……さすがに脱出蔵置はないか……!」
あったらあったで、お前一人で脱出する気か――
「とにかく……ちゃく、りく……」
ガタガタと機体振動が激しくなるにつれて、機体に密着している僕の体にも衝撃が伝わってくる。
「分かってる! しっかり掴まってろ、強制着陸するぞ!」
「た、たのむ……」
何に掴まればいいのか分からないが――とにかく、今は運を天に任せるのみ。
そのまま零戦は、徐々に高度を下げていく。
なんとか機体は安定してきたようだが、もう地表は近い。
「ぐ……!」
「うわぁぁぁ……!」
いよいよ機体は森の中へと突っ込み、ガサガサと木々の間を縫った。
そして――どすっ、という重い衝撃が響く。
「ぐぅ……! ……うまくいったのか?」
「着陸には成功したが――止まりきれない――!」
須藤啓が、そう言った次の瞬間――激しい衝撃が機体を襲った。
「うわっ……!」
「がっ……!!」
激しい衝撃で目の前が真っ暗になり、凄まじい破壊音が響く。
狭い空間に密閉されたまま、僕はしたたかに全身を打ち付けてしまった。
どうやら――着陸に成功した直後に、速度を下げきれず木に激突したのだろう。
今、ようやく機体は止まったようだ。
「ぐ……!」
痛みをこらえながら視線を上げると――操縦席に、須藤啓の姿はなかった。
そして、キャノピーは粉々に割れている。
なんとか身を起こすと、操縦席から見下ろした光景はやはり森の中。
須藤啓は操縦席から投げ出され、地面の上へと転がっていた。
やはり、シートベルトは大切だ――などと、のんびり言ってはいられない。
「お、おい……!」
僕は操縦席から飛び降り、横たわっている須藤啓に駆け寄った。
「だ、大丈夫か……!?」
「うぐ……なんとか受け身を取ったが、腰を強打したようだ……
下半身にも感覚があるから、脊椎に損傷はないみたいだが……」
「分かったから、じっとしてろ……!」
確かに、致命傷となるような外傷はないようだ。
強制着陸で木に激突、操縦席から投げ出されて地面に落ちた瞬間に受け身を取るとは――
――この男も、半分ほど怪物なんじゃないか?
「そうだ、こうしている場合じゃ――」
僕は、遠方に見える城に視線をやった。
ネメシアはひたすら僕を追跡している。つまり、僕が城から離れた今は――
「ぐ、やっぱり……!」
木々を薙ぎ倒し、呑み込みながら近付いてくる影。
城の方向から、ずるりずるりと接近してくる巨大な不定形生物。
触手まみれの、異様な巨大生物――その直径は、30メートルといったところか。
城に取り付いていた時よりは小型化しているが――逆に、それだけの体組織があのサイズに密集しているとも言える。
「とりあえず、命の別状はなさそうだね。じゃあ……」
「お、おい……置いていく気か……!?」
「大丈夫、あいつは僕しか狙わないから――」
須藤啓にそう言い残し、僕は走り出した。
このダメージでは戦力にもならないだろうし、連れて行っても仕方がない。
むしろ、ここにいた方が安全なのだ――
「さて――」
森の木々を呑み込みながら、じわじわとこちらへ近付いてくるネメシア。
よく見れば、触手が寄り合わさって巨大な女の顔をなしているようにも見える。
その髪が触手となって、ぞわぞわと周囲に伸びているのだ。
なんともおぞましい、異形の姿――
「とりあえず――これでどうだ?」
僕はその場から、スナイパーライフルを立射で数発ほど撃ち込んだ。
的がでかいから、外れるわけがない――とは言え、どう考えても威力が足りなすぎる。
あの巨体の前では、どこに当たったかも分からない有様だ。
これほどの怪物にさえ、効果がありそうな武器と言えば――
「ぐっ……!」
四方から伸びてくる触手を、僕は身を翻して避けていた。
まるで絡め取るように、にゅるにゅると周囲から伸びてくる触手。
そして、ネメシア本体もじわじわと近付いてくる――
「まだ、距離が遠いな――」
そんなことを考えた、その時だった。
ネメシアの触手が、僕の胴をぎゅるぎゅると絡め取ってしまったのだ。
「あぐ……しまった……!」
そのまま、僕の体は持ち上げられ――ネメシア本体へと引き寄せられていく。
「う……、あ……」
間近で見ると良く分かる――それは、にゅるにゅるとうねる触手の集合体。
無数の触手が寄り合わさり、巨大な女性の頭部を形作っているのだ。
その口に当たる部分が、ぽっかりと開いた――
「う、あぁぁ……」
そこは、人間一人が丸ごと呑み込めそうなほどの穴。
にゅるにゅるの触手が怪しくうねり、ミミズやイソギンチャク、軟体生物などの巣穴のようだ。
ぐっちゅぐっちゅと蠢き、粘液がだらだらとこぼれている異形の肉穴。
あの口で、今にも僕を呑み込もうとしているのだ――
※ ※ ※
「取り込まれたと思われる者、421名。倒壊の犠牲となった者、31名。さらに、経済的損失となりますと――」
「……」
見晴らしの良い丘からノイエンドルフ城を臨みつつ、マルガレーテはジェラの報告を受けていた。
どこからか調達してきた玉座を地面に置き、その腰をゆったりと休めながら。
周囲の草原には怪我をしたメイド達が寝かされ、治療の能力を持った淫魔が救護に駆け回っていた。
「失われた貴金属類は、36億8千万ヘリア相当。絵画類は――」
じわじわと崩壊してゆくノイエンドルフ城――
それを遠方に眺めながら、マルガレーテは軽く溜め息を吐いた。
「……損害報告は、以上となります」
「ありがとう、ジェラ。意外に大したことはないようね」
マルガレーテは足を組み替えながら、その背後に控えている従者に視線をやる。
「エミリア、新しい城の用意はできて……?」
「はい。こんな事もあろうかと、ノイエンドルフ城の予備を用意しておきました。
これから、皆で移住作業となります」
「分かったわ……。ジェラ、資材や物品の運び込みは、あなたの指揮で行いなさい」
「は……お任せを」
ジェラは、静かにマルガレーテの前でかしずく。
「では、マルガレーテ様は……?」
「私とエミリアは、地下の『魔祖』を封印ごと移動させるわ。それと――」
「あの〜……マルガレーテ様……」
その場に、おずおずと顔を出した女性の影。
手足には包帯を巻き、まるで病院から脱走してきたような姿。
いかにもバツが悪そうに、その女は忍び足で近寄ってくる。
「あなたは――メリアヴィスタ!」
エミリアは表情を尖らせ、即座に刀を抜いた。
それを、マルガレーテは掌で制する。
「……んべ」
メリアヴィスタはエミリアに軽く舌を出した後、マルガレーテにおずおずと封筒を差し出した。
その表面には、やけに強く元気な字で『辞表』と記されている。
「ふふ……あなたのそういうところは、結構好きよ……」
マルガレーテはそれを受け取り、くすくすと笑ったのだった。
※ ※ ※
「食らえ――!」
僕は触手に持ち上げられたまま、あらかじめ取り出していた赤外線レーザー射出機を構えた。
その銃口部分を巨大なネメシア本体に向け、引き金を引く――
その赤いレーザーはネメシアに当たり、その標的座標が計測された。
そうして得られたデータは、衛星軌道上の『パルジファル』へと送信され――
そして――
遙か頭上――成層圏外から、極大のレーザーが照射された。
それは、眼前にまで迫ったネメシアの巨体へと直撃する。
凄まじい光と熱は、間近まで引き寄せられていた僕にまで及び――
「あぐ……!」
そのまま触手から投げ出され、僕の体は地面へと叩きつけられた。
もう少し触手でネメシア本体の近くまで引き寄せられていたなら、巻き込まれていたところだ。
「す、すごい……!」
眼前に広がる光景に、僕はあらためて戦慄した。
衛星兵器から放たれたレーザーは、ネメシアの本体を焼き尽くして地表に大穴を開けた。
しかし――ネメシア本体から千切れた触手や体組織は、まだ周囲へと散らばっている。
「さすがに、照射範囲から外れた奴がいたか……!」
まずい――体片が少しでも残っていれば、そこからネメシアは再生してしまうのだ。
そして散らばった体片がにゅるにゅると結合し始め――ちょうど、人間大のサイズとなった。
恐るべき生命力、異常なまでの再生力。
人型に寄り集まった触手は、拘束服を着た女性の姿となっていく。
こうしてたちまち再生したネメシアは、地面に転がる僕の前へと立った。
「ぐ……!」
地面に投げ出されたダメージは意外に大きく、足が痛んで立ち上がれない。
そんな僕に、じわじわと歩み寄るネメシア。
まずい、もう駄目か――?
「――待ちなさい!」
不意に、頭上から響く声――
「あ、あれは……」
蝶の羽をはためかせ、真上から降り立ったのはアレクサンドラだった。
彼女の指示で、ネメシアはぴたりと動きを止める。
「そう……いい子ね」
僕の隣に着地し、ネメシアの動きを掌で制するアレクサンドラ。
まるで猛獣使いのように、ネメシアを完全に大人しくしてしまったのだ。
「ふぅ……来るのが遅いよ」
そう言いながら、僕は深く溜め息を吐いたのだった。
「おーい!」
続けて空から降り立ったのは、コウモリの羽を広げたウェステンラ。
彼女は地に足を下ろすなり、きょろきょろと周囲を見回す。
「む……貴様一人か? 啓は……?」
「俺なら……ここにいるぞ……」
森の奥から、ふらふらと姿を現したのは――なんと、須藤啓だった。
命に別状はないとはいえ、滑走する飛行機から投げ出されて大ダメージを受けたはずだが――
「あんた……動けるような体じゃないだろ?」
「そんなヤワな体じゃない。数分ほど休めば、歩ける程度には回復するさ」
「……」
この男、本当に怪物じゃないだろうか。
まあ、それはともかく――
僕は、まるでアレクサンドラの部下のごとく澄ました顔をしているネメシアをまじまじと見据えた。
「……こいつは、どうするんだ? アレクサンドラの命令がなかったら、ネメシアは僕を追い続けるんだろう?」
「ええ……だから、ネメシアの中枢にインプリンティングされた命令を解除してあげる」
アレクサンドラは、ネメシアの額へと掌を当てた。
その指が、ずぶずぶとネメシアの頭の中に潜り込んでいく――
「ニューロンにリンクして……と。このまま、前頭葉の書き換えを――」
何やらアレクサンドラは、奇妙な作業を行っているようだ。
「僕をネメシアのターゲットから外すって……そう都合良く、そんなことができるのか?」
「ええ、出来るのよ。同化吸収本能を用いたターゲットの刷り込み――この技術、誰が開発したものだと思っているの?」
「まさか、お前――」
アレクサンドラは、楽裏研究所の副主任研究者だったのだ。
「私なのよ、この技術の生みの親は。まさか、こんな形で目にするとはね――」
自嘲するように微笑みながら、アレクサンドラはネメシアの中枢を書き換え――そして、額から手を離した。
「……はい、終わり。これでこの子は人畜無害よ」
「……」
当のネメシアは、無感情のままぼんやりと立っているように見える。
それを見据え、苦々しそうに口を開いたのは須藤啓だった。
「……で、どうするんだ。ここに捨てていくわけにもいかないだろ……?」
それも、当然の話だ。
いかにターゲットの僕を追わなくなったとは言え――その生命力や特異性はそのままなのだ。
こんな奴を放置しておくのは、危なくて仕方ない。
「……まあ、後はあなた達に任せるわ。私は少し寝させてもらうわよ――」
そう言って、アレクサンドラは沙亜羅の意識の中に沈み込んでいく。
そして、肉体の主導権は沙亜羅に入れ替わったようだ。
「……ふぅ。この人格交代っていうの、まだ慣れないなぁ……」
そう言いながら、沙亜羅はまじまじとネメシアを眺めた。
「……お手」
「……」
沙亜羅の掌に、ネメシアはすっと右手を差し出す。
いちおうアレクサンドラと同じ肉体だからなのか、ネメシアは沙亜羅の命令も聞くらしい。
「へぇ、言うこと聞くんだ……」
「どれどれ……よし、我の足下に跪け!」
「……」
ウェステンラの言葉を、全くもって無視するネメシア。
やはり、沙亜羅とアレクサンドラの命令しか聞かないようだ。
「つまり……沙亜羅、貴様が責任を持って世話をしろということだな」
「うぇ〜?」
沙亜羅は、露骨に面倒そうな表情を浮かべる。
「世話しろって言ったって……コイツ、何を食べるの? 優、知ってる?」
「僕の見た限りでは……ヒトとか、サキュバスとか……」
やっぱり、こいつは燃やしてしまった方がいいのでは――
「なんでも取り込む以上、そこらへんの木とか石とかを喰わせてやれば問題なかろう」
ウェステンラは、やたら偉そうに腕を組んで言った。
「今は一人でも、強力な仲間が欲しい。捨てたり処分したりするのは勿体ないな――」
「……仲間ぁ?」
須藤啓は、露骨に嫌そうな表情をした。
「こんな、得体の知れない連中を仲間にする気か……?」
連中――ということは、僕と沙亜羅まで数に入っているのか。
「……聞け、啓。そして深山優と沙亜羅も」
不意にウェステンラは、険しい顔をした。
「近いうちに、この世界に恐ろしい災厄が降り注ぐだろう。
それに対抗するには、我々も手を取り合って行く以外にない――」
「恐ろしい災厄、ねぇ……」
僕は肩をすくめるものの――正直、ただのハッタリとも思えなかった。
マルガレーテも似たようなことを言っていたし、世界中で妖魔の動きが活発化しているのも事実。
「そんな災厄を控えている中、我々の力不足は思い知ったであろう? なあ、啓……」
「ああ……それは認める」
マルガレーテ――淫魔の女王の実力は、凄まじいものだった。
アレクサンドラ、ネメシア、ウェステンラの人外娘三人。
それに、僕や須藤啓――総出で掛かって、衛星兵器まで持ち出して、いったい何が出来たのか?
「……その通りだね。この全員で攻めて、マルガレーテの頬に傷を付けただけなんだから。
それも向こうは完全に遊びで、まともに攻撃もしてこなかった――」
須藤啓と同じく、僕も虚しいほどの無力さは感じていた。
「啓――我と二人のみで挑んでいたならば、確実に敗北していた。それが分からん貴様ではないだろう」
「分かった分かった……好きにしろ」
須藤啓は折れたようだ。後は、僕と沙亜羅――
「どうするの、優。今は目的を同じくする者同士、協力する方がいいと思うけど……」
人付き合いの悪い沙亜羅にしては珍しく、協力関係に乗り気のようだ。
ウェステンラと二人で行動していた時、何か思うことでもあったのだろうか。
ネメシアはというと、僕たちの話が分かっているのか分からないのか――
ただ、無表情のまま静かに沙亜羅を眺めている。
「そうは言ってもね、沙亜羅。僕は色々と自由っていうか、不自由っていうか……」
これでも、いちおう僕は組織人。
あくまで上の指示に従って動かなければならない――正直なところ、それもかなり適当だが。
「……私は、しばらく一緒に行動するって決めたから。災厄なんて言われたら、黙ってられないでしょ」
相変わらず、沙亜羅は聞く耳を持たないようだ。
「……諦めろ」
どこか同情する口調で、須藤啓は僕に告げた。
そんな彼からも、連れの少女に振り回される悲哀が存分に感じられる。
「……やれやれ、仕方ないな」
結局、僕は頷くしかなかった。
「よし! 我が元に集った仲間達よ! これからは一蓮托生だ!」
まるでリーダーのように、そう宣言したのはウェステンラ。
「仕方ない……よろしくな……」
続けて、どうでもよさそうに告げる須藤啓。
「やれやれ……まあ、よろしく」
諦め混じりに溜め息を吐く僕。
「よし、私達で人間界を守っていくよ!」
こういうノリも意外に好きなのか、妙にテンションが高めの沙亜羅。
「……」
分かっているのか分からないのか、こくりと頷くネメシア。
「私も、がんばりますね〜♪」
そして、元気たっぷりに宣言する――誰だ、こいつ?
知らない美女が、当然のように輪に入っているぞ……?
「メ、メリアヴィスタ……!」
「き、貴様――!」
須藤啓とウェステンラは、その美女を前に表情を歪めた。
「お、お前……まだ懲りずに……あぐっ!」
アサルトライフルを構えようとして、腰の痛みに喘ぐ須藤啓。
「ああもう、ダーリン。無理しちゃダメですから……」
崩れそうになる須藤啓に、メリアヴィスタは素早く肩を貸した。
「ほら、支えてあげますから……これから、二人三脚で歩いていきましょうね♪」
「何を言っておるか……啓から離れろ!」
ぐいっ……と逆側から須藤啓の体を引っ張るウェステンラ。
「おうっ……!」
須藤啓の体は左右から引っ張られた挙げ句、その場に崩れてしまった。
「そういうわけで、ダーリンのところにしばらくご厄介になりますね♪」
「貴様……ノイエンドルフ城での勤めはどうした!?」
「さっき辞表を出してきました。これで後腐れなく、ダーリンと遊べますから♪ これからは、仲間ですよ♪」
「……お前は、駄目だ」
「え〜? なんでですか〜?」
やいのやいのと、かしましく騒ぎ始めるウェステンラとメリアヴィスタ。
肝心の須藤啓は二人の足下に転がっていることなど、まるで眼中にないようだ。
こうして、ネメシアとメリアヴィスタという妙な二人まで加わり――
僕達は、ノイエンドルフ城から帰還を果たしたのである。