フェイスハガー娘


 

 それから、俺とロゼットは三日という蜜月の時を過ごした。

 機械を愛してしまった――と言えば、他人は笑うかもしれない。

 しかしロゼットは、ただの機械ではない――心を持ったアンドロイド。

 いつしか俺も、一途なロゼットを愛してしまっていた――そんなことに気付かされた三日間だった。

 そしてそんな日々も過ぎ、俺達の乗った小型艇は目標ポイントに到着しようとしていた――

 

 

 

 「もうすぐだな――」

 ロゼットに膝枕を受けながら、耳掃除をしてもらっていると――目標ポイント到達のランプが瞬いた。

 同時に、大型艦船接近の警告音が小型艇内に鳴り響く。

 「ありがとう、ロゼット……さあ、お客を出迎えないとな」

 俺はロゼットの膝から顔を上げ、気合いを入れ直した。

 同時に通信チャンネルが開き、スピーカーからは野暮な男の声が流れてくる。

 『こちら星間パトロール。貴船の航行ルートは事前許可を受けていない。

  これより強制臨検を行う。クルーは全員手を挙げ、無抵抗の状態で我々の入船を待て』

 「相手の武装解除も未確認のまま、臨検か……平時とはいえ、たるんでるな」

 俺は軽くため息を吐きながら、ドアロックを外した。

 正規の臨検手続きに従い、小型艇内に侵入してきたのは武装した五人の兵士。

 彼らは第一隔壁から中に入り、宇宙服を脱いで俺達のいる区画に踏み込んでくる――

 

 「動くな!」

 武装した兵士達が、揃って小型艇内に入ってきた。

 ロゼットはすでに物陰に潜み、俺は大人しく両手を上げてみせる――

 そいつらは素早く俺を囲み、一人が後方から銃口を俺の背にごりごりと押し当ててきた。

 

 ――やれやれ、とんだド素人だ。

 後方から銃を突き付ける役の人間は、距離を悟られないためにも銃口を相手の背中に当ててはならない。

 おまけに、俺の左右から銃を突き付ける二人――この位置取りで発砲すれば、互いの弾丸が互いの体を貫いてしまうだろう。

 こんな辺鄙な宙域のパトロール員とはいえ、あまりにお粗末である。

 俺の部下がこんな真似をやらかしたら、隊全体の安全のために鉄拳制裁を行わざるをえないほどだ。

 

 「航行許可は? お前、軍人か? なら所属を明らかにせよ」

 「軍人はもうクビになった。俺はただの……一般人だ!」

 その体勢で、俺は姿勢を屈める――と同時に、後方の奴が先走って発砲していた。

 彼が放った銃弾は、前方に立っていた兵士の腰を撃ち抜いてしまう――

 「あぐぅ! 痛ぇ!!」

 「な……!」

 「は、反抗するなぁ! う、撃つぞ!!」

 仲間がすでに発砲しているといのに、撃つぞはないだろう。

 何より、反抗の意志が明らかなのに「反抗するな」とは論外。現実認識からしてなっていない。

 俺は軽く回転するように足払いを繰り出し、背後左右の三人をまとめて転倒させていた。

 彼らの手を離れ、空中に投げ出された旧式のアサルトライフルをキャッチし、それを正面の男に向ける。

 「あ、え――?」

 突然の事態に、呆然とする男。

 彼は数秒ほどして状況を理解し、さっと両手を真上に上げた。

 素直なのはいいことだ。

 「た、隊長……!」

 ようやく起き上がった兵士達も、隊長格を人質にされて手も足も出せない。

 「な、何なんだお前……!」

 「その身のこなし、化け物か?」

 「化け物はもっと速いぞ。相対した俺が言うんだから間違いない……」

 俺は軽く息を吐きつつ、彼らに抵抗する様子がないのを確認した。

 「テ、テロリスト……? 高度な戦闘訓練を受けているのか?」

 「それなりに成績は良い方だ。A級特別空挺過程修了、レンジャー資格所有、第一級狙撃十字賞取得、空手四段、合気道五段……」

 「……無駄です、ケージ。それらの資格や業績は全て抹消されています」

 ほとんど出番もなく、物陰に潜んでいたロゼットが姿を現す。

 「全部なかったことにされたのか……結構ショックだな」

 俺は肩を落としつつも、人質にしている隊長に告げた。

 「さあ――お前達の艦に案内してもらおうか」

 

 

 

 俺とロゼットは奴等から奪い取った宇宙服を着て、人質の隊長を先頭に船同士の間を遊泳した。

 パトロール用の巡洋艦は俺達の乗ってきた小型艇よりも大きく、惑星プロロフィルに墜落した異星揚陸艦よりは格段に小さい。

 全クルー合わせて五十人に満たない、非常に小型の巡洋艦だ。

 突入班以外はいっさい武装しておらず、平和なこの世の中らしく警戒感にも欠けている。

 

 「久しぶりですね、イーサン艦長……」

 突入班隊長に銃を突き付けつつ俺達はブリッジに出向き、艦長の椅子に座る人物に声を掛けた。

 「お前……スドウ大尉か? なんだ、どういう事だ?」

 イーサン艦長とは、俺がオリファー大隊にいた時に何度も顔を合わせたことがある。

 派手な経歴こそないが、堅実に軍務を勤め上げてきた尊敬できる船乗りだ。

 「ちょっと軍をクビになったので、シージャックを行おうかと思いまして……」

 「クビ? お前がか? いったい、何を……」

 イーサン艦長は黙り込み、ただならぬ様子を察したようだ。

 「やれやれ、困った時は俺のところに来いと言った覚えはあるが……テロリストになって来るとはな」

 「ええ、そういうわけです。俺が銃を突き付けて脅した――後でそう証言してもらって構いませんので」

 「テロリストは覆面をしていたので素顔は分からなかった――そう証言しとくよ。で、どこへ行く気なんだ?」

 ため息を吐くイーサン艦長に対し、俺は告げた。

 「惑星特区666――ヴェロニカ・ユカワ本社へ」

 

 

 

 

 

 俺とロゼットは、まるで中世ヨーロッパの巨城のような建物の前に立っていた。

 ここが、ヴェロニカ・ユカワ本社。

 本来なら警備が厳しいにもかかわらず、大気圏突入からここに至るまでノーマーク。

 そして門の前に並んでいる守衛達も、俺達の姿が見えていないかのようにあらぬ方向を見ている。

 「俺達が来ても、無視するように……そう命令されてるのか?」

 「……」

 最新製のパルスライフルを携えた守衛達は、聞こえているにもかかわらず返事をしない。

 俺達は、いないものとして扱え――そう厳重に言い渡されているのだろう。

 俺とロゼットはそのままゲート内に入り、本社建物の中へと侵入したのだった。

 

 そこは、まるで古城の広間。

 最新鋭の技術を取り扱う企業の本社とはとても思えない。

 これも、社長であるミス・ヴェロニカの意向なのだろう。

 そして周囲には、社員の姿も全く見当たらなかった。

 異様なまでにがらんとしていて、声が反響するほどだ。

 「平日の昼間だというのに閑散としているな。営業を停止したなんていう話は聞いていないが――」

 「そのような事実はありません。襲来を予期し、一般社員は避難させたと思われます」

 俺の軽口にまで律儀に対応し、ロゼットは告げる。

 聞いたところによれば、ヴェロニカ・ユカワ社の社員の多くは女性。

 営業部は男性社員も多いが、研究・開発部署は全て女性社員なのだという。

 社長のミス・ヴェロニカが、世界の名だたる女性科学者をスカウトして集めているらしい――

 ――が、この場合は、そういう非戦闘員がいなくて幸いだ。

 戦いに巻き込んでしまい、余計な犠牲を出すこともないのだから――

 

 「この中央エレベーターで、最上階の社長室まで直通です」

 「敵の腹の中で、エレベーターに乗るのか……?」

 俺とロゼットは、石造りの建物とはアンバランスなエレベーターの前に立つ。

 「電力も普通に通じており、待ち伏せもなし。罠の可能性は皆無と思われます」

 「むしろ――向こうも、俺達に会う気満々のようだな」

 こうして俺達は、エレベーターに乗っていた。

 そして九階――社長室のある階層のボタンを押す。

 そのままエレベーターは静かに上昇し、黒幕の元へと俺達を運んだのだった――

 

 

 

 エレベーターの扉が開いた正面には、独特の空間が広がっていた。

 そこは近代的なオフィスなどではなく、まるで謁見の間。

 エレベーターの乗降口から赤い絨毯が敷き詰められ、正面の玉座にまで続いている。

 そして、中世ならば近衛兵が控えている壁沿い――そこには、複数のロゼットがずらりと並んでいた。

 無表情のまま、マネキンのように立ち尽くしているロゼットが二十体以上――

 

 「ロゼットR-6000シリーズ――二十四体、全て旧型。私一人で制圧が可能です」

 ロゼットは、俺の後ろに控えながら静かに告げていた。

 「ようこそ、初めまして――」

 そして玉座に君臨するのは、ヴェロニカ・ユカワ社の代表――ミス・ヴェロニカ。

 その外見は、清楚な令嬢といったところか――CMで見るよりも、遙かに若く見える。

 俺と同世代か、それより僅かに上――20代前半にしか見えなかった。

 そして彼女は、息を呑むほどに美しい。

 しかし、それはどこか毒を帯びたような――嫌な美しさだった。

 

 「自己紹介の必要はないはずだな。あんたは、おそらく俺以上に――俺のことをよく知ってるはずだ」

 俺の境遇や軍歴――そして俺の祖先に、強大な力を持つという淫魔がいたこと。

 その全てを、この女は把握しているのだ。

 「ええ……その必要はないわね、ケージ・スドウ。私は、貴方が非常に優秀な軍人であることを知っている。

  近世――二十一世紀初頭のこと。須藤啓という人物と、ノイエンドルフ家の血を引く少女の間に子をなしたことも。

  その強大な淫魔の血は、数百年を経ながら貴方に受け継がれていることも知っているわ」

 「なぜ、あそこまで大袈裟なことをやらかした! 俺の精液を手に入れるだけなら、他にも方法があっただろう!!」

 なぜ、一つの植民星を丸々全滅させるようなことをしたのか――

 あんな派手なことをして、あれだけの犠牲者を出して――こいつらは、何を考えているのか。

 

 「貴方の精液、なかなか手に入りにくかったのよ。

  貴方は堅物だから、女には簡単になびかないだろうし……ロゼットを性処理用にも使ってなかったみたいだし……

  あと、なるべく天然条件でシスティリアンと交配させてみたかったというのもあるわね」

 「だから、なぜあれだけ多くの人間を巻き込んだのかと聞いている!!」

 「生け贄は多い方がいいじゃない。みんな、イイ思いができて良かったんじゃないかしら……?」

 笑みさえ浮かべ、ミス・ヴェロニカは平然と言った。

 「それでも人間か、お前は……!?」

 「違うわよ――うすうす気付いていたんじゃなくて?」

 にやりと笑うミス・ヴェロニカ――その背から、コウモリの羽のようなものがばさりと広がる。

 さらにその背中側からは、尾のようなものがにょろにょろと突き出ていた。

 コウモリの羽に矢印状の尻尾――それは、一般的に言われる悪魔のような姿だった。

 

 「私、サキュバスだもの。人間なんて、エサのようなものよ――」

 「やはりな……」

 一目見た時から察していたが――こいつの雰囲気は、どこかシスティリアンにも似ていたのだ。

 もしかしたら、こいつらは同じ祖を持つのかもしれない――

 

 「……で、そんなことを聞きに来たの?」

 「いや、あんたを始末しに来た……」

 俺は、ミス・ヴェロニカに向けてパルスライフルを向けた。

 女に銃口は向けない主義だが――相手が化け物となれば、話は別だ。

 「それは怖いわね、うふふ……じゃあ、こちらも切り札を使おうかしら。――ロゼット!」

 「……ッ!」

 びくっと体を震わせたのは、この部屋の壁際に控えている護衛のロゼット達ではなかった。

 俺の背後にいたロゼット――いまや、俺のパートナーになっているはずのロゼットだったのだ。

 

 「貴女がケージ・スドウから搾り取った精液は、まだ体内に冷凍保管しているはずよね?」

 「そ、その通りです、マスター・ヴェロニカ……」

 ロゼットは、ポケットから蓋の付いた試験管のようなものを取り出した。

 もしかして、あれは――小型艇内でロゼットと交わった際に採取された、俺の精液。

 その中には、こいつらの欲しがったノイエンドルフ遺伝子が含まれている――

 「どういうことだ、ロゼット……!?」

 びくっ、と震えるロゼット。

 そして、俺に返答したのはミス・ヴェロニカだった。

 「その娘を責めちゃ可哀想よ。私は最上位のマスター、その命令に全てのロゼットは絶対に逆らえない。

  たとえ、『心』を持っている特別製のロゼットでもね――」

 「申し訳ありません……ケージ、申し訳ありません……体が、勝手に――」

 ロゼットはぎしぎしと震え、よろけながらもミス・ヴェロニカに歩み寄る。

 まるで、「意志」に反して体が動いてしまうかのように――

 

 「さて……取り引きをしない、ケージ・スドウ?」

 「なんだと……?」

 「そのノイエンドルフ遺伝子と……多分、貴方が一番欲しがっているモノを交換してあげるわ」

 玉座の隅から、ミス・ヴェロニカは小型のケースを取り出していた。

 「ロゼットXR-7000――つまり、貴方が大好きなロゼットの予備バッテリー。

  ちょうど100年分あるから、一生ロゼットと一緒にいられるわね」

 「……!!」

 俺は、思わず目を見開いてしまった。

 ――それは、確かに俺が求めていたもの。

 ここに来た理由の半分は、全ての黒幕であるミス・ヴェロニカを始末するため。

 そして残り半分は――ロゼットXR-7000の予備バッテリーを確保するためだ。

 

 「そんな――」

 ノイエンドルフ遺伝子と、ロゼットのバッテリーを交換?

 「ミス・ヴェロニカ……現在のロゼットは、あとどれだけ持つんだ?」

 ロゼットの動力は、体内に搭載された小型原子融合炉とバッテリーのハイブリッド。

 互いに補い合っている関係であり、どちらかの動力だけに負担を掛けることはできない。

 またロゼットは人間の食事を摂取し、そのカロリーをエネルギーに変換する機能も搭載されているが――

 それは補助的なもので、食事のみでロゼットを稼働させ続けるのは不可能なのである。

 「ロゼットXR-7000は、市販品で自己メンテナンスも可能なようになっているわ。

  ただし、この専用バッテリーだけは特別製。融合炉だけだと、ロゼットの稼働期間は――あと一年というところね」

 「くっ……!」

 俺は、厳しい選択を眼前に突き付けられていた。

 ノイエンドルフ遺伝子がこの連中の手に渡れば――また、ろくでもない実験をしでかすに違いない。

 それでも――ロゼットを見捨てるという選択肢などありえないのだ。

 

 「システィリアンと貴方との交配計画が完全に破綻した今、私が欲しいのはノイエンドルフ遺伝子だけ。

  これさえ手に入れてしまえば、貴方自身には全く興味ないわ。

  新型ロゼットの試作機ぐらいはくれてやっても構わないし、どこかでひっそり暮らしていても文句はないの」

 つまり――ヴェロニカ・ユカワ社は、もう俺達に手出しをしてこないということか?

 こいつなら平気で嘘を吐くこともあるだろうが、言っている内容は筋が通っている。

 ノイエンドルフ遺伝子を手に入れた後の俺に、もはや何の利用価値もないのだ。

 いかに秘密を知ってしまったところで、俺一人では何も出来ないのも明らかでもある。

 失職した元軍人が大企業の陰謀を世界に訴えたところで、耳を傾ける者などいるはずもない――

 

 「さあ、どうするの? ノイエンドルフ遺伝子を渡して、ロゼットと幸せに暮らす?

  それともロゼットを見殺しにして、貴方自身も死ぬまで逃亡生活を送る?」

 「……!」

 ロゼットを見捨てるなんて、絶対にできはしない。

 俺の選択は――

 

 精液とバッテリーを交換する

 ロゼットを見捨てる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「分かった……交換だ」

 「そう、素晴らしいわ――じゃあ、まず武器を捨てて」

 「くっ……」

 彼女の言葉に従うより他に、方法はない。

 ヴェロニカはバッテリーの入ったケースを俺に投げ渡し、同時にロゼットからノイエンドルフ遺伝子を受け取っていた。

 「いい子ね、ふふ……」

 彼女は微笑むと、指をぱちんと鳴らす。

 「では、ロゼット。そこの男――ケージ・スドウを犯しなさい」

 「え――?」

 ロゼットは戸惑いつつも、くるりと俺の方を向いた。

 そして、震える脚で一歩一歩近付いてくる。

 心では抗っても、体は逆らえないのだ――

 

 「どういうことだ、ヴェロニカ! 約束が違うだろう、俺にはもう利用価値がないんじゃなかったのか!?」

 「貴方は優れた軍人――だからこそ、合理的判断でそう結論したのよね……?」

  ヴェロニカは唇を軽く舐め、妖艶な笑みを見せた。

 「でも、私はサキュバス。人間の合理的な行動原理をそのまま適用はできないわ。

  淫魔ってのは、理屈じゃなく本能的に――快楽に悶える男の顔を見るのが、大好きなのよ。

  それが優れた男であればあるほど、淫魔を愉しませるの――」

 「くそッ……!」

 どうする――このまま撤退するか?

 いや、ロゼットをこの場に残して逃げるわけにはいかない――

 「貴方は良質の精液を提供してくれるオスとして、ずっと研究所で飼ってあげるわ」

 社長室内にはヴェロニカの艶やかな声が響いていた。

 ロゼットはヴェロニカの手の内にあり、見捨てて逃げるわけにもいかない。

 しかし、ヴェロニカのコントロール下にあるロゼットを連れて逃げるのも不可能に近い。

 ロゼットXR-7000の戦闘意図を沈黙させ、なおかつ破壊してしまわないようにする必要があるのだ。

 旧タイプとはいえ二十四体のロゼットと、淫魔であるヴェロニカさえいる状況で、そこまでの離れ業ができるはずがない。

 万策、尽きたか――

 

 「ケージ……貴方だけでも、ここから逃げて……!」

 ロゼットはぎしぎしと不自然な動きで俺に迫りながら、そう呟く。

 それでも、体はヴェロニカの命令を拒絶できないのだ。

 「あら、イヤなの? 宇宙艇内で、あれだけ交わったくせに……」

 「あれは自分の意志で行ったものです。命令されて行うなど――」

 ロゼットはそう言いながらも俺に迫り――そして、すがるような視線を俺に向けた。

 その動きが、みるみる鈍くなっていく。まるで、ネジ巻き人形が停止していくかのように――

 

 「どうしたの……? エネルギー切れ――には、まだ早いわね」

 その動作を見据えながら、怪訝そうに眉を吊り上げるヴェロニカ。

 「マスターの登録情報を、私の意志で抹消します。どうか、その間に――」

 そう言って、ロゼットの動きは完全に停止してしまった。

 「ロゼット――!?」

 「まさか、そこまでできるなんて――」

 俺とヴェロニカの声が、同時に室内に響く。

 ロゼットは、この間に逃げろ――と言いたかったのか?

 いや、違う。

 今のロゼットの中には、マスターに登録されている人物がいないということだ。

 だとすると、今の間に――

 

 「ロゼット、俺をマスターとして登録しろ!」

 停止したロゼットに、俺はヴェロニカよりも早くそう叫んでいた。

 今のうちに、新しいマスターを認識させろと――ロゼットが言いたかったのはそういうことだ。

 「――了解しました。これより永遠に、貴方に付き従います。マスター・スドウ」

 まるで呪縛から解放されたように、再び動き出すロゼット。

 彼女はくるりと体の向きを変え、ヴェロニカの方に向き直っていた。

 マスターではなく、敵対対象として――

 

 「マスターである私の命令を聞かないというの、ロゼット?」

 「マスターに規定されている人物を、私の意志で変更しました。

  約束すら満足に守らない貴方は、私のマスターとしてふさわしい人物ではありません――」

 「やっぱり貴方、失敗作ね。『意志』で改変できる範囲を広く設定しすぎたわ……ロゼット!!」

 ヴェロニカの呼んだロゼット――それは、俺の知っているロゼットではなく、室内に控えているロゼット達。

 彼女達は、一斉に俺へと襲い掛かろうとする――そこに、ロゼットが正確な掃射を撃ち込む。

 「マスターに手出しはさせません――私が側にいる限り」

 「すまないな、ロゼット……!」

 俺はすかさずライフルを拾い、ヴェロニカに向けて発砲していた。

 「くっ……!」

 ヴェロニカは羽を盾のように広げ、その弾丸を防いでしまう。

 

 「流石の私でも、戦いでは敵わないわ……じゃあ、こういうのはどう?」

 ぶわっ……と、ヴェロニカの体からピンクの芳香が広がったような――そんな気がした。

 「これは……? くっ……!」

 不意に頭がぼんやりとし、体の力が抜けていく――

 「化学兵器の使用を確認。成分は不明、中和処理は困難。この場からの早急な撤退を要します――」

 ロゼットはすばやく反応し、俺の体を抱え上げる――と同時に、エレベーターに飛び込んでいた。

 そのまま強引に両腕でドアを閉じ、一階のボタンを押すロゼット。

 そしてエレベーターは、そのまま下降を始めたのだった。

 

 「すまないな、ロゼット……あれを大量に吸ったら、危なかった」

 下降するエレベーターの中で、俺は我を取り戻していた。

 「しかし、これは悪手だな――」

 この状況でエレベーターに乗るというのは、敵の掌に乗ったようなもの。

 しかし、エレベーターは止められる気配などない。

 普通に稼働し、一階まで下降を続けている――

 「と、なると……一階で待ち伏せか」

 俺はエレベーターのドアから死角になる位置に移動し、壁に背を当てた。

 「はい……」

 ロゼットも俺と同様、死角の壁へと背を預ける。

 そして一階に到着し、エレベーターのドアが開いた――

 

 「撃て――!!」

 それと同時に俺達を出迎えたのは、衛兵達の放つ銃撃の嵐。

 その弾丸はエレベーター内を荒れ狂ったが、当たったのはドアの向かいの壁。

 死角で息を潜めていた俺とロゼットは、全くの無傷である。

 俺はエレベーターの外へと、スタングレネードを転がしていた。

 「なんだ……?」

 「スタングレネードだ! 総員、退――」

 次の瞬間、凄まじい閃光と轟音が周囲を支配する。

 光で視覚を、音で聴覚を一時的に奪い去る非致死性手榴弾――

 それにより、衛兵達は一気に無力状態へと陥ってしまう。

 「よし、今だ……」

 「はい……!」

 俺とロゼットはエレベーターから飛び出し、視覚と聴覚を奪われている衛兵達の間を縫ってホールを駆けた。

 そのまま門から脱出し、そこに停まっていた装甲車に飛び乗る。

 

 「ロゼット、運転を頼む!」

 俺は助手席の窓からパルスライフルを発砲し、追っ手達の足を止める。

 それと同時にロゼットはアクセルを踏み込み、車を急発進させた。

 追ってくるのは、装甲車両三台のみ――

 「大丈夫ですか、ケージ?」

 「システィリアンに比べれば、赤子みたいなもんさ……」

 俺は助手席の窓から身を乗り出し、装甲車の強化タイヤを狙撃していた。

 徹甲モードで放たれた弾丸は、強化タイヤをも紙のように貫いてしまう。

 まず一両が脱落、ついで残る二両のタイヤも撃ち抜いて足を止めた。

 

 「追跡を完全に振り切りました。さて――これから、どうしますか?」

 「宇宙港に向かおう。適当に船を奪う」

 どうやら、以降は逃亡生活を余儀なくされるようだ。

 「すみません……私のせいで、ノイエンドルフ遺伝子がヴェロニカ社に――」

 「まあ、仕方ないさ。それに、こちらの求めていたものは手に入った」

 俺は、懐からロゼットの予備バッテリーを取り出した。

 「確かに本物のバッテリーです。フェイクではありません」

 「そうだろうな。連中にしてみれば、別に惜しいものでもないだろう。わざわざ偽物を用意する必要なんてないさ」

 下手をすれば、偽物を作る方が手間が掛かるかもしれない。

 ノイエンドルフ遺伝子はヴェロニカ・ユカワ社に渡ったものの、バッテリーは手に入った――それだけで、俺は満足だった。

 

 「ノイエンドルフ遺伝子だって……再奪取するなり、研究施設を破壊するなり、いくらでも方法はあるさ」

 「その時は、私もご一緒します。貴方と一緒に戦いたい――」

 「ああ……ずっと一緒だ、ロゼット」

 俺は、ロゼットの髪を静かに撫でていた。

 彼女と共に、ヴェロニカ・ユカワ社と戦う――それは、オリファー少佐の遺志を継ぐということでもある。

 自分達の勝手な思惑で一つの星を壊滅させた連中を、放っておくことなどできるはずもなかった。

 

 

 

 俺は、ロゼットと共に生きていくという道を選んだ。

 だからといって、決してブランデンのことを忘れたわけではない。

 彼女の存在は、今も俺の中で大きなウェイトを占めているのだ。

 

 ある道を選ぶということは、別の道を選ばないということ――俺は、そう理解している。

 ブランデンを助けに向かう道を選ばなかった――それを恥じるつもりはないし、後悔もしていない。

 俺は神などではなく、ちっぽけな人間。目の前に提示された選択肢を全て選ぶことなどできはしないのだ。

 そして俺は、ロゼットと共に生きていくという道を選んだ――ただ、それだけの話。

 

 俺の目の前で、最期の瞬間まで戦士として戦い抜いたブランデンのことは絶対に忘れない。

 オリファー少佐の遺志と、彼女から教わった闘志――それを受け継ぎ、俺はヴェロニカ・ユカワ社と戦い続ける。

 感情を持ったアンドロイド、ロゼットと共に――俺は、これからも自分の道を歩み続けるのである。

 

 

 −THE END−

 

 


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