最後の一人
「深き、森の奥に」
空港を抜けると、身体に絡みつくような空気に加えて、失明せんばかりの日光が降り注いできた。
「っかーいつ来てもこの国はあちいな」
先輩が手で目の上にひさしを作りつつ、そう言う。
「にしてもよー、何で俺達こんなところにいるのかねぇ」
「何言ってるんですか先輩、僕達の前任者が行方不明になったから、その仕事を完成させるために来たんでしょう」
そうだ、僕達はこの国の開発に伴う用地買収の下準備として、予定地の地形状況調査に来ているのだ。
そもそもこの仕事には別な人間が関わっていたのだが、宿泊先に荷物だけを残して行方不明になってしまった。
ある者は森の魔物に連れ去られた、ある者は開発反対派にさらわれた、などというが、実際のところは不明だ。
「では鴨川、何で俺達なんだ?」
「それは先輩、二人で調査をしたほうが微妙に仕事も早く終わりますし、二人いればどちらか一方がぶらりといなくなるのも防げるからでしょう」
「いや、お前は何も分かっていない」
僕の説明に頭を振り、道行く人々を無視して声を張り上げる。
「いいか、仕事人たるもの、常に命令の裏に隠された命令に気を配らなければならない」
ああ、そういうことか。
先輩が何を言わんとしているかに気が付き、僕は反論するのをやめた。
「と、言いますと?」
「まず、なぜ一人でできる仕事を二人でやらねばならないのか?」
(どーせ一人でできるんだからお前やれよ、俺めんどくさいのヤダ)
朗々と語る先輩の顔に、そう文字が浮かび上がっている。
「それは用地の地形状況だけではなく、その付近の経済状況も調査して来いという命令が暗に含まれているからではなかろうか」
(そんな田舎じゃなくて、街に行きたい、繁華街)
「用地付近の繁華街における経済状況を視察し、開発後の経済の予測を立てることで、開発を円滑に進める手助けとなるのだ」
(んでもってお店に行きたいな)
「ここで重要になるのはチームワークだ。二人でだらだらと調査するだけの団体行動ではなく、役割を分担してのチームワークが重要となるのだ」
(女の子のいるとてもえっちなところだと、とてもうれしいな)
「分かったかな?」
「はい、分かりました」
やる気のない人間にやる気を出させるのは面倒なことだ、ここは大人しく従っておこう。
「それじゃあ僕が地形調査やるんで、先輩は市場調査をお願いします」
「よし、それじゃあそうしようか」
そしていくつかの乗り物を乗り継ぎ、先輩とは途中の大きな繁華街で別れた。
そのまま僕はもう少し進んで、前任者が滞在していた村へ、日が暮れてからたどり着いた。
「さて、と」
宿のベッドに腰掛け、前任者が残していった手描きの地形図の写しを広げる。
それはどこに大きな穴がある、どこに沼があるなど詳細に書き込まれていて、地図の北西部の一角を除けばほぼ完成していた。
数キロ四方ほどの余白には、『ガイド案内したがらず。禁断の地?ニオコマドの呪い?』という走り書きが残されていた。
「・・・」
カバンから前任者の日記を取り出し、最後の書き込みに目を通す。
どうやら前任者は、この余白部分で行方不明になったらしい。
「・・・禁断の地か・・・」
昔からの言い伝えで立ち入り禁止になっている場所には、常に何らかの理由がある。
例えば、溶岩流が地下にある関係で、地面から有毒ガスが噴出している。
あるいは、地面が広く深くくぼんでいるため二酸化炭素が溜まりやすく、知らず知らずのうちに酸欠に陥ってしまう。
そういった理由で、この余白部分も立ち入り禁止となっており、前任者はそれを破ったためこのあたりで行き倒れてしまったと考えられる。
「よし・・・」
僕は鉛筆を取ると、その余白部分に文字を書き込んだ。
『くぼ地につき二酸化炭素溜まりやすく、有毒ガスの噴出箇所多数あり。危険』
できた!この国での仕事、完!
「って出来るといいんだけどなー」
消しゴムで書き込みを消しながら、僕はつぶやいた。
この余白部分に火山があるとか、死ぬほど深い湖があるとかならともかく、このあたり一体の開発はすでに決定しているのだ。
いい加減に書いたことを元に対毒ガス装備の予算を立てて、装備が使われなかったら、僕の首が飛ぶぐらいではすまない。
ごろりとベッドの上に仰向けになり、いつの間にか侵入してきた夜の冷気に身を震わせる。
「やっぱ、行くしかないよなー」
しばしの間をおき、僕は身を起こす。
そして、床の上で口を開いているカバンに向かった。
翌日、僕は半ば固体化したような錯覚を覚える空気を掻き分けながら、前任者の地図を手に密林を進んでいた。
背負ったザックには、水と食料に寝袋、蒸留器、そして簡易ガスマスクにスポーツ用の酸素ボンベが入っていた。
これだけあればこの地図の余白部分を隅から隅まで調査して、危険な場所を把握できるだろう。
「そろそろ・・・かな」
方角を確認し、地図上での位置を確認すると、もう空白地帯に入っていることが分かった。
ザックを下ろし、中からガスマスクを取り出して被る。
視界が狭まり、呼吸が少々苦しくなったが、これで有毒ガスが噴出していても大丈夫だ。
意識的に深呼吸をしながら、半ば探るようにして足を進める。
少々不便ではあるが、これも調査のためだ。仕方ない。
そう思いながら進んでいると、不意に全身を浮遊感が襲った。
目の前に窪地があり、底に背の高い草が生えていたため周囲と見分けがつかなかった。
悔やんでも遅いが、僕は後悔と共に受身の姿勢をとり、間に合わずに額を強打して闇の中へと沈んでいった。
頭が膨張している。
何となく最初にそんなことを考えた。
暑く、足首が少々痛み、頭が膨張しているような感覚があった。
そんな中、額が少々冷たくて、それだけが僕に心地よさを抱かせていた。
そこまでして意識を取り戻していることに気が付き、僕は目を開いた。
「・・・」
目に入ったのは、とてつもなく高い天井だった。
周囲の丸い壁が数メートルは上のところで円錐状にすぼまって一つになっている。
壁の色といい、まるで木のウロか何かのようだ。
そのウロのような空間の中に、僕は額に濡れた布を当てられ、横になっていた。
「よいしょっと・・・」
額の布を手に取り、手をついて上半身を起こす。
敷かれていた葉っぱが音を立てた。
どうやら僕が横になっていたのは、壁際に置かれたベッドのような物の上で、その反対側の壁に三角形の入り口が口をあけていた。
首を左右に振ってみると木で作られた家具や、壁に掛けられている動物の毛皮などが目に入った。
どうやら誰かの家らしい。
「気が付いたか」
くぐもっているが高い、女の声が僕の耳朶を打つ。
その声に入り口へ顔を向けると、木で出来た細長く巨大な仮面が目に入った。
仮面の左右と下部からはほっそりとした褐色の手足が伸び、その手には長い棒が握られていた。
仮面の人物は棒を壁に立てかけ、仮面をはずした。
その下から現れたのは、二十代前半ほどの黒く長い髪に褐色肌の、鼻筋の通った美人だった。
「見回りをしていたら、お前が窪地に倒れていた。額が割れて血が出ていたのでここまで連れて来た」
「ああ、そりゃどうも・・・」
「あんなお面つけて森の中を歩くとは、お前は死にたいのか?」
僕の礼の言葉に、ついさっきまで身の丈の半ばほどはあろうかという巨大な仮面をつけていた彼女が説教で応える。
「大事にならなかったからよかったもの、今度からは気をつけろ」
「うん、そうするよ。あーところで君、名前は?」
「ニオコマド」
僕の問いに彼女は短く、そう答えた。
彼女の話によると、このあたりは昔聖地として崇められていたらしく、管理をするニオコマド一族のほかに入ってはならない場所だったらしい。
そのため聖地は外と隔絶され、時代が流れ聖地であることが忘れ去られても、その管理者のニオコマドが彼女一人だけになっても、未だに入ってはならないというタブーだけが生きているらしい。
「それでもたまに入ってくる連中はいる」
彼女は、彼女のベッドに腰掛けた僕(どうやら足もくじいていたらしい、立とうとしたら痛みのあまり転んでしまった)にそう説明した。
「入ってきた連中はどうするの?」
「それは・・・適当に驚かして追い返すだけだ」
「そうか・・・ところでニオコマド」
ふと思いつき、僕は彼女に問いかけた。
「君は生まれたときからずっとこの森に住んでいるんだよね?」
「ああ、そうだが」
「だったらこのあたり一帯のことは何でも分かるよね?どこに窪地があるとか、大きな岩があるとか・・・」
「ああ、分かる」
「だったらちょっと教えてくれないか?このあたりの地図を作るんだ」
「・・・なんに使う?」
「このあたりの森を切り開いて、畑や町を作るんだ。そのために地図が必要なんだよ」
「しかし・・・ここは聖地だから・・・」
「でも、この開発は決まっているんだ。地図がなくても開発は進められるから、いずれはこのあたり一帯も破壊されるかもしれない」
「・・・」
「でも君が協力して地図を作ってわけを話せば、このあたりの森全部というわけには行かないけど、そこそこの木は残してもらえるかもしれないよ?」
「・・・」
「それに、古い建物の跡とかがあるんだったら、全部残してもらえるかも・・・」
「分かった」
僕の言葉をさえぎるように彼女が口を開く。
「分かった、手伝う」
「ああ、ありがとう、助かるよ」
僕は笑みを浮かべて、礼を言った。
その日から彼女の協力の下、地図作りが始まった。
とはいっても、僕はほとんど歩けなくなっているので、彼女の言葉に従って地図を描いているだけなのだが。
さすが生まれたときから暮らしているだけあって、彼女はほとんどの岩や巨木の位置を覚えていた。
それでも自信のないところは直接彼女が見に行って、その間僕は足のリハビリをしていた。
大きな目印になりそうなものの位置を書き込み、その周りの地形を埋めていく作業が、朝から夕暮れまで続いた。
食事は彼女が取ってきた魚や野草、そして僕が持ち込んだ食料でとった。
初めての食感と味に、彼女は驚きを隠せないようだった。
そして夜になれば、僕は寝袋に包まり、彼女はベッドに入って互いの思い出話をどちらかが眠るまで続けた。
『聖地』の外のことに彼女は目を輝かせ、『聖地』での出来事に僕は感嘆の声を漏らしていた。
そんな地図作りの日々が終わったのは、三日目のことだった。
彼女の家の中で、酸素ボンベの間を机代わりにペンを走らせる。
「ここに大岩があって、ここが沼で・・・よし、出来た」
前任者が描いたところと同じぐらい詳細な地図を描き終え、僕はペンを懐へしまった。
「ありがとうニオコマド、君のおかげで仕事が早く終わったよ」
「礼には、及ばない・・・」
「それに君の作った薬が効いたから、もうだいぶ歩けるようになったよ。本当にありがとう」
「・・・カモガワ」
意を決したようにニオコマドが顔を上げ、僕の名を呼ぶ。
「ん?どうかした?」
「ええと・・・いや・・・ああ、その・・・」
ニオコマドの声は次第に小さくなり、一言だけが形になった。
「もう、帰るのか・・・?」
「うん、地図を持って帰らないとね。せっかく作ったんだし、君という協力者がいたことを上の人に教えて、計画を一部変更してもらわなきゃいけないし」
「でも、七日間の予定なのだろう?そんなに急がなくても・・・」
「いや、早ければ早いほうがいいんだ。そのほうが計画の変更がしやすいからね」
「・・・そうか・・・」
「それじゃあニオコマド、帰り道を案内してくれる?『聖域』の外までで・・・」
「だめだ!」
ニオコマドが大声を出し、自分の声が大きかったことにはっとしたのか、急に小さくなる。
「その、お前の足ではまだ・・・人里へ帰る間に日が暮れて・・・その・・・危ない・・・だから、明日に・・・」
「まだ昼前だよ。夕方には向こうの村に着くって」
「だめだ!」
声を上げ、僕の側によって両腕を掴む。
「頼む!あと一日、いや一晩でいい、もう少しいてくれ!」
彼女の声と、少しだけ潤んだ彼女の相貌に、ようやく僕は彼女が何を思っているかを悟った。
「・・・分かった・・・帰るのは明日にしよう・・・」
彼女の緊張した面持ちが、少しだけ緩んだ。
それから後、僕たちは話をしてすごした。
それまでならば寝る前に、横になっている間にする思い出話を、二人で並んで座ってした。
楽しかった。しかしそうは言っても、高かった日はいつの間にか沈み、夜が訪れた。
この国の夜は寒い。
僕は寝袋に身を入れ、彼女はベッドに横たわった。
そしてそのまま、僕たちは会話を続けた。
「・・・なあ、カモガワ、お前に言っておかねばならないことがある」
ふと、彼女が僕に呼びかけた。
「私は、お前にニオコマドの掟の話をしたよな?」
「うん、覚えている」
確か、『聖域』に入った者はなるべく速やかに追い返すこと、というような内容だったはずだ。
「あれはな、実は・・・嘘なんだ」
「・・・え?」
「ニオコマドの本当の仕事は、『聖域を侵す者、その魂か命で持って贖うべし』という決まりを、森に入ったものに守らせることだ」
「ええと、それって・・・」
「そうだ。森に害を加える者は、殺すか正気を失わせないと森の外に出せない」
「・・・・・・」
「カモガワ、お前がその地図を届けることで、聖域の森は守れるかもしれない。
だが、今の計画では、確実にこの掟に触れる。
お前は死にたいか?狂ってしまいたいか?」
「・・・いや・・・」
「私もお前に手をかけるのはいやだ」
しばしの沈黙をはさみ、彼女は続けた。
「しかし掟は、守らねばならない・・・」
今までもそうやって来た、と彼女は続け、僕たちの間に沈黙が横たわる。
「・・・カモガワ」
彼女が口を開き、沈黙を破った。
「何?」
「一つだけ、お前が死ぬことも狂うこともない方法があるんだが・・・」
「・・・言ってみて」
「・・・昔、とあるニオコマドが聖域の木を切ってしまったある男に惚れ込んでしまい、その男を殺せなくなったそうだ。
そこでそのニオコマドは、はその男と夫婦となることで、その男を殺さずに済むようにした」
「・・・・・・」
「その二人の間に生まれたのが、私だ」
葉っぱのこすれあう音が響き、暗闇の中だというのに、彼女がベッドの上に身を起こし僕のほうへ顔を向けたのが分かった。
「カモガワ、私の夫になってくれないか?」
「・・・・・・」
僕は、考えた。
彼女の言葉からすると、前任者はすでに彼女の手によって命を失っているのだろう。
命が助かるからといって、そんな殺人者のプロポーズなどに応じてよいのだろうか。
(でも・・・)
僕は、考えた。
彼女は掟によって縛られている。
彼女には選択の余地などなく、掟に従って人を殺し、そのことに深い後悔を抱いている。
そんな彼女にとって僕の命を助けることは、償いというには少なすぎるが、彼女の心を救うことになるはずだ。
(よし・・・)
寝袋のファスナーを下ろし、身を起こして彼女のほうへ向き直る。
「ニオコマド」
僕は意を決し、口を開いた。
「僕は、君の、夫になる」
「・・・ありがとう・・・」
彼女はベッドから身を下ろし、僕の両肩に腕を回して、強く抱きしめた。
「・・・ありがとう・・・」
再びそう言うと、僕の肩に顔を埋め、嗚咽を漏らした。
入り口から差し込む微かな月明かりの中、彼女は顔を伏せ、微かに肩を震わせていた。
「ひとつ、謝らなければならないことがある」
しばしの後、彼女は僕から腕を離すと、そう言って僕を立ち上がらせる。
そして入り口をくぐり、木のウロの外、広場のように開けたところに連れ出した。
彼女はそのまま僕のほうへ向き直り、胸を、腰を覆う毛皮に手をかけると、一思いにその結び目を解いた。
スレンダーな体型にふさわしい控えめな乳房と、きゅっと引き締まった腰、薄く短い陰毛が目に飛び込む。
「わっ」
僕は思わず声をあげ、顔を背けてしまう。
確かに彼女の夫にはなったが、心の準備というものができていない。
「頼む、見て欲しいんだ」
彼女のなめらかな両手のひらが僕の頬に当てられ、有無を言わさぬ力で顔を彼女のほうへと向けさせる。
「・・・どうだ、私の身体は・・・?」
言葉と共に、彼女は両腕を広げた。
一見華奢な印象を与える彼女の身体だが、全身を薄く覆う脂肪の下に、発達した筋肉があるのが見て取れた。
それが彼女に引き締まった印象をもたらしているのだろう。
それに加え、滑らかでつやのある褐色の皮膚が月光を照り返し、彼女の魅力に拍車をかけていた。
つまりは、美しいの一言に尽きる。
「・・・綺麗だ・・・」
「・・・そうか・・・では、これでもか・・・?」
家鳴りに似た、何かが軋む様な音が耳に入った。
「・・・?」
音の出所を探すべく視線を左右にさまよわせていると、彼女と目があった。
「・・・」
彼女は無言で視線を自分の手の先へ向ける。
それに倣って、僕も視線を向けた。
「っ!!」
そこにあったのは、木の枝と化してしまった彼女の五本の指だった。
ごつごつとした表皮に、鮮やかな緑の葉を茂らせた、完璧な五本の枝だった。
いや、変化はまだ続いている。
指の根元まで達した変化は手のひらへ、そして手首へと進んでいく。
視線を反対に向ければ、同じようにそちらの手も樹木と化しつつあった。
「これで分かったろう」
足の指から変化した木の根が地面に突き刺さり、彼女の身体を支える。
「私、いやニオコマドの一族は人間では、ない」
彼女の黒髪を掻き分け、細い枝が夜空へむけて伸び上がっていく。
「そもそもこのあたりが聖域とされたのも、我々ニオコマドが住んでいたからだ」
両脚は元の数倍の太さとなり、癒着して樹木となりつつある全身の荷重を強度を備えている。
「母は、自分の正体を父に明かさなかった」
彼女の肩が、腰が、背中が、樹皮に覆われていき、一本の樹となりつつある。
「父から嫌われるのを恐れていたからだが、私は父をだましているようでいやだった」
下腹部の柔らかな茂みが樹皮に包まれ、黒髪の生え際までが樹木のうちに沈み込んでいく。
「私は自分の夫を騙すような事はしたくない、と思っていた。
だから、もう一度お前に聞きたい」
胸部と顔だけを、巨木の幹から覗かせた彼女が、僕に問いかける。
「・・・どうだ、私の身体は・・・?」
その問いに、僕は―
1.「化け物」と答える。
2.「変わらず美しい」と答える。
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