ラスト・シーン
「……っあっ……っあっ……」
誰もいない荒野、数年前に人工的に作り出されたこの場所を、俺は今にも死にそうな痛みをこらえながら歩いて――否。逃げ延びていた。
日は今にも暮れそうだ。光が消えれば、そこは闇。獣や魔物は先の大戦で滅ぼすなり追放するなりしたが、国家お抱えの夜間討伐部隊がいつ現れるか分からない。いや――それ以前に、今夜まで命が保つかどうか。
人魔大戦――二年ほど前に行われた人間と魔族の戦争は、多大な犠牲を払いながらも、人間が勝利。魔族は一切が追い払われ、中には奴隷として売り払われる者もいたという。
だが、勝利後の支配権を巡って、今度は人間達が戦争を始めた。これが今の戦争である。
戦争の余波を受け、人間も魔物もその数を徐々に減らしていった。
止めるものもいない戦争は、徐々に狂気の色を帯びていき、兵士の間には次第に、このような考えが浮かんでいった。
『命令こそ、絶対。目に映るものは、全て敵だと思え』
俺はかつて、ある街で一人の少年を助けた。
名前はイム。クリアブルーの瞳が珍しい。
獲物の殺害のみを生き甲斐とする野盗、『ゲノシデ』に襲われていたところを俺が発見。連中を一斉殺害。D.O.A.指定されていた犯罪者であったので、報償金を少年に渡し、家にまで送っていった。少年は感謝の言葉と一緒に、自分も連れていくよう頼み込んできた。
だが、街の外は完全なる無法地帯だ。俺一人ならまだしも、非力な少年を連れて歩ける様な場所ではない。互いに死ぬ確率が増えるだけだ。
何とか少年を説得し、家にいてもらうことを渋々承諾してもらったのが、今から二年前。
その間にも、色々な無茶はやって来たが、自分から人助けを行ったのはこの一回だけだ。他は――仕事だ。
だが、無茶をした俺を生きさせるための運は、もう使い切っちまったらしい。
『ゲノシデ』の野郎共………街のボロ屋にいた俺を狙って来やがった。いや、そもそもあの街自体が『ゲノシデ』のアジトだったか………。
寝込みを襲われた俺は、ほうほうの体で逃げ出した。状況が悪すぎた。兎に角、街の外に逃げて体勢を建て直さなければ――!
ガウゴウドウンッ!
「っぐああっ!!!!」
……街の外から、狙撃部隊による射撃を数発、腹と背中にモロに受け、顔を霞め………それでも俺は生きていた。兎に角、この場所を離れなければ――。
――そして、この荒野。別名、『終焉の地』。人魔大戦で、現在最も勢力がある国の王が、魔王を斬り伏せた場所だ。地面は乾ききって脆く、作物など望める筈もない。
腹から流れる血さえ、ここの砂は貪欲に飲み込んでいく。
――この場所に逃げ込んだ時点で、俺の命運は決まったか?
ネガティブ思考は果てしないが、だからと言って、他に逃げ場など思い付かなかった。
このまま無事に逃げられる場所など――!
ドゴォウァンッ!
背後で巨大な爆音が聞こえたと同時に、俺の体は宙を舞い――
「………ん」
瞳を開くと、そこは今までいた荒野ではなかった。
洞窟………それも、地上でも最早見られる場所は限られている湿った土のある洞窟であった。
パラパラ……と天井から何かが降って来る。肌に触れる感触で分かった。荒野の砂だ。つまり、ここは――
「気が付いた?」
澄んだ声が聞こえた。洞窟内で反響するそれは、聞くものをどこか安心させるような――少年のような声。
「……あ……」
俺は辺りを見回して――声の主をすぐ見付けた。
俺の目の前、三メートルくらいの場所にいたのは――クリアブルーのスライム。しかも、先の大戦で絶滅した筈の、人型スライムだった。とっさに俺は身構えようとして――そのスライムの顔が、どこか見覚えのあることに気付いた。
俺の脳は、その答えをすぐに出す。
「………イム………なのか?」
「そうだよ、お兄さん」
イムは、粘液化した下半身のまま、俺に近付いてきた。生物的な本能と、過去の記憶がせめぎあい、身動きのとれない俺。
「………どう……して……」
「どうしてボクがスライムなのか?」
怪我の所為でうまく喋れない俺の疑問を、イムは代わりに継いでくれた。俺は頷く。記憶では、イムは人間だった筈だ。
「ボクの父親がね、ガードスライムだったんだよ。ボクは、その遺伝子が半分入っていたんだ」
遠い目をしながら、イムは昔のことを語り出した。
「瞳がクリアブルーだったのは、父親から遺伝したものだったんだ。当然、回りからは妙な目で見られたよ。あいつは魔物じゃないか、とか」
この世界で、魔物の血族は、例え少量でも差別の対象になる。外見特性が明確なものであればあるほど、迫害は更に激しくなるのだ。
「そんな時だった。『ゲノシデ』に襲われたのは。多分噂になってたんだろう。魔物憑きの少年がいる、ってね。失礼な話だよ」
『ゲノシデ』が来た後、何人か子供が死んでたけどね、と表情も変えず話すイム。恐らく、その子供が噂してたところを、『ゲノシデ』が偶然聞いて、そのまま殺したのだろう。
「………そしで、お兄さんに出会った。お兄さんは、ボクの目の前で、襲ってきた人全てを、一瞬で倒してしまった」
襲ってきた『ゲノシデ』は、大した実力の持ち主ではなかった。それこそ、俺の片腕で倒せてしまうほどの。
「ボクはお兄さんに憧れた。一緒にいたいと思った。………でもお兄さんは断った。僕は足手まといだって」
「………」
イムは顔を伏せ、何かをこらえるように呟いた。
「………十分理解できたし、ボクの命を大切に思っていたのも理解できた。でも、その言葉を聞いてボクは――強くなりたかった。そして――」
「――そしてある日、ボクは目覚めたんだ。僕の持つ血――ガードスライムの血族に」
「ユーム・ド・ドゥヴァン………」
俺はふらつく視界に違和感を覚えながらも、思わずその名称を呟いていた。魔族の血が人間に混ざると、ごくまれに生きながらにして、魔物へと転生する場合があるという。彼等を、人はこう呼ぶのだ。
戦友の与太話だと思っていた事が、今、目の前に実在していた。
「――それは丁度一年前かな。そこから、お兄さんを探す旅を始めた――けど、まさかこんな形で会うなんて………」
イムの声は心の底から残念――と言うよりももっと根元的な、悲しみの雰囲気を纏っていた。
その原因を、俺は自ら感じていた。痛みは既に飽和し、何も感じない所すら出ている体。頬から胸元へと垂れる血。そして……どこかぼやけてきた視界。
「俺の体は………一体、どうなっている?」
それでも、訊かずにいられなかったのは、やはり、自分の体を――違う。イムの感情を理解したかったからだろう。彼がそこまで悲しむのだから――
「………手遅れだよ。良くて一日、悪ければ数時間後にも亡くなる。
内臓は砲弾の破片で滅茶苦茶、首も何かの破片でズタズタ。背中も、脚も、傷付いて無い所なんて無かった。しかも、全部致命傷。今、生きている方が奇跡だと思う………」
――あぁ。成程な。
俺の想像は裏切らなかった。
体が、俺自身の支配から抜け出ていく。指先から、徐々に、何も感じなくなっていくのだ――。
咳と共に口から出てきたものは、血。どうやら本当に永くないらしい。
「――あのさ」
「……ん……?」
少しずつ、声がエコーがかかったように聞え出した。視界も、少しずつ霞がかかっていく……。
「――最期に……二つだけ、いい?」
「………あ……あ」
喉から絞り出すように俺が言うと、イムは身に付けていたローブをいきなり脱ぎ始め、俺に更に近付いてきた。
「………あ――」
脱ぎ始めたとき、俺は制止しようとしたが――イムの体を見て、俺が静止してしまった。
幽かな、だが確かにある胸の膨らみ。
線の細い躯。
そして、股の間に形成されている、一本の細い筋。
人型モンスターは、自らの姿は変化できるが、性別までは変化できない。と言うことは――
「一つ。ボクはオンナだよ。皆、ボクをオトコとしてしか見てなかったけどね」
――俺はイムを少年だと思っていたが、どうやら少女だったらしい。
俺が数刻考えているうちに、イムは俺の元にさらに近付いてきた。そして――
「――二つ。今、お兄さんは何をシテ欲しい?お兄さんに言われた事なら、ボクがシテあげるから――」
「―――」
命の灯火は、ロウソクの如く燃え上がり、その身を減らしていく。
治る見込みのない体。この場所で終りを向かえるのは、もう変えようがない未来だ。
そして、目の前には――女。
「――決まったみたいだね」
戦場に生きてきた俺には、子供がいないどころか、女と交わった事すら無かった。俺に関わる女は、大概仕事関係か――敵だったから。
だが、こうして魔物でしかも大人になっていないとはいえ、女の躯を目にした瞬間、俺の種の本能が働いたらしい。『子孫を残せ』と――。
まるで茸のように、俺の気を吸い取り、破れたズボンと下着から突き上がる逸物を、俺はぼんやりと見つめていた………。
「じゃ、まずは口から――あむっ」
イムは俺の股の近くで屈むと、一気に逸物を口に含んできた。粘体で出来た口は、逸物全てを覆い尽すようにねっとりと絡み付いてくる。
時折粘体の一部が舌へと変形し、ぎゅっ、ぎゅっと逸物を握り締めたり、そのまま包皮を剥がしてカリをいじったりしている――。
シュウシュウと、イムの体が当たった場所の衣服が溶け出していく。スライムは本来、自身の体に人を取り込んで消化する生物だ。だが――人肌に当たっても、それが溶け出す気配はない。
「上位のスライムは、溶かすものを指定できるんだよ」
イムの首元に現れた『口』が、逸物をむさぼる口に代わって説明する。そのままその口は閉じ、元の粘体に戻った。
「はぁ………っぁ、あ……」
溶ける心配がないことを少し安心した俺は、その拍子にぼんやりとした快感を感じ始めていた。神経の、感覚伝達が鈍って、感度も速度も遅れているらしい。
くぱ、ちゅく、ちゅる………。
イムは一心不乱に逸物をいじくっていた。それは、激しいものではなく、むしろ優しさすら感じられる前戯。心に染み込むような感覚に、
どくっ、どくぅっ………
俺の逸物はなけなしの精を、イムの口の中に放った。数秒後、
「………はぁぁ……」
解放感が、俺を満たす。体の中から、同時に何かが抜け出していく。何かが抜け出す度に、俺の皮膚は何も伝えなくなり、俺の体はいよいよ俺との繋がりを解こうとしている。
「……。ふふ、美味しいね。お兄さんも、気持ち良さそう――」
体の一部を白く染めながら、イムは――微笑んだように見えたが、表情が最早よく分からない。
「――えてな――ゃあ、――に気持ち――包み込んで――」
声すら――殆んどかすれてしか聞こえなくなっていた。目の前に、青色が近付いて――。
ぐにゅうっ!
俺のへたった逸物が、柔らかな何かに包み込まれた。同時に、俺の半開きの唇にも何かが押し付けられる。
どこかでシュウシュウと、蛇が鳴くような音が聞こえた。けど、その音すらも、遠い世界での出来事に感じられた。
代わりに――
「……あぁ、あはぁ……」
母親に産着を着せられる赤子のような、どこか暖かく、心がほっとするような感覚。胸が、腹が、太股が膝が脚が足が首が、ゆっくりと何かに包み込まれていく――。
不思議と、傷口に触れられている筈なのに、痛みは全く感じない。体の神経が切れたか、それとも――。
そんな中――
「…あぁ、あはぁ……」
逸物と舌だけは、少し遅れてではあったが、はっきりとその感触を伝えてきた。
逸物全体をぴっちり覆いながら、うねうねと蠢き、くにゅくにゅと揉み上げ、ぎゅるぎゅると回転する、膣の動き。ぐいぐいと引っ張り、むにゅむにゅと扱き、にゅるにゅると絡み付く舌の動き。恐らく人間では不可能なその二つの動きに、既に力の無い俺は、一瞬たりとも耐えることは出来やしなかった。
「―――ぉこほっ!」
びゅるるぅっ!びゅくっ!びゅくぅっ!
体に残っていた、全ての精が発射され、俺は―――。
――もっと、気持ち良くなりたい?
――いや、もう無理だ
――どうして?
――体が――
「………あ?」
次に意識が戻ったとき、俺は不思議な空間に立っていた。
まるで浅い海の中のような、クリアブルーの世界。外からは光がまるで招くように差し込む空間。
――ここは……?――
傷が全く無くなった俺の体を眺めながら、考えていると――
「ボクの中だよ、お兄さん」
声がすると同時に、俺はいつの間にか柔らかく弾力のある地面に押し倒されていた。
相手は勿論――イム。
「イムの………中?」
「そう。お兄さんの魂を、ボクの中に取り込んだんだ」
魂、と言う言葉で、俺はもう死んでしまったのか、と悟った。だが、不思議と激情は起きない。どこか、安らかな気持ちがした。
「お兄さんには、もっと気持ちよくなって欲しかったから………」
そう、どこか悲しそうな表情を浮かべるイム。一度言葉を詰まらせ、そして続ける。
「………ごめんなさい。間に合わなかったんだ。お兄さんのことを街で聞いて、探して、捜して、やっと会えたら重症で、ボクの応急処置や手当て、簡易魔法じゃ治すことも出来なくて――間に合わなかった」
静寂。
「………ボクはお兄さんといたかった。それはガードスライムの本能でじゃない。ボクは、ボク自身の意思でお兄さんの側に仕えていたかったんだ!」
涙。その一滴一滴が俺の体に触れ、そして流れていく。
これが、イムの本心なのだろう。現実世界では魔物としての本能が多少現れていたが、その根底にある事は、俺と時を共にしたい、その純然たる欲求なのだ。
「………でも、出来なかった。お兄さんは死んでしまった。お兄さんを生き返らすことも、ボクの中にお兄さんの魂をずっと捕えておくことも、今のボクには出来ないんだ。出来ることは――」
そこでまた言葉を詰まらせる。恐らく、自分から言いづらいことなのだろう。
やがて、決心したように、イムは口を開く。
「――一つは、お兄さんの魂を天へと還すこと。もう一つは、お兄さんを、ボクの子供として生まれ変わらせること――でも、それはもうお兄さんじゃないけどね」
「………」
つまり、俺はここで選択肢があるわけだ。
一つは、俺が天国へと向かう道。もう一つは、俺がスライムに転生する道。
どちらを選んでも、イムが悲しむ事に変わりはない。だが、俺は選ばなければならない。
イムの、未来のために――。
1.「………済まない。俺は天国へと向かうよ」
2.「………お前と、形は変わっても、一緒に居たい」
アナザー一覧に戻る