イカ娘


 

 ――月食。

 この期間中、人外の者の多くは力を失う。

 それでも、格の高い妖魔ならばほとんど影響はないだろう。

 しかし人間界に住まう一般の妖魔にとって、その弱体化は顕著だった。

 

 だが、ほとんどの者は馬鹿ではない。

 月食以前により多く「精」を摂取し、その日に備える。

 しかし人間と同じく、淫魔の中にも粗忽者は存在するもの。

 すっかり月食が近いことを失念し、そして無防備のままにその日を迎えてしまう――

 そんな、迂闊な淫魔も存在したのだった。

 

 

 

 

 

 「ふぅ、満足満足。今日も満腹だぞ……」

 海沿いの街から、海の方へと至る道路をてくてくと進む少女。

 中学生ほどの外見に見える彼女は、今日も数人分の精を吸い上げ満足していた。

 間もなく起こる月食の期間を乗り切るのに、たかが数人分の精ではとても足りないのだが――

 しかし彼女は、月食の存在自体を完全に失念していたのである。

 

 「それにしても……夜というのに騒がしいのう」

 少女は、夜道を行きながら周囲を見回した。

 家々の窓から頭を突き出し、星空を見上げる住民達。

 庭に出て、揃って真上を仰いでいる者達までいる。

 「人間というものは良く分からんな。空を見上げて、何か降ってくるとでもいうのか――」

 そう怪訝に呟く少女――次の瞬間、彼女はようやく思い至った。

 ――今日は月食。

 淫魔が、最も用心しなければいけない日。

 

 「……まずい! 今日は――」

 少女が月を見上げた時、すでにその真円は欠けていた。

 たちまち体から力が抜け始め、その足取りがふらつく。

 「あ、うぅぅ……」

 両腕がバラバラほどけ、イカの触手が姿を見せてしまう。

 足も人間の形を保つことが出来ず、ぐにゃりと地面に這うようになってしまった。

 「どうする? 誰か、人間の精を――」

 いや、もはやそれも遅い。

 月食が始まってしまった今、たかだか数人の精を吸ったところでどうしようもないのだ。

 せめて海に戻ることさえできれば、消耗は防げるのだが――

 「う、海へ……」

 手足の触手をうねうねと動かし、人通りの少ない道路を這うように進む少女。

 海は遠方に見えているが、このままでは――

 「だ、だれか……たすけ……」

 少女はそのまま、力を失ってしまった。

 

 

         ※        ※        ※

 

 

 「あ、イカだ……」

 深夜、コンビニの帰り道。

 路上で俺が発見したのは、イカだった。

 まるで何かの冗談のように、歩道に掌サイズのイカが転がっていたのだ。

 その光景は、例えようのないほどシュールだった。

 

 「なんだ、こりゃ? なんでこんなとこに?」

 俺はイカを拾い上げ、まじまじと眺める。

 いくら海が見えるほど近いからといって、こんなところまでイカが這い上がってくるはずがない。

 スーパーなどで売っている調理用のイカを、誰かがここに落としたのか。

 当然ながらイカはぐにゃりとして、何も答えてはくれない。

 そして、生きているようにも思えなかった。

 

 「せっかくだから、海に帰りたいよな」

 しかし俺は、そのイカの死を悼むという殊勝な心など持ち合わせていなかった。

 中学野球では豪腕でならした俺、地区内ではそれなりの名投手でもあったのだ。

 野球を止めた今、その肩はどの程度のものなのか――

 「でやっ!」

 ゆっくりと振りかぶり――そして、投球フォームでイカをぶん投げる俺。

 その向かう先は、遠方に見える海。

 思ったより重心が良かったのか、イカは驚くほど遠くまですっ飛んでいった。

 もしかしたら、海まで届いたのかもしれない。

 俺の肩も、まだまだ大したものだ。

 

 「ふぅ……帰るか」

 そして俺は、何事もなかったかのように帰宅したのだった。

 ――どうでもいいが、なんとなくスルメが食べたくなった。

 

 

 

 

 

 そして、それから三日が経った。

 夜の十一時、アパートのドアをとんとんと叩く音。

 「ん? こんな時間に誰だ……?」

 俺は腰を上げ、ドアを開ける――

 そこには、奇妙な少女が立っていた。

 まるでイカの着ぐるみを纏ったみたいな、素っ頓狂な格好をした女の子。

 でかいイカの真ん中部分から少女の頭が出ていて、イカの大きな目は少女の腰部分。

 下半身からは複数の触手をうねらせながら、やけに偉そうに立ちはだかっていた。

 

 「……」

 俺は無言でドアを閉じようとする――そこに少女は、強引に体を突き入れてきた。

 「おい、何だその反応は! せっかくわざわざ出向いて来たというに!」

 「帰れ、いいから帰れ!」

 少女――イカ娘が挟まっているのにも構わず、俺は強引にドアを閉じようとする。

 イカ娘の体は、粘液でぬめっているらしく――そのまま、にゅるんと滑って部屋の中に入ってきた。

 「あっ、くそ……!」

 「ふむ、散らかった部屋だな」

 イカ娘は、眉をひそめながら部屋を見回す。

 「まあいい。私は、お前に意趣返し――じゃなかった、恩返しに参った身」

 「うるさい、帰れ」

 この娘の外見を遠くから見ると、イカの着ぐるみを着ているだけにも見える。

 しかし注意して良く見れば、その表面のぬめった質感、巧みに蠢く触手――本物であることは明白。

 つまりこのイカ娘は、明らかに人間ではないのである。

 そういうことで、厄介事は御免だ。

 

 「さて……来てみたは良いが、恩返しの方法など皆目見当がつかん。

  織物など性に合わんし、料理など論外。掃除など御免だ」

 「だから、帰れよ」

 勝手に話を進めるイカ娘に、俺は冷たく言い放つ。

 「……むぅっ!」

 そんな俺の言葉を無視して少女が見据えたのは、テーブルの上。

 そこには、コンビニで買ってきたおつまみのスルメがあった。

 「おお、同胞よ……!!」

 イカ娘はスルメの袋を掴み、大声で叫ぶ。

 「ああ、それ? 急に食べたくなったから……」

 「き、貴様! なんということを……!!」

 そう言いつつイカ娘は袋からスルメを取り出し、もむもむと食べてみる。

 「……ふむ、噛めば噛むほど味が出るな。こいつは面白い」

 「あの……本当に帰ってくれないかな。俺、平穏に暮らしたいんだよ」

 「そうはいかん。危ないところを救われた恩を返さねば、おちおち帰ることもできん」

 「じゃあ、お前は何が出来るんだ?」

 「喰う! 寝る! 遊ぶ!」

 少女はふんぞり返り、偉そうに断言した。

 やはりここは、帰ってもらうしかないようだ。

 「……っておいおい、何してるんだ?」

 イカ娘は断りもなく俺のパソコンの前に座り、何やらカチャカチャと操作している。

 「おいおい、適当にいじるなよ。壊れるだろ……」

 「適当になどいじっておらん。ただ、『jpg』でハードディスク内のデータを検索しただけだ」

 「ならいいけど……って、おい!!」

 止める間もなく、ディスプレイに表示されたのは当然のごとくエロ画像。

 それも、いわゆる触手画像――女性が異形の生命体に襲われ、その裸身に触手を絡められているというジャンルだ。

 「ふむ……お前も、こんな風にされたいのか?」

 「いや、俺は鑑賞する側で、こんな風にされたいというわけでは……」

 「なんだ、そうなのか。男でも、絡めてやれば悦び悶えるのにな」

 そう言いながら、イカ娘は下半身の触手をぴこぴこと動かす。

 「……お前、男にそんなことするのか?」

 「私は淫魔――要はサキュバスの一種だからな。男の精液が大好物だ。お前のも啜ってやろうか?」

 「え……?」

 迂闊にも、俺はドキリとしてしまった。

 『啜られる』というリアルな言葉に、つい反応してしまったのだ。

 

 「……なんだ、それで良かったのか」

 イカ娘は俺の動揺をすかさず察し、にぃ……と目を細めた。

 その、いかにも意地悪そうな顔。

 口答えしようとしたが、言葉が出て来ない。

 そんな俺の心境も、イカ娘はすっかりお見通しの様子だ。

 「では、お望み通りに精を吸い取ってやろう。覚悟するのだぞ、とろけるほどに気持ちいいのだから……」

 そう言いながら、イカ娘は俺の前に立つ。

 ごくりと唾を呑み込み、俺は少女の体を眺めるのみ――

 

 「ほれ。この中に突っ込むがいい」

 イカ娘の下半身――股間にあたる部分からぺろんと顔を覗かせたのは、イカの漏斗(ろうと)だった。

 「ふざけるなよ、おい!」

 そこは確かに筒状となっており、彼女の股に位置してはいるが――

 そんなところに自分のモノを突っ込むところを想像すると、悲しくなってくる。

 「それ、墨とか吐き出す口じゃないか。大事なモノ、そんなところに預けられるか!」

 「でも、中はすごいぞ。並の男なら、ものの5秒で果てよう」

 「いや、いくら気持ち良くたって……」

 「まあ、そう言わずに試してみろ。病み付きにになるから」

 イカ娘の漏斗はちょうどペニスがフィットするサイズになっている。

 その中は暗く、内部の構造は良く分からないが――

 「でも、やっぱなぁ……」

 「なんだ、やはり触手でヤられたいのか?」

 「いや、それは――」

 思わず言葉に詰まり、俺は悩む。

 そして――

 

 触手で弄んでもらう

 漏斗に挿入する

 


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