メデューサ


 

 放課後の図書室、僕は御咲(みさき)鈴香先輩と二人っきりになっていた。

 時刻は夕暮れ、とっくに閉館の時刻なので他の生徒もいない。

 図書室にいるのは、図書部の人間のみ――要は、僕達のことだ。

 僕と御咲先輩は、他の高校にはほとんど存在しない図書部という部活のたった二人の部員なのである。

 なぜ部員が二人しかいない部活が潰れないか、それは図書を管理する者がいなくなるという単純な理由だ。

 

 「これを6-A本棚まで頼む」

 「は、はい!」

 「これは……7-B本棚だな」

 「はい……!」

 そんな先輩の指示のままに、僕は図書室内を動き回っていた。

 御咲鈴香先輩は三年生で僕より一つ上、図書部の部長という地味な役職でありながら、校内でも有名な女子生徒だ。

 極めて成績が優秀で、容姿も端麗――その凛とした立ち振る舞いにより、旧家の令嬢という噂まである。

 切れ長のきつそうな目、形の整った鼻、花びらのような唇、流れるような長い黒髪――

 そんな容姿を彩るのは無表情と無愛想、それゆえに他の男を一切寄せ付けないのだ。

 この高校内で御咲先輩に思いを寄せている者は多いのにもかかわらず、その周囲に恋愛に関する噂は全くない。

 学年が違うので詳しくは知らないが、御咲先輩は女子の間でも浮いた存在のようだ。

 孤立ではなく孤高、彼女はそういう女性だった。

 そして――図書部の後輩にあたる僕も、そんな御咲先輩に思いを寄せている人間の一人だったのである。

 

 「すまないな。いつも君一人をこき使って――」

 仕事がひと心地つき、御咲先輩はため息混じりに呟いていた。

 とは言え、表面上は無表情――むしろ、仏頂面に近い。

 「いえいえ、そんな……」

 実を言うと、この図書部に新入部員は多かったりする。

 とはいえ、その全員が御咲先輩に近付こうとする邪な男子。

 御咲先輩が全くなびかないことが分かると、すぐに図書部を辞めてしまうのである。

 結局のところ部員が居つかず、僕と御咲先輩の二人だけが常駐部員となっているのだ。

 ちなみに僕はと言うと、元々本が好きだからこの部に入ったのである。

 図書部ならば、部費で自分の欲しい本を優先的に買うことが出来る――これも、十分に邪な理由だ。

 御咲先輩に心を奪われてしまったのは、入部後のことだったのである。

 

 「8-Cの棚の整理も終わったか……じゃあ、今日はこれで終わりにしよう」

 無表情のまま、御咲先輩は言った――いや、微かに笑っているような感じもする。

 入って一ヶ月も経たずに辞めていった連中には、御咲先輩のそんな微妙な感情は捉えられないだろう。

 そんな妙な優越感を抱きながらも、今日の僕は心中に重苦しくのしかかる一件を抱えていた。

 これについて、先輩に尋ねなければならない――僕はずっと、それを切り出すタイミングを待っていたのだ。

 それは、昨日の午後十時――塾の帰りに見たものについてだった。

 

 「あの、先輩……昨日の十時頃、緑町公園にいませんでしたか?」

 僕はいよいよ覚悟を決め、そう口にしていた。

 微かに、仏頂面のままの御咲先輩の眉がぴくりと動いた気がする。

 「いや――特に心当たりはないが」

 「いえ、そんなことはないです。僕が、御咲先輩の姿を見間違える事なんて、絶対にないです」

 僕は、明らかに嘘を吐いている御咲先輩に詰め寄っていた。

 ここで退いてしまえば、ずっと僕は御咲先輩に対して、ある疑念を持って生きていかなければならない。

 先輩が売春をしている――そんな疑念を心に秘めつつ、御咲先輩と何食わぬ顔で接するなど不可能なのだから。

 「……僕、見たんです。御咲先輩が、若いサラリーマンに声を掛けていたのを――」

 「……!」

 御咲先輩の顔が、確かに歪んだ。

 さらに、僕の見たものはそれだけではない。

 御咲先輩は若いサラリーマンに何やら声を掛け、そして茂みへと引き込んでいった。

 それから二十分ほど――我ながら粘着質であるが、僕はずっと様子を伺っていたのだ。

 さっきのサラリーマンはしばらくして、至福の表情でふらふらと茂みから出ると、町へと消えていった。

 茂みの中で何が行われていたのか、それは想像の域を出ないが――

 

 「そうか、見られていたか……」

 御咲先輩は、僕に初めて見せるような顔――困惑した表情を浮かべている。

 「嘘ですよね、御咲先輩が体を売ってるなんて……!!

  きっと僕の勘違いか、それか何か仕方がない事情が――!」

 僕のため込んでいた感情が、その瞬間に爆発していた。

 信じたくない。嘘であってほしい――しかし御咲先輩は、僕の言葉を否定しようとはしなかった。

 いや、そればかりか――

 

 「それで、どうしようというんだ……?」

 なんと御咲先輩は僕をまっすぐに見据え、そう尋ねてきたのだった。

 「そんなことを問い質して、どうする気だ? 私を脅しているのか?

  見たものを黙っているかわりに、昨日の夜に行われた事を君にもしてほしい、と?」

 「な……!」

 断じて違う――その言葉を、なぜか口から出る寸前に呑み込んでしまった。

 昨日の夜に行われた事を、僕にも……?

 御咲先輩の弱みを握ってしまった僕が、あのサラリーマンと同じことをしてもらえる――

 僕は、決してそんなつもりで言い出したわけではない。

 御咲先輩を脅して、おこぼれにあずかろうなんて気持ちは皆無だった。

 そう、当の御咲先輩にそう言われるまでは――

 

 そして僕は、途中で止まっていた言葉を改めて紡ぎ出した。

 

 断じて違う

 その通りです

 


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