妖魔の城


 

 「……」

 俺はアサルトライフルを構え、周囲に注意を払いながら敵の居城を突き進んでいた。

 潜入任務はこれまで何度も経験したことがあるが、化け物に占拠された建物ばかり。

 今回のものとは、全く任務の性質が違う。

 知能のある化け物の住処に乗り込むというのは、流石に初めての経験なのだ。

 とは言え、会う敵会う敵みな雑魚ばかり。

 サキュバスというのは油断の塊なのか、こちらを舐め切っているのか――

 

 ――視線の先に、人影が映った。

 「……!?」

 俺は立ち止まり、正面に銃口を向ける。

 延々と続く廊下の彼方から、ゆっくりとこちらへ進み出てくる何者かの人影。

 体格からしてやはり女性、服装はもはや見飽きたメイド服だ。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 俺は、背筋が総毛立つまでの圧迫感をあの女から受けていたのだ。

 あいつは明らかに、俺を狙ってやってきた――そう直感する。

 こちらを舐め切っていた……? とんでもない思い違いだ。

 

 「……ッ」

 平常心を意識し、乱れそうになる呼吸を静める。

 自身の頬に汗が伝うのが分かった。

 一目見て分かる。

 こつこつと靴を鳴らして近付いてくるあの女は、今までのような雑魚とは格が違う。

 一見すれば、涼やかで寡黙そうなメイドの姿に過ぎない。それこそ吹けば飛ぶような。

 しかしこいつは、清楚な外見からは想像もできないほどの化け物――

 相対するだけで、格の違いのようなものに威圧される。

 

 「……お前が、マルガレーテか?」

 そうであってほしい、というのが率直な気持ち。

 こんな奴が一配下に過ぎないとすれば、その主人とやらはどれほどの力を持つのか。

 正面に立ち止まった女を見据え、俺はそう口にしていた。

 「いいえ……私はマルガレーテ様に仕える使用人、エミリアと申します」

 そのメイドは、静かに告げた。

 使用人、そう彼女は言ったのだ。

 ここまでの化け物が単なる使用人――その事実に、俺はただ戦慄するのみ。

 このレベルが城内にゴロゴロしているなどとは、考えたくない。

 

 すす……と流れる水のような足運び。

 静から動に移る瞬間にも、全く乱れない呼吸。

 その立ち振る舞いは、今までに会った隙だらけの雑魚とは全く異質。

 エミリアとかいう娘は、疾風のような速度で俺の眼前にまで踏み込んできた。

 

 「――ッ!」

 反応する間もないほどに、一瞬で間合いを詰められる。

 俺は素早くトリガーに指を掛けたが、もう間に合わない。

 ……と、エミリアは背面を向けながら軽く跳躍する。

 この給仕娘が見せたのはいかなる搾精技術でもない、純粋な回し蹴りだった。

 俺の左方から風を切って迫る、細い右足――

 

 「ぐッ……!」

 俺はとっさに、ライフルを盾にしてその一撃を受けていた。

 ぐにゃり、と頑丈なはずの銃身が飴細工のように曲がる。

 くの字に折れ曲がり、後方に吹っ飛んでいくライフル。

 その蹴りの威力は、それだけでは止められなかった。

 俺の身体は後方まで弾き飛ばされ、壁に背中を強打してしまう。

 信じられない威力、そのまま受けていたら即死だったはず――

 

 「な……!」

 さらにエミリアは、息も吐かずに追撃に移っていた。

 壁にもたれかかる俺の眼前まで一気に踏み込み、その勢いを保持したままの正拳突きを繰り出す。

 これをガードして、反撃を――そう思った瞬間、俺の全身に悪寒が走った。

 死の予感にも似た強烈な殺意。

 「……ッ!」

 俺はほとんど本能的に防御を放棄し、とっさに身を屈めてその一撃を避ける。

 その拳は空を裂きながら、俺の背後の壁にめり込んでいた。

 壁面にまるで発泡スチロールのように大穴が空き、破片が周囲にバラバラと弾け飛ぶ。

 頑丈そうな壁を一撃でブチ抜くほどの打撃――こんなものを受ければ、急所を逸れていても即死だ。

 その細腕に秘められた凄まじい怪力に、俺はただ戦慄する。

 それも力任せに怪力を振るうわけではない、洗練された戦闘技能。

 

 「……本当に、ただの給仕か?」

 素早く身を翻して距離を取り、俺は呟いていた。

 「多少、武芸のたしなみもございます。

  マルガレーテ様の第一の僕、料理や掃除ができるだけで務まるとでも?」

 軽く腰を落とし、すっ……と武道の構えを取るエミリア。

 なるほど、こいつはこの城の近衛隊長といったところか。

 やはり、このレベルの者がゴロゴロしているというわけではないらしい。

 

 そこで、俺は気付く。

 このエミリアは、俺の眼前に立っている今でも気配を抹消していた。

 すなわち、俺に対して存在を隠しているというわけではないのだ。

 ウェステンラに対してか、それとも――

 そもそもサキュバスである彼女が、魅了も魔術も使ってこようとしないのも妙な話。

 今までのサキュバスの行動パターンからして、まずこの連中は獲物を犯すことを考える。

 しかしこいつは、初っぱなから一直線に殺りに来たのだ。

 「……サキュバスのやり方じゃないな」

 「お望みならば、犯して差し上げますが?」

 そう言いながらも、エミリアは殺気を込めた視線を逸らそうとはしない。

 「隙があるならば、出来る限り吸い尽くすつもりではおりますが……

  それが敵わぬならば、サキュバスとして不作法ながら暴力で貴方を抹殺いたします」

 「なるほど、随分と嫌われたもんだな――」

 会話で適当に時間稼ぎをしながら、俺は周囲の状況を確認する。

 敵もこちらも、増援はなし。

 周囲は調度品ばかりで、武器になりそうなものと言えば飾られている金の槍ぐらい。

 主武器のアサルトライフルを失ってしまった俺にとって、この状況は余りにも厳しい。

 「――学生時代から両腕じゃ数えられないほど女を振ってきたが、あんたにゃ見覚えがない。

  俺を恨んでるわけでもなし、なんでそんなに抹殺したがるんだ?」

 意図的な軽口。当然ながら敵陣のど真ん中で会話に興じるつもりはない。

 こんなのは、ただの時間稼ぎ。

 この状況だと、頼れる手段は一つ――

 「ウェステンラ様は、まだ離れたところにいらっしゃいます。

  いくら時間を稼いだところで、助けには現れないかと」

 「ちっ……!」

 何もかもバレバレだ。

 こいつ、戦闘経験自体が並ではない。

 「貴方は、ウェステンラ様が片腕に選んだほどの人間――つまり極めて危険な存在。

  マルガレーテ様が知れば興味を抱き、必ず貴方に会おうとしてしまわれるでしょう」

 「なるほど、それはそれは……」

 いかに会話を続けたところで、平静を取り戻すための時間にしかならない。

 しかし、今のエミリアの言葉は戦況打開の言葉でもあった。

 「つまり今のお前は、主人の命令ではなく独断で動いている、と……?」

 そのためにわざわざ、主のマルガレーテにバレないように気配まで消して接近してきたのだ。

 この一戦は、いわばエミリアにとっての隠密行動。

 ウェステンラの話では、派手な魔術や淫気の使用は上位サキュバスなら察知できるのだという。

 マルガレーテの眼を逃れてここに来ているエミリアは、魔術も何も使えない――

 ――ならばここは、サキュバス相手なら御法度とされている接近戦だ。

 

 俺は素早く拳銃を抜き、射撃しながら前方に駆け出していた。

 「……!」

 エミリアは素早く身を翻し、拳銃弾を巧みにかわす――

 つまり、急所に当たれば銃弾でも効果があるということだ。

 そのまま俺は、間合いを詰めてエミリアの至近まで踏み込んでいた。

 この距離で何らかの淫術を使われれば、ひとたまりもないはず。

 しかし、やはりエミリアはそれを使用してこない――

 

 「おっと……!」

 身を屈め、抱きすくめるように伸びてくるエミリアの両腕をかわす俺。

 あのまま掴まっていたら、そのまま自由を奪われ、いいように犯されていただろう。

 俺は懐からナイフを取り出し、手許で回転させて逆手に構えていた。

 同時に、ふわりとひるがえるエミリアのスカート。

 俺の眼前で右足を跳ね上げ、鋭いかかと落としを見舞ってきたのだ。

 こんな一撃を受けたら、かすっただけでも即死――

 「第一の給仕を名乗る割には、随分とはしたないな!」

 俺は身を反らし、頭上から襲ってくるその一撃をかわしきった。

 エミリアの右かかとは床を一撃し、床面を遠慮なく砕き破壊する。

 俺の目に映ったのは、大技を放った直後で隙だらけの姿。

 もらった――

 

 ――と、その瞬間、幾多の戦闘を経験した俺の本能が囁いてくる。

 この女ほどの達人が、あんな至近距離で大技を仕掛けてくるだろうか?

 またエミリアの背中からは羽が、腰からは尻尾が覗いているのも気に掛かる。

 いかにも誘い込むような、不自然な隙――

 その姿に、俺は食虫植物の罠のような嫌らしさを感じ取っていた。

 

 

 いや、これはチャンスだ! 上段に攻撃を加える

 いや、これはチャンスだ! 下段に攻撃を加える

 この隙は、意図的なフェイク。いったん身を引く

 


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