PANDORA Collapse 二話






「早速だが、この監視室の権限を私に移させてもらおうか」

バルカナゴはそう言いながら、ステッキを突き右足を軽き引きずりつつ、イェーナの脇を通り抜けた。

「さて・・・吉川君に、木田君。早速違反者の捜索に取り掛かりたまえ」

「はい」

「はい」

彼の後に続いて、二人の女が端末の前に着く。

そして、手垢まみれのキーボードに指を走らせ始めた。

端末のモニタの画面がめまぐるしく切り替わりはじめ、二人の部下の働きにバルカナゴは目を細めた。

そして、ふと何かを思いついたかのように、彼はイェーナに顔を向けた。

「おい、あぁと・・・」

「イェーナ・カッツェです」

「カッツェ君、君は老人をいつまで立たせておくつもりだね?」

ふぅ、とわざとらしくため息をつくと、彼は続けた。

「椅子を、持って来たまえ」

「は、はい」

弾かれるようにしてイェーナは駆け出すと、書類キャビネットの側に積まれてあった予備の椅子を一脚抱え、バルカナゴの元へ運んだ。

「ど、どうぞ・・・」

「ん、ご苦労」

彼は椅子に腰をゆっくりと下ろし、懐に手を突っ込んだ。

上等なスーツの内側から出てきた手に握られていたのは、銀色のシガレットケースだった。

「あの、バルカナゴ様・・・」

シガレットケースを開き、紙巻タバコを一本取り出した彼に向けて、イェーナは恐る恐る声をかけた。

「ん?何だね」

「監視ご・・・いえ、監視室は禁煙でして」

「ん、そうか、禁煙か、それはすまなかったな」

彼は笑いながら、一度は手にしたタバコをケースに収め、そのまま懐へ戻した。

「そう、ここは禁煙だ。定められた規則は守らなければな・・・なあ、カッツェ君?」

口元だけの笑顔でイェーナを見上げるようにしながら、バルカナゴはそう言った。

その表情と言葉に、彼女の背筋を寒気が滑り降りていった。

彼女は、目の前の老人といってもいい年齢の男に恐怖を抱いていた。

(逃げ切れよ・・・新・・・)

イェーナには、下にいる新の安全を願うほかなかった。











右も左も、前も後も、そして上も下さえも、全く同じ形。

金属の枠にプラスチックの板で構成された、立方体方の部屋。

実験施設PANDORAを構成する部屋の一つに、新はいた。

彼の手には文庫本ほどの大きさの機械、携帯型監視端末が握られている。

その表面に取り付けられた液晶モニタには、ワイヤフレームで構成されたPANDORAの簡易見取り図が表示されていた。

監視小屋の端末と比較すれば、かなり機能は制限されるが、それでもこの中にいるはずの人物を探すには十分だ。

そう、ここPANDORAに被験者として閉じ込められているはずのラウラを探すには。

「・・・・・・」

端末に目を落とし、液晶に表示された簡易コマンドを入力して操作する。

ワイヤフレームで構成された巨大な立方体に、いくつかの光点が宿った。

その一つ一つが、現在生存している被験者の位置だ。

新はその光点の一つを拡大した。

その光点に表示されている番号は『No.35538』。

監視小屋で見たラウラのプロフィールの番号と同じだ。

新が今いる部屋から、十数部屋隔てたところに彼女はいる。

位置を確認すると、新は端末を作業着のポケットに納め、壁に設けられた梯子によじ登った。

そして壁の中央に設けられた、隣の部屋へと繋がる扉の取っ手に手をかける。

ぎぃぎぃ、と軋みを立てながら、扉が浮かび上がりスライドして通路を晒す。

隣の部屋番号を端末で確認し、安全だと判断すると、彼は通路に這い入っていった。

(さて・・・助けた後はどうやって脱出するかな・・・)

監視小屋でも考えたが、正規の出口は使用できないし、監視者、即ちイェーナによる救出も無理だ。

だとすれば、後はローラから聞いた噂話でしかない、『槍』とやらに頼るほかない。

PANDORAと外枠との間の空間に入り、ダクトの金網を破壊して脱出する。

不確実だが、これしか方法はなかった。

「にしても・・・どうやって探せばいいんだ・・・?」

扉を開き床に降り立つと、彼はラウラへの最短ルートとなる部屋のトラップの有無を確認した。

今度も問題ない。

とりあえず、早いとこラウラと合流して、外枠との隙間に出ればいいだろう。

ダクトの金網が二人で壊せそうだったらそうすればいいし、壊せなかったとしても槍を探すのはそれからでも問題ない。

メンテナンス前の清掃まで、まだ数十時間はある。

無理やり思考を楽観的かつポジティブなものに切り替えながら、彼は次の部屋へと繋がる扉を開いた。

そして、部屋の中を一瞥したとき、彼は床の上に見慣れぬものが転がっているのに気が付いた。

「・・・・・・あった」

その部屋の真ん中に、『槍』は転がっていた。

梯子を伝って床に降り、慎重に槍の側に近づく。

石突から切っ先まで二メートルほど。

三角形の白銀色の穂先に、白銀色の柄が繋がれている。

何の装飾もされていないシンプルなつくりだが、その鏡面のように磨かれた穂先や柄からは、一種の美術品のような気配が感じられた。

「・・・・・・」

新は無意識のうちに手を伸ばし、槍の柄に指先を触れさせた。

ひんやりとした、金属の質感。

そして―

『しししし・・・!』

「っ!」

突然、どこからともなく響いてきた高い声に、新は左右に顔を向けた。

『人だ・・・庇?久しぶりの・・・ししし・・・!』

透き通った女の声が、さも面白そうに新たに言葉をかける。

だが、この部屋にいるのは彼のみ。

他の人物の姿など見当たらない。

『どこを見ている・・・こっちだ・・・』

まさか、という思いが彼の胸に去来し、彼は恐る恐る槍に目を向けた。

『そうだ、我だ、しししし・・・』

新が視線を向けると、槍は笑った。 

「何で・・・槍が・・・」

『槍?まさしく我は槍だ。だが、我のことは銀と呼べ』

「しろがね?」

『そうだ、それが我の名だ。さあ、なにをぼうっとしている。こっちは余念?四年ぶりの人だ、早く手にとれ・・・ししし』

銀に促されるまま、新は槍を手に取り持ち上げた。

ずっしりとした槍の重さが、彼の手に掛かる。

『取ったな・・・さて、では久々に一狩り行くとするか・・・!』

「ま、待って!」

銀の剣呑な言葉を、慌てて新は遮った。

『何だ?』

「ここから人を連れて脱出したいんです。それで、どうしてもあなたの協力が要るので・・・」

『ほう?それで、我にどのような利点があると?言ってみるがいい・・・ししし・・・』

「利点・・・」

言われてみれば、利点のようなものは彼女にはほとんどない。

おそらくここを出ても、こんな言葉の端々から狂気が覗くしゃべる槍など、早々に手放してしまうだろう。

『無いのならば、無いと正直に言え・・・ひししし』

「う・・・」

こちらの心を読んだかのように、銀が笑う。

新は、ある種の覚悟をきめながら、正直に言った。

「無い・・・です・・・」

『ふん、それでいい。貴様に期待などしとらんからなししし』

小ばかにしたような調子で言うと、彼女は続けた。

『もっとも、我を外まで連れて行く、というのならば協力してやらんでもないがな・・・ししし』

「ほ、本当ですか?」

『ああ』

見えてきた一抹の希望に、彼はしがみついた。

「じゃあ、協力をお願いします!」

『ししし・・・引き受けよう・・・ところで小僧、名は何だ?』

「・・・斉藤、新です」

『新か、新、新・・・ししし、よろしく頼むぞ、新・・・ひしししし』

嬉しくて仕方が無い、といった様子で、銀は軋りにも似た笑い声を上げると、続けた。

『ところで新、我の刀身を見ろ』

「あ、はい・・・」

促されるまま、槍を持ち替えてその鏡面のように磨かれた刀身に目を向ける。

そこに映っていたのは、刀身の形に合わせて湾曲したPANDORAの室内の様子と、二つの人影だった。

一つは無論、新自身のもの。

そしてもう一つは、女のものだった。

身長は新より少し小さく、黒髪をショートカットにしている。

そのスレンダーな体を包むのは、長袖のワンピースのような白い服だった。

モデルのように整った顔立ちではあるが、鏡面に移る彼女の顔は歪んでいる。

もっとも、鏡面の歪みだけが原因では無いようだが。

『それが我の姿だ』

鏡面の中で、女は口の端を吊り上げると、ししし、と笑った。

『さて、それでは連れて行きたい人、とやらのところに行くぞ・・・』

「あ、はい、じゃあ・・・」

新は端末を取り出すと、ラウラの位置を検索した。

部屋の位置も変わっておらず、彼女自身も移動していない。

『ふん、意外と誓い?近いな、ししし・・・』

端末の画面を見たのだろう。銀が言った。

新は壁に駆け寄り、梯子に手をかけた。

『何をしている』

「いや、隣の部屋に行こうかと・・・」

『このまま上に行った方が早いだろう』

銀を抱えたまま、天井まで上がれという。

「そんな無茶な!」

『ふん、誰がお前一人でと言った?ししし・・・われが、付いているだろう・・・新、力を抜け』

「?」

奇妙な命令に従い、全身から力を抜く。

すると、すぅっと何かが彼の体に入り込んだ。

意思に反し両足が屈み、一気に伸びる。

床を蹴った衝撃が、一瞬で彼の体を押し上げ、天井まで届かせた。

左手が、天井に設けられた足場代わりの梯子を掴む。

『どうだ、しししし・・・!』

銀の得意げな笑い声が、どこからとも無く響いた。











「確かに、我らバルカナゴ一族は代々優秀な魔術師を数多く輩出してきた。特にバルカナゴ家の魔術師には、天才と言えるほどの才能を持った者が多い」

椅子に腰掛け、背もたれに体重を預けてバルカナゴは滔々と語っていた。

イェーナは、彼の側で立ったまま、適当に相槌を打っていた。

「残念ながらこの間までは、弟にその才能が宿り私には特に何も無かったとされている。

だが、見てみろ。

私はバビロンの重要なポストに就いているが、あいつは殺人鬼として謗られ、バルカナゴの家名を落としている。

やはり、この世は私のような者には報いてくれるのだな・・・。

おい、まだ見つからんのか?」

不意に、バルカナゴが声を荒げた。

「すみません、ただいま全力で捜索しております」

「ふん、こんなことならば監視員にもマイクロチップを埋め込むようにしておくべきだったな・・・いや、今回の件にカタが付いたら、早速そのようにしようか・・・」

ニヤニヤと笑みを浮かべながら、そう口にする。

「ところで、カッツェ君」

「はい」

「念のために聞いておくが、君は何の協力もしていないのだね?」

「・・・はい、ちょっと目を放した隙に下に行かれました」

「ふん、なんという部下だろうな・・・上司の目を盗んで規則を破るとは・・・」

口調だけは憤慨した様子で、彼は続ける。

「その部下・・・あぁ、と・・・」

「斉藤新です」

「そう、斉藤だ。斉藤を捕獲したら、被験者としてPANDORAに放りこんでやろうと思うのだが、どうだね?

上司の目を盗んででも入るのだから、きっと涙を流して喜ぶだろうな・・・。

それとも、頑張れば脱出できるようなトラップ部屋ばかりを集めて、そこで頑張る斉藤をここで鑑賞するというのもいいな・・・」

ぎりり、とイェーナは表情を変えぬまま奥歯を噛み締めた。

「バルカナゴ様、発見いたしました」

「ん、よくやった。おいカッツェ君、携帯予備端末があるだろう。あれを持ってきたまえ」

新が追い詰められていく様を、携帯端末から見るつもりだろう。

その野次馬精神とも取れる彼の行動に、イェーナは怒りを感じる。

「・・・はい」

彼女の薄く開いた口から、罵詈雑言の代わりに従属の言葉が出る。

そして、彼女の足は椅子に腰掛けるバルカナゴを足蹴にする代わりに、書類キャビネットに向かった。

(もう、新とは関係ない、関係ないんだ・・・)

自分に言い聞かせながら、彼女は耐えていた。











「こっちもか・・・」

通路から引き返しながら、新は呟いた。

携帯端末によれば、この扉の向こうはトラップ部屋。

下から上がってきて、とうとうラウラのいる階層と同じところまでたどり着いた。

だが、前後左右の水平方向の部屋がどれもこれもトラップ部屋なのだ。

『迂回鵜飼?するか、引き返すしかないようだな・・・ひししし』

「・・・なんでそんなに楽しそうなんですか・・・」

微かな苛立ちを感じながら、彼は銀に声をかけた。

『何、これが我の普通の話し方だ、そう苛立つな・・・ししし。それで、どうする?』

「・・・上を調べます」

『分かった』

銀が新の体を操り、天井まで跳躍した。

足場代わりの梯子に手を引っ掛け、ぶら下がる。

「よっ・・・と」

手にした銀の石突で、扉の取っ手を引っ掛け回転させる。

扉がスライドし、通路があらわになった。

彼は通路を覗き込み、その奥、部屋番号が記されたプレートに目を凝らした。

そして銀を足で挟むと、作業着のポケットから端末を取り出し、トラップの有無を確認する。

「・・・あぁ、ここもか・・・」

トラップがあるという事実に、彼は落胆の声を上げた。

『ということは、舌?下に戻って迂回するほか無いな・・・ししし』

端末をポケットに戻し、槍を掴みなおすと、彼は手を梯子から離した。

数瞬の浮遊感の後、足の裏を衝撃が襲う。

「・・・つ・・・」

銀が膝を屈めて衝撃を抑えてくれた、とはいっても痛みが足を走る。

『痛がっている時間は無いぞ・・・一刻も早く我は外に出たいからな・・・』

「はいはい」

穂先の鏡面の中からせかす銀に適当に応えながら、新は床の扉の取っ手を捻り、開いた。

そして、通路内壁の凹凸を足場にしながら、下の部屋に降りていく。

『待て』

唐突に彼女が声を上げた。

「どうしたんですか?」

槍の穂先に目を向けると、鏡面の中で彼女が通路に取り付けられたプレートを見ていた。

『部屋番号がさっきと違うな・・・さては・・・ししし』

銀の指摘に、新は端末を取り出して部屋番号を調べた。

結果、下の部屋にもトラップがあることが分かった。

「いま、上に行って戻ってくる間に移動した・・・?」

『もしくは、移動させた、だ・・・しし・・・』

ここにいても仕方が無い。

とりあえず彼は通路をよじ登り、部屋に戻った。

床の上の扉が、音を立てて閉じる。

『さて、どうする?』

「どうするって・・・」

『選ぶは二つ、強行突破か篭城かだ・・・ししし』

「・・・・・・」

強行突破しようにも、肝心のトラップがどういうものか分からない。

生物関係のトラップならば、銀でどうにかなるだろう。

だが、毒ガスのようなトラップだった場合は、銀でもどうにもならないだろう。

だとすれば・・・。

「とりあえず、待ってみます」

床の上に腰を下ろしながら、彼はそう言った。

周りの部屋が一つでも動く、またはこの部屋が動けば、どうにかなるだろう。

その予想を元に、彼は行動を決めた。

『そうか、待つか・・・待つのか・・・』

穂先の中で、新の側に腰掛けながら、彼女は続けた。

『動いたらいいな、新よ・・・ひしししししし』











携帯監視端末を手に、バルカナゴは椅子に腰掛けていた。

彼の持つ端末から延びるコードが、監視小屋の端末と接続されている。

「ふふふふふ・・・そら、移動しろ、移動しろ・・・!」

文庫本ほどの大きさの機械に取り付けられたモニタに視線を落としながら、彼は声を上げた。

「おい、トラップの配置はどうなっている?」

「すでに当該部屋を中心に、三重に囲ってあります」

「隣接している部屋には、生物関係のトラップ部屋を多くおいてありますが、最終的にはガス系トラップが待ち構えております」

「そうか、そうか・・・」

部下二人の言葉に目を細めながら、彼は端末を操作した。

新がいる部屋を中心に張られた、トラップ部屋の布陣が表示される。

「・・・そうだな、もう少しトラップ部屋を集めておけ」

「はい」

「もし仮に動かなかったら、生物系とラップをけしかけろ」

「かしこまりました」

バルカナゴの指示に従い、二人の指がキーボードを走る。

彼は端末に視線を向けながら、今か今かと新の動き出す瞬間を待っていた。



じりりりり



「ん?」

机の上に設置された電話が、音を立てる。

「全くどこのバカだ、せっかくいいところだというのに・・・」

バルカナゴは毒づきながら、机の脚にステッキを引っ掛けると椅子ごと電話の側へ寄った。

「ああ私だ、何の用だ?・・・・・・失礼しました」

姿勢を正し、言葉遣いを改める。

「はい・・・はい・・・はい・・・ええ、ただいま補足しました。おそらくもうすぐかと・・・はい・・・かしこまりました、早急に解決いたします。では・・・。

全く・・・『大図書館』の無能が・・・」

受話器を丁寧に下ろすと、彼はため息と共に毒づいた。

「おい、予定変更だ・・・生物系トラップをけしかけろ」

「今からですか?」

「ああ、上からもっと急げ、と催促があった・・・全く、椅子にふんぞり返って命令するばかりで、現場のことを何にも分かっちゃいない・・・ところで、イェーナ君・・・」

彼は頭を振ると、イェーナに顔を向けた。

「君は、監視室責任者だったな?」

「・・・ええ、はい」

「ならば、光栄な任務を与えよう。違反者の斉藤にけしかけるトラップを、君が選びたまえ」

「・・・・・・」

「さあ、端末の前に行って・・・吉川君、席を開けたまえ」

「はい」

バルカナゴの部下の一人がキーボードを打つ手を止め、席を立つ。

イェーナは促されるままその前に腰掛け、モニタに目を向けた。

そこには、彼の部屋を囲むように配置された六つの部屋のうち、五つに格納されている生物系トラップが表示されていた。

「この中から選ぶんだ」

ステッキを机の足に引っ掛け、彼女の側に寄ったバルカナゴがモニタを覗き込む。

「・・・・・・ええと・・・」

イェーナは左手を下ろし、右手を顎に添えながらモニタの表示を眺めた。

「さあ、早くしたまえ」

バルカナゴの催促に、彼女はゆっくりと動き始めた。

キーボードに向けて、ゆっくりと指を伸ばす。

その指がキーに届く直前、モニタが暗転した。

「あれ?」

机の向かい側で、もう一人の部下が声を上げる。

「木田君・・・何をした・・・?」

「え・・・いいえ、何も・・・」

「言い訳はいい、復旧したまえ・・・ほら、吉川君も」

「は、はい!」

イェーナが席を立つと、二人の部下は端末にかじりついてキーボードを打ち始めた。

だが、乱れた映像が写されるばかりで、元には戻らない。

「全く・・・どいつもこいつも・・・」

椅子の背もたれに背を預けながら、バルカナゴはぶつぶつと漏らした。

「あの、バルカナゴ様・・・」

「なんだ」

「ええと、その・・・裏の配電盤だとかを見てきますので・・・」

「ああ、行って来い」

彼が手を払うと、イェーナはその場から逃げ出すようにしながら、監視小屋の奥のほうへと駆けて行った。

「全く・・・どいともこいつも無能ぞろい・・・」

ふんぞり返るバルカナゴの足元、床から机へと伸び、端末へと繋がる太いケーブルが、強い力によって引きちぎられ、揺れていた。











不意に部屋の中が暗くなった。

プラスチック製の壁の向こうの照明が消えたのだ。

「っ!?」

突然の暗闇に、新は銀を手にしたまま立ち上がった。

『じっとしていろ新・・・』

暗闇の中、銀の声だけが彼の耳の中で響く。

「・・・・・・」

押しつぶされそうな闇の中で、一秒に秒と時間だけが過ぎて行く。

そして、消えたときと同様に突然明かりが戻った。

しかし、壁面の奥の光は先ほどより弱い。



ギィギィギィ



前後左右、そして上下の壁面に設けられた扉が、音を立てながら開いた。

『これは・・・何だ、新?』

「・・・非常電源モード・・・?」

書類の上でしか見たことの無かった現象を目の当たりにし、彼は呆然と呟いた。

『何だそれは』

「僕も読んだことしか無かったけど・・・。

PANDORAの電源に異常があったとき、非常用の予備電力で最小限の機能だけが稼動するようになっているんです。

部屋の移動だとか、扉のロックだとか。後は・・・あ」

彼の脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。

「イェーナさん・・・」

『新よ、最小限の機能とやらには、罠も含まれているのか?』

「いや、罠も動作を止めてます」

おそらく、これはイェーナが作ったチャンスなのだろう。

新はポケットから端末を取り出し、ラウラの位置を確認する。

幸い彼女は位置を変えていない。

(ありがとう、イェーナさん・・・)

彼は心中で礼を言うと、ラウラのいるであろう部屋に向けて駆け出した。











「・・・・・・」

机の下、端末と床下の機器を繋ぐケーブルをバルカナゴは見ていた。

本来ならばPANDORAの情報を端末へ伝えるための器具は、今は何らかの力によって見るも無残に破断されていた。

机の上に顔を向ければ、彼の部下二人が端末に向かいキーを叩いていた。

いつまでたってもPANDORAと接続する気配の無い端末に、彼女らの顔は青くなっていた。

「・・・・・・ちょっと失礼する」

彼はそう告げると、椅子から立ち上がりステッキを突きながら、監視小屋に設けられた細い通路の一つへと進んでいった。











並ぶスイッチを適当に切り替える。

設置されたテンキーを適当に押し、でたらめな数字を入力する。

垂れ下がるケーブルを掴み、一息に引き抜く。

監視小屋からトイレへの通路の途中にある、『高圧注意』の文字が掲げられた金網。

その奥にある電源管理室でイェーナは、並ぶ機器を徹底的に壊していた。

「はぁはぁはぁ・・・」

壁に並ぶ、電源を管理する機器の詰まった箱の中身を二つ破壊する頃には、彼女の息は上がっていた。

だが彼女は三つ目の箱に手を掛け、蓋を開いた。

幸い彼女が端末に対して行った小細工は、まだばれていないらしい。

その間に、できる限りここを壊しておけば、二人が脱出できる可能性が増えるだろう。

そう、この監視小屋より遥か下、PANDORAにいる新とラウラだ。

イェーナは二人を思いながら、箱の中を埋め尽くすコードの束を掴んだ。

「カッツェ君」

背後から届いた声に、彼女の背筋を氷塊が滑り落ちていった。

震えを堪えながら背後を振り向くと、開け放たれた金網の扉のところに、ステッキを突いた老人が立っていた。

「君は・・・何をしているのか分かっているのかね?」

左足を引きずりつつ、バルカナゴは電源管理室へ入ってきた。

そして、口を開き惨状を晒す箱の中身を一瞥すると、彼は続けた。

「私は寛大だ、そのぐらいでやめておけばシステムの復旧後、被験者として下にぶち込む程度で勘弁してあげよう」

ステッキを左手に握り、右掌を開いて彼女に差し出す。

「さあ、ケーブルから手を離して、修理するんだ・・・」

今にも震えだしそうな全身が、彼の言葉に従えと命じている。

彼女の脳内の原始的な部分が、この男は危ないと告げている。

しかし、彼女の意識は違った。

彼女の意識中に、新の姿が浮かび上がった。

「・・・やなこった」

「・・・何だと?」

いつの間にか、目の前の老人に対する恐怖が薄らいでいた。

彼女の全身の緊張がほぐれ、必死に押さえ込んでいた震えが消失している。

「やなこった、って言ったんだよ、爺さん」

「・・・その口を閉じて、手を配電盤から離したまえ。今のうちなら・・・」

バルカナゴの言葉に、彼女は手にしていたコードの束を握りなおすと、一気に引いた。

軽い衝撃と共に、コードが箱から引き抜かれる。

「ご命令通り、手を配電盤から放してやったよ。ああ、口は閉じないけどな」

「・・・・・・私の命令が聞けないというのかな?」

「新に比べりゃお前の命令なんてクソ以下だ」

バルカナゴから放たれていた鋭い怒気が、イェーナの行為により膨れ上がっていく。

だが、彼女には後悔は無かった。

ここにはおらず、選んだのはイェーナではなかったとはいえ、新のために時間を稼げれば、それで十分だった。

「言っておくけど、手下を呼んでももう電源は直せやしないよ」

高揚した意識が命ずるまま、ケーブルの束に手を突っ込み、基盤から何かの部品を引き抜く。

そして、彼女はそれを口に運び、飲み込んだ。

「これで、終わりだ」

「・・・・・・ふぅ・・・」

ゆっくり、バルカナゴは一つため息をついた。

「全く・・・監視室責任者というからには、もう少し利口かと思ったのだがな・・・」

懐からシガレットケースを取り出し、彼はその中の一本を口にくわえた。

「残念だよ」

歯列の間からくぐもった声を漏らすと、彼は思い切り息を吹いた。

タバコの先端から、粉末が噴き出てイェーナの顔に襲い掛かる。

「っ・・・!」

顔をそらし身をよじろうとした瞬間、彼女の全身から力が抜けていく。

そして、立ちくらみでも起こしたかのように床の上に倒れ伏していった。

「ふん、女子供や老人の護身用の即効性麻痺剤だったが、思ったより劇的な効果だな」

右を下にし、指先どころか眼球さえも動かせぬイェーナに言葉が降り注いだ。

バルカナゴは革靴の爪先で、彼女の左肩を軽く押した。

バランスが崩れ、彼女が仰向けに横たわる。

彼は指に挟んでいたタバコを床に放ると、続けた。

「全く、君があんなことをしなければ、私もここまで手を煩わせずに済んだのにな・・・」

シガレットケースをパチンと閉じ、懐に収めた。

そして懐から抜かれた彼の手には、シガレットケースの代わりに小型の万能ナイフが収まっていた。

「部品を返してもらおうか」

柄の中に折りたたまれた鑢や栓抜きの間から、小さな刃に爪を引っ掛け、引き出す。

「ああ、そうだ」

イェーナの作業着の裾に左手をかけたところで、彼は何かを思い出したように言った。

「この麻痺剤、痛みは感じるらしいな」











キーボードを黙々と打ち、細かい設定を切り替えながらPANDORAの監視システムを復旧させるべく奮闘する二人。

彼女らの耳朶を、獣のごとき絶叫が打ち据えた。

「・・・!!」

突然の絶叫に手を止め、通路の奥に目を向ける。

そこはついさっき、彼女らの上司とこの監視室の責任者が消えていったところだ。

「・・・・・・なんでしょう・・・」

「・・・・・・さあ・・・」

不安げに言葉を交わす二人。

しかし応えるものはいない。

しばしの沈黙の後、通路の奥から規則正しい硬い物同士を打ち付けあう音が響いてきた。

監視室の照明の中に、通路の暗がりからバルカナゴが姿を現す。

「やあ二人とも、ようやく故障の原因が分かったよ。違反者はもう一人いたんだ」

妙に晴れやかな表情で、彼は足を引きずりつつ椅子に近寄り、ゆっくりと腰掛けた。

「ところで吉川君」

「は、はいっ」

緊張のあまり、裏返った声で部下の一人が応える。

「この部品、なんだか分かるかね?」

そう言って彼が差し出した掌には、小さな部品が乗っていた。

ただし、部品も掌も妙な生臭さと、赤錆の香りを放つ赤い液体にまみれていた。

「え、ええと・・・多分、配電盤の分流器かと・・・」

「そうか、ならばとっとと修理したまえ」

「は、はい!!」

液体にまみれた部品を掴むと、彼女はバルカナゴが出てきた通路に向かって走っていった。

「あと、木田君」

「は、はい・・・」

「端末と床下の機器を繋ぐケーブルが切断されている。早く交換して、トラップをけしかけたまえ」

「かしこまりました!」

絶叫に近い返答と共に、彼女もまたスペアのケーブルを探すべく駆け出していった。

バルカナゴに対する恐怖が、彼女達を動かしていた。

「さて、どうやって止めを刺してやろうか・・・」

背もたれに背を預け、口元を歪めるバルカナゴの表情は、どこまでも愉悦に満ちていた。



PANDORA Collapsed 完結編






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