PANDORA Collapsed 完結編




数歩で部屋の端から端へと移動し、一度の跳躍で狭い通路に飛び込む。

新の身体は銀の制御により、風のようにPANDORAの部屋から部屋へと駆け抜けていた。

通路を潜り抜けると、部屋の中央に大きな塊がうずくまっていた。

部屋の中には引きちぎられた幾着もの作業着が散乱していた。

「トラップ生物・・・!」

『しししやるか?』

右手に収まる銀が、期待に満ちた声で囁く。

「いや、時間が勿体無いです。それに、今は非常電源モードだから、向こうから襲ってくることもないし」

そう言うと彼は床に飛び降り、塊の脇を迂回するようにして部屋を横断した。

部屋のセンサーが被験者を感知すると、トラップ生物に埋め込まれたチップが生物を興奮させる。

だが今は部屋のセンサーが切ってあるため、塊は新には反応しない。

『つまらんな・・・』

薄暗い照明に照らし出される、塊を尻目に銀は呟いた。

新にも、銀の気持ちは理解できていた。

武器である彼女にとって、久々に動き回れる機会だ。

何かを相手に戦いたくて堪らないのだろう。

だが、今はラウラを見つけるほうが先だ。

端末によれば、彼女がいるはずの部屋まであと数部屋。

「今行くからね・・・」

小さく囁くと、彼は開かれた通路に向けて跳躍した。









目を覚ましたとき、ローラは自分の周りを囲む六枚の壁の存在が信じられなかった。

今までずっと監視し、幾多もの被験者の命が散っていったPANDORAの壁。

その、実際には目にした事は無いが見慣れたデザインの壁が、目覚めた彼女の目の前にあった。

部屋を移動し、出口を目指そうという考えが浮かび上がる。

だが同時に、部屋を移動した瞬間切り刻まれ、群がられ、包まれ、溶かされ、齧られていった被験者達の姿が浮かんだ。

あの被験者の姿は、今の自分の姿。

恐怖に足がすくむ。

「ろ、ローラぁ!イェーナさぁん!新ぁ!」

プラスチック製の板の下で、煌々と照明が輝く密室の中、彼女は妹の名を、上司の名を、そして同僚の名を呼んだ。

これが冗談だと、これがただの夢だと、そんな期待を込めて声を上げる。

これが冗談ならば、監視小屋の面々が扉を開けてくれるはず。

これが夢ならば、隣室の新か、勤務を共にするイェーナか妹が起こしてくれるはず。

だが、彼女の声に応える者はいなかった。

「う・・・うう・・・」

声を嗄らし、涙を流しながら彼女は部屋の隅に寄ると、その場に座り込んだ。

足を折り、膝を抱え、体を小さくする。

部屋の移動によって部屋が揺れても、喉が癒えても、腹が減っても、眠気を覚えても、彼女はじっとしていた。

自分より遥かにしっかりした、妹のローラが来てくれる。

頼れる姉のような存在だった、上司のイェーナが来てくれる。

昔この地獄から連れ出し、監視員として監視小屋に迎え入れた、同僚の新が来てくれる。

きっと誰かが来てくれる。

そう信じて、彼女は待ち続けた。

そして、どれほどの時間が経っただろうか。

彼女は疲れきっていた。

連続した緊張状態と恐怖が彼女の感覚を麻痺させ、思考を停滞させていた。

部屋が暗くなり、薄ぼんやりとした照明が再び宿っても、彼女はただ座り続けていた。

座り続け、誰かを待っていた。

来るわけが無い、と心の奥底では思いながら。

そしてその時もラウラは、その時もじっと座り続けていた。

「ラウラ!」

前方の開きっぱなしの通路から、何者かが顔を覗かせて声を上げる。

だが、彼女には何の反応も無かった。

ラウラの目は開かれている。

だが何も見ていない。

ラウラの耳は音を捉えている。

だが何も聞いていない。

そのため、彼女の目の前にやってきた人物が何者か、それどころか誰かがいることさえ分からなかった。

「ラウラ、ラウラ!」

幾度も彼女の名が呼ばれ、軽く頬を打たれる。

「・・・・・・?」

痛みのせいか、ラウラの虚ろだった瞳に光が宿った。

そして、ようやく彼女は自分の目の前にいる人物を見た。

助けに来てくれる、と僅かに期待を抱いていた人物。

来るはずが無いと思っていた人物。

「あら・・・た・・・?」

彼女は、彼の名を呼んだ。

「ああ、助けに来たよ」

彼女の言葉に、新は大きく頷いた。

「新・・・!」

ラウラは声を詰まらせ、彼の胸へと飛び込んでいった。

「新・・・新ぁ・・・!」

胸に顔を埋め、すすり泣くラウラの背中を優しく撫でる。

彼女の赤い頭髪はストレスと手入れ不足のためかばさばさになっており、微かな臭いも漂っていた。

だが、新は何の嫌悪も感じない。

それどころか、両腕の中にいるラウラの存在を、ただただ愛しく感じていた。









「接続できました!」

端末のモニタに表示されたワイヤフレームのモデルを目にし、女が声を上げた。

バルカナゴはようやく復旧したPANDORAの監視システムを一瞥すると、言った。

「ご苦労、続けたまえ」

「はい」

彼の言葉に、部下はキーボードに指を走らせる。

表示がめまぐるしく変わり、一つの部屋が画面上に大きく映し出された。

部屋の中にいるのは二人。

マイクロチップを埋め込まれた被験者35538号と、携帯端末を持つ何者かだった。

「ふん、合流しおったか・・・」

画像が戻った手元の端末の画面を見ながら、バルカナゴは苦々しく呟いた。

「木田君、とっととけしかけたまえ」

「は、はい!」

返答に恐怖を滲ませながら、彼女は猛然とコマンドを打ち込んだ。









遠くから、叫び声のようなものが聞こえた。

腕の中で、ラウラがびくんと体を震わせる。

「何・・・今の・・・」

『・・・ししし・・・!』

銀が、軋りにも似たあの笑い声を漏らす。

「どうしたんですか?」

『ししし、動き出した、動き出したぞ・・・!』

僕の問いに、いかにも楽しそうな気配を滲ませながら、銀は答えた。

再び叫び声が聞こえた。

今度は近い。

『さあ新、我を構えろ、女を後ろにやれ』

「銀さん、何なんですか、あの声は」

『何、もうすぐ分かる・・・ししし・・・!』

不安を覚えた新は、すすり泣くラウラを胸から引き剥がし、部屋の隅に追いやった。

そして、彼女と部屋の角を背にして立つ。

『新・・・よこせ・・・!』

銀の求めに応じ、彼は力を抜いた。

一瞬で全身に銀が入り込み、彼の体を支配する。

その直後、右手の開け放たれた通路の奥から、緑色の何かが飛び出してきた。

『ひし・・・!』

右手が跳ね上がり、迫り来る何かを穂先が薙ぎ払った。

音を立てて、切り落とされた何かが床の上に転がる。

それは、緑色の細長い紐のようなものだった。

(これは・・・)

視界の端に入った物体に、新は見覚えがあった。

これは、幾度も監視小屋で見てきた生物系トラップのうちの一つだ。

柱状の本体に、数千本の触手をはやした生物で、被験者を捕食する性質を持っている。

白銀色の刃が断ち切ったのは、その触手の先端だった。

だが、あの生物は本来設置された部屋を縄張りとし、隣の部屋にまで触手を伸ばすことは無い。

仮に、このように部屋を越えてまで攻撃を仕掛けてくるとすれば、それは監視小屋からの直接の支配を受けている場合だ。

(ということは、イェーナさんは・・・)

彼が脳裏で上司の身を案ずる間にも、新たな触手が扉の奥から伸びてくる。

銀の刃が幾度も振りぬかれ、触手の先端を切り飛ばしていった。

しかし触手は切られても切られてもひるむことなく、その本数を増やし新とその背後のラウラに向けて押し寄せつつあった。

そして、触手が出ている通路から、直径一メートルはあろうかという太さの触手本体が這い出つつある。

「ししししし・・・!」

新の口が勝手に歪み、笑い声が漏れ出す。

すでに触手の量は緑の壁といってもいいほどになっており、銀は押し寄せる壁を薙いで、新とラウラの空間を作っているだけだった。

「ひしし・・・これぐらいで、十分だな・・・しし!」

口をゆがめながら、銀が新の口を借りて喋った。

そして、銀は自身を一瞬で手繰り寄せると、触手の間、緑の壁の向こう側に向けて一気に突いた。

手ごたえと共に、押し寄せる触手が動きを止める。

数分にも感じられた一瞬の後、触手は力なく床の上に落ちていった。

触手本体は、死んでいた。

「・・・よし、返すぞ・・・」

触手を垂らし、床の上に転がる触手本体から槍を引き抜くと、新の全身に力が戻った。

銀が体を返したのだ。

「もう、一発で倒せるんならそうして下さいよ」

『久しぶりでな、ししし・・・!』

「ねえ」

銀と言葉を交わす新の背中に、ラウラの不安げな声が掛かった。

「新・・・だよね・・・?」

「・・・うん、僕は新だ」

答える彼の頬が突然吊りあがり、槍を掲げてみせながら続けた。

「そして我は銀だ、覚えておけ小娘よ」

「ひ・・・!」

豹変した彼の態度に、彼女は声を引きつらせる。

「・・・あ、だ、大丈夫ラウラ!今のはこの槍がやったんだ」

距離を置こうとするラウラに、新は落ち着かせるように声をかける。

「ここから脱出するために、彼女が必要なんだ。だから・・・」



ふしゅるるる・・・



二人の耳を、聞きなれぬ音がくすぐった。

新が目を向けると、天井に開いた扉から髪の長い何者かが覗き込んでいた。

しかし、その見開かれた巨大な単眼と、青い肌が人間ではないことを示している。

「ごめん、説明は後だ・・・」

ラウラに背を向け、全身から力を抜く。

瞬間、彼の口の端が吊りあがった。











端末に向かう女がコマンドを打ち込み、PANDORA内部に配置されている生物系トラップを操作する。

その一匹一匹が、人間を遥かに上回る身体能力を持ち、違反者は一瞬で処分されるはずだった。

が・・・



ピィーッ



電子音と共に『トラップ生物289号死亡』の表示が、画面上に現れた。

「・・・木田君・・・」

「す、すみません!どうか、どうかお許し下さい!」

バルカナゴの呼びかけに、部下は涙を眼に浮かべながら頭を下げた。

「何を言っておるのだね。君はもういい」

「え・・・?」

バルカナゴの言葉に、彼女は戸惑いの声を上げた。

「命令を入力したまえ。確かあっただろう、全トラップ生物活性化の命令が」

おそらく違反者が手に持っているものは、彼がPANDORA内部に『実験』の一環として放置しておいた槍型淫魔兵器の銀だろう。

違反者の足止めのための彼の指示を下す。

「そ、そんな・・・」

「安心したまえ、吉川君が電源を復旧させ次第、即座にPANDORAを初期化し、全トラップ生物ごとやつらも焼却する。脱出できるとは思えないが、念のための保険だ」

彼はゆっくりと促した。

「さあ・・・その後も君には仕事があるんだ・・・」

「・・・・・・かしこまりました・・・」

彼女はキーボードのキーを一つずつ押し、コマンドを入力していく。

そして、コマンドの文面を確認すると、リターンキーを押した。

「さて・・・ゆっくりと観戦させてもらうかな・・・」

幾分気分がよさそうな声で、彼はそう言った。











二人はただひたすらPANDORAの端を目指して移動していた。

「待って・・・待って、新・・・!」

いくつか部屋を通り抜けたところで、ラウラが荒い息をつきながら声を上げる。

「もうちょっと、もうちょっとゆっくり・・・」

「あ、ごめん・・・」

彼としては銀による身体制御も受けず、十分ペースを落としていたつもりなのだが、疲弊しきったラウラには早すぎたらしい。

「その、大丈夫?何なら、おんぶしてあげるけど・・・」

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・ありがと、大丈夫・・・」

呼吸を整えつつ、彼女は続けた。

「じゃあ、行こう」

心持ち、更に歩くペースを落としながら、彼は前を向く。

このまま後三部屋進めば、PANDORAの外壁との隙間に出る。

そこからは新がラウラを背負って、銀に体を任せればダクトにたどり着くだろう。

そのような計画を、新は考えていた。

と、その時、叫び声がどこからか轟いた。

先ほど、触手型トラップ生物が襲ってくる直前に聞いてきたのと同じ叫び声だ。

だが、今度は複数の声が聞こえた。

「新・・・」

不安な顔色を浮かべたラウラが、新の側に駆け寄ってくる。

「大丈夫・・・」

新は銀を両手で構えながら、彼女と壁を背にするように立った。

反響によって数も方向もさっぱりわからないが、何かが複数近づきつつあるのは分かる。

『また来たか・・・ししし』

「何匹来るか、分かりますか・・・?」

心構えのためにも数を把握しておきたい。

彼は銀に問いかけた。

『我らに向かっているのは四体だな・・・ひしし』

「四体ですか・・・」

先ほどの銀の戦いぶりからすれば、割と余裕の人数とも言えそうだ。

だが、ここで足止めをして、電源を復活させるのが向こうの狙いかもしれない。

「あっちの方向からは?」

『来てないな』

「よし・・・ラウラ、行こう」

「あ・・・うん」

ラウラの手を梯子にかけさせ、先を促す。

時間切れが向こうの狙いならば、今のうちに進んでおくのが得策だ。

ラウラの姿が通路の奥に消えていったのを見届けてから、新も彼女に続く。

隣の部屋に降り立ったとき、彼の耳朶を奇妙な音が打った。

カシカシと、硬いものを引っかくような音。

ずるずるずると連続して、何かを引きずるような音。

だん、だだん、と独特のリズムで、床を強く打つ音。

トラップ生物達の立てる音だろうか?

『ひしししし・・・来た、来た、来た・・・!』

期待に満ちた声を、銀が漏らす。

『新・・・ここで迎えるぞ・・・!さあ、よこせ・・・!』

「分かった。・・・でも、あくまでもここからの脱出が最優先ですからね」

『分かっておる』

「じゃあ・・・」

脱力と同時に、銀が新の体に入り込んだ。

彼の口の端がひとりでに吊りあがり、自然と全身に力がこもっていく。

「ひし・・・小娘、下がっておれ・・・いしししし・・・!」

漏れ出る笑い声と共に、彼女はラウラを自身の背後に回した。

音が次第に大きくなっていく。

そして、真正面と左右の開かれた扉から、三つの影が姿を現した。

左の扉から出てきたのは、その豊かな胸の下辺りからが巨大なクモになっている、ボブカットの女性だ。

正面の扉から顔を覗かせたのは、そのすぼまった先端部から粘液を滴らせる、一抱えはあろうかという太さの巨大なミミズ。

そして右手の扉から飛び出したのは、両手両足を毛に覆われた若い女の子だった。

「ぎしし・・・!」

銀が笑みをこぼすと同時に、三者が動き出す。

右手の毛むくじゃらの女の子が、扉の枠の縁を強く蹴った。

跳躍によりその身体は天井に届き、彼女は天井に取り付けられた梯子に掴みかかる。

そしてその勢いを利用して天井で半回転すると、彼女は足で天井の梯子を掴み、天井に逆さ立ちになった。

どうやら、彼女の両手両足は猿のようになっているらしい。

その間にも、クモ女とミミズは部屋への侵入を果たし、銀に向き直っていた。

「うふふ・・・」

クモ女が、興奮にぎらぎらと瞳を輝かせながら、八本の足を操り一瞬で距離を詰め、その鋭い爪を振り上げた。

「ひしし!」

腰だめに銀を構え、振り下ろされる爪に向けて彼女は槍を突き出した。

銀の穂先が爪の先端をそらし、一直線にクモ女の胸元へ伸びていく。

だがその刺突が届く直前、クモ女は残る七本の足で床を蹴り、大きく退いた。

退ききながらクモ女は、大きく膨らんだ腹をこちらに向け、すぼまっていた穴が大きく開くと、白い粘液を噴出した。

剥き出しの穂先に粘液が纏わりつく。

クモ女の糸が纏わりつき、一瞬で刃が用を成さなくなる。

続けて正面のミミズが勢いよく突進し、天井の猿娘が梯子を蹴って踊りかかってくる。

「しししっ!」

銀は慌てることなく、突き出していた銀を振り上げた。

踊りかかる猿娘の脇腹に、粘糸で包まれた穂先がめり込む。

「っがはっ!」

口から苦鳴を漏らしながら猿娘が軌道をそらし、床に落ちていく。

だが銀はそれに目を向けることなく、迫り来るミミズに向けて振り上げた銀の石突を突き下ろした。

その柔らかそうな表面を、銀色の金属塊が深く穿つ。

「――ッ!!」

声にならない悲鳴を上げながら、ミミズがのた打ち回る。

「どうした、それぐらいか?ひしししし」

槍を構えなおしながら、銀が笑った。

その歪な笑みと先ほどの攻防により、三体のトラップ生物にも彼女の力量が分かったらしい。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

三体が互いに視線を交わし、種族と思考の垣根を越えて共同戦線を張る。

「ひしし・・・小娘」

「は、はい・・・」

三匹とにらみ合いをしながら、銀がラウラに言葉をかけた。

「我らがここを抑えておく。奥の部屋へ進め」

「え・・・でも・・・」

「いいから行け。ここで奴らを始末しておいてやる」

喜悦に口元をゆがめながら、彼女は言った。

「さあ、行け」

「・・・はい」

意を決し、ラウラは梯子に手をかけた。

「っシャァッ!」

「うふふ!」

猿娘とクモ女が跳躍し、左右の壁に取り付く。

そして、細かな突起を足場にしながら、彼女らは梯子を上るラウラをめがけて駆け寄ってきた。

「ぎししし!」

歯列の間から笑声を漏らしながら、銀は左に跳んだ。

そして、左側の壁を這い進むクモ女に向けて、その穂先を再び繰り出した。

「うふ・・・」

クモ女の脳裏を思考が駆け巡る。

目の前の男が持つ槍は、穂先を自分の糸によって包んでいる。

それに自分が横向きなせいか、相手の突きの狙いは甘い。

これならば彼女の前足の爪で容易に突きを逸らせるし、仮にあたってもダメージは小さいだろう。

一瞬でそこまで判断すると、彼女は次の一歩に踏み出す予定であった前足を、槍を持つ男に向けて繰り出した。

鋭く尖ったクモ女の爪と、糸に包まれた男の槍が接近する。

そして、二者は触れることなくすれ違っていった。

クモ女の狙いが外れたわけではない。むしろ槍の方が自分から逸れたようなのだ。

そう、自分に向けて繰り出されるのではなく、自分の下、壁と腹の間に向けたかのように。

「!」

彼女が銀の狙いを悟ったときには、全てが遅かった。

クモ女の腹の下に自身を差し込んだ銀は、槍を振り彼女の体を掬い上げた。

その穂先に幾重にも巻きついた粘糸は、クモ女の腹部にへばりつき、彼女が逃れることを防いでいた。

「うふ!うふふ!」

声をあげ、足を振り回すクモ女を壁から引き剥がすと、銀は一息に反対側の壁に彼女を叩き付けた。

梯子を上るラウラに向けて迫りつつあった、猿娘に向けてだ。



ごしゃぁっ!



「がはぁっ!」

鈍い音と短い悲鳴を上げ、意識が吹き飛んだ猿娘が壁から転げ落ちていく。

クモ女も意識が揺らいではいたが、銀はまだ彼女を放さなかった。

クモ女を壁に叩き付けた姿勢から、左足を大きく踏み出し、上体を倒す。

クモ女の体が壁から離れ、床に向けて振り下ろされていく。

だが、その体が床に激突するよりも前に、槍の動きが止まった。

行き場を失った力は遠心力として働き、クモ女の体を粘糸と共に穂先から引き剥がし、一直線に飛ばした。

そして、その先で鎌首をもたげ、飛び掛ろうとしていたミミズに激突する。

壁とクモ女の間に挟まれてミミズの意識は消し飛び、二度の衝撃によりクモ女の意識も完全に消失してしまっていた。

「ひし・・・ぎぃしししししし!!」

床の上に転がる、猿娘とクモ女とミミズ。

その三体を前に銀は大声で笑った。











「ふむ・・・なかなかの見ものだったな・・・」

手元の端末から顔を上げつつ、バルカナゴは声を漏らした。

ほんの数秒でトラップ生物三体が始末される。

その圧倒的なまでの戦力差に、彼は感嘆さえ覚えていた。

「ところで木田君、どの位進んでいるかね?」

「はい、もう準備は完了しました」

キーボードを打つ手を止めて、彼女はバルカナゴの問いに答えた。

端末からケーブルを通じて送られた情報が、彼の手元の端末の表示を変化させる。

「よしよし、これでいい・・・私の計画通りだ・・・」

表示された情報に顔をほころばせながら、彼は二度三度頷いた。

と、その時、電源管理室へと続く通路の奥から足音が近づいてきた。

「バルカナゴ様!たった今配電盤の修理が完了しました!」

「ああご苦労、吉川君」

手を上げながら、彼は部下の報告に応えた。

「では、今すぐ復旧のコマンドを・・・」

「いや、もう少し待ってくれたまえ」

彼は疑問符を浮かべる部下から視線を外すと、手の中の端末へと目を落とした。

「これからどうなるのか、見てみたいものでね」











穂先にへばりつく粘糸をはがし、壁になすりつけながら新は梯子に歩み寄った。

彼の背後には、床に横たわる三体のトラップ生物の姿があった。

「全く・・・あっという間でしたね」

『ああ、物足りぬぐらいだな、ししし・・・!』

ようやく覗いた刀身に映る銀が、顔を歪めて応える。

「ところで、四体来ているって言ってましたけど、後の一体は?」

『・・・さあな、急に気配が消えおった。もしかしたら、他の獲物を見つけたかもしれないな・・・つまらん』

銀を脇に抱え、梯子をよじ登りながら、言葉を交わす。

通路の枠に手をかけようとしたところ、ラウラが奥から顔を覗かせた。

「新、今見てきたけど、この部屋が縁だったよ」

「じゃあもうすぐ出られるね」

伸ばされた彼女の手を取り、引き上げてもらう。

そして、二人は順に通路を這い進み、最後の部屋に降り立った。

何の変哲も無い、ごく普通の部屋だ。

だが、新の携帯端末によれば、ここがPANDORAの縁に当たる部屋だ。

新は向かいの壁に駆け寄ると、梯子を駆け上り扉を開けた。

途中で断ち切られた通路の向こうに、影に覆われたコンクリート製の外壁が見えた。

三年前、竜彦とエリと共に見た外壁が、そこにあった。

頭を差し出し、下を覗き込めば遥か下のほうに床が見える。

三年前は部屋を移動するほかに降りる術は無かったが、今は銀という協力者がいる。

ラウラを背負い、銀が協力すれば、ここから出ることも容易いだろう。

「よし」

彼は短く呟くと、背後を振り返った。

「ラウラ・・・」

新の言葉と思考は、そこで凍りついた。

部屋の中央に、ラウラは頭をうなだれさせて立っていた。

だが彼女の爪先は、床から少しだけ浮かんでいた。

足元には、透明な粘度の高い液体が大きな水溜りを形作っている。

そこから盛り上がり、木の枝のように伸びた粘液の一部分が、ラウラの体を支えているのだ。

そう、彼女の作業着の胸元に深々と枝を突き刺し、鮮やかな赤い液体を滴らせながら。



ぽちゃん



赤い雫が、透明な水溜りに一つ落ちていく。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

絶叫が、無機質な立方体の中に木霊した。













携帯端末の画面に表示された二つの人影のうち、片方から急速に体温が失われていく。

その様を見ながら、バルカナゴは声を上げた。

「ははは、見事だ!見事だ木田君!」

「はい、ありがとうございます・・・」

端末にコマンドを打ち込みながら、彼女は答えた。

バルカナゴが彼女に下した指示は、割と簡単な物だった。

『違反者と被験者35538号に向かっているトラップ生物のうち、隠密性の高いものを制御して先回りせよ』

これだけだった。

そして今、違反者の注意が被験者35538号から逸れた瞬間を狙って、彼女を殺害したのだ。

「・・・・・・」

端末とトラップ生物を隔てているとはいえ、直接自分の意思で人を殺してしまったと言う事実に、彼女の手が震える。

向かいに座る同僚が心配そうに視線を向け、小さく囁いた。

「大丈夫?」

「・・・うん・・・」

「さて吉川君!」

バルカナゴが、二人の会話を断ち切った。

「他の被験者はすべて死んでいるかね?」

「え、あ・・・はい、すでに死亡しております」

「それでは、PANDORA内部に残っている全トラップ生物を違反者にけしかけたまえ」

「え、その・・・」

つい先ほど木田が入力した、全トラップ生物活性化コマンドはまだ生きている。

わざわざ入力しなおす必要は無い。

戸惑う吉川を前に、バルカナゴは腹立たしげに携帯端末の画面を指先で軽く叩き始めた。

「さあ、早くしたまえ」

「は、はい・・・」

彼女は命令に従い、コマンドを打ち込んだ。











ふと新が我に帰ると、部屋の中からラウラの姿も粘液型トラップ生物の姿も、そして彼が手にしていた槍さえもが消えうせていた。

「あれ・・・?」

ついさっきまで自分が見たのは幻だったのだろうか?

彼は間抜けな声を漏らしながら、左右を見回した。

「全く、貴様が急に気を失って驚いたぞ・・・」

頭上から聞き覚えのある、透き通った声が降り注いできた。

顔を上げると、右手の壁、天井との境目辺りに何者かが背中を天井に預けて立っていた。

ショートカットにした黒髪。

スレンダーな体を覆う、ワンピースのような白い衣服。

「銀・・・?」

彼は、携えていた槍の穂先に映りこむ、歪んだ笑みの美女の名を口にしていた。

「そうだ、ししし・・・」

「っ!ラウラは!?彼女はどうなった!?」

弾かれたように、彼は問いを口にした。

「あの小娘か、死んだよ」

「死ん・・・」

銀の言葉に、彼の足元から床が消えたような錯覚を覚えた。

不意の立ちくらみに彼が身を任せようとした瞬間、彼の方を何者かが支えた。

「ひしし、やはり大きすぎたか・・・」

いつの間にか銀が背後に回りこみ、新の体を支えながら呟いた。

「場所を移すとしよう」

そういうと彼女は、爪先で軽くプラスチックの床を叩いた。

部屋が轟音と共に揺れ、天井や壁の継ぎ目に亀裂が入っていく。

そして、一気に剥離した。

壁面の向こうにあったのは、どこまでも続く薄暗い空間だった。

手が届きそうなほど低く立ち込める暗雲が、辺りを覆っている。



ゴォォォォ



竜巻に吸い込まれていく家屋のように、PANDORAの部屋を形作る壁面が二人の立つ床だけを残して、轟音と共に暗雲の彼方へと吹き飛ばされていった。

「あ・・・う・・・こ、ここは・・・」

舌をもつれさせながらも、新が問いを放つ。

彼の足元を支配していためまいは、いつの間にか消えうせつつあった。

「ここは・・・貴様の内面世界とでも言えばいいか、ひしし・・・」

「内面世界?」

新が立っていられることを悟ったのか、銀が手を離す。

彼はよろめきながらも彼女のほうを向き、問いかけた。

「ああ、ここはまだ貴様の心の中だししし」

彼女の言葉に、新はゆっくりと辺りを見回した。

PANDORAの床が空中に浮いているためか、付近の様子は見えない。

空を覆う暗雲と黒い溶岩が冷えて固まったような地面が、遥か彼方の地平線で交差している。

そして地面と空を繋ぐように、真っ黒な煙がいくつも立ち昇っていた。

(ここが・・・僕の心の中?)

最初のPANDORAの部屋ならばまだ分かる。

この三年間、毎日のように接し続けていたからだ。

だが、この景色は?このどこまでも続く岩場と暗雲、そして煙は?

彼には覚えは無かった。

「さて・・・さっきの話の続きでもしよう」

世間話でもするような口調で、銀が口を開いた。

「貴様が助けようとしていた小娘は、死んだ」

「・・・・・・」

立ちくらみを感じるほどではないにせよ、大きな衝撃が彼を襲う。

彼女は、新の表情に口の端を吊り上げると、更に続けた。

「それとな、我が戦ってきたあの生物達・・・あいつらは確実に操られていたなししし」

「・・・・・・」

「貴様の上司のイェーナとやらが操っていたのだろうな」

トラップ生物の操作は監視小屋からでもできる。

新はその事実を認めるまいと、無意識に思考をそらしていた。

その領域に、銀は言葉で持って踏み込みつつあった。

「イェーナさんは、多分、上からの命令で・・・」

「違うな」

新の言葉を銀は断ち切った。

「あいつらの動きに迷いは無かった。操っていたのは貴様の上司などではなく、もっと上の者なのだろうな。

だとすれば、お前の上司とやらはもう」

「止めろ!」

新は大声を上げた。

考えてみれば当たり前だ。

施設の電源に手を出したような者が、そのまま監視小屋の端末を操作できるはずが無い。

イェーナのことだ、きっと新のために時間を稼ごうとしたのだろう。

そして―

「死んだ」

「止めろぉっ!」

銀の告げる事実を受け入れきれず、彼はプラスチックの床面に膝をつき、叫んだ。

銀は跪いて泣き声を上げる彼の姿を、絶叫が嗚咽に変わるまで見つめ、その側に歩み寄り屈んだ。

「それと、新、貴様に言っておきたいことがもう一つだけある」

「うぅ、う・・・?」

背中を撫でる銀の掌の感触に、彼は顔を上げた。

歪な笑みを浮かべる彼女と、視線が交わる。

「ラウラとか言う小娘・・・あやつの胸を貫いたスライムだが・・・」

彼女の口の端が吊りあがり、目が見開かれる。

「我は、気が付いていた」

「・・・ぁぁぁぁああああああっ!!」

絶叫と共に、新は弾かれたように立ち上がり、銀の両肩を突いて床の上に押し倒した。

そして彼女の腹の上に跨ると、そのほっそりとした白い首筋に両手を添え、力の限り締め付けた。

「がぁぁぁぁぁっ!」

「しししし、憎いか、憎いか、ひししししし!」

首を締め上げられているというのに、銀の表情は変わらず、その歪んだ三日月のような口から漏れる言葉は明瞭だった。

「っ・・・!」

首筋を締め上げる掌を解くと、新は拳を握り彼女の顔面に振り下ろした。

一発、二発。

拳があたるたびに、銀の顔が左右に揺れる。

「憎いか、そんなに憎いか!ぎしししししし!やれ、やれ、やれ!好きなだけやれ!いひぎししししいししし!」

新の拳が振るわれる間も、彼女の言葉は途切れない。

軋りのような彼女の笑声と言葉、新の叫びと激しい吐息、そして振るわれる拳が肉に食い込む鈍い音しか聞こえなかった。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・!」

ゆるく握った手を持ち上げ、銀の顔めがけて下ろす。

いつしか新のそれは、殴るとはいえない行為に成り下がっていた。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・・・・」

ゆっくりと持ち上げた掌が、すとんと床の上に落ちる。

そして自身の手を追うようにして、彼もまた床の上に転がった。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

「ふん、もう終わりか・・・」

痣一つついていない顔を撫でながら、銀は身を起こした。

見下ろす彼女に視線を向けながら、新は応える。

「ま・・・まだ・・・」

「・・・まだ我が憎いか、ぎしし・・・」

銀は満足そうに言うと、ゆっくり立ち上がった。

「だがな、我だけを憎むのはお門違いもいいところだ・・・」

「え・・・?」

「あのスライムを操っていた者、そいつがあの小娘を殺めたのだぞ?それに実験施設の制御を貴様の上司から奪った者、そいつらもおるししし・・・」

新に背を向け、宙に浮かぶ床の端へと歩み寄る。

「そう言えば、あの小娘とその妹を実験施設へ放り込んだ者もいたな・・・それに三年前、貴様と・・・そう、竜彦とエリ。貴様らが放り込まれなければ、お前もこんな目にあわずに済んだのにないしし」

「・・・・・・」

銀の言葉が、新の憎悪の炎に油を注いでいく。

「そもそもと言えばあの実験施設、PANDORAが存在しなければ、貴様もラウラもローラもイェーナも竜彦もエリも貴様が最後を見届けてきた被験者どもも、みんなみぃんな今頃幸せにすごしていたかもしれないのになぁ・・・」

肩越しに、銀が歪な笑みを浮かべて振り返った。

「どうだ、新。まだ我だけが憎いか?」

「・・・いや・・・」

疲労が残った体に鞭を振るい、彼はゆっくりと身を起こした。

手足の震えは疲労のためだけではない。

欠けるほど噛み締められた歯は、全身の筋肉が訴える痛みだけではない。

「もう、何もかもが憎い・・・」

「殺したいか?壊したいか?」

「殺したい、壊したい・・・!」

「それでいい!それでいい!見事に育ってくれたな、我が使い手よししししし!」

新の応えに銀は空を仰いで笑い、彼に向き直ると足を踏み出した。

同時に、宙に浮くPANDORAの床にひびが入り、崩れ始めた。

彼女が一歩歩み寄れば、その分床が崩れていく。

そして、彼女が彼の側に寄り添う頃には、もはや二人分の領域しか残っていなかった。

「ああ、ここまで育った憎悪は久しぶりだ、ぎし・・・!」

恋人にするように、銀は新の背に両腕を回し、彼の胸に顔を埋めた。

「新よ、このまま戻れば貴様の思うまま敵を殺せるが・・・どうだ、我らに加わらぬか?」

「どういう意味・・・?」

「なに、貴様の意識は我の中に飲み込まれる・・・その代わり、貴様はわれの中で永劫の時を生きることができる・・・そして約束しよう、貴様の憎む全ての者の死を・・・!」

「・・・・・・」

新は思考した。

おそらく、今現実に戻っても憎しみの命ずるまま、辺りにいるトラップ生物を殺して回るだけだろう。

そして監視小屋にいる連中により、PANDORAの清掃によって消されるに違いない。

どうせ消されるのならば、彼女に全てを任せて、自分は観客になってしまったほうがよい。

彼はそう判断した。

「・・・分かった、任せる・・・」

「そうか、そうか!ひし、ぎしししし!」

彼女がけたたましい笑声を上げると同時に、二人を支えていた床の欠片が砕け散った。

同時に、今まで見えなかった足元の景色が目に入る。

そこにあったのは、黒い岩場の上に立ち並ぶ幾本もの煙突と、赤々とした光を放つ溶鉱炉、そして背の低い建物だった。

その間を、小さな人影がまばらにさまよっていた。

「降りるぞ」

顔の序の言葉と共に、ゆっくりとした落下が始まる。

落下と共に煙突と溶鉱炉が大きくなり、さまよう人影の一つ一つが大きくなっていく。

人影は大小、髪の長短等外見はさまざまだったが、奇妙なことにそのすべてが女性のようだった。

やがて、二人は煙突と溶鉱炉と建物の間の、広場のような空間に降り立った。

無機質な荒廃しきった辺りの風景を、新は無言で見回した。

「ここは、我らが我に纏め上げられたところだ」

彼の意図を察したのか、銀がそう口にする。

「そして今から、貴様を我らに迎え入れよう」

彼女の言葉に合わせ、溶鉱炉、煙突、建物の影から、人影が姿を現した。

十や二十では利かない人数の女性が、この広場に集まりつつあった。

その人影の全てが、煤に薄汚れた銀が切っているのと同じ衣服を身に纏い、皆一様に虚ろな瞳をしていた。

銀は新から距離を取ると、大きく声を上げた。

「我らよ、やれ」

その言葉と同時に、辺りを囲む女達がいっせいに彼の元へ駆け寄った。

「な・・・!?」

手足を掴んできた女達に、新は声を漏らしとっさに振り払おうとした。

しかし、その力は異様に強く、払うどころか体を動かすことさえままならなかった。

そのまま力ずくで押し倒され、彼の衣服に彼女らの指が掛かる。

「くっ・・・!」

一瞬にして身に着けていた作業着は布切れと化し、新の裸身が晒される。

だが裸身が晒されたのは一瞬で、直後に彼の体に近くにいる女達の顔が押し当てられた。

「うわ・・・あぁ!」

顔、胸、腹、太もも、すね、足の裏、腕、腋、掌、そして股間まで、彼のほぼ全身に女達の柔らかな唇が触れた。

彼女らは自分の触れている箇所を吸い、舌を軽く這わせた。

ぎこちなく、不慣れな奉仕ではあったが、新にとっては全身を這い回る舌と唇の感触は、すさまじい快感をもたらすものだった。

あっという間に血液が股間に集中し、ペニスが勃起する。

ペニスを口に含んでいた女がそれを吐き出すと、左右から別な女が顔を寄せた。

そして、言葉を交わすことも無く、新たな二人が幹に唇を触れ、ペニスを加えていた女が亀頭を咥えた。

「あが・・・んぶ!」

三つに増えたペニスへの刺激に彼が声を漏らそうとした瞬間、若い娘がその口を唇でふさぐ。

開かれた歯列の間に、彼女の舌が入り込んだ。

「ん!ぬぶ・・・!」

口腔内をゆっくり這い回る舌の感触が、彼の思考を鈍らせていく。

全身を舐る舌がごちゃ混ぜになり、巨大な舌に体の前面を覆われているような気分になる。

へそや脇腹、肋骨をなぞる舌のもたらすくすぐったさが、いつの間にか快感に変わっている。

全身を覆う彼女らの唾液が放つ臭いと、彼女らの体臭が混ざり合い、興奮をもたらす臭いとなる。

幹を左右から挟む二枚の舌が上下に移動し、亀頭を包む唇が締め上げる。

完全に高ぶった彼の意識は、その刺激で限界に達した。

「ん、ぶぁぁぁぁっ!」

口をふさがれながらも、新はくぐもった絶叫と共に射精した。

ペニスが大きく脈打ち、精液が迸る。

亀頭を咥える女は、放たれる白濁を一滴も漏らすまいと唇を締め、嚥下した。

その際の舌の微妙なうねりが、亀頭を撫で回し更なる刺激を与え、射精をもたらした。

「んぐ、んぉぉぉっ!」

快感を一方的に与えられ、射精を強引に引き伸ばされるという苦痛に、彼は身をのけぞらせ声を上げた。

しかし女達は彼に構うことなく、舌と唇を這わせ続けた。

「んが、ぁがぁ・・・!」

いつしか体が女達の手によって抱え上げられ、背中や膝の裏、うなじにまで舌が添えられる。

不安定な状態で行われる全身への舌責めは、彼に二枚の巨大な舌で挟み込まれている錯覚を覚えさせていた。

乳首に吸い付き、舌先で転がされる。

女の一人が新の尻を広げ、ひくつく肛門に舌を這わせられる。

玉を一つずつ咥えられ、唾液をたっぷりと塗り込められる。

ただただ与えられる快感に、新の意識は溶け出し、沈んでいった。











生温かい闇の中に、彼は横たわっていた。

「苦しいか?」

いずこからか、銀の声が響く。

「辛いか?気持ちいいか?悲しいか?嬉しいか?」

今の新には、そのいずれも存在していなかった。

ただただ与えられる快感に翻弄され、意識と思考が崩れていく、ゆっくりとした発狂に身を任せてしまっていた。

反応の無い新に、銀は言葉を重ねた。

「まずは思い出せ、なぜここにいるかを・・・」

銀の言葉が、意識に染み入っていく。

胸から血液を滴らせるラウラの姿。

精液の中に溶けていったローラの姿。

自分を止めようとしたイェーナの姿。

彼女らの姿が浮かぶ。

だが、彼の意識はそこでは止まらなかった。

こじ開けられようとする扉を必死に押さえる竜彦の姿。

豹変し、新に襲い掛かろうとしたエリの姿。

スライムに囚われ、扉の向こうに消えていった工藤の姿。

そして、端末越しとはいえ彼の目の前で様々なトラップ、トラップ生物に掛かり、散っていった被験者達のプロフィール写真。

それらが浮かび上がっていった。

なぜ彼らは死んだのだろう?

それは、こんな施設を作った連中がいるから。

「それが貴様の憎悪と憤怒か・・・」

幾分楽しげに、銀の声が響く。

「見せてやろう・・・我らがなぜ魔術師を憎むかを・・・」

瞬間、彼の脳裏に幾つもの光景と音、そして感覚が浮かび上がった。

赤い光、苦鳴、激痛、絶叫、回転する歯車、哄笑、灼熱、打たれる刃、火花、慟哭、煮えたぎる音。

苦鳴と絶叫と慟哭が耳に木霊し、皮膚表面を筋繊維内を激痛が這いずり回る。

「っ!っがぁ!!」

「しし・・・もういいだろう・・・」

言葉と共に一切の苦痛が消え去る。

そして、苦痛の消滅と同時に彼は気が付いた。

銀の憎悪の矛先と、彼の憎悪の矛先が、共に魔術師達だということに。

新の意識が、憎しみを核にして形を成していく。

PANDORAを作った連中、即ち魔術師に対する殺意が膨れ上がっていく。

「憎いか?殺したいか?ならば、歯を食いしばれ。そして笑え」

新はぎりり、と奥歯がきしむほど顎を噛み締め、笑おうとした。

「ふ・・・ふ・・・ふしししししししし・・・!」

歯列の間から漏れ出したのは、いつか聞いたことがある軋りにも似た笑い声だった。

「しし、ひししししし・・・!」

笑い声が漏れるたびに全身に力が宿っていく。

まるで、何かが入り込んでいくかのように。

新が顔を上げると、そこには燃え盛る炎を背にした幾つもの人影が並んでいた。

その顔は逆光になっていて見えない。

「さあ、後は我らに任せろ・・・」

一番近くにいた人影が、彼に向けて手を差し出す。

「そして・・・ようこそ、我らの世界へ・・・!」

差し出された掌を、彼は握った。













がくん、という衝撃と共に彼は目を開いた。

目の前には、胸から血を滴らせながら宙に浮くラウラと、彼女を支える透明なスライム状トラップ生物の姿があった。

「・・・・・・」

先ほどから全く変化していない、寸分たがわぬ光景を彼は見回した。

そして、手の中にあるずっしりとした重みに彼は気が付いた。

持ち上げてみると、そこには白銀色の何の装飾も施されていない槍が納まっていた。

鏡面のように磨き上げられた穂先には、彼の顔のほかに何も映っていなかった。

槍を持つ彼の側にいて、常に歪んだ笑みを浮かべていた者の姿は無かった。

「・・・・・・!」

彼は気が付いた。刀身に映りこんだ彼自身の顔が、歪んでいることに。いなくなったのは、彼のほうだと言うことに。

ふと、彼の耳朶を幾つもの音が打った。

何十もの何かが、こちらに向けて寄って来る音だ。

スライムがラウラの体を投げ捨て、触手のように自分の体を伸ばす。

「ひし・・・ひぎしししし・・・」

槍を構える銀と化した彼の口から、軋りに似た笑いが漏れ出した。















バルカナゴは、目の前に表示される情報に、自身の目を疑っていた。

『トラップ生物92号死亡』『トラップ生物221号死亡』『トラップ生物180号死亡』『トラップ生物291号死亡』

「どういうことだ・・・」

めまぐるしく警告音と共に表示される、トラップ生物の死亡報告に、彼は呆然と声を漏らしていた。

顔を上げると、そこでは二人の部下が端末に向かい、猛然とトラップ生物を制御している。

だが、手元の端末の画面では、違反者がトラップ生物の群れに飛び込んで、殺戮を繰り広げている。

この一分ほどで、トラップ生物の三割が死んでいる。

トラップ生物が全滅し、違反者が銀と共に脱出してしまうまで、もはや時間の問題だと言えた。

そうなればこの複合実験施設PANDORAどころか、銀の管理を一任されていたバルカナゴの立場も危うくなる。

「おい!吉川君!」

「は、はい!」

必死にキーを打つ部下の一人が、声を上げる。

「早く電源の復旧コマンドを入力し、内部を清掃しろ!」

「し、しかし・・・」

「やれといったらやるんだ!」

バルカナゴの命令に、吉川はトラップ生物の制御を捨て、電源復旧用のコマンドを入力した。

これで、一分後にはPANDORAの各部屋の位置が初期化され、その後に清掃が行われる。

だが、バルカナゴの言う清掃はそれではなさそうだ。

続けて彼女は、施設内部即時清掃のコマンドを打ち込んだ。

これで、何よりも優先して清掃が行われる。

彼女はリターンキーを押し込んだ。











「ひしし・・・!ぎしししし・・・!」

槍を振るい、その刃が敵に触れるたびに相手が絶命していく。

銀の身体は思い通りに動き、銀の望むまま敵を殺していた。

「ぎひし・・・!」

天井から降り注いできた粘液を大きく退いてかわし、跳躍と共に壁に張り付く敵に穂先を打ちこむ。

それだけで、相手は出血よりも先に絶命していた。

『業務連絡。ただいまより施設内部清掃を行います。職員は5秒以内に非難して下さい』

「ひし・・・?」

無機質な音声が、銀の耳に届いた。

新であった頃の記憶が、銀に警鐘を鳴らす。

「ししっ・・・!」

大きく数度の後退を繰り返し、狭い通路に飛び込む。

そして全力で通路内部の壁面を蹴った。

『清掃開始』

無機質な音声と同時に、彼女の背後、PANDORAの室内が光に包まれた。

単位面積あたり数百キロワット相当の電磁波が、十数秒かけて施設内に有機物を焼却し、清掃していく。

そしてそれは、外に出ているとはいえ、そして一瞬とはいえ開け放たれた扉に背を晒している銀の背中についても、例外ではなかった。

そして数秒の落下を経て、衝撃が銀の右足を襲う。

「ぎし・・・!」

背中を焼く灼熱感と、右足が完全に破壊された痛みが走る。

だが銀が食い縛った歯列の間から漏らしたのは、軋りめいたあの笑い声だった。

「ぎし・・・ひししししし・・・!」

両手も左足も比較的無事であることを確認すると、銀は這うようにしながら薄暗い空間を駆け進んだ。

やがて、銀の目にダクトと思われる穴が入った。

ただ、そこは親指ほどの太さの鉄格子によりふさがれている。

「ぎひしししし!」

他を探している時間は無い。

こうしている間にもPANDORAと外壁の隙間の気温も上がりつつある。

銀は槍を構えると、一閃した。

鉄格子が丸く切り裂かれ、ダクトの中に破片が落ちる。

「ししし!」

銀は笑声を漏らし、ダクトへと飛び込んでいった。













端末の画面から違反者を示していた表示が消え去り、端末に向かっていた二人の顔が青くなる。

被験者全てを殺害し、よりによって確実にしとめろと命じられていた違反者を逃がしてしまう。

そのような失態を犯した二人を、バルカナゴが放っておくだろうか?

「違反者・・・見失いまし・・・」

報告の声を、突然大きな音がさえぎった。

何かが、部屋の壁に設けられた通風孔の向こうを、下から上へと移動していったような音だった。

端末を操っていた部下二人が、真っ青な顔を上げた。

だが二人の目に入ったのは、目を見開き彼女らよりも更に蒼白、まさに紙の様な顔色をしたバルカナゴの姿であった。

口は大きく開かれ、その瞳は細かく左右に揺れている。

恐怖と驚愕が混在した表情であった。

そして、彼の視線の先には、金属製の網で覆われた巨大な通風孔があった。

そこをたった今、槍を携えた違反者が駆け上って行ったのだ。

「・・・・・・っく・・・」

彼はようやく我を取り戻したかのように小さく呻くと、細かく震える手を机の上に伸ばした。

その先にあったのは、ダイアルも何もついていない黒電話であった。

彼はその受話器を掴むと、耳に当てた。

『はい』

「ああ、私だ・・・」

受話器の向こう、『バビロン』の上層部に向けて、彼は低く言った。

「緊急事態になった・・・銀が脱走した」

あの淫魔兵器が脱走してしまっては、彼の地位は剥奪され、この実験施設も閉鎖に追い込まれるだろう。

もはや保身も何も無い。

「バビロン特殊部隊の出動を、要請する・・・」

彼にできるのは、少しでも早く脱走の事実を伝え、処罰が軽い物になるよう祈るばかりだった。















右足が痛い。

砕け折れ、破片が皮膚を突き破り、もはや機能も形状も失った右足が痛い。

背中が痛い。

熱線に晒され、重度の火傷を負い、一部炭化した背中が痛い。

だが、銀は歯を食いしばり、笑い、ただただ自身の憎しみの命ずるまま垂直な狭いダクトの中を、残る手足で駆け回っていた。

「ひしししししし・・・!」

痛いから痛がったところで、何にもならない。

悲しみに浸ったところで、何にもならない。

痛みは憎悪を膨らませ、悲しみは憤怒を育む。

必要なのは憎悪、必要なのは憤怒。

己の内で成長する憎悪と憤怒に、銀は笑わずにはいられなかった。

だが、今の銀にはそれ以上に必要なものがあった。

「ぎひししし・・・!」

垂直なダクトから枝分かれした水平なダクトの一本に入り込む。

連続した摩擦により皮膚が擦り切れた手足が、点々とダクト内に手形や足跡を刻む。

今はまだこうして動いていられるが、じきに限界が来るだろう。

その前に、新たな体を見つけなければならない。

さもなければ、復讐を遂げる前に銀は止まってしまう。

「しし・・・!」

適当に目に付いたカバーを蹴破り、ダクトから飛び出る。

そこは机がいくつも並んだ、事務所のような場所だった。

だが天井の照明は落とされ、机に備え付けられた電灯が一つだけ点灯している。

そして、その机に向かっていた女が、驚いたような表情で彼女を見つめていた。

新たな体を見つけた銀の瞳が、ぎらりと輝く。

「ぎしし・・・!」

「ひ・・・!」

女に向けて、白銀色の槍が振るわれた。

恐怖に身を固める女の頬を、白銀色の刃が浅く切り裂く。

それだけで、女の精神は砕け散っていった。

持ち主の消失した女の体に、銀が入り込んでいく。

同時に、用済みになったら他の肉体から、銀が抜け出ていった。

銀の内の新であった部分は、冷静にその様を見つめていた。

肉体を失うことに恐怖は無い。

自身を失ったというのに、それ以上に恐れる物があるだろうか?

視界が切り替わり、目の前に満身創痍の男の遺体が転がっている様子が、銀の目に入った。

ぼろぼろで、哀れなほどに痛んだ肉体だった。

「・・・・・・」

ぼんやりしている暇は無い。

銀は遺体の手から槍を引き剥がすと、部屋の出口に向けて歩き出した。

そしてその歯列の間から、すべての魔術師に対する憎悪と憤怒と呪詛のこもった笑声が、漏れ出す。

「ひし・・・死死死死死死死死死死死死死死死・・・!」







<槍型淫魔兵器 銀ノ一 に続く>






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