カードデュエリスト渚
「はい、今週分の給料ね」
翌朝――テーブルに着いて朝食のパンを食べる僕とソニアに、ラサイアさんは封筒を渡してきた。
「給料? もう……?」
「ここ、お金は週払いなのよ」
封筒を受け取りながら、ソニアは平然と言った。
昨日の閉店後とはうって変わって、今日は不機嫌そうな様子はない。
明日は木曜日で酒場の定休日、なんとも気の軽い様子である。
「はい、渚君も。いきなり全部カードに使っちゃだめよ」
「え……? 僕はまだ、昨日一日しか働いていませんが……これ、一週間分ですよね?」
封筒の厚さは、ソニアと全く同じ。
そう言いながらも、僕はうやうやしく給料封筒を受け取らざるを得なかった。
ラサイアさんは封筒を差し出したポーズで固まっている以上、受け取らないわけにはいかないのだ。
「ギルドに報告する収支表作成の都合上、一日分だけの給料を渡すと面倒になるのよ。
初日の特別ボーナスだと思って、受け取っておきなさい」
「ど、どうも……ありがとうございます」
口では書面の都合と言っているが、実際はラサイアさんの気遣いだろう。
それを無下に断るよりも、僕は素直に受け取って深く感謝することにした。
「わぁい! 欲しかったアクセサリー、買ってこよっと♪」
「……ソニア、あなたはちょっとはカードに使いなさい。一応はデュエリストの端くれなんでしょう?」
「はーい! お買い物行ってくるねー!」
朝食を終えるなり、ソニアは外へと元気に駆け出していってしまった。
「全く……あの娘も、一人前のデュエリストになりたいんじゃなかったのかしら」
ふぅとため息を吐くラサイアさんからは、二十代半ばにして母親じみた風格が伺える。
当然ながら、まだまだそんな年齢ではないだろうが――ラサイアさんとソニアは、どういう関係なのだろうか。
単なる住み込みのバイトというよりは、ラサイアさんの家族そのものに見える。
「ところで……一番近くのカードショップは、どこにあるんですか?」
「君も君で、お金を大切に使いなさいね。いきなり全部カードにしちゃダメよ」
そう言いながら、ラサイアさんはメモ用紙に簡単な地図を書いてくれた。
ここから徒歩で十五分ほどの場所に、カードショップがあるようだ。
道のりは非常に簡単で、ほぼ直進に近い。
「私もショップに用があるから、一緒に行ってあげてもいいんだけど……
砂糖屋さんに注文した分を受け取るまで、店から出られないのよ」
「ラサイアさんも、カードショップで買い物ですか……?」
「いいえ、売る方よ。今月だけでも、十七枚も獲得したからね。
安心しなさい、『深紅の女騎士ヴァルキリアス』は決して売らないから」
そう言いながら、ラサイアさんは売り払う予定のカードを机の上に広げる。
レアリティCどころか、ノーマル上位にあたるレアリティBのカードさえ数枚あるようだ。
思わず、机の上に並ぶカードに視線が吸い寄せられてしまう。
「あら、欲しいの? 数枚程度なら、別にあげてもいいけど……?」
「……いえ、結構です。戦って得たわけでも、自分のお金で買ったわけでもないカードに魂はこもりませんから」
本音を言うと、少し欲しいが――デュエリストとしてのプライドが、それを許さなかった。
「ふふ、そう言うと思ったわ……じゃあ、行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます……」
僕はラサイアさんに買いて貰った地図を片手に、『BAR 神薙』を出たのである。
時刻は午前九時過ぎ、空は青く雲の少ない日だった。
「ありがとうございました〜」
店員の声を背に受けながら、僕はカードショップから出た。
給料の八割をはたいて購入したのは、お買い得ランダム三枚入りパック。
カードというものはバラで買うと非常に高いので、初心者はこのパックのお世話になるものだ。
かく言う僕も、まず枚数を揃えることを優先するため、中身の分からないランダムパックを購入したのである。
数さえ揃えればいいというものでもないが、数が揃っていなければ、そもそもデュエルができないのだ。
「さて、中は……と」
僕はショップ前のベンチに腰を下ろし、パックの封をいそいそと破いた。
思えば、ドキドキしながらランダムパックを開けるのはほんの初心者の時以来だ。
その結果――袋の中に入っていたのは、レアリティDの『オクトパスレディ』と『いたずらピクシー』。
そして、レアリティCである『ねこまた』だった。
「おっ、レアリティCが入ってた……これは運が良いな」
レアリティというのは稀少度の事で、当然ながら珍しいカードほど強力という傾向がある。
レアリティSは最稀少カード、世界でも一枚しかない最高レベルのレアカードだ。
その能力も激烈で、僕でさえ『深紅の女騎士ヴァルキリアス』しか持っていない――いや、持っていなかった。
レアリティAは通常のレアカード、片手の指で数えられるほどの枚数しか世界に存在しない。
当然ながら、一般のデュエリストでは見ることすらないようなカードだ。
レアリティBは、ノーマルの上位カード。
普通に出回っているカードの中では相当に強力で、熟練したデュエリストでも所持数は2〜3枚程度といったところか。
レアリティCは、ノーマルの中位カード。
一般デュエリストの感覚だと、この辺りが強力なカードと言える。
僕が所持している『癒しと安らぎのアルラウネ』や『風刃のシルフ』もこのレアリティだ。
レアリティDは、ノーマルの下位カード。
非常にありふれたカードで、俗にゴミカードとも呼ばれている。
だが本当にレアリティDをゴミだと思っているような奴は、優れたデュエリストにはなれないだろう。
戦術によっては優れた力を発揮し、また思わぬ強力なカードへと成長を遂げる場合もあるのだから――
ともかく、これで僕の手持ちには六枚が揃った計算になる。
Cランクの『癒しと安らぎのアルラウネ』、『風刃のシルフ』、そして『ねこまた』。
Dランクの『オクトパスレディ』と『いたずらピクシー』、そして魔法カードの『光の封陣』。
この六枚さえあれば、簡易バトルならいちおう可能なのだ――
「すみません、デュエリストの方ですね――」
「お兄さん、相当の強者と見たよ」
不意に、か細い声が僕に投げ掛けられた。
視線の先には――ゴスロリの衣装を身に纏った、あどけない二人の少女。
黒い衣服に、白のフリルが備わっている可愛らしい――そして裏腹に、どこか病的なファッション。
二人とも目は蒼く、その長髪は透き通るような金髪。
年齢は、小学校高学年といったところだろうか。二人の顔はそっくりというより同一。
シャッフルしたら、どちらがどちらか分からないくらい――明らかに、双子の姉妹なのだろう。
人里離れた洋館で、人形を抱きながらクスクスと笑っていそうな、なんとも浮世離れした姉妹。
この日光の下、街の通りをうろついているのはアンバランスな気さえした。
「私達と、デュエルして頂けませんか?」
「ボク達が、相手をしてあげる――」
そっくりな顔をした姉妹ながら、両者の口調は異なっていた。
ともかく僕は、少しだけ黙り込んでしまう。
「……」
自分で言うのも何だが、僕は相当熟練したデュエリストである――ただし一般的なルールで。
このF-タウンでは、まさに素人同然。ようやく簡易デュエルが可能な枚数を揃えた初心者に過ぎない。
つまり熟練のオーラを醸し出す素人という、非常に厄介な存在なのだ。
この双子の姉妹にしても、初心者をカモにしようという卑劣な連中とは異なるタイプだ。
むしろその逆、自分よりも強い相手と戦いたいというタイプ――
「どうしました? 私達は、相手として不足でしょうか?」
「ボク達、これでもかなり強いんだよ……?」
僕の熟練者オーラを察知して挑んでくるのは、当然ながら『より強いデュエリストと戦いたい』というタイプの強者ばかり。
ラサイアさんもそうだったが、自分より強い相手と戦いたがるような者は総じて相応の強者。
熟練者っぽい雰囲気を備えたシロウトの僕としては、厄介すぎる相手なのである。
「……」
それでも――やはり、経験を積むことが大事。
カードを失うよりも、経験を得る機会を失ってしまう方が恐ろしいのだ。
強者と戦って、損することなど何もない。カードは買えるが、経験は買えない――
「分かった、受けて立つよ。ただし、簡易ルールでいいかな?」
「構いませんが――相手が子供だからと、手加減なされる気なのですか?」
「ボク達を侮ると、痛い目――いや、キモチいい目に合っちゃうよ?」
……本当は、六枚しかカードを持っていない。
それをあえて言わないのも、デュエル前の心理的駆け引きというやつだ。
上級者だと思わせておけば、もしデュエル中に初歩的なミスをしたとしても、相手はうかつにその隙を突きにくいだろう。
「……侮ってはいないよ。簡易デュエルといえども、真剣勝負だ」
なお簡易デュエルだと、六枚のうち最初に引いておくファーストドローが一枚。
残るカードは五枚であり、互いに五ターンを費やせば引くカードがなくなってしまう。
そうなった場合は引き分けであり、ゆえに枚数の少ない簡易デュエルでは引き分けになることも多いのだ。
そういうわけで、様子見にはちょうど良いデュエル方式とも言える。
「で、どちらが相手をするんだ? 姉の方か、それとも妹の方か――」
「ふふ……お兄さん、一つだけ思い違いをなされていますね。私は、姉のアイリス」
「ボクは、『弟』のダリア――さあ、お兄さんが選んでいいよ。どっちとデュエルする?」
「お、弟……!? 男……なのか!?」
ダリアとやらの言葉に、僕は仰天していた。
その外見は、どこからどう見ても可愛らしいゴスロリ少女。
姉のアイリスと、全く見分けがつかないほどだ。
どう見ても姉妹だと思っていたが、姉弟だったなんて――
ともかく、どちらとデュエルするか。
姉のアイリスを相手にする、それとも弟のダリアの方か――