妖魔の城


 

 

            ※            ※            ※

 

 

 一機の輸送ヘリが夜空を遮り、巨大な城の真上に飛来していた。

 その機体には、キスマークと『V』の文字――ヴェロニカ研究所の鮮やかな紋章が刻印されている。

 そしてヘリの胴部からは、頑丈なクレーンでドラム缶のような形状のコンテナが吊り下げられていた。

 コンテナは人間一人が入りそうな大きさで、周囲は頑丈に溶接され、魔力のこもった符や縄で封印されている。

 物理的な手段と魔術的な手段の両方で厳重に封じらたコンテナ――ヘリは、この拘束コンテナを運搬するためのものだ。

 

 「……こちらアルファ、投下ポイントに到達」

 ヘリの乗員は、無線でヴェロニカ本部に連絡する――その声は、まぎれもなく女性のもの。

 それもそのはず、ヘリの操縦主もオペレーターも両方とも女性である。

 運搬物の都合上、付近に男性が接近することすらできない。

 半径10メートル以内の人間男性の存在がスイッチとなって、この拘束コンテナの中身は目覚めてしまうのだ。

 

 『間違いは許されない。投下ポイントを再確認せよ』

 無線機から聞こえる本部からの通信も、若い女性の声だった。

 「……了解」

 オペレーターの女性は、ヘリの窓から眼下の光景を再確認する。

 運搬物の投下ポイントは、ノイエンドルフ城裏門付近の露天通路。

 ディスプレイに表示されている地形データや座標も合致している。

 目視での確認と、機械での確認を重ね、この位置で間違いないことを確認した。

 「……こちらアルファ、投下ポイントに間違いはない」

 『分かった――『NEMESIA-H』、使用承認許可。投下せよ』

 「了解。『NEMESIA-H』、投下……!!」

 右人差し指をクレーンの開閉スイッチに合わせ、指先に力を込める操縦主。

 がくん、とヘリ全体に振動が伝わり――そしてクレーンが開き、ドラム缶状の運搬物が落下していった。

 投下位置には数メートルの狂いもなく、露天通路の真ん中へと着弾したようだ。

 

 「……投下終了、帰還します」

 『了解、ただちにその場を離れろ』

 こうして拘束コンテナを投下した後、輸送ヘリはすみやかにノイエンドルフ城を離れていった。

 

 

            ※            ※            ※

 

 

 「もう……どうなってるのよ、この城!」

 通路を進みながら、沙亜羅は憎々しげに吐き捨てていた。

 頭上に広がっているのは、満天の星空。

 プラネタリウムの趣向を凝らした通路というわけではなく、単に天井がないだけの話。

 僕と沙亜羅は、石造りの長い長い露天通路を進んでいたのだ。

 「なにこれ? 万里の長城? 城の中に、なんでこんなのがあるの?」

 さっきから、不満を爆発させている様子の沙亜羅。

 この野外通路は切り立った城壁のようになっていて、左右には下も見えないほどの切り立った崖が広がっている。

 その光景は、まさに万里の長城そのもの――もしかしたら、似せて造ったのかもしれない。

 裏門から城内に入ったはずなのに、この光景は明らかに野外。

 やはり妖魔の城だけあり、内部は亜空間のような状態になっているのだろう。

 こうして僕と沙亜羅は、長い長い城壁の上――いや、通路を進んでいた。

 

 「優、あれ……!」

 不満を垂れ流していた沙亜羅が、不意に前方を指差す。

 そこには、城門のようなものが見えた。

 延々と続いた露天通路もあそこで終わっているようで、これであらためて城内に入れるようだ。

 「ふぅ、ようやく終点か……」

 「でも、まだ城の入り口なんでしょ」

 ため息混じりに呟く沙亜羅。

 「そもそも、なんで私達が裏門からコソコソと――」

 そんな沙亜羅の不満を、唐突な轟音が掻き消した。

 「な、何……!?」

 「ヘリみたいだな……こんなところに、民間機が侵入するか?」

 門の見える方向の逆側――つまり後方から、一機の輸送ヘリが近付いてきたのだ。

 その輸送ヘリは、なにやら丸いコンテナをぶら下げている。どうもドラム缶ではないようだが――

 「あれ、まさか――ヴェロニカのヘリ!?」

 「あの紋章、間違いないみたいだな……!」

 ヘリの胴部には、ピンクのキスマークと『V』の刻印が施されていた。

 ヴェロニカ研究所――あのH-ウィルスの研究施設を、世界各地で運営している会社。

 楽裏市での出来事以来、世界中のH-ウィルス研究施設を破壊して回る僕達の前に、存在を示した謎の企業。

 いや――正確には企業かどうかも分からず、その実態も資金源も不明。

 そしてH-ウィルス以外にも、なにやら怪しい研究に手を染めているようだ。

 ともかく、僕達に敵対する組織なのは明らかである。

 「連中、何しにこんなところまで? 空挺部隊でも降下させるつもり……?」

 沙亜羅はサブマシンガンを取り出し、息を呑んだ。

 輸送ヘリはほとんど高度を下げず、露天通路の真上で空中静止している。

 「いや……ヘリボーン作戦にしては高度が高い。あれは――」

 ヘリの胴部クレーンが開き、運搬していたコンテナが空中から投げ出される。

 その運搬物は、そのまま落下してきた――落下地点は、かなり僕達の位置に近いようだ。

 

 「何あれ……? 爆弾……!?」

 沙亜羅は素早く身を屈める。

 「いや、あんな変な爆弾は――!!」

 思考を巡らす前に、そのコンテナは露天通路のど真ん中に落下してきた。

 通路の真ん中に立ちすくむ僕達から、10メートルほど離れた位置の床面にコンテナの半分がめり込んでしまう。

 石造りの床を砕き、めり込むほどの堅さと重さ――それは、尋常でないことは明白。

 見れば、ヴェロニカのヘリは運搬物を投下した後とっとと逃げ去ったようだ。

 

 「なに、あれ……?」

 沙亜羅はサブマシンガンの銃口を投下物に向け、警戒を怠らないままに呟いた。

 「拘束コンテナだね。連中、いったい何を……」

 それも、コンテナは何重もの拘束術式で覆われている。これはほとんど封印に近いだろう。

 「拘束コンテナ――つまり、中に誰か入ってるってこと?」

 サブマシンガンを向けたまま拘束コンテナの表面に視線を這わせる沙亜羅。

 そして、コンテナに描かれていた英字に目を留めた。

 「NEMESIA――ネメシア? それが、中のヤツの名前?」

 そう呟く沙亜羅――次の瞬間、コンテナの中から音がした。

 どん、どん、と音と共に振動するコンテナ――その衝撃は揺れとなり、僕達の元まで伝わってくる。

 コンテナの中の何かが、どんどんと内側から壁面をとてつもないパワーで叩いているのだ。

 「ちょ、ちょっと優……! あの中、何が入ってるの……?」

 「僕が知るわけないだろ――」」

 そう言いつつも、僕は拳銃を取り出して構えていた。

 あのコンテナは、中からブチ破れるような構造にはなっていないはず――

 ――そんな思考は、あっという間に崩れ去った。

 凄まじい轟音と共に拘束コンテナが粉々に弾け、吹き飛んだのだ。

 まるで、内部で爆弾が爆発したかのように。

 

 「どうなってるの、これ……?」

 「信じられない――拘束コンテナを、内部からブチ破るなんて……」

 僕と沙亜羅は、同時に銃器を向けていた。

 周囲に散らばる、コンテナの破片――その中から姿を現したのは、頑強な巨漢でも、ケタ外れに強靭な野獣でもない。

 長身のか細い女性が、そこに立っていたのだ。

 年齢は10代後半だろうか、あどけない雰囲気をまだ残している。

 地面にまで届くほど長い黒髪は風でそよぎ、非常に端正な顔に浮かぶのは無表情で、何の感情も伺えない。

 華奢な体を包む、ロングコートにも似た拘束服――そのあちこちに備わったベルトは全て外れ、解放されている。

 その顔はぞっとするほどに美しく、息を呑むほどに綺麗だった。

 

 「あのひ弱そうな女が、ヴェロニカ研の刺客? どんな化け物かと思えば……」

 そう呟く沙亜羅だが、その声からは緊張と戸惑いが隠せない――当然だ。

 僕達は、あの拘束コンテナが内面から破られるところを目の当たりにしたのである。

 あれを見て、警戒しないほど僕も沙亜羅も馬鹿ではない。

 あのか細い腕のどこに、あんなパワーがあるのか――

 「……」

 僕と沙亜羅は息を呑み、ネメシアという名前らしい謎の女性に銃口を合わせる。

 ぼんやりとたたずむネメシアを凝視する僕達――不意にネメシアも、僕達に視線を合わせた。

 まるで深海のような、吸い込まれそうな瞳。

 そしてネメシアは、まるで握手をするかのように手を差し出してくる――

 ――不意に、その綺麗な腕がしゅるりと解け、形を崩してしまった。

 「えっ……!?」

 数本の触手状となった腕がカメレオンの舌のように伸び――そして、たちまち僕の右足首へと絡んでくる。

 不意打ちに近いいきなりの攻撃に、僕は反応すらできなかった。

 僕の足に巻きついた触手に力がこもり、そのままネメシアの方にぐいと引き寄せられる――

 「この……!」

 その瞬間に沙亜羅が発砲し、ネメシアの腕――いや、触手に銃弾を撃ち込んだ。

 数発の弾丸を集中的に受け、血のような液体を撒き散らせながら触手が千切れ飛ぶ。

 僕の足に絡んでいた触手も緩み、床へと落ちた。

 「人間じゃないなら、遠慮はいらないみたいね……!」

 沙亜羅はネメシア本体にサブマシンガンの銃口を向け、そのまま発砲する。

 「……」

 無表情のまま、その身に無数の銃弾を受けるネメシア――しかし、少しもひるむ様子はない。

 倒れるどころかのけぞりもせず、平気な顔で全身に浴び続けている。

 「そんな、効いてないの……!?」

 驚愕の表情でマガジンを入れ替え、沙亜羅は掃射を続ける。

 しかしネメシアにはダメージがないどころか、全身に銃弾の雨を浴びながら一歩一歩近寄ってきたのだ。

 拘束服を貫通して銃弾を浴びているはずなのに。その一発一発が、皮膚を貫いているはずなのに――

 なんで、こいつは倒れないんだ……?

 「くっ、このぉ……!!」

 弾丸を撃ち尽くし、そしてマガジンを入れ替え、ゆっくりと迫ってくるネメシアに対して撃ち続ける沙亜羅。

 うち一発が眉間に当たり、弾痕が白い皮膚を穿つ。

 頭部ががくんとのけぞり、その足も止まった。

 「やった……!」

 さらに、追撃の銃弾を放つ沙亜羅――

 ぐいっと、ネメシアの頭部が正面に向き直る。

 眉間に開いた、10円玉ほどの穴――その内部から細かな触手が伸び、みるみる傷口を埋めていく。

 「なんだ、あれ……!?」

 驚く僕達の目前で、眉間の傷口は塞がってしまった。

 皮膚も一瞬で再生し、ネメシアの端正な顔はたちまち元通りになってしまう。

 凄まじい再生能力――銃弾が貫通した次の瞬間には、もう完治しているのだ。

 

 「H-ウィルスのキャリア……いや、改良型か?」

 僕は、思わず呟いていた。

 ネメシアは弾丸の雨をものともせず、一歩一歩僕達との距離を埋めていく。

 ここまで早い治癒は、今まで見てきたH-ウィルスによる症状に該当しない。

 連中は、新しいタイプのH-ウィルスを改良したのだろうか――

 「何してるの、優! 支援して!!」

 サブマシンガンの銃声を響かせながら、沙亜羅が叫ぶ。

 「でも、まるで効果がないだろうが!」

 無表情のまま歩み寄ってくるネメシアを見据え、僕は思考する。

 あの治癒力の前では、このまま撃っていても効果はないだろう。

 いったん、この場から離れるべきだが――

 沙亜羅はムキになっているのか、ネメシアに向かって撃ち続けていた。

 「なんなのよ、この化け物……!!」

 さらにマガジンを入れ替え、射撃を続行しようとする沙亜羅――彼女に向かって、ネメシアはすっと右腕を差し出す。

 「え……!?」

 その攻撃は、さっきよりも数段早かった。

 無造作に伸ばされた右腕は数本の触手と化し、四方から沙亜羅を襲う――

 たちまち沙亜羅の胴が絡め取られてしまい、その体が軽く持ち上げられた。

 「こ、この……離せ、化け物!!」

 触手に持ち上げられたまま、ネメシア本体に銃弾を見舞う沙亜羅――しかし、全く効果はない。

 そのまま沙亜羅は、しゅるしゅるとネメシアの方へと引き寄せられていく。

 「さ、沙亜羅……ッ!!」

 僕はすかさず拳銃を構え、ネメシアに向けて射撃する――が、やはり敵は身じろぎ一つしない。

 「う……くっ……!!」

 そうしている間にも、触手で拘束された沙亜羅はネメシアの眼前まで引き出されていた。

 「……」

 全く表情のない瞳で、ネメシアは眼前で拘束した沙亜羅を凝視する。

 まるで、吟味しているかのように――

 「こ、このッ……!」

 触手で拘束されて宙吊りにされている体勢にもかかわらず、沙亜羅は至近距離から銃弾を浴びせ掛けた。

 ネメシアの顔面を、何発もの銃弾が無惨に破壊する――が、みるみるうちに綺麗な顔が再生していく。

 そんなネメシアの拘束服が、触れてもいないのにぱらりとはだけた。

 まるで拘束服も体の一部のように、するすると彼女の腰の位置まで脱げてしまったのだ。

 たちまちあらわになる、ネメシアの白い裸体。

 非常に華奢な割りに、その胸はかなりの豊満さだ――それはともかく、何をする気なのか。

 

 「な、何……?」

 ネメシアの裸身を凝視していた沙亜羅の表情に、驚きと戸惑いの色が浮かぶ。

 その華奢な裸体の喉の部分から、胸の谷間を通ってへその下まで、一直線に縦のラインが入ったのだ。

 ネメシアの体の中心に沿って出現した縦筋は、ずぶりと裂けて左右に押し開かれる。

 粘液が糸を引き、じゅるじゅると縦に裂けるネメシアの胴――それは、縦になった唇のようだった。

 喉元からヘソあたりまでがずるりとグロテスクに裂け――まるで口腔のような器官が、綺麗な肌を割って出現したのだ。

 裂けているのは肉の表面だけではなく、体奥深くまで裂け目は続いている。

 そんなクレバス内部からは胃壁を思わせるピンクの粘膜が覗き、粘液をしたたらせながらじゅるじゅると蠢いていた。

 「な、何……!? ちょっと、やめて――」

 青ざめた顔で呟く沙亜羅。

 彼女の眼前でぱっくりと口を開けたのは、どう見ても口腔だった。

 あれは間違いなく、生体を取り込むための器官――あの亀裂に獲物を挟み込み、覆い込んで捕食してしまうのだ。

 

 「沙亜羅ッ!!」

 とっさに駆け寄ろうとした僕を、冷静な思考が押し留めた。

 あそこに勢いで飛び込んでいって、僕に何が出来るというのか。

 銃弾が効かない以上、策もなく飛び込むのは愚行。

 軽挙妄動の挙句に僕まで捕まってしまえば、沙亜羅の身を救えなくなってしまうのだ。

 僕は――

 

 それでも、無策のまま突撃する

 あの至近距離なら、逆にチャンスのはず

 


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