槍型淫魔兵器 銀ノ三




「・・・と、気をつけるべきポイントは以上ですね」

会議室の中に、先ほどまでのような楽勝ムードはなかった。

それもそうだ、九谷の説明した銀の戦闘能力が、通常の淫魔どころではないからだ。

むしろ、エレジアの部隊も死者が二人ですんでよかったといえるほどである。

エレジアは、いつの間にか汗ばんできた手を握り締めながら、壇上の九谷に視線を向け続けた。

「それでは最後に、テルミドール君の部隊に入ってもらうお二人に自己紹介をしてもらいましょう」

壇上に上がったやや大柄な男に、九谷がマイクを渡す。

「帝国所属、伍堂大悟」

テンガロンハットを被った、ガンマン風の出で立ちの女が男から渡されたマイクを受け取る。

「おなじく、クロガネだ。ま、短い付き合いだと思うがよろしくな」

そういうと女は、ヒヒヒと笑いながらマイクを九谷に返した。

「・・・それでは、作戦の説明をします」

スクリーンに、どこかの街の地図が映し出され、無数の黄色い点が表示される。

「これが、現在銀が潜伏していると思われる地区の地図と、潜伏先の疑いのある住宅です」

地図上に、黄色い点郡を囲むように四つの赤い点が表示される。

「そこでアレン隊、笹川隊、ウェシュ隊、テルミドール隊でこの地区を包囲し、範囲を狭めながら一軒一軒スキャンしていきます。そして、いずれかの家屋で反応があれば、発見した隊は応援が来るまで待機と監視を行って下さい。

なお、指揮は各隊の隊長が取り、全体の指揮はアレン君がとって下さい」

「了解しました」

会議室の一角から、他のチームの隊長の声が響く。

「使用する装備は通常のものに加え、『大図書館』から走査器具と捕獲用器具が支給されますので、使い方をしっかり把握しておいて下さい。

何か質問は?」

「あの・・・仮に銀が、こちらに気が付いた場合はどうすればいいのでしょうか」

他のチームの隊員が、挙手と共に問いかける。

「その場合は、闘争を許さぬよう常に位置を把握し続け、直接の交戦は避けて、不意打ちを狙って下さい。あくまでも、捕獲が目的ですから」

ほかに質問は、と九谷は続けるが誰も手を上げなかった。

「それでは十五分後に出発、各自準備をお願いします」















すべてが赤い。

地に近づいた太陽がもたらす陽光により、全てが赤く染め上げられ、すべての影が引き伸ばされていた。

黄昏時、逢魔ヶ時、様々な名で、全てが赤く、全てが長い影を引きずるこの時間帯は呼ばれてきた。

人気のない交差点、十字路の片隅に立つ電柱も、例外なく影を引きずっていた。

十字路に、人影がやってくる。若い女だ。

ロングヘアの女の、うつむき加減の視界に、電柱の影が入った。

そしてその長い影の端に、異様な形をした塊に長い棒が突き刺さったような影が乗ってるのに気が付く。

彼はとっさに視界を上に向ける。

すると電柱の上に、白シャツに濃緑のスラックスを身に纏い、赤く光を照り返す長大な槍を抱える何者かがうずくまっていた。

「ししししししし」

軋りにも似た音が、彼女の耳に届く。

恐ろしい。でも、動けない。

「ししししししし」

何者かはゆっくりと電柱の上に立ち上がると、小さな跳躍と共に飛び降りた。

そして彼女の目の前に着地し、ゆっくりと膝を伸ばす。

「ししししししし」

唐突に彼は、軋りにも似た音が目の前の何者かの口からもれ出ていることに気が付いた。

と同時に、何者かの吊りあがった口の端、狂気を宿した瞳、そしてかすかに震えるその肩が、その音が笑い声であることを彼に理解させた。

「ししししししし」

右手に握る槍の穂先が持ち上げられ、彼女の頬に近づく。

そして、その鏡のように夕空を映し出す刃が接近し・・・









誰もいない部屋の中、赤い陽光と風を受け、開け放たれた窓にかかるカーテンがはためいていた。

とん、という軽い音の後、ほっそりとした指が窓枠にかかる。

そして、袋か何かを担ぐように若い女を肩に抱え、白銀色の槍を携えた古賀修二、いや、銀が窓から入ってくる。

「ししししし」

銀は笑みを浮かべながら、女を部屋の真ん中に転がした。

女の体には、左頬に横一文字に走った浅い切り傷のほかに外傷はなかった。が、女はまるで死んでいるかのように微動だにしなかった。

銀は槍を床に置くと、シャツのボタンに手を掛け、ひとつひとつ外し始めた。

ボタンが一つ外れるごとに、シャツの下から控えめな乳房と桃色の先端が顔を覗かせる。

続けてスラックスを下ろすと、銀のしなやかな両脚が夕日の中にさらされた。

「ししし」

銀は床に膝をつき、彼女のジーンズのチャックをゆっくりと下ろした。





















すさまじい音と共にドアが蹴破られ、男の声が響く。

「動くな!」

続けて杖やら、剣やらを手にした男達が、玄関をくぐり部屋の中に入り込み、部屋の中央にいる二人を取り囲む。

「逃亡中の器物淫魔、銀だな」

リーダーらしい男が、手にした杖の先端を、とっさに槍を手に取ったシャツとスラックスの女に向けたまま、言葉を続ける。

「このアパートは20人からなる淫魔と魔術師に包囲されている。おとなしく人質を解放し、投降しろ」

「・・・人質、しししし・・・」

槍を手にしたまま、頬を吊り上げてそいつは笑う。

「よかろう、ほれ、受け取れ」

一糸まとわぬ姿で横たわっていた女を抱え上げると、リーダーのほうめがけて投げつけた。

そしてその反動と、床を思い切り蹴ることにより、銀の身体は反対側、つまりは窓のほうへ突き進んでいった。

窓と背中が激突し、ガラスが粉々に砕ける。

背中に刺さるガラス片をものともせず、ベランダのコンクリートを蹴って紫色になりつつある空へ、銀は身を躍らせた。

遅れて、火球が銀のいた場所をに複数発叩き込まれる。

「くそ、全隊に告ぐ!銀は外部に逃亡!」

腰に下げていた通信機を乱暴に手に取ると、そのマイクに向けてリーダーは叫んびつつ、近くの隊員にハンドサインを放った。

「見逃さぬよう追跡を続けろ!それと銀に人質に取られていた女性を保護した、救命部隊をよこせ!!」

隊員たちは、リーダーのハンドサインを受け、玄関から飛び出していった。

すでに日は沈み、残り火のように空を照らしていた陽光も消えつつある。

夜が、始まる。











滞空、着陸跳躍、滞空、着陸跳躍、滞空、

「ししししししし」

民家の屋根を足場に、夜空を跳躍しながら銀は笑った。

こんなに気分がいいのは、ここ数日なるべく人目につかぬよう行動していたため、のびのびと体を動かす機会に恵まれなかったからだ。

魔術師どもの放つ火球はことごとく彼女を外れ、夜空へ消えていく。

先回りしようと、眼下の道路を魔術師どもが右往左往している。

「愉快愉快ししししし」

足首をひねりつつ着地し、跳躍の方向を変える。

銀の進行方向を狙って放たれた空気の塊が、空しく通り過ぎていく。

「しししししし」

何十人もの相手を同時にしているだなんて、どれほどぶりだろうか。

ああ、一刻も早くやつらの血と肉を、我の体で味わいたい・・・!

「ししししし・・・!」

失われて久しい感覚だが、ぞくぞくという快感と興奮が彼女を支配したような気がした。

聳え立つ電柱を蹴り、軌道を変える。

彼女めがけて背後から接近していた火球が通り過ぎていく、

はずだった。

「しし・・・しっ!?」

鋭角的なカーブを描き、火球が軌道を変える。

銀はとっさに、自身の体をひねりつつ、槍で受け止めた。

衝撃と熱と爆風が、彼女を襲う。

数瞬の後、彼女の背中をおそらく民家の屋根が打ちつけ、浅く刺さっていたガラス片が深く食い込む。

「ししし・・・!」

銀は頬を吊り上げたまま飛び起きると、視線を左右にめぐらせた。

(今のは、人間じゃない・・・!)

銀が知る限り、任意に軌道を変えられる攻撃魔術はまだ実現できていないはず。

淫魔であっても、あれほどこちらの動きに敏捷に対応できるような制御が出来る者は、限られている。

(だとすれば・・・)

銀の目に、数軒離れた民家の屋根の上に立つ女の姿が目に入った。

「よぉ、久しぶりじゃねえか、銀」

女は夜風にその長い栗色の髪をなびかせつつ、軽く手を上げた。

「鉄か・・・ひしししし・・・」

銀は相手の名を呼ぶと、軋りのごとき笑い声を、その歯列の奥から漏らした。

「久しぶりだな、本当に本と海栗?しししし・・・!」

「・・・その下んねーダジャレ、相変わらずだな・・・」

「貴様こそ、その帽子は相変わらずだな・・・ししし」

「気に入ってんだから、いーじゃねーか」

テンガロンハットを被りなおしながら、女、鉄が言う。

「ま、ともかくあたしとしては、あんたにおとなしく捕まってもらえると、助かるんだけど?」

「断る」

「だろーね、ひひひ」

鉄は苦笑を漏らしながら、右手を銀に向けた。

親指を立て、人差し指を伸ばし、他の指を曲げた、所謂ピストルの形だ。

「んじゃ、大人しくなってもらいますか」

鉄の指先の空気が揺らぎ、銀が跳躍する。

直後、銀がいた屋根が弾け、破片が宙に舞った。

「ほ、避けやがった」

「当たり前だ」

驚きの声を上げる鉄に、銀は電柱、家屋などを足場に、不規則な軌道を描きつつ接近する。

「この数十年、貴様に勝つ方法ばかり考えてきたからな、ししししし・・・!」

声を上げながら同じ民家の屋根にたどり着くと、銀は自身を水平に構え、姿勢を低くして走り出した。

急接近する銀に指先を向けると、鉄は再び魔術弾を放った。

目の前に迫る火球をぎりぎりまでひきつけると、銀は槍で薙いだ。

刀身に触れた火球が、衝撃に反応し爆散する。

膨れ上がる火炎をものともせず、銀は炎の中を突破し、槍を引いて、突き出した。

しかし、手ごたえはなかった。

「こっちだ、ヒヒヒ」

突き出された穂先の下で、鉄は大きくのけぞるようにして銀の刺突をかわしていた。

「あばよ、銀」

不安定な姿勢のまま照準を調整し、空気を固めた魔力弾を放つ。

魔力弾は消えつつある火炎を突破し、そのままがら空きの銀の腹に向けて突き進んでいく。

「・・・ふんっ」

銀は踏み出しつつあった足を加速させ、強く屋根を蹴った。

反動により銀の体が宙に浮かび、狙いの外れた魔力弾が彼女を掠めていく。

銀の体が、鉄を飛び越えていく。

「はぁっ!」

着地と同時に身をねじり、軌道を変えて接近しつつあった魔力弾を、銀は受け止めた。

圧縮された空気が拡散し、彼女の姿勢をほんの数瞬だけ乱した。

ほんの数瞬、鉄が更にのけぞって左手を足場につき、ブリッジの姿勢のまま魔力弾を放つのに十分な、数瞬だけ。

圧縮され、鋭く針状に整形された空気の塊が、鉄の指先から放たれる。

狙いは、銀の操るボディど真ん中、心臓やら太い血管のある位置だ。

銀の本体である槍は、先ほどの衝撃を受け流しきっておらず、動かせない。

彼女の胴も、姿勢が不安定なためほとんど動かせない。

鋭く尖った、空気の先端が接近する。

「・・・しっ!」

銀はとっさに槍から左手を離すと、大きくひねり背中へ回した。

魔力弾が左手の皮膚を突き破り、貫く。

そしてそのまま、彼女は全力でねじった左手を、振り上げた。

手のひらに半ば突き刺さった状態にあった魔力弾が、左手と共に強制的に移動させられる。

そして、彼女の手のひらを貫通しきって、夜空へと飛んでいった。

「・・・ししししし・・・」

ブリッジをとき、背中を屋根の上についた鉄を見下ろしつつ、銀が笑う。

「六発だ・・・威力や操作性に関わらず、貴様が撃てる弾は、六発だ・・・」

手のひらに開いた穴から、血液を垂れ流しながら、一歩、また一歩と銀が近寄る。

「我は貴様に勝てぬと、魔術師どもは言うが・・・どうだ?しししし」

槍を逆手に構え、両手で持って振り上げる。

「ああ、勝てるね・・・」

屋根の上に仰向けに横たわったまま、鉄は言った。

「『銃は剣よりも強し』、だ」

その言葉と同時に、銀の左腕が、肘の辺りから千切れ飛んだ。





「糞・・・」

伍堂大悟は、相棒たる鉄がいる家屋から二、三百メートルは離れたマンションの屋上に寝そべり、手にしたライフルのスコープを覗き込んでいた。

本当ならば、今の一発で銀の宿主たる女の両腕を破壊し、無力化する予定だったのだが。

(はずしちまったな・・・)

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、薬莢を排出して次の弾を銃身に送り込む。

スコープの中、何が起こったのか理解できていない様子の銀を十字に捉える。

「・・・ふぅっ・・・」

浅く息を吐きながら、大悟は引き金を引いた。





飛来する殺気の塊が、銀の思考を正常に戻した。

とっさに屋根を蹴り跳躍する。

直後、彼女のいた位置めがけて弾丸が飛来し、屋根に突き刺さった。

(鉄は、後だ・・・!)

もうすぐで止めをさせるはずだった仇敵を見逃し、狙撃者から身を隠すべく、家屋から飛び降りる。

「降りてきたぞ!」

距離を置いて待機していたのか、魔術師達が道の左右を挟み、手にした得物を構えた。

銀は着地と同時に駆け出し、進行上にあった塀を斬ると、その向こうに身を躍らせた。

「笹川隊へ!そっちへ向かった!」

『了解!迎撃する!』

背後からの声を聞きながら、民家の庭を駆け抜け、再び塀を斬り裂く。

それを何軒繰り返したろうか。

瓦礫と化した塀が崩れるのも待たず、銀は反対側の道路へ飛び出した。

「おうっ!?」

右半身に、衝撃と熱を受け、銀はアスファルトの上を転がった。

待ち伏せしていた魔術師の一撃を受けたらしい。

「やっと、追い詰めたわよ銀・・・」

魔術師どもに包囲されていくなか、聞き覚えのある声が彼女の耳朶を打つ。

顔を向けると、見知った顔がそこにあった。

「ふん貴様か、小娘・・・」

「小娘じゃなくて、エレジア・テルミドールよ」

エレジアは、攻撃魔術用の術式を練り上げながら、言葉を続けた。

「あなたはもう、完全に包囲されている。それにその腕では、そう遠くまで逃げられないわ」

真っ黒に焦げた右腕と、千切れ飛んでしまった左腕。

もう、先日のように力に任せて遠くへ自身を飛ばすことは出来ないだろう。

「最後の警告よ・・・おとなしく、投降しなさい」

「・・・・・・」

ゆっくりと、銀は無言で身を起こした。

槍を杖代わりに突き、焦げた右足を庇うように立つ。

「・・・今日は、実に楽しかった・・・」

夜空を仰ぎながら、銀は口を開いた。

「我が姉妹たる鉄と、久々に刃を交えたし、意外な一撃も喰らった。この大人数での追いかけっこも、実に愉快であった」

各隊長がハンドサインを下し、魔術師達は無言で、自信の得物に魔力を込め始めた。

「しかし、まだ足りぬ。この大人数相手での、殺し合いがしたい」

銀は左右に首をめぐらせ、魔術師達を一瞥してから続けた。

「お相手願えますかな?ししししし・・・!」

そして、銀が自身の本体たる槍を夜空へ高く掲げると同時に、放たれた無数の火球が彼女を焼いた。

「やった・・・?」

炎の中に崩れていく人影を目にし、誰かが口にする。

「やった・・・」「やったんだ・・・!」「やったぞ!」

水面に波紋が広がるように、興奮が広がっていく。

(平山、篠塚・・・やったよ・・・)

エレジアは、次第に膨れ上がっていく興奮の中、そっと先の戦いで失った二人に告げる。

そして、今目の前で煙を上げている誰かと、その誰かと同じように命を失っていったメアリ・シェーファーの冥福を祈った。

「・・・・・・」

目を開き、視線を上げると、他のチームの隊員が収まりつつある炎に歩み寄っていた。

どうやら銀を回収するつもりらしい。

手にした杖で、死体の手をつつこうと彼が構えた、その時―

炎を上げながら、道路の向こう側からワゴン車が一台突っ込んで来た。

車種と車体の色から『バビロン』の部隊の、それも総指揮を取るアレン隊所属のものであることが分かる。

魔術師達の陣形が乱れ、その間をワゴン車が通り抜けると、急にカーブを描いて傍らの民家の塀に激突した。

煙を上げながら燃え上がるワゴン車の姿に、その場にいる魔術師達から言葉が失われる。

「・・・!アレン隊、応答願います!」

我に帰った通信係の隊員が、通信機のチャンネルを合わせ、声を上げた。

しかし、スピーカーの向こうからはかすかにノイズの混じった沈黙しか帰ってこなかった。

魔術師達の間に、動揺が広がっていく。

「何なんだよ・・・」

死体と槍のそばに歩み寄っていた魔術師が、狼狽のあまり口を開いた。

と、不意に彼の傍らに何者かが着地し、貫き手を深々と彼の首に突き刺した。

「え・・・?」

疑問の声と共に、鮮血が噴き出し、くすぶり続ける死体に降り注いだ。

炎に焼かれ幾分縮んではいるが、それでも腰まであったことを容易く思わせる、長い髪の死体の上に。

















「これをどうぞ・・・」

毛布にくるまれてワゴン車の椅子に座り、がたがたと震えている女に温かいお茶の入ったコップを渡す。

女はコップを受け取ると、ゆっくりと唇につけた。

「・・・もう、大丈夫ですからね」

魔術組織銅の歯車、救命部隊に所属する彼女は、何度目になるかわからない言葉を、つい先ほどまで銀の人質だったという女にかけた。

温かい飲み物と、彼女の柔らかい対応によるものか、女の震えが徐々に治まっていく。

「・・・・・・は・・・・?」

「え?」

救命部隊の車に連れてこられて、ずっと閉ざしていた女の口から何かが漏れる。

「今なんて?」

「やつは、いま・・・?」

銀のことだろうか。

「安心して下さい、もうすぐで犯人は捕まりますから」

女は当たり障りのないことを言っておく。

と、その時、ワゴン車の運転席に置かれた無線機から、雑音交じりの音が漏れ出した。

『こちらテルミドール隊、現在銀は鉄及び伍堂とD−6地区にて交戦中。負傷者発生の恐れがあるため、救命隊は付近にて待機せよ』

近くに停まっていた、救命部隊の別の車が無線を受けて発進した。

「ほら、もうすぐ捕まるみたいですよ?」

「・・・そうか」

女の言葉と同時に、毛布が跳ね上がり彼女の首を女の手が掴んだ。

「あぐっ!?」

とっさの出来事に、混乱する彼女に目を向けながら、毛布に身をくるんでいた、ショートカットの女はにぃ、と口の端を吊り上げた。

「ししししし」





「ししししし」

風呂上り時の姿のように体に巻きつけ、結んだだけの白い布が、返り血に赤く染まっていく。

古賀修二は、そろえた指先を男の首から引き抜くと、屈んで銀に手を伸ばした。

『待ったぞ、我よ』

「待たせたな、我よ」

いまだ熱を保った金属の感触が、しっくりと手の中に納まる。

『さあ、夜はまだ長い』

「我らと、楽しもうぞ」

古賀修二であった男は、銀として高らかに呼応した。







「我らと、楽しもうぞ」

その声と同時に、新たに現れたショートカットの女の姿が掻き消え、最前列で立ちすくんでいた数人の魔術師ののどが裂ける。

「っ!散開だ!距離をとれ!」

ウェシュ隊隊長がとっさに叫ぶが、その間にも犠牲者は増えていく。

横薙ぎに払われた刀身が、ある者の胴をばっさりと切り裂き、放たれた突きが、ある者とその後ろにいた者を貫いて繋げる。

「捕獲器、用意!」

隊長の命令に呼応し、三人の魔術師が杖を向ける。

杖の先端が三つ又に展開し、網状の力場が生成されていく。

「発射っ!」

二人の亡骸をやりにぶら下げたままの銀向けて、力場が放たれる。

「ししっ・・・!」

銀は歯をむき出しながら、二人の亡骸ごと槍を掲げると、飛来する力場に向けて振った。

遠心力により死体が一つ飛んでいき、力場に激突、力場は死体を完全に包み込んで捕獲した。

銀は更に腕を振るい、残るもう一つの死体を飛ばす。

「!!」

魔術師達はとっさに身を伏せてかわすが、背後にいた他の魔術師に死体が激突し、両者ともども砕け散っていった。

「しししし・・・!」

銀が地を蹴り、身を伏せる魔術師の一人を踏みつける。

続けて放った蹴りが、彼の臓器を破裂させ、銀の体を宙に舞い上がらせた。

魔術師達が杖を構え、各々攻撃魔術を放つも、空しく銀の通過したあとを薙いでいく。

「くっ・・・!」

エレジアもまた意識を練り上げ、相手の姿勢を崩すべく速度を重視した風の矢を放つ。

銀は背後から迫りつつある風の矢を察知すると、狙いを定めて槍を投擲した。

重量のある物体を放った反動で狙いが逸れ、風の矢が槍と使い手の間を通り過ぎていく。

そして、槍の軌道の直線上で器具を構えていた魔術師の胸に、鋭い穂先が深々と刺さった。

「がはっ・・・!」

口から、苦鳴と共に血液が溢れだす。

彼は手にしていた器具を取り落とすと、二三歩よろめき、踏みとどまった。

「・・・・・・ししし・・・!」

なおも血液が溢れだす口をゆがめると、彼は己の胸に突き立った槍に手をかけ、一息に引き抜いた。

傷口が広がり、鮮血が噴き出す。

見る見るうちに顔色が土気色になっていくが、彼は構うことなく側にいた仲間の魔術師に、その穂先を突き出した。

目の前で起こる仲間の豹変に気を取られていたのか、彼もまた槍を体で受け止めた。

「・・・ししし・・・!」

崩れ落ちていく槍を構えた同僚を前に、槍を受けた魔術師の頬が吊りあがった。

「と、捕らえろ!」

捕獲器を展開していた魔術師が、己の身に突き刺さった槍を引き抜かんと手をかける仲間に、力場の照準を定めた。

「余所見をするなよ・・・!」

背後からの声と共に、魔術師の胸から指をそろえた貫き手が突き出る。

「我はこっちだ、ししししし・・・!」

使い手は痙攣する魔術師から手を引き抜くと、周囲をぐるりと見渡した。

彼女らを囲む魔術師達の数は、ほんの少し前の半分ほどに減っている。

使い手のすぐ側、胸からようやく槍を引き抜いた魔術師は、頬を吊り上げながら言った。

「こいつも、そう長くは持たないだろうな・・・」

胸に開いた穴から溢れだす血液が、彼の着衣を赤く染めつつある。

「ならば、早いうちに終わらせようぞ」

槍と使い手は、互いに背を向け合い、各々の眼前に立つ魔術師達に目を向けた。

『ししししし・・・!』

そして、二人の銀は魔術師達に躍りかかっていった。







エレジアの思考は完全に停止していた。

人質だと思って保護した女が、今目の前で魔術師から奪った杖を手に、暴れまわっている。

つい先ほどまで同僚として銀を取り囲み、捕獲しようとしていた魔術師が、今向こうの方で銀を手に暴れまわっている。

先の丸まった杖が、易々と魔術師の胴を貫き、引き裂く。

一挙動ごとに吹き出る血液に気を止めることなく、斬撃と刺突、石突の一撃が魔術師達を屠っていく。

攻撃、あるいは反撃のために放たれた魔術は、難なく二者にかわされ、代わりに延長線上に立っていたものに命中する。

気が付くと、エレジアは死体の転がる道路の上に、ただ一人で立っていた。

「ほう・・・貴様が」

「最後か・・・小娘」

両手を染める血液を払いつつ、あるいは血液が漏れ続ける胸の穴を押さえながら、銀は言った。

「お前は、なんと言ったかな・・・そう」

「『あなたは完全に包囲されています』」

「『投降して下さい』・・・だったかな」

「包囲されているのは、どちらかな?」

『ししししししし』

二人に見える一本の槍が、声を合わせて笑う。

「小娘、貴様は見逃してやろうと思うのだが」

「我が狙うのは魔術師どもだけ」

「淫魔たる貴様には」

「何の恨みもない」

「さあ」

「行け」

見逃してもらえる、という甘美な提案に、意思が揺らぐ。

(見逃してもらえる、まだ生き延びられる・・・)

「私は・・・」

足元に横たわり、虚空を眺める元隊員たちに、エレジアは目を向けた。

横たわる彼らの、そして先日散っていった二人の姿が、エレジアの脳裏に浮かび上がる。

「私は・・・逃げない!」

一瞬で意識を練り上げて魔術を描き、魔力を注ぎ込む。

「ゼウフテス・・・」

掲げた両手の先に火球が生じ、見る見るうちに膨れ上がっていく。

「バルカナゴ!」

詠唱の完成に合わせ、太陽を思わせる火の玉がまっすぐに二人のもとへ突き進む。

火の玉の大きさゆえ、左右にかわすことは出来ない。

そして、使い手か銀のいずれかに着弾し、炸裂する。

「!!」

爆音と灼熱がエレジアの耳を聾し、目をくらませる。

轟音により一時的に麻痺した耳と、閃光に灼かれた目からは、深海のごとき沈黙と闇しか感じられない。

『・・・・・・・・・・・・・・』

懸命に耳と目に意識を向けると、何かが見え、何かが聞こえてきた。

『・・・・・・・し・・・・・・・』

爆炎とに蹂躙された道路の真ん中に、二つの人影が立っていた。

『・・・・・・しし・・・・・・』

一つは返り血に染まったシャツとスラックスに身を包む、ショートカットの使い手の姿。

『・・・ししししし・・・』

そしてもう一つは、右手に槍を持ち、胸の穴から血液を流し続ける、同僚だった魔術師の姿。

『しししししししし』

魔術師の右腕は肘から先がなく、二者とエレジアの間を中心にして火球の炸裂跡があった。

『しししししししし!』

使い手と銀が、笑っている。

エレジアの渾身の一撃は、難なく防がれていたのだ。

「あ・・・あ・・・」

膝から力が抜け、アスファルトの上に尻をつく。

バランスを取るために突き出した手が、転がる死体に触れた。

(隊長・・・)

かつての部下だった死体が、虚ろな瞳でエレジアを見上げる。

(逃げれば、よかったのに・・・)

累々と転がる仲間が、同僚が、部下が、口々に言う。

(もう、終わりです・・・)

顔を上げると、銀を携えた魔術師が、血液を垂らしながら歩み寄ってきていた。

「もう、この身体はだめだ」

顔色は青を通り越して土気色となり、腕の断面からも血液はわずかに滴っているだけだ。

「しかし幸い、貴様はほぼ無傷らしいな」

エレジアの目の前で歩みを止めると、その体が大きくよろめく。

「貴様の体、大事に使わせてもらうぞ・・・」

槍の穂先が持ち上がり、エレジアの頬に接近する。

「それではさらばだ、小娘・・・」

鋭い刃がエレジアの肌に触れようとした次の瞬間、衝撃を受けたかのように魔術師の左腕が跳ね、刃が離れていった。

「何・・・!?」

動揺した魔術師の体が二度、三度と大きく揺れ、後ずさっていく。

そして止めとばかりに魔術師の額に穴が一つ穿たれると、彼は仰向けに倒れこみ、動かなくなった。

「おー、待たせたね隊長」

エレジアがゆっくり振り返ると、道路の向こう側、他の道路との十字路に二つの人影があった。

一つは、リボルバーの弾を込めなおしている大柄な男。

もう一つは、テンガロンハットのつばに指先を当て、夜風に栗色の髪をなびかせている女。

「鉄ぇ・・・!」

残っていた使い手が、怒気を孕んだ声で低く女の名を呼んだ。

「わりーね隊長、あたしはそっちにいるバカと違って走り回るのが苦手でね、時間がかかっちまったよ」

「なぜ正直に、『さっき光るまでどこで戦闘しているか分かりませんでした』と言わん」

大悟の言葉に、鉄は不機嫌そうに口を閉ざして、エレジアに向けて歩み寄った。

「ほら、隊長が持っておきな。刃には触るなよ?」

そう言いながら死体の手から銀をもぎ取ると、鉄はエレジアに握らせた。

『小娘ぇ・・・大人しく、我に体をよこせぇ・・・!』

高い女の声が、激しい憎しみを宿してエレジアの耳元で囁く。

しかし、エレジアはその言葉に耳を貸さなかった。

「んじゃ、後はあいつの始末だな」

こちらを睨み付ける使い手に目を向け、鉄が言った。

「それじゃあ大悟、行くよ・・・!」

同時に、鉄と大悟が駆け出す。

鉄は右手をピストルの形に構え、大悟の手には弾を込めなおしたリボルバーが納まっている。

二人は使い手を挟むように左右に別れ、互いに目配せを交わすと、攻撃を始めた。

敏捷性のある術を鉄が放ち、とっさに銀がよける。

よけた先に踏み出された足を狙って、大悟が引き金を引き絞り、銃弾を打ち込む。

銀はよける勢いそのままに側転をし、足めがけて飛来した銃弾をかわした。

そして、足元に転がる死体の一つを掴むと全力で振り上げ、追尾してきた鉄の魔力弾を受け止めた。

直後、死体をかざして盾にし、銀が姿勢を整える。

大悟は死体めがけて銃弾を2発放つが、いずれも当たり所が悪かったせいか、銀を逸れて貫通していった。

「ししっ!」

銀は盾にしていた死体を突き飛ばし、続けて放たれた鉄の弾を受けると、大悟めがけて飛び出す。

迫り来る銀向けて大悟が銃弾を放ち、鉄が動きを止めるべく魔術弾を撃つ。

しかし銀は大悟の弾丸をその卓越した反射神経でかわし、魔力弾を勘でやり過ごしながら、大悟に接近し続ける。

4発、5発、6発。

リボルバーの弾倉が一回転し、弾丸が切れる。

「ししししっ!!」

いち早く無力化した大悟めがけて、銀は右手の指をそろえて大きく引き、貫き手の構えを取った。

「・・・・・・」

大悟は左手を、上着の内側に入れるとそこに吊ってあった物を取り出した。

現れたのは、銃身とストックを切り落としたショットガン。

射程距離を犠牲に、弾丸の散布域を広げた一丁だ。

「!!」

大悟が無造作に向けてきた銃口を目にし、銀はとっさに抜き手の狙いを変えた。

大悟の足元のアスファルト―

引き金が引き絞られ、轟音と共に無数の小さな鉛球がばら撒かれる。

銀の抜き手がアスファルトを穿ち、背中をショットガンから放たれた鉛球がえぐっていく。

「ししっ・・・!」

走る勢いを利用して前転し、大悟の脇を通り過ぎる。

直後、銀めがけて追尾していた魔力弾が、大悟の目の前のアスファルトに激突した。

「・・・」

銃把をスライドさせ、薬莢を排出する。

再び、銀に銃口を向けると、引き金を引いた。

銀は転がりながらショットガンの弾を避け、反動をつけて立ち上がる。

直前まで頭のあった場所に、圧縮された空気の槍が突き刺さった。

「ちっ、外したか・・・」

鉄のぼやきが、銀の耳に届く。

(何発だ・・・?)

銀の思考が回転を始める。

鉄は6発魔力弾を放つと、再装填するまで無力になる。

やつは今までに何発放った?

4発。

(つまり、あと2発受ければ・・・)

「ししし・・・!」

銀は頬を吊り上げ、姿勢を低く構えると鉄めがけて駆け出した。

パートナーとの距離が離れたためか、鉄の指先に威力の高い魔力弾である火の玉が発生し、放たれる。

まっすぐ顔面めがけて飛んできたそれを、銀は左手で振り払った。

激痛と爆風に、銀の体が揺れるが、足は止まらない。

「なっ!?」

驚く鉄が再び火球を放ち、大悟がショットガンの引き金を引く。

放たれた鉛球が、銀の左足に食い込む。

しかし銀は構うことなく、半ば炭化した左手で持って、二発目の火球を受け止めた。

衝撃と熱に、炭化しきった腕が砕け折れる。

(これで、いい・・・)

こちらは左手を失ったが、最大の天敵である鉄を葬り去ることが出来る。

残りの人間と、淫魔の小娘は、右手一本あれば十分だ。

右手の指を揃え、大きく引き、体重を乗せた貫き手を放つべく構える。

「・・・言ったよな・・・」

上着の懐に左手を入れ、鉄が口を開く。

「『銃は剣よりも強し』ってな」

現れた彼女の左手が握っていたのは、先ほど大悟が構えていたのと全く同じショットガン。

切り詰められた銃身が銀に向けられ、銀の目の前に黒き銃口が突きつけられる。

そして、銀の貫き手が鉄めがけて放たれると同時に、銀の顔面を無数の鉛球が襲った。















「・・・・・・」

エレジアは最後の棺に黙祷をささげると、ゆっくり目を開いた。

ここは人界大図書館の遺体安置所。

死亡した魔術師や淫魔の遺体を一時的に安置し、親族のもとへ送ったり、あるいは葬るのに備える場所である。

「・・・・・・」

魔術組織『バビロン』所属の戦闘部隊全10隊のうち4隊、全40名のうち37名と、同行していた救命部隊の6名。

計43名がここで眠っている。

いや、銀の捕獲のために流された血は、先日の分も含めれば軽く50名に上るだろう。

「んで、どーすんの隊長、じゃなくてエレジア?」

エレジアと同じように黙祷をささげていた鉄が、問いを放つ。

「あんた多分、隊長どころか『バビロン』解雇になると思うけど・・・」

「気があるなら『帝国』に来るといい」

黙祷をささげ終えた大悟が、会話に加わる。

「『帝国』では、優秀な人材をいつも求めている。君の努力しだいによっては、すぐに隊長まで上がれるだろう」

「・・・お誘い、ありがとうございます。でも、今回は遠慮しておきます」

遺体安置所の出口に向けて、三人が歩を進める。

「しばらく実家に戻ろうと考えていますので」

「えー、何でさ」

「それは・・・」

言葉を少し切って、エレジアは続けた。

「それは、隊員たちの姿が思い浮かぶから・・・」

「・・・」

「九谷副長も、大川大隊長も皆、私の責任ではないっておっしゃっているけど・・・。

もし、あの時捕まえていれば・・・もし、あの時正体を見抜いていれば・・・って、隊員たちの顔と一緒に考えてしまうんです。

もう、どうしようもないことなのに・・・」

それで、実家に戻って気持ちの整理をつけようと思っているんです、と続けると、彼女は口を閉ざした。

「・・・そうか・・・なら、しゃーねーな」

「もし、気が変わったら、『帝国』に来てくれ。俺たちはいつでも待っている」

「・・・ありがとうございます」

遺体安置所のドアを開き、鉄、大悟の順に出て行く。

エレジアは安置所の外に出ると、振り返って並ぶ棺桶に目を向けた。

「みんな、ごめんなさい・・・そして・・・」

ありがとう

エレジアは小さくそう言うと、ドアを、閉めた。




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