百鬼夜行:弐(焔)
手に持った魔剣を大きく振りかぶり――
「あらよっ――とッ!」
レイアへ投げつけた。
手から離れた魔剣は瞬時に時速200kmを超え、レイアへと迫る。
命中すれば逆転の1撃。
だが、それを許すレイアではなかった。
「それが答えですか、残念です」
指の先に創られた炎の鏃を放つ。
レイアの数歩手前の空間で交差する刃と炎。
普通であれば刃は炎を抜け、レイアを貫いただろう。
しかし鏃を形作るのは、膨大な魔力と緻密な式によって生み出された魔性の火。
質量すら持った炎は容易く魔剣を弾き飛ばした。
レイアの後方の床に突き刺さる魔剣。
一方、炎の鏃は軌道を寸分と変えることなく、ジークの胸を貫いていた。
「結末は呆気なかったですが、なかなか有意義な時間でした。では、さようなら」
爆発するように炎が燃え盛り、ジークの体を飲み込む。
悲鳴や苦悶の叫びを上げる暇すらなかった。
文字通り一瞬。炎はジークの膝から下だけを残し、灰も残さず彼の体を焼き尽くした。
●
「失礼します……て、きゃあ! 何です、これ!?」
指揮車に戻ってくるなり、サナギは高峰に問いかけた。
どうやら椅子に積もった砂と、周囲に飛び散った血痕のことに驚いているようだ。
「隊員に化けていた淫魔を処理したのだ」
「隊員に化けてた! 一体誰に!?」
「クラマだ。どうやら砂の回収のときに入れ代わったらしい」
「そんな……」
愕然とするサナギ。
「そうだ、すぐに救助に――」
「入れ代わっていた淫魔から聞いた。今から救助班を送っても間に合わんだろう」
「………………」
「それより報告しろ、修復は完了したのか?」
「……3分じゃこれが限界でした」
手に持った物を高峰のデスクに置く。
所々擦り切れたようにボロボロだが、大まかな形は分かる。
3、4cm程度の大きさのゴム製リングだ。
「何なんですか、これ?」
サナギが問う。
あまり一般的な道具ではないので、知らないのは当然といえば当然だろう。
「コックバンドだ」
「こっく……ばんど?」
名前を聞いても分からないらしい。まあ、無理もない。
「男性の性器を締め付け、常時勃起させるための性具だ」
ポカンと口を開き呆然とするサナギ。そしてすごい勢いでに赤面する。
「え、ええ、えええぇぇぇぇぇ! な、なななな、なんでそんな物が!?」
「落ち着け、おかげで敵の正体についての確証が持てた」
「て、敵の正体ですか?」
動悸を抑えようと胸に手を当てながら尋ねる。
赤く染まった頬と相まって実に可愛らしい動作だが、残念ながらこの場に『萌え』の概念が分かる人間は居なかった。
サナギの問いに、高峰は確信を持って答える。
「ああ、一見奴らは多種多様な淫魔の群れに見えるが、実際は違う。
奴らは全員同種の淫魔――魂を持った器物、付喪神だ」
●
「なッ!」
目の前で起こる信じ難い光景に、レイアは瞠目し立ち尽くすしかなかった。
「ヒャハハ、ハハハ――ヒャーーーーーーハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
燃え盛る炎の中から響く、耳障りな笑い声。
それは紛れもなく、灰も残さず燃え尽きたはずの男――ジークの声であった。
「さ、再生能力!? しかも、なんて速度なの!!」
レイアが取り乱したように叫ぶのも無理はない。
燃え残った膝下を基点に骨、臓器、神経、血管、筋肉、皮膚の順に肉体を再構築し、装飾品まで元通り復元。
しかもその工程は1秒以内――文字通り瞬く間に行われたのだ!
即死状態からの蘇生と、驚異的な再生速度。
魔族の中でもこれほどの再生能力を持つ者は見たことがない。
「再生能力? 違う違う、俺様の能力がそんなちんけなモンなわけないないだろ?
俺様の能力は再生、蘇生、任意での装備品の復元、不老。全ての能力を併せた最上位の回復能力――『不死』だ。
何があろうと死ぬことは無いぜ。もっとも――」
言いながら、顔を覆うゴーグルをいじり……舌打ちしながら外すと、後方の炎の中に投げ捨てた。
ゴーグルの下から現れた双眸。
狂気に侵された眼光は、飢えた獣さながらあった。
「復元能力の精度はイマイチでな。精密機械とかになると完璧アウトなんだわ」
ぼやくジークを他所に、レイアはひたすら驚愕するしかなかった。
「そんな出鱈目な能力が……、では今までの人間離れした動きは一体……?」
レイアの言葉に、ジークはニヤリと笑う。
「人間ってのは本来の力の7割程度しか出せないようにリミッターが掛けられてんだが、何でか分かるか?」
「自らの体を破壊しないためですね、人間の体は脆く出来ていますから。しかしそれと何の関係が――」
そこで気が付いた。
この男にリミッターなど必要なものか。
「そう、俺様にそんなもん必要ねぇッ!」
炎の壁に怯むことなく、レイアへと飛び掛る。
「一歩進むごとに筋肉が引き千切れようが、骨が砕けようが関係ない!」
当然、炎が全身に燃え移るが、ジークは構うことなく前進した。
人間を1秒で灰にする業火も、この男の再生速度には到底敵わないのだ。
「テメェら淫魔を皆殺しにするまで、俺様には絶対に死なねぇ覚悟があるんでなぁッ!!」
一瞬で間合いへと踏み込んだジーク。
その時レイアは確かに見た。
ジークの瞳の中――狂気の奥底に潜む確かな怒りを。
「ひぃッ!」
全力で後方へ跳ぶ。
さっきまでの動きとは明らかに違う、死を逃れるためだけの回避行動。
しかしそれが幸いした。
ジークの放った掌底をギリギリのところで避け、無事に間合いの外へ逃れることができたのだ。
「くッ! “我が弓に炎燐の矢を番えん”!」
すかさずレイアの口から呪文が紡がれる。
今まで呪文を必要としていなかったことを見るに、おそらく次の攻撃が彼女の全力なのだろう。
先ほどジークを焼き尽くした鏃と同様のものが、レイアの周囲に現れる。
その数40。
「ほお、こりゃ凄ぇ術だ! 建物ごと俺様を吹き飛ばすつもり?」
「ええ、正直貴方を殺せる自信はありませんが、これなら時間稼ぎぐらいにはなるでしょう?」
「そうだな、さすがの俺様も全身焼き尽くされちゃ、再生に2秒は掛かる。お前1人逃げるには十分だろ?」
「そうですわね、それを聞いて安心しました。では……さようなら」
鏃が放たれる。
術の制御に力を注いでいるせいか、鏃の速度が先ほどよりもかなり遅い。
しかし数が膨大だ。避けきることはさすがに無理だろう。
第一、警察署エリアにまだ術式を設置していない今、大人しく建物ごと吹き飛ばされてやるわけにはいかない。
「ちょっとばかり勿体ねぇが――その術、破らせてもらうぜ」
目の前の突き刺さった魔剣を引き抜き、逆手に持ち替える。
ゴウ!
魔剣が歓喜の叫びを上げ、黒い炎を吐き出す。
先ほどのように手加減する必要はない。
猛烈な勢いで炎を吐き出された炎は、次第にある形へと収束していく。
「貪り喰らえ――“ゲリ・フレキ(飢え渇きし黒狼)”」
ジークの叫びと共に収束が終わる。
収束が行われた先に、その姿はあった。
黒い炎で形成された2頭の狼が。
「本体は最後だ。まずはあの鏃を喰い尽くせ」
ジークの命令に従い、2頭は競うように駆け出すと、手当り次第に鏃に喰らいた。
鏃は何かに当たれば、爆発的に燃え上がるよう構成されている。
だが、鏃は1つとして燃え上がることなく、丸呑みにされるように次々と口腔へ消えていく。
「なッ、こ、これは!?」
驚愕するレイア。
術を制御していた彼女には、その理由がすぐに分かったのだ。
狼達を形作っている黒い炎、あれは……自分の術を解呪した上で、魔力そのものを喰らっている。
そして喰われた魔力の行き着く先、それはジークの持つ剣の鍔に埋め込まれた赤い宝石であった。
鏃が喰われる度に妖しく輝く宝石。
その咀嚼を思わせる不気味さに、レイアは総毛立った。
「こりゃ上質な魔力だな。よし、じゃあ礼としてこいつのことを教えてやろう」
ジークが見せびらかすように魔剣を掲げる。
「呪装兵器、4108『ダーインスレイヴ』――能力は黒炎による魔力と魂の捕食。
幾百の魔族を殺した剣を打ち直し、地獄の第3圏“暴食獄”から流れ着いた魔石を埋め込んだ正真正銘の魔剣だぜ」
言い終えると同時に、最後の鏃が呑み込まれる。
もはや勝ち目など無い。すでにレイアの戦意は尽きていた。
「くッ!」
背を向け、脱兎の如く逃げ出すレイア。
その姿は先ほど自ら処分した淫魔達とまったく同じであった。
「ヒャハハ、いいぞ、逃げろ逃ゲろ逃げロ逃ゲロ逃ゲロニゲロッ! ヒャハ、ヒャハハ、ヒャーーハハハハハ!!」
狼を構成していた黒炎が解け、渦巻くようにして魔剣へ絡み付く。
それに合わせ、ジークも構えをとる。
深く腰を落とした構え。それは先ほどレイアに殺させた淫魔達に向けたものと同じであった。
違う点は1つ。
今度は邪魔が入ることなく、獲物を喰い尽せるということ。
「喰らい尽くせ――“ストームブリンガー(暴食の黒刃)”」
地を這い、切り上げるように魔剣が振るわれる。
「え?」
呆然とした呟き。それが彼女の最後の言葉となった。
レイアの体が左肩から右脇腹にかけて両断され、宙を舞っていたのだ。
斬られた彼女自身、自分を両断したのが魔剣から放たれた刃状の黒炎だったことに気付かないほど迅速な一撃。
避ける暇などあるはずなかった。
斬られた断面から、黒炎が燃え上がる。
上半身が地面に落ちる頃には、レイアの体はまるで松明のように黒炎に包まれていた。
熱くはない。
変わりに魂と魔力が急速に奪われていく不快感だけがあった。
「テメェは運が悪かった」
いつの間にか目の前に来ていたジークが、ゆっくりと魔剣を振り上げながら言う。
「俺様より強い奴らと戦えりゃあ、こんな怖い思いする暇も無く殺してもらえたのによ」
今日何度目か分からない驚愕。
上級淫魔クラスの能力を持つ自分が手も足も出なかったというのに、さらに強い人間が仲間に居るというのか!?
「ん、疑ってんの? けど本当だぜ、俺様は言わば最高の“防御力”の持ち主だ。
同じSランク指定者の中じゃあ、交戦力は最弱なのよ。何とも情けない話だよ……なぁッ!?」
魔剣が振り下ろされる。
魔喰いの刃は過たずレイアの首を断ち切り、この戦いの幕を下ろした。
●
「うげ、ヤベェな」
警察署の屋上にて、ジークは唸った。
術式を描くための特殊な木炭、それが先ほどの戦闘で見事に砕けていたのだ。
これでは術式が描けないし、砕けてから時間が経ってしまったため、ジークの能力では復元できない。
「さーて、どうしたもんかな」
本陣に戻って代わりを貰ってくるのは時間が掛かりすぎるし、何より面倒だ。
何か良い手はないか。
そう考えながら、ジークは無造作に魔剣を抜き、背後へと一閃した。
ギン、という高い音と鈍い衝撃。
魔剣が振られた先、いつの間にか来たのか、そこには1人の少女がいた。
腰まである鮮やかな黒髪。
紅く輝く魔眼。
セーラー服に似た衣装とは不釣合いな、真紅の柄の日本刀。
クオーターの吸血鬼にしてCランク指定者、“クキ”である。
「相変わらずね。出会い頭に斬りつけるのはいい加減止めて欲しいんだけど」
日本刀――『紅姫(べにひめ)』でダーインスレイヴを払いのける。
「悪ぃな、吸血鬼の気配を感じると、つい我慢できなくなっちまうんだ。これからも気を付けてちょーだい」
悪びれた様子のないジークに、クキはさも呆れたように肩をすくめ、手に持った物を投げ渡した。
「司令からよ」
一見、黒いクレヨンのような物体、それは術式を描くための木炭であった。
どうやらこの展開を予想していたようだ。
「あと、騒ぎに気付いて逃げ出した淫魔が3匹ほどいたから、始末しておいたわ。
いくら“ククリ”から貰った結界符があるとはいえ、もっとスマートに片付けてよね」
「りょーかい。で、話しはそれで終わり? 終わりだったらさっさと消えてくんない?
俺様が吸血鬼嫌いなの知ってるだろ? そろそろ我慢の限界なんだよな」
魔剣を握る手に必要以上に力が篭っている。
どうやら本当に限界のようだ、また斬りかかられる前に退散するのが得策だろう。
「……わかったわ。さようなら」
不機嫌に言うと、クキの体が白い粒子へと変わり始めた。
霧化――ヴァンパイアの血を引くクキの能力の1つである。
再びジーク1人となった後、ジークは木炭を床に這わせ、素早く術式を描いた。
幾何学的な紋様と文字の並ぶ魔方陣。
それは広範囲を包む結界の最後の基点であった。
村を囲む形で、計18個の術式の設置。
この時を持って、この村に巣くった淫魔を殲滅する準備が整った。
後は結界の起点に霊力を注ぎ淫魔たちを村に閉じ込め、総力を持ってそれを殲滅するのみ。
ヴァンピールの誰もがそう思っていた。
この時までは――
●
灯篭の明かりが照らす、薄暗く部屋。
村を襲った淫魔達が“本殿”と呼ぶ場所に、3人の淫魔が集まっていた。
「警察署にてレイアが討たれました。どうやら人間達の結界の準備が整ったようです」
その内の1人が手に持った水晶球に目を落としながら呟く。
「人間にしてはそれなりに早いわね。ヴァンピールだったかしら? ただの凡夫の集まりではないようね」
もう1人の淫魔が悠然とした口調で応える。
その言葉の端々には、人間に対する本能的な優越感と侮蔑が見て取れた。
「それにしても、愚鈍な人間相手にここまで回りくどいことをする意味は本当にあるんですか?」
最後の1人へ問いかける。
本殿の奥。最も上座に位置する場所にその淫魔は居た。
数房の金髪が交じった黒髪。
金色の魔眼。
長襦袢のような露出度の高い和服を着た、凹凸のある体。
艶然とした微笑。
そして――その周囲を覆う、金色の瘴気。
彼女こそ事件の首謀者であり、村を襲った全ての淫魔の創造主であった。
「ええ、もちろんありますとも。私の望みを叶えるために不可欠なことですから」
「……では最後に1つ、この件が成功した暁には、本当に貴女の陣営を抜けてもいいのですか?」
「ふふ、随分と疑り深いのね。もしかして貴女の中に入れた蟲のこと、まだ根に持っているのかしら?」
「それは……納得しました。無粋な蟲ですが役には立ちます。この件に関しても、そして私の望みに対しても。
それよりも、答えを聞かせてください」
その問いに、上座の淫魔は再度微笑を浮かべ――しっかりと頷いた。
「ええ、約束しましょう。この件が片付いた後、一切貴女を拘束しません」
「……わかりました。では私も術式の準備に取り掛かります」
ザワ、という音が鳴ったかと思うと、淫魔の体が形を崩し、ボロボロとこぼれ落ち始めた。
続いて響く、無数の羽音と床を這いずる音。
淫魔が本殿を出て行ったのだ。
「では、私も出ます」
先ほど水晶球を持っていた淫魔も水晶球を置き、自らの武器を手に取っていた。
か細い手に握られた得物。それは淫魔達が忌み嫌う近代兵器――銃であった。
M4カービン。
軍隊でも使用されているこのライフルこそが、彼女の最も得意とする武器なのだ。
弾倉に弾を込め、2人目の淫魔も本殿を出て行く。
そして残された上座の淫魔は考える。
――果たしてあの2人は生き残れるだろうか?
2人の己が望み叶えようとする執念の凄まじさは知っている。
だが、相手も異端の集まり。
力の形が様々であれば、望みの形も様々。彼女らの望みさえ飲み込む、野望を持った者もいるであろう。
2人は確かに強い。だが相手の力量も計り知れない。
下手をすると主力の手駒を失いかねない状況。しかし、淫魔の口元に浮かんだ微笑は微塵も揺らぐことはなかった。
なぜなら――
「頑張ってらっしゃい。貴女達が精を貪り喰らった後に討たれる。
それが私にとって最も望ましい結末なのだから」
続く
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