ヒトニザメ 三




人界大図書館は、地球上のどこにも存在していない。

人界大図書館は、淫魔界のどこにも存在していない。



灰色の、コンクリート打ちっぱなしの廊下を、点々と蛍光灯が照らし出している。

廊下の壁にはいくつものドアが並び、その一つ一つに『3-1A』や『3-1B』などの表札が掲げてあった。

そして並ぶドアのうちの一つ、『3-1D』室のドアが開け放たれ、部屋の内部をあらわにしていた。

コンクリートむき出しの床の中央に置かれた大きな机には、インド洋を映した海図が広げられ、その上に色とりどりの画鋲が刺されていた。

数人の男女が、部屋の中を忙しく動き回っている。

ある者は壁際に置かれた電話に向かい、何事かを伝え、ある者は分厚い紙束をめくりながら、何事かを手元の紙に書き写していた。

多くの者が忙しく立ち回っている中、部屋の隅に置かれた机に向かい、じっと座っている二人の男がいた。

ダークグリーンのスーツを身にまとった、髪の長い二十台半ばほどの男と、グレーのスーツを身にまとった四十台ほどの男だった。



『あー、こちらシダーミル号捜索隊、船内の捜索終わりましたので本部応答願います、どーぞ』



机の上におかれたスピーカーから、ノイズ混じりのくぐもった声が吐き出される。



「こちら本部、船内の状態について報告せよ」



グレーのスーツの男は事務的に短く言った。



『船内には乗組員の姿が無く、操舵室の床板等、破壊されている箇所がいくつか存在します。しかし積荷や船体事態には大きな損傷等は見られませんでした。以上、報告終わります。』



「了解、捜索隊はそのままシダーミル号の操縦・管理を継続、予定の港へ入港するように」



『了解』



破裂音とともにノイズが消え、通信が終了した。



「これでもう22件目です」



スチール製の事務椅子を回転させ、隣の椅子に座る男に言う。



「乗組員全員がいなくなる、というのは初めてですが・・・」

「現在の対策はどうなっていますか?」



ダークグリーンのスーツの男が、口を開いた。

「とりあえず各国に、『インド洋近辺に船を狙った武装略奪団が出没している』という通知は回し、手の空いている魔術師を船舶に乗せています。

それとつい先ほど、インド洋に在住している水生淫魔の中から、容疑者と思われるものを特定しました」

「大図書館所属の淫魔も警備につけてください」

「は、はぁ・・・では、『銅の歯車』の者に・・・」

「お願いします。

それと、容疑者と思われる水生淫魔の調査書を」

「あ、こちらです」



差し出された十枚程度の紙束に、男は軽く目を通す。



「なるほど・・・」

「いかがいたしましょうか?」

「とりあえず、『帝国』のメンバーをいつでも動けるように待機させておいて下さい。それと、同調探査機の使用許可を出しておきますので、インド洋を囲むように基準機の設置もお願いします」

「ど、同調探査機!?」



通常使用が禁止されている、魔術器具の使用許可に中年の男が目を剥く。



「何を驚いているのですか、非常事態ですよ」

「し、しかし・・・」

「それと、少々私は外出します」



男は椅子から立ち上がり、部屋の出入り口へと進んでいった。



「あ、九谷様、どちらへ?」



ダークグリーンのスーツの男、九谷は振り返らずに答えた。



「海を統べる淫魔、『竜神神楽 乙姫』の元へです」











簡易ベッドに小さなサイドテーブル、ジャケットを掛けられた椅子に床の上で口を開いている旅行カバン。



「あーあ、ひまだ」



男はベッドに横たわり、波に揺れる天井の電球を眺めながら、あくびを一つした。

暇だとは言っても、荷物の整理をする気にはなれず、持ってきた本は呼んで楽しむようなものではない。

床に置かれた旅行カバンからは、着替えや日用品とともに得体の知れない器具がいくつか覗き、ベッドの枕元に放り出された本には、記号と図形だけが羅列していた。

荷物を見れば分かるように、男は魔術師、それも世界最大規模の魔術組織、『銅の歯車』に所属する魔術師である。

彼はここ数日、『銅の歯車』の事務上の手続きの必要性から、アフリカに彼は出張していたのだ(魔術師といえども、出張することだってある)。

アフリカ出張が終わり、帰ろうと荷物をまとめていた矢先に上司から連絡が入った。



『エジプト出張のついでに、日本行きの貨物船の護衛についてくれ』



魔術師である以前に、一介の勤め人でしかない彼には拒否することは出来ない。

そして船がエジプトの港を出て五日目、男にはもはや寝て起きて食う以外にやることはなくなっていた。



「ふぁぁふ・・・」



本日十数度目のあくびをし、頭を掻いて、屁を放つ。

フリーダム。



「あ、索敵しとかねえと・・・」



固いベッドから上体を起こし、サイドテーブルに置かれた物体に目をやる。

そこには、複雑な図形の描かれたハンカチほどの大きさの布の上に、錘を糸で吊った小さなやぐらのような物があった。

これは一種の魔力検知器で、生きている淫魔が、無意識のうちに放っている魔力に反応するものだ。

彼の視線の先で、検知器の錘は回転していた。

すさまじい速度で、ぐるぐるぐるぐると。



「マジか!?」



大声を上げながらベッドから飛び降り、椅子に掛けてあったジャケットを羽織る。

旅行カバンから覗く奇妙な形の器具を取り、ベルトの間やジャケットのポケットにねじ込んだ。

ドアノブに手を掛け、力任せに開く。

ドアの前を歩いた船員が一瞬ひるむ。



「緊急事態だ!甲板の連中を中に入れて、無電で本部に連絡しろ!」



早口で言いつけ、その側を彼は駆けていった。

走りながらジャケットの裏ポケットから、懐中時計めいた形状の器具を取り出す。

盤面に針は一本しかなく、なおかつ反時計回りに回転していた。



(回遊中か・・・)



階段を一段飛びに上り、甲板へあがる。



「全員中へ入れぇっ!!」



声を上げると、なにやら作業をしていた船員たちが、慌てて手近なところから船内に入っていった。

彼は甲板の手すりに駆け寄り、手のひらの中の探知器に目を落とした。

針が十二時の方向を通り過ぎるのに合わせ、海面をなにやら大きな影が通り過ぎていく。



「見つけた・・・!」



低くつぶやき、手すりから身を離す。

そして懐から黒のマーカーを取り出し、甲板にしゃがみこんだ。







数分後、巨大な鮫が盛大な水しぶきを上げながら、海面から甲板へと躍り上がった。

頭部を左右に振り、注意深く辺りを窺う。

救命ボートに、小型コンテナに、バケツにモップ。



「あら・・・?」



鋭い歯列の間から、高い女の声が漏れる。



(おかしいわね・・・人の気配がないわ・・・)



今までに蓄えた魔力により、えらの一部を肺に変化させているため、数分程度ならば空気中にもいられる。

予定では甲板に躍り上がった後、見張りをしている適当な船員に食いつき、海まで引きずりこむはずだった。

しかし誰も見当たらないのならば、適当な窓をぶち破ってから船内に侵入するしかない。



「仕方ないわね・・・」



胸鰭と尾びれを操り、身をくねらせながら方向を変えようとした、そのときだった。



「たうすふぇる!いしゅふぇる!ばるか・ねぇご!」



男の声が鮫の耳に入ると同時に、甲板の、彼女のいる一角から光が溢れ出した。

そして幾本ものロープが甲板から伸び、彼女の体に巻きついていく。



「え・・・!?」



驚きの声を上げるまもなく、彼女は船上に固定されていた。



「これはっ!?」



視線を下に向けると、甲板上に、ちょうど彼女の体が納まるほどの大きさの、複雑な図形を内包した円が描いてあり、その円周上からロープが『生えて』いた。

さらに円周の一部から直線が伸び、甲板の片隅に置かれている、救命ボートの防水布の下へと続いていた。



「捕らえたぞ・・・人似鮫」



防水布が持ち上がり、その下から男が姿を現す。

どこにでもいそうな格好の青年ではあるが、その手に、ベルトの隙間に、ジャケットのポケットにある奇妙な形状の器具が、彼の身分を物語っていた。



「ま、魔術師・・・!」

「最近インド洋で、船舶の襲撃事件が増えたと聞いていたが、原因はお前か・・・?」

「襲撃事件?さあ、何のことでしょうか?」



彼女は魔術師の言葉に耳を傾けつつ、自身を拘束する縄を千切ろうと身をくねらせる。



「やめておきな」



魔術師が彼女の動きに感づいたのか、口を開く。



「そいつは力じゃ切れねえよ」

「力じゃ、無理なのですね・・・」



諦めを含んだ呟きが歯列の間から漏れ、鮫の体から力が抜けた。



「だったら・・・『ゼウエル ダウ デファナゴ』!」



ぶちぶちぶち!!



叫びとともに彼女の両胸鰭が、先端から五股に裂けた。

断面から血液が噴出するが、すぐさま傷口がふさがり、出血が収まる。

その間にも、彼女の両鰭は骨格のきしむ音と、皮膚が裂け、再生する音を立てながら変形していく。五つに裂けた鰭の先端を突き破り、鋭い突起が顔を出す。



「!?」



何が起こったのか、何をしようとしているのか男はようやく悟った。

鮫の胸鰭の位置から生えていたのは、腕だった。

鋭い爪を生やした、二本の腕。

彼女は新たに生えた腕を操り、生えそろった爪を甲板に、己を縛る魔術回路にあてた。

そして、甲板ごと魔術回路の一部を削り取った。



「しまった・・・!」



男の見ている前で、鮫を拘束する縄が消滅していく。



(隠れねえと!)



ここは退き、体勢を立て直して次の魔術の準備をしなければ・・・!



「逃がしませんよ」



背後からの声に彼が顔を向けようとした瞬間、すさまじい衝撃が彼を襲った。

そして手すりを破壊する轟音と、巨大な水音が響いた。











いつの間にか周囲が生温かった。

目を閉じていることに気が付き、目を開く。

暗い。何も見えない。



「ぐ・・・」



舌がしびれ、耳鳴りにあわせて脳が収縮するような感覚を堪えつつ、彼は身を起こした。



「・・・ん?」



手のひらから、異様な柔らかさを感じ、彼は疑問符を浮かべた。

それどころか尻も柔らかい、足の裏も柔らかい。

つまりは全裸。なぜ?



「気が付きました?」



闇の中から、女の高い声が響く。

聞き覚えのある、女の―



「・・・!」



思い出した。

とっさに腰に手を伸ばすが、何も身につけていないため、手は虚空を掴むばかりだった。器具がなければ、今の彼は常人と同じだ。



「縄で縛ったりして、痛かったですよ」



幼子をたしなめる様な口調で人似鮫が言う。



「それに自分の意思通りに動けない、というのはいやなものなのですよ?こんな風に」



彼女の言葉に合わせるように、彼が尻を下ろしている粘膜が波打つ。

そして粘膜が盛り上がり、彼の手足を掴んで、強引に広げた。



「うおっ!」



生温かい粘膜が背中に触れ、ちょうど磔にされたような姿勢になった。



「どんな気分ですか?うふふ」

「なかなかいい気分だよ、代わってみるか?」



人似鮫の問いかけに、軽口で応じる。



「いいえ結構、さっき体験しましたから」

「なら撤回だ、放せ」

「だめですよ。それに」



微かな間を挟み、彼女が続ける。



「本当は気持ちいいんじゃないですか?」



蠢く粘膜に手足を押さえられ、背中を押し付けられていたせいで、彼のペニスは半分ほど勃起していた。



「仮に気持ちよくなかったとしても、よくしてあげますよ」



声の源がペニスの付近へと移動し、暖かい空気の流れがむき出しの亀頭を撫でた。



「それでは・・・」



ちゅ・・・



「・・・うっ・・・」



つぅっ、と裏筋を、湿った柔らかい物、おそらく舌がなぞりあげていく。

むずがゆい感触に彼は声を上げそうになったが、どうにか噛み殺す。



「うふふ・・・」



闇の中に彼女の笑みが響き、ペニスの裏筋を舌が、二度、三度と繰り返し撫で上げていく。



ちゅ・・・ぷちゅ・・・



「・・・ぐっ・・・くっ・・・」



声を堪えるが、一なぞりごとに硬さと大きさを増していくペニスが、彼の心地を示していた。



「あれぇ?おかしいですねぇ、声をほとんど出さないなんて、気持ちよくないんですかぁ?」



ちゅぷ・・・ちゅ・・・



「ぅぐっ・・・!」



彼女の言葉とともに、亀頭をちろちろと舌が刺激する。

彼の全身に力がこもり、身体が跳ねそうになるが、彼を拘束する粘膜はそれを許さなかった。



「なら、これならどうでしょう?」



ぷぢゅ・・・



亀頭に、裏筋に、幹に、玉に、新たな舌が当てられる。

そしてそれらがいっせいに蠢き始めた。



ぢゅぷ・・・ぢゅぷ・・・

ぢゅぷぢゅぷぢゅぷ・・・!



「・・・!うおっ!おおっ!!」



裏筋と幹を二本の舌が上下に撫で、カリ首をぐるぐると舌がなぞる。

鈴口の割れ目を舌の先端がくすぐり、玉に巻きついた舌が二つの睾丸を転がし、弄ぶ。

生殖器にいっせいに与えられた刺激に、彼は耐えきれず声を上げていた。



「あら、急に素直になりましたね」



大して意外でもなさそうな口調で、彼女がつぶやく。



「じゃあ、こうしたらどうなるんでしょう」



カリ首と幹と裏筋を刺激していた舌が、その動きを止めてペニスに巻きつき、亀頭の先端以外を覆った。

そしてペニス全体を締め上げ、上下に扱き始めた。



ぢゅぽっ!ぢゅぽっ!ぢゅぽっ!



「ぐぁああああっ!!」



突然変わった刺激の感触に、彼は全身をのけぞらせつつ叫んでいた。



「あれぇ、もしかして痛いんですかぁ?」



痛みはない。

舌の表面から分泌された粘液により、舌の上下運動はスムーズに行われている。

しかし、そのことが彼に悲鳴にも似た声を上げさせる原因になっていた。

粘液を通して、微かにざらついた舌の表面が、ペニス全体を撫で、強い刺激を与える。

一扱きごとに快感が蓄積され、彼を追い込んでいく。



「うん?何だかびくびくしてきましたよ?」



脈打ち始めたペニスに、彼女が声を上げる。



(もう、だめだ・・・!)



限界はすぐに訪れた。

ペニスが大きく脈打ち、尿道を精液が駆け上っていく。

鈴口が大きく開き、爽やかな開放感とともに精液が噴出していった。



ぶしゅん どくん どくん どくん・・・



噴出は一度に留まらず、二度三度、と少しずつ勢いを失いながら繰り返し噴出していく。



「うふふ、あんなに嫌そうにしてたのに、こんなに出して・・・」



射精が収まると、人似鮫はかすかな笑みを含んだ言葉とともに、舌をペニスから解いた。



「魔術師、というから少しは手強い相手かと思ったんですけどね」



続く嘲りの言葉に、彼は答えなかった。

つい先ほどまで与えられていた快感と、射精の余韻によって、彼の意識は半ば朦朧としていた。

しかし、理由はそれだけではない。

人似鮫の体内の粘膜によって拘束された右手の、その指先に触れるものがあった。

細く、硬く、冷たい感触を伝える物体。

少なくとも人似鮫、いや、生物の体の一部などではない。

だとすればこれは―



(魔術器具・・・!)



彼が人似鮫に飲み込まれたとき、服と一緒に奪われた魔術器具のうちの一つだ。

霞がかっていた思考が、指先の冷たい感触を足がかりに、次第に明瞭になっていく。



「さて、次はどんな風にしてあげましょうか?

さっきの舌で全身を舐めまわしましょうか?」



彼が完全に脱力しきっていると思ったのか、人似鮫の粘膜の締め付けはそこまで強くない。

全力を振り絞れば、拘束を抜けて器具を手にすることができるはず。



「そのまま粘膜で体を包んで、粘液と一緒にマッサージしてあげましょうか?

それとも―」



一呼吸はさんで、彼女は続けた。



「このまま食べて差し上げましょうか?」



人似鮫の言葉に、彼は



「ぁあああああああっ!!」



叫びとともに全身をねじり、粘膜の拘束からほんの少しの余裕を作り出す。

ほんの少しだけの、右手を伸ばして器具を手にするだけの余裕を。



「え?」



驚きの声を彼女が上げる間に、彼は器具を掴んでいた。

太さ1センチ、全長15センチの棒状の、ペンに似た外見の器具だ。



(これで・・・!)



逆手に持ち替え、手首の力で先端を粘膜に突き刺す。



「痛っ!」



鋭い痛みに彼女が声を出す。

しかし、彼はその声を全く聞いていなかった。



(・・・)



全身にまとわりつき身体を拘束する粘膜の感覚、人似鮫の体内の匂い、人似鮫の出す声と音、股間に残るかすかなむずがゆさ。

外界からの刺激を一切遮断し、手に握った器具の感覚だけに集中する。



(山岳 小麦 崩れる塔)



脳裏に単語が浮かび上がる。



(鎖 竜巻 朽ち行く海原)



イメージを伴わない、無意味な単語の羅列が連鎖的に生じては消えていく。



(帝国 歯車 緑の仔馬

浮かぶ 赤 白の七色 食べない硬さ)



一言一言が重なるにつれ、脳が『造り上げ』られていく。



(スアサの庭園 マアスに走る ぞぞすのゼダナ

まが マガ マガガ 突破口)



そして、彼は叫んだ。



「でぃしでぃし!あいん!ばるか!ねぇご!!」



積み上げられた単語の群れが、彼の発声による喉への刺激が、耳に入った彼自身の声が、彼の脳を通常では到達できない領域に引き上げる。

与えられたわずかな時間の間に、彼がもちうるわずかな魔力がかき集められ、手のひらから器具へと注ぎ込まれた。

器具の塗装の下に描かれた、直線と曲線、円と多角形から成る魔術回路を、魔力が駆け巡る。

直進が、分岐が、合流が、蛇行が、ただの無力な魔力に力を与え、魔術を成す。

そして魔術によって生成された力場が、器具内に格納されていた物体を撃ちだした。



「くぅっ!」



続けて発生した痛みに、人似鮫がうめき声を上げた。



みしみしみし・・・!



「っ!?がはぁっ!!」



彼の全身を拘束する粘膜に力が加わり、彼の全身を締め上げた。

骨がきしむほどの力に耐え切れず、彼は声を上げながら器具から手を離していた。



「・・・よくも・・・」



うめき声にまぎれるようにして、闇の中から声が響く。



「ただの人間の癖に、あたしの獲物の癖に、あたしに刃向って・・・」



「あが・・・がっ・・・!」



めぎ・・・!みしみし・・・!



粘膜による圧迫は止まることなく加えられ、彼の肺から生体を震わせながら空気を搾り出していく。



「弄んでから、食べてやる・・・!」



べぎっ



「っかはっ・・・!」



胸郭から骨の折れる音が響き、もはや何の意味も持たない悲鳴を彼はあげた。



「・・・!」



不意にその大きく開いた彼の口が、人間の唇にも似た何かに塞がれた。

唇を押し開き、前歯をこじ開けて舌が口腔に差し込まれる。

そして強烈な甘みのする液体が、彼の口腔へと注ぎ込まれた。

舌と喉が反応し、反射的に液体を飲み下す。

液体は彼の喉を滑り落ちていき、体組織に吸収されていく。



「飲みましたね?」



興奮に震えた声で、人似鮫が言う。



「魔術師のあなたなら知ってると思いますけど、今のは『淫魔の体液』です」



淫魔の体液。

それは世界に生息する淫魔と、その亜種や近隣種が体内で生成できる分泌物のことだ。

香りや色、粘性などは千差万別だが、その効能はおおむね次の3つに分けられる。

長時間の連続性行為を可能とする強壮効果。

風の一撫ででも快感を産み出させる神経過敏化。

そして、理性的な思考を麻痺させ、性行為だけに没頭させる興奮効果。

『淫魔の体液』は多くの場合淫魔が、性行為中の相手が死ぬまで交わり続けようとするときに使うものだ。

つまり―



(俺・・・死ぬ・・・?)



体温が少しだけ上った彼が、桃色の靄がかかりつつある意識の中、思い浮かべた。

すでに、肋骨の骨折による痛みは無視できるほど小さなものになっている。

粘膜による全身の締め付けも、圧迫感があるばかりで痛みや息苦しさは消えてしまっている。



「さぁ、もう体液の効果が全身に回ったころでしょうか」



彼女の言葉とともに、右足の圧迫が増し、かすかな衝撃感と何かが砕ける音が生じる。

足が折れたことに気が付いたのは、たっぷり数秒経って、しかも圧迫と破砕音の因果に気が付いてのことだった。



「ふふ・・・十分ですね」



全く痛みがなくなっていることに呆然とする彼に、人似鮫が声を掛ける。

そして彼の全身を包む粘膜の表面が小さく波打ち、じわじわと粘液が染み出してきた。

ぬめる粘液に包まれ、皮膚の表面があわ立つような快感を訴える。



「それでは、始めます・・・」



じゅぶ・・・じゅぶっ・・・じゅぶっ・・・



ぐっ、と粘膜に力がこもり、体の表面を粘液が擦っていく。

全身を愛撫されるかのような感覚に、背骨を快感が駆け上っていく。



「うぁ・・・ああ・・・」



粘膜が蠢くたびに、彼の喉からうわごとのような声が漏れた。

粘液にまみれた巨大な手のひらに包まれ、優しく揉まれているかのような錯覚さえ覚える。



「うふふ、さっきまでの勢いはどうしたんですかぁ?」



与えられる快感に素直に反応する彼の姿に気が晴れたのか、笑みを湛えた声が問いかける。



「これから食べられるって言うのに、そんなに元気にしちゃって・・・」



先程の責めのため、唯一粘膜の拘束から逃れていた彼のペニスが、粘膜の間から屹立していた。

粘膜は彼の腹部や太ももを揉んでいたが、彼のペニスだけは触れられずにいた。



「ほら、『触って触って』ってビクビクしてますよ?」



彼女の言うとおり、彼のペニスは刺激を欲するかのように大きく脈打ち、事実彼自身も刺激を欲していた。

ペニス以外のほぼ全身を責められ、追い詰められているというのに、あと少しのところで絶頂に達することができない。



「『お願い』すれば触ってあげてもいいですよ?」



彼女が嘲りを含んだ声で問いかける。



(さわっても・・・いい・・・)



通常ならば逡巡などせず、どうにか活路を見出そうとしただろう。

しかし『淫魔の体液』により、彼の意識には桃色の靄がかかっていた。

その靄は、彼を欲求に対し素直にさせるには十分な力を持っていた。



「おねがい・・・する・・・さわ・・・て・・・」



圧迫され、自由度をだいぶ失った肺を絞り、途切れ途切れに彼は囁いた。

闇の中、クスクスという彼女の低い笑い声が響いた。そして、彼女は続けた。



「いや」



空気が動き、何かが彼の目の前に近づく。

そして驚くほど近くから、彼女の声が続けた。



「決めましたもん。さっきあたしを縛ったみたいにあなたを縛って、そのまま食べてやるって」



じゅぶっ・・・じゅぶっ・・・じゅぶっ・・・



締め付けを維持したまま、粘膜が驚くほどの滑らかさで彼の体表面を擦る。



「ほら、分かります?あなたの体、もうあたしの消化液で少しずつ溶け始めているんですよ?」



じゅぶぶぢゅぢゅ・・・



「あ・・・ああ・・・」



背筋を一際強く擦られ、彼は反射的にうつろな声を漏らしていた。



「・・・もう、何も分からなくなりましたか・・・なら・・・」



ぱきゃ



左足の圧迫感が増し、軽快な音が左脛から響いた。



(!)



痺れるような感覚が左足から背骨へと伝わり、脳に届く。



「ああ・・・!ああ・・・」



口から声が漏れ、腰の奥で渦巻いていた何かが尿道を上っていく。

そして鈴口が大きく開き、精液があふれ出した。



どくどくどく・・・



「うふふ・・・足折られて、お漏らししちゃいましたね・・・」



彼女の言葉どおり、噴出するような激しさは無かった。

ただ、これまで与えられていた快感に応えるかのように、射精は長く続く。



「ほらほら遠慮しないで、もっと出していいんですよ」



ぱき ぺきぼき



「ひぎっ・・・!」



彼女の声とともに圧迫が加えられ、さらなる破砕音が響く。

彼の小さな悲鳴とともに、治まりかけていた射精が再開した。



ぶびゅ びゅぶぶぶぶ



「あれ?量が増えたみたいですねぇ」



雑巾でも絞るかのように体が捩じ上げられ、骨が砕ける。体組織が千切れていく。

生み出された激痛の感覚が、体液の効果により麻痺した神経線維を通じて脳にたどり着き、快感を認識させる。

上腕骨を、大腿骨を、肋骨を、直に愛撫されるような感覚が、彼は身を捩じらせる。

筋繊維が、神経線維が千切れる感覚が、彼に声を上げさせる。

腹を絞り上げられて口から肛門から溢れ出す、彼の未消化物が、糞便が、臓物が、彼に射精を促す。

そして鈴口を押し開き、ただただあふれ出すかのように流れで続ける精液。

尿道を刺激していく精液が快感を生み、快感が彼を絶頂に留まらせつづけてた。



べぎぼっ ぶちぶちぶびゅびゅ

ぢゅぶちゅぶぢゅぢゅ ぎゅぶっ ぎゅぶっ



「全身絞られて、中身ぼろぼろ漏らして、もうすぐ死ぬっていうのに、精液びゅーびゅー出して・・・

そんなに気持ちいいんですか?」



ぶちぶぢぶぢぶぢぃっ!



数回転にわたってねじ回されていた右足が、粘着質な音とともに引き千切れる。

刺激がかろうじて残っていた脊椎を伝って脳に届き、反射的な反応が生きている筋肉を痙攣させ、精液を漏らさせる。



「あははは!足が千切れたのに精液漏らして・・・

ほら、うんこや血と混ざってすっごいどろどろになってますよ」



嘲るような言葉が続けられるが、彼は応えない。

応えられない。



ぶびゅ びゅぶぶぶぶ



もはやその瞳は何も映しておらず、唯一無事なペニスは精液を、跡形もなく破壊されつくされた体からは体液の混合物を、ただただ垂れ流しているばかりであった。



「・・・つまらないですね」



反応がないのならば、何をやってもつまらない。

粘膜に力を込め、首を捻り上げ胴と分離させる。



びくん・・・どく どく どく・・・



漏れていた精液の量が減っていき、止まった。



「はぁ・・・」



人似鮫は小さく息を漏らし、消化液を分泌した。

魔術師だった男の残骸が液中に沈み、崩れ、分解されていく。



(そういえば・・・)



彼女はふと、つい先ほど魔術器具を刺されたときの事を思い出した。

感覚を集中させてみるが、傷口はすでにふさがっており、特に異常も感じられない。



(なら、いいですね・・・)



異常がないならそれでいい。

余計なことに取られている時間はない。

なんとしても、力を手に入れねば・・・。



(もっと、力を・・・

深海に繋ぎ止められた、月に勝るほどの力を・・・)



彼女の尾びれが力強く海水を掻き、ほの暗い海の奥へと姿を隠していった。








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