Iris




高校生である僕――比良野アキ――には、気になるクラスメートが一人いた。



四十万イリス。

身長は僕の背丈と同じくらいの160cm、体重は秘密らしいけど、かなり軽かった、と言うのがクラスでの評判みたいだ。

すっきりとした顔立ちに、くりくりとした大きな瞳が可愛らしい、かと言って他に目立った特徴のない、どちらかというと引っ込み思案な生徒、それが僕の彼女に対する第一印象だった。



気になり始めたのは、学校行事の地域探索調査の辺りから。これは各自のテーマに合わせて町を探索し、その結果をレポートにまとめて提出するという、何とも無為な行事なのだが、そのテーマ選択で、偶然彼女とテーマが一致したのだ。

周りの人には「高校生にもなって………」と言われるけど、僕は伝承、伝説の類が大好きで、殊に都市伝説や民間伝承、そう言ったものに触れる事が趣味。そんなものだから、テーマも『地域の民間伝承を地理的に探る』だったんだけど………。



「………御一緒できますか?」

ある日、資料探索のために図書室に篭っていた僕に、イリスは声をかけてくれたんだ。





どうしてか聞いてみたら、彼女も似たようなテーマを調べていたらしい。もっとも、彼女のテーマは

『星禍伝説とその興り』

というもので、僕のよりもっと限定されていたけど。



星禍伝説、というのはこの辺りのもっとも有名な伝説だ。

僕等のいる学校の近くには森があって、よく子供達が遊ぶんだけど、実はその森には他の星から来た化け物がいて、森の中に迷い込んだ人間を食べちゃう、って言う、まぁありきたりと言えばありきたりな伝説。

勿論、そんな化け物なんて存在しないって、山の中をくまなく探索した学者さん達が言っていた、っていうけど………。



僕が伝説の類に嵌るようになったのも、実はこの星禍伝説があったからなんだ。というのも、そこに書かれた化け物の描写の中に、こんな一節があって、それが凄く印象深かった。



――地に顕現せし姿、将に万物を愛し包容せし、大古の慈母神の如し――



化け物なのに、人を食べる化け物なのに、そこに慈愛を感じるという、ある意味矛盾しているように思えたあの記述、それが僕の心を捕えてはなさなかった。以来、僕はこの伝説を中心に、様々な伝説を調べては一人悶えている日々が続いていた。



イリスと一緒にいて気付くのは、彼女はよく飲み物を飲む。コーラなどの炭酸だけじゃなく、清涼飲料水、野菜ジュース、果てには青汁すら飲んでいるときがあった。

それも缶の一本や二本じゃなく、一回に五本も飲むことすらある。いつか、彼女に内緒で彼女のバッグの中を少し覗き見してみたんだ。



バッグ一面の缶ジュース。



これには少し驚いたと言うか、かなり変わってるなと思ったと言うか………。

勿論バッグの事は誰にも言ってないし、言うつもりもない。



地域探索調査当日。

僕は太陽の猛威を甘く見て、水を入れる水筒はそこまで大きなものを持っていっていなかったのだけど、当日は至って真夏日。歩いていくうちにみるみる僕の水筒の水は減っていき、ついに空になってしまった。

イリスは缶ジュース片手に僕を心配してくれたけど、平気に見せたい、っていう妙な男の見栄、みたいなものがあって、しばらくは我慢して歩いていた。でも、フェーン現象の引き起こす猛烈な熱気の所為で、足元は非常にフラついていた。

このままじゃ、倒れるんじゃないのか――。

変な見栄を張らずに、素直に休憩場所に向かえば良かった――そう思い始めたとき、



イリスは、持っていた缶ジュースを、強引に僕に持たせた。



「………無理しないで下さい」

その時の彼女の瞳は、心なしかうるんでいて、僕が彼女にどれだけ心配をかけていたか、痛いほどに伝わってきた。

「………ごめん」

申し訳ない気分になりながら、僕は謝った。イリスは、「…………日影に行って、休んでから、また再開しませんか?比良野君」と優しく提案したので、僕はその提案を受け入れた。

日影で飲んだ、(イリスとの間接キス)オレンジジュースは、心なしか普通のものより甘く、そしてどこか、苦かった。



結局、その日だけではレポートが終らなかった。先生にその旨を告げて、提出期限を何とか延長してもらった後、二人で、また一緒に調べようと、いつまた行くかを相談して、この日は別れた。





その日の夜、

僕は不思議な夢を見た。



森の中、僕は何故か裸のまま走っていたんだ。何かを探すように。何か大切なもので、時間が経てば失ってしまうかもしれないものを探すように。

枝に爪づいて転びそうになったり、腐葉土で滑りそうになったりしながら、森の中を見回して、見回して―――見付けたんだ。

森の中、丁度その部分だけ木漏れ日が差していた。その光の中で、一匹の生物が、すぅ、すぅ、と安らかに寝息を立てていたんだ。

不思議な生物だった。

人間のような手足じゃなくて、幾つもの触手がその役割を果たしていた。

胴体は人間のそれにどこか酷似していたけど、胸元辺りには蒼く、宝石のように光る何かが埋め込まれているようで、背中からは、カタツムリの殻をもっと幾何学的に複雑にして立体化させたようなものが生えていた。

その生物は――光の所為か、夢だからか、顔はよく見えない――、首をこちらの方に向けると、徐に立ち上がって、そして―――



蒼い部分が、淡くぽう、と明滅しだした。



その光は、まるで僕に、おいで、こっちにおいで、と囁いているように見えた。誘われるように、ふらり、ふらりと近付く僕。

近付くにつれ、腕の部分に当たる触手の先端が二つに裂け、その裂け目が進むにつれて、昆虫の翅のような――それでいて暖かく、柔かい――羽――その時、僕は何故かそれを羽だと思ったんだ――が現れていき、それで僕を抱き締めるように囲い込んだ。

触手の表面から、羽の部分から分泌されている粘液が、僕の髪に、背中に、腕に、お尻に、脚にその跡を残していく。ぬらり、とした感触が何と無く気持よく感じ、僕は無意識に、触手に身を当て気味に前に歩いた。

仄かに暖かい粘液から出てくる香りは、どこか森の香りがして、ずっとかいでいたい気すらした。



やがて、僕はその生物の胸元に抱き締められた。触手が僕とその生物を何重にもぐるぐる巻にしているのが、風を裂く音で分かる。

その生物の胸は、母性を象徴するかのように大きな二つの山がそびえていて、分泌される粘液でぬらぬらと妖しく光っていた。

その胸元に、突然僕は押し付けられた。触手がその幅を突然狭めたのだ。

蒼い光の所為でぼうっとしていた僕は、触手の為すがままに動かされ、丁度胸の谷間辺りに顔を挟み込まれる。

ふわぁ………。

粘液の香りとは違う、どこか懐かしく、そしてどこか新しい香りが、僕を満たした。

耳元では、ぐちゅ、ぬちゃ、と粘液まみれの乳房がナメクジか何かのように吸い付いていた。

その香りをかぐ度、その音を聞く度、僕の奥底で眠っていた熱がだんだん増して行き、気付くと僕のペニスは徐々にそそり立ち、太く、固くなっていった。

すると、僕のペニスに、何かが巻き付き、くにゅ、ぐにゅ、と柔らかく揉みほぐしていく。

何かがペニスの上を動く度、ぬちゃ、ぬらぁ、と生暖かい粘液が塗り付けられ、もどかしいような、ジンとするような感覚が僕を襲う。

思わず艶かしいような吐息を出してしまう僕。徐々に、熱が逸物に集まりつつあるのが分かった。

ペニスを揉んでいる何かは、この時になって突然、巻き付くのを止め、代わりに、別の何かが――



ずぽんっ!



僕のペニス全体を包み込み、



ぢゅうっ!



吸い付いた。亀頭、カリに当たる部分がそれぞれ固く盛り上がっていて、それがこつん、こつんと不規則な刺激を僕に伝えた。まるで、股間の熱に、こっちだよ、こっちだよ、と知らせるように―――。

「ふあああああぁぁぁぁっ!」



びゅるるるぅぅ〜〜〜〜っ!

どくっ、どくっ……。



そのあまりの気持良さに、耐えられる事が出来なかった僕は、その生物の中に射精してしまい、そのまま意識を失った………。

直前、口の中に何かが挿入され、ぷしゃぁ、という音と共に液体が出され、喉に、腹に、そして体に染み渡っていく、そんな感覚で満たされながら………。





―――不思議な夢だった。

股間はべったりと濡れているか――と思いきや全く濡れていなかった。ズボンを脱いでみても、パンツにそれらしい跡すら見当たらなかった。

ぼんやりした頭で不思議だな、と考えつつ、僕は着替え、やけに渇く喉を潤しにキッチンに向かった。



朝御飯は、殆んど喉を通らなかった。唯一通ったものは、味噌汁の汁だけ。全く、食欲がなかったのだ。にも関わらず、喉だけは異様に渇いていた。水をどれだけ飲んでもその渇きは収まらず、先にお腹の方が悲鳴をあげてしまった。つまり、水っ腹。



(………あれ?)

学校に着いたとき、僕はどこか違和感を覚えた。正確に言うと学校に対してじゃない。四十万イリスに対してだ。

(今まで意識していなかったけれど、イリスって結構可愛いじゃないか。いや、ひょっとしてクラスで上位に入るかも……)

そんなことをぼんやりと考えていると、イリスが僕の視線に気付いたらしく、立ち上がり、僕の方に近付いてきた。

どくん、と心臓が高鳴る。

なんだろう。

今まで感じた事がない、いや、経験したことのない、この感情は………?

「比良野君………ねぇ………ちょっと、一緒に来てもらえませんか?」

イリスはそう言うと、僕の手を握った。



どくんっ!



心臓が更に高く跳ねる。心なしか幽かに顔が赤くなっているようだった。呼吸もどこか少し荒くなっている。

「あ…………うん………」

熱に浮かされたような声で僕は何とか返答して、ふらつく足で、イリスと一緒に教室の外へ出た。

クラスメートが何かはやし立てているみたいだけど、僕の耳には入らなかった………。







教室を出た僕等は、下調に使った社会科準備室に向かった。あまり使われておらず、ただの物置と化している節もあるこの部屋だけど、一体何をするんだろう………?

イリスは、部屋に入った後で、手提げ袋の中から、何かを取り出した。

缶ジュース。

その蓋を開けると、僕に手渡した。

「………渇いてるんでしょう?飲んで下さい………」

僕は戸惑った。いきなり飲んでいいものなのかな、と。でも、そのジュース――と言うより、ジュースを手に持つイリスに、体のどこかで惹かれている僕がいたんだ。

――欲しい。でも――

ここは学校だ。どんな些細な事でも噂になって――。



どくんっ!



――もいいのかな?でも、まだ恥ずかしい………。

考えが堂々廻りしている僕の前で、イリスは缶を開け――



――その中身を口に含み、僕に口移しを仕掛けてきた。



「!!!!!!!」

驚く僕の口を、彼女の唾液が混ざった生暖かい液体が通りすぎていく。舌に当たると、何とも柔らか、甘い感触が僕の中にほとばしる。

どこかぬらっとした感覚が、口の中から全身へと広がっていく――。

喉元を過ぎ、嚥下された液体はその膜を内壁の到るところに広げていく――。



いつの間にか、喉の乾きが収まっていた。それどころか、体に元気が満ち満ちているのが分かる。



イリスは、そんな僕の顔を見て……少し微笑むと、

「苦しくなったら………私のところへ来てください………ね」

声は、彼女の姿と一緒に外へと消えていった………。



この瞬間から、僕の頭の中に、イリスが占める割合が、徐々に増えてきた。

「イリスぅ………」

授業を受けている時も、頭の片隅ではイリスの事を考えてしまっていた。現代文の文章を読む度に、物語の中で動くイリス、数学では、数字を見る度に、僕の目の前で飲んだ缶ジュースを数えるイリス、化学では、物理では、地理では、世界史では、体育では――。そして、それはイリスに口移しされる度に増え、そして激しくなっていった………。

それだけじゃない。あの――不思議な夢。あれを見る回数も、見ている時間も、徐々に増えていったのだ。同時に、生物の顔も、徐々に見えるようになって――。

それでも誰だか分からなくて――。



初めて口移しされてから、一週間経った。

最早僕は、イリス無しではいられない体になってしまっていた。唯一、夢を見ているとき以外、僕の頭はイリスの事しか考えられなくなっていた。

イリスと一緒にいる事が、何よりの自分の幸せだった。

イリスの与えてくれるジュース、あれが僕の命の源だった。

イリスの肌、唇、温もり、瞳、顔、頭から爪先まで、全て愛していた。

イリスがいない日々なんて、もはや考える事など出来なかった。

だから――。



夢の中、僕はいつものように、裸で森の中を走っていた。

あの生き物を探しに。

あの木漏れ日の空間まで。

最近は、この場所すら、今走っている僕の状態すら現実なんじゃないかとも、少しずつ思い始めていた。

勿論、体がぬめぬめとした液体で覆われていることはないし、夢精がパンツを汚しているわけじゃない。でも、記憶が覚えているのだ。仄かに、おぼろ気ながらに。



やがて僕は木漏れ日に辿り着いた………だけど、その生物は、普段とは様子が違っていた。

普段なら、僕を見ると立ち上がるのだけど、今日は立ち上がることもせず、地面にただ蹲っていたのだ。

――どこか、体を苦しげに震わせて。

何かあったのか。僕は焦って生物に近付き――はっとした。



生物の顔は、四十万イリスその人だったのだ。



驚きを隠せない僕を前に、イリスは少し悲しげな顔を浮かべ………僕にキスをした。

ねっとりとして柔かい唇の感触に、僕が意識を奪われたのとほぼ同時に、イリスの舌が、僕の中に延びていき――とくん、とくん、と何か甘い液体を僕の、中に………。

あれ………なんだろ………ねむ………だめ………めが………イリス…………。



『………ごめんなさい………』



最後にそんな言葉が聞こえた……ような気がした。

その声も、紛れもなくイリスの声だった………。



その夢を見た日の事だった。

イリスが突然、僕の前から姿を消したのは。



クラスの席の一つ、イリスがいた場所は、そのまま何もなかったかのように空白だった。



クラス名簿のどこを探しても、四十万イリスの名前がどこにも見当たらなかった。

クラスメイトに尋ねようかと考えたけど、いつもと同じように振る舞う友達を見て、聞いても無駄だろう事は簡単に分かった。イリスなど、元からこの世界にいなかった事になってしまっている事くらい。

でも――!



「………イリス………」

授業が終った後、僕は一人部屋にいた。そして何をするわけでもなく、ただ虚空を見つめていた。

僕の体には、イリスの肌の感覚がはっきりと残っている。

僕の体は、イリスが幻でないことを今更ながら証明している。僕の体が、その奥底からイリスを求めている、それが証拠だ。

心は今も、イリスを求めて叫んでいる。

………イリス…………。

………イリスぅ………。

「どこに行ったんだよぉ………」

知らないうちに僕は瞳を閉じて、蹲ったまま寝てしまった………。



'来て………'

………え?

'来て………森の中に………'

この声は………イリス!?

'日が暮れる前、昼と夜の境目に………'

イリスだ!この声はイリスなんだ!

'来て………!'

ああ………イリス………イリスぅ………。

'来て………!私のところに………!'

ああ………行くよ!



夕焼けが空を彩る頃、僕は頭の声に導かれるままに、裸足で走っていた。靴をはく時間すら惜しかった。今はただ、早くイリスに会いたかった。

'こっち!'

不思議なことに、寝起きだと言うのに意識は冴えていて、どれだけ早く走っても、全く疲れる気配すらなかった。例え疲れていたとしても、今の僕は気にする事はなかっただろう。

「イリスっ!イリスっ!」

今、僕の頭の中には、イリスの姿がありありと浮かんでいた。

心配そうに僕に缶ジュースをくれたイリス。

教室で見た、綺麗になったイリス。

そして、二人だけの世界で、優しく口移しをしてくれたイリス………。

「イリス………イリス………」

森に着く頃には、僕の頭は全てイリスで埋め尽されていた。



僕はただ必死に森の中を走っていた。

'こっち!'

頭の中でまた声が響く。その声が響くと、ほとんど反射的に体が動いた。

『イリスが呼んでいる!僕を呼んでいる!』

その思い、それだけの感情が僕の腕を、足を、ひたすら前に前にと動かしていた。

途中、何度か枝に引っ掛かりそうになったり、裸足で駆けた所為で葉っぱによって傷付いたりしたけど、それでも止まらなかった。

僕の中にあるのは、ただイリスを求める心だけだった。



'まっすぐ!来て!早く来て!'

声を聞く度に、感情が興ぶってくる。イリスの事以外に何も考えられなくなる。突然姿を消してから、僕の心の中にはイリスしかなかった。

「イリスぅ!」

僕は叫んだ。いるなら返事をして欲しいと思いながら――いや、それは本能の叫び。イリスを本能的に求めている証だった。

暫くの静寂の後、



――あぁあぁあっ!――



突然声が響いた。明らかに耳を通して。しかも、どこか痛みを伴ったような――そう聞こえた――声が。

気付けば、僕はそちらの方向へ駆け出していた。



暫く走ると、僕は不思議な空間に出た。

森の中の他の部分は、大体どこも葉が天を覆っているのだが、その部分だけ全く葉っぱがなく、月明かりが地面を照らしていた。

そして光のただ中に―――彼女はいた。何故か、産まれたままの姿で。しかし、どこかぬらぬらとした光沢を放って。

「イリスっ!」

僕は思わず叫んで、イリスの元に駆け出した。イリスは、どこか苦しげな表情をしながら、僕の方へ顔を向け、信じられないといった顔付きで、僕に訊いた。

「………どうして、ここに来たのですか?」

「呼ばれたんだ。君に」

僕はそう答えた時点で、もう心が耐えられそうな状態じゃなかった。我慢ができなかった。イリスに会えた嬉しさ、今までの寂しさを一気に晴らすほどに強力なそれは、僕の心の箍を、一瞬だけ外した。

「それだけじゃない!僕は、君とずっと一緒に居たいんだ!もう離れたくない!」

僕は、心の底からそう思っていた。そして、ついに言葉にした。しかし、彼女はその言葉に、心底悲しそうな表情を見せた。

「………これを見ても、そう、言えますか?」

彼女がそう呟くと同時に、



びくんッ!



「あはあっ!」

僕の目の前で、イリスの背中がびくん、びくんと跳ね上がる。その度に、少しずつ彼女の背中が盛り上がっていくのが分かった。そして……、何かが切れるような音と同時に、



「あはぁぁぁぁぁっ!」

ニュゥゥッ!



彼女の艶めかしい声と一緒に顔を出したのは―――甲羅だった。カタツムリの殻をもっと幾何学的に複雑にして立体化させたような、いつか見た甲羅。

変化はそれだけで終らなかった。

彼女の足が、指が一本一本裂けていくと、その切れ目は一気に股関節の辺りまで進んでいった。手の指の方も同じようになり、腕の――いや、寧ろ甲羅の――辺りまで完全に裂けた。それらはむく、むくと太さを増していき、体を支えられるほどの大きさになったところで、イリスはおもむろに立ち上がり、僕の方を見ながら両腕だったものを広げた。

胸の辺りには、宝石のように青い光が、蛍のように明滅していた。



神が、ここにいた。



「………これが、私の、はぁぁっ、……正体です」

どこか寂しそうな声で、イリスは呟く。それはまるで、僕が裏切ることを予測しているかのような響きをしていた。

けど―――僕は。



「――綺麗だ――」



「――え?――」

「――綺麗だよ、イリス、その姿――」

それは、自然と出た言葉。

そこにどんな余分な感情も入らない。

彼女が変化した姿を見た瞬間、僕の心はもう確定した。

嫌うことなんかあるもんか。

イリスといられるのなら、他のものなど何もいらない――。



「――本当に、そう思っているのですか――?」

不思議、意外、その他色々の表情で見つめるイリスに、僕は頷いた。

「―――!―――」

その瞳からは、一筋の涙が。

「――何を怖がって逃げる?逃げないよ。このまま、一緒に――」

僕の言葉を遮って、

「――もう、戻れないですよ?」

涙を流しながら、イリスは確認をしてきた。僕の答えは決まっている。

「構わない。もう、戻りたくなんかないんだ」

それが、最後の応答となった。



「――もう、ダメ………耐えられそうにない………」

彼女の触手が、ぴく、ぴくと震え、先端が更に開き始めた。同時に、彼女の甲羅の中から、新たな触手の先端が現れ始めた。

そして、胸の青い光がひときわ輝いた瞬間、



「あぁあぁあぁあぁぁあああああぁっ!」



シュルルルルルッ!



触手が伸び、僕の体に巻き付いた!僕の服は、触手に巻き付かれたところから、少しずつ溶け始めた。でも、気にならなかった。僕は、ゆっくりと、触手に導かれるようにイリスに近付いていき、

ばふっ。

胸元に抱きすくめられた。触手補正で身長が伸びたことを考えると、彼女と僕の位置関係は、まさに子供と母親のそれだった。

その間にも、触手は僕等二人をぐるぐる巻にしていく。一分も経たないうちに、僕は身動きがほとんど出来ない状態になってしまった。

「あああぁぁぁぁぁぁ………」

今僕の視界には、イリスの胸の青い光が胸を照らし、明滅している様子しか移らない。その光を見ると、段々と意識がぼおっとしてくる一方で、僕の体の中で、熱が発生していくのが分かる。

辺りには、森の香りと、甘い果物のような香りで満たされていた。夢の中で何度もかいだあの香りよりも何倍にも強い、イリスの香りだ。その香りをかぐうちに、僕の股間が、ぴく、ぴく、と自己主張し始めた。

「あっ、あはあっ………」

そんな僕の逸物を、

しゅるるっ。

イリスの触手は優しく撫で、巻き付いてきた。

ぐに、ぐにゅっ。

巻き付きながら、適度に締め付ける触手達。分泌される粘液が、丁度ローションのような役割をして、ぬるぬるとぬめりながら表面を滑る感覚を、僕に伝えてくる………。

「あっ、あは、ああは、あはっ」

そんな緩慢な刺激を受けながら、僕の分身は順調に成長を遂げていた。太さと固さを増していく茎は、時折びくん、びくんと脈打って命を感じさせている。

「ひらのくんっ……!」

と――ここで触手が動きを変えた。茎の方ではなく、カリの部分にその身を巻き付けて――!

ちろ、ちろ、しゅるん!

「!あ゛あぁあ゛ぁああ゛あっ!」

分身の口に沿って、触手を擦らせてきたのだ!その上に巻き付いた方も人間にとって敏感な、エラと皮の境目を締め付けるように擦っているため、精体験のない僕は今直ぐにでも達してしまいそうだった。

自然と尻の穴がきゅっ、とすぼまり、腰を前に突き出す体勢になってしまう僕。

「あぁっ………あぁっ………!」

耳には、イリスの荒くなった息がサラウンドで響き、目の前では青い光がぽぅ……ぽぅ………とまるで心臓のように明滅していた。心なし、どちらも先程までより速度が上がっている気がした――!



「あぁあっ………!」

「ひゃ、あぁあああああっ!」



突然、触手の一つが僕のアナルを擦り始めた!同時に別の触手が玉袋に絡み付き、そのままくに、くにと優しく締め付け始める!まるで自然のローションにまみれたイリスの細く美しい手が、僕の肛門の穴をいじり、陰嚢を優しく揉んでいるかのよう――いや、これはイリスの手なんだろう。

「あはぁぁ………ひらのくん………ひらのくん…………」

背中でも、幾つものイリスの手が僕の背中を撫で、マッサージするように揉み込み、毛穴と言う毛穴に粘液を浸透させていく………。

僕の体は、既に首筋から背中にかけて粘液がみっちりと塗り付けられており、イリスの温もりと肌の感触をじんわりと体に伝えていく………。

「あぁあん………ああっ!……ひらのくんっ!」

「あはぁぁ……ひゃん!………イリスぅ………」

先端が裂けて、膜のようなものが間に広がった触手が、僕の胸にも粘液を塗り始めた。まるで赤子をあやすように、ゆらりゆらりと優しく体を揺らす触手に僕がまどろみ始めると、アナルの方の触手がまた穴をつんつんと刺激し始め、電撃が走ったような感覚に僕の体は、思いきり跳ねた。

ぬらむにゅよんっ。

「あぁあんっ………」

イリスの艶っぽい声が響いた。

ジュースの香りを思わせる胸に、また僕は顔を押し付けてしまった。イリスの声が一瞬遠のくのと同時に、ぐちゅ、ぬちゅと、粘液が耳に塗り付けられる淫らな音が僕の聴覚を支配した。

「ああ……あはぁ………いりすぅ………」

でも、不思議と不快な感じはない。むしろ、ずっとこうしていたいような……。



イリスに持たれかかっていた僕は、次第に力が体から抜けていった。まるでイリスに、体の力を抜かれてしまっているかのように。全身がそのまま、イリスの中に飲み込まれてしまうんじゃないかと、思わせるほどに………。



とくんっ!とくんっ!



イリスの脈が、僕に伝わってくる。背中から、胸から、お腹から――全身から。それは次第に、僕の脈拍と一致して――!



「あぁ……あはぁ……ひらのくんっ………ひらのくんっ!」



ズルンッ!



「ひぇっ!?」



なっ!何っ!アナルをいじっていた触手が、入り口周辺をツンツンと刺激して――!



ズボォッ!



「あああああはぁぁぁぁぁぁぁっ!」



アナルがぁっ!アナルが触手に貫かれたぁっ!そのままむにむに、うにうにとした感触を存分に主張して、僕の内壁を犯しながら侵入していくぅ!痛……くない!むしろ気持良い!

イリスに体を侵されると言う、ある種背徳的な快感に、僕の息子はぴく、ぴくく、と射精のわななきを始めた。

「あっ!ああっ!ひらのく――アキぃっ!」

巻き付いた触手からそれを感じ取ったイリスは、ペニスに巻き付いていた触手を外して――。



ぬむゅ



「!!!!!!!!!?」



あ……ぺ、ペニスに異様な感覚が走った!何かが、僕のものの出口に、ちゅっ、て――!





ぬむにゅんっ!



「!!あああああああああっあああぁぁぁああぁあっ!」



そのまま僕のペニスを包み込んできた!皮を捲り上げながら、一気に僕の分身を覆ってしまう――!

「アキぃっ!出してぇっ!あなたを出してぇぇぇっ!」

イリスの声は、僕の耳に、最後まで届かなかった。



ぐちゅぐにゅぬりゅっ!!

ずぼぉぉぉぉぉっ!

にぎゅうぅぅぅぅっ!

にゅりゅううぅぅっ!



「――――!」



――今、僕の身に起こったことを言葉にして表すと………。

全身を包み込む触手が、僕の体を思いきり締め付け――張り付いた。

アナルの触手は、その体を今までよりも更に深く僕の中に入れ――先端を大きく広げた。



息子に被さった何かは、精液を吸い出すかのように――玉袋まで巻き込んで圧迫した。



そして――イリスの胸が、粘りけのある音を奏でながら――僕の耳を包み込んだ。



どびゅううううううううううぅぅぅぅぅぅぅぅ…………!



僕は、溜りに溜った精液と一緒に、自分の心もイリスへと流し込んでいた――。



「――――!!!!!」

ワンテンポ遅れて、イリスも達したらしい。触手がにちゅにちゅと淫らな音を立てて僕の皮膚に密着し――!?



ごぽっ!



――あ、こ、肛門の触手が広がって――押し広げられて――!



びゅるるるるぅぅぅぅぅ〜っ!



「ああぁあぁぁぁあぁあぁっ!」



イリスの体液が、僕のお腹の中に注ぎ込まれていく!まるで精液と交換するかのように――。



――どくっ、どくっ………。

徐々に収まってはきたけど、イリスの触手は、まだ僕の中に体液を注ぎ込んでいた。不思議だけど、お腹が圧迫されるとか、全くそんな気配はなかったんだ。それに、液が流し込まれるほどに、体が暖かくて、心が満たされていく――。さっき僕がイリスにあげた分、イリスが僕に心をあげているみたい………。



「………アキ」

いつの間にか、僕の呼び方を変えていたイリスは、自分の粘液でべとべとになった僕の顔を「ひゃんっ!」ぺろりと舐めながら、こう告げた。

「私………もう、我慢できないの………」

「何を?」

もう我慢するものなんて、僕にはなかった。我慢して、手に入れたかったものは、目の前にいるから。でも、イリスは違うらしい。

僕の質問に、イリスは心からの笑みを浮かべて、言った。

「――アキ、あなたと完全に………ひとつになること」

「一つに………?」

今一つ、ピンと来なかった。一つになるって………?

「うん。この体も――腕も、脚も、触手も、心臓も――心も、全て。アキであって私でもある、そんな風になりたいの」

「僕であって………イリスでもある………」

何でだろう。僕にはそれが、凄い魅力的な世界に思えた。自分であり、相手でもある状態。それは言ってしまえば、自分でも、相手でもなくなる状態だと言うのに。自分が自分でなくなる事、それは普通、恐怖でしかないのに――。

不思議に思っていた僕の心を見透かしたかのように、僕の顔を――



ぬぬゅん



そのままイリスは、自分の胸の中に抱え込んだ。

――、今、何か分かった気がする。でも、それが何なのかが、まだ、分からない。それがもどかしかった。

「抱いて………」

そんな僕に、イリスは囁いてきた。

「………え?」

「抱いて、アキ。その腕で――私の体を………」

気付けば、僕の体に巻き付いていた触手は、腕の部分だけを綺麗に外に出していた。

僕はその腕を、イリスの方へと伸ばして――思いきり抱き締めた。



「―――!」





分かってしまった。

どうして僕が、イリスと一つになりたいかという、絶対的な理由が。



遠いんだ。

いくら抱き合っても、交わって絶頂を共有しても、まだ遠いんだ。

「あ………んん………」

いくら抱く力を強くしても。

「んう…………うむん………」

いくら長い間抱き合っていたとしても――遠いんだ。

僕とイリスという、二つの存在がある限り。

だから僕は――



「――イリス」



――一つになりたいと願った。



「――一つになろう」



「うん………ありがとう………アキ………」

そう僕に優しく言ったイリスの声は、どこか幽かに震えていたように聞こえた。それに疑問を持つか持たないかの中間で――。



「…………連れて行ってあげるね。私達が、一つになれる場所に」

僕等の体は、空を舞った――。





山の中、僕達が着いたのは、どこか古い社だった。名前もなく、鳥居以外は何もそれらしき跡がない社。

イリスはそのすぐ横にある、小さな洞窟へと身をくぐらせた。

不思議な場所だった。壁や地面のあちこちに、仄かに青く光る石があって、それが綺麗に、洞窟の中を照らしていた。



とくんっ………とくんっ………



響くのは、いつの間にかぴったりと重なった二人の心臓の音だけだった。



「………っはぁっ………ぁっ………はぁっ………!」

イリスの息が、徐々に荒くなっていく。僕の逸物を包む触手も、アナルに入れられた触手も、それに合わせて動きを早め――僕の息も、気付けば上がっていた。

プルプルと細かく震えるイリスの体。それはイリスの背負う甲羅から発されているものだった。――何かが、出ようとしているんだ。僕はそう、直感的に感じ――それは的中した。



「ああぁぁぁはあぁぁぁぁぁああっ!」



どしゅるるるるるるるるっ!



甲羅と肉体の裂目から、深い青色の膜のようなものが溢れ出した!それはそのまま僕等を取り囲むように動き、取り巻く触手ごと僕等を広く包み込んでいく――!

しゅるしゅるしゅる………

一巻きされる毎に、辺りの景色に蒼いもやがかかっていく………同時に、イリスの香り、森の香りが僕等二人の間に満ち満ちて――。

「あぁっ!あぁあっ!」

じゅばっ!

その膜の一部を貫通するように、甲羅から新たな触手が出現した。それらは洞窟の天井に到達すると、そのまま突き刺さり……。

ぐ、ぐぐぐ…………

少しずつ、膜に包まれた僕等の体を、その天井に近付けて――?

「………あれ?」

な、何だ。何かが変だ。でも何だろう。何がおかしいんだろう………!

そうだ!さっきから、触手の感触があまりしないんだ!僕の背中に、首筋に、腕にぺったりと張り付いていた筈の触手。その感触が、綺麗さっぱり消えていたのだ。

どうしてだろうと思った僕に、イリスは優しく口付けをして――!

どくどくんっ!

「!!!!!!!!」

な!何!?この感覚!僕の中に、一気に何かが流し込まれて!それも腕から、脚から、背中から、首から――!

「んんんんんん〜っ!」

びゅゅるるるっ!びゅっ!

あまりの気持良さに、僕のペニスは子種を吐き出していく!そしてそれはイリスの中へ――。

「んんんぉんんんっ!」

それを受け入れ、イリスも逝った、次の瞬間――!



「!!!!」

突然、僕の体を鈍い雷が走ったような衝撃が廻った!まるで、イリスが感じたのと呼応するかのように――!



今、理解した。

僕の肉体は、イリスの肉体と繋がっていたのだ。

吸い付いた首から、背中から、腕から、足から、イリスの触手は神経を延ばして、僕の神経系を繋ぎ変えていった。同時に、触手そのものも僕の皮膚に侵入し、しっかりと癒着され、完全に僕の体と融合していた。

気付けば、ペニスを包まれる感覚すら曖昧となり、逆に、イリスの触手すら、僕の持つ器官のように感じることができたのだった。



「――イリスぅ………」

「――アキぃ………」

僕等は顔を見合わせ――動いた。



触手が根を張った両腕を、僕は本能的にイリスの背中に回して、甲羅と背中の間をなぞる。

『あぁあっ!』

重なる声。彼女の性感帯は、今や僕の性感帯でもあった。

感じたイリスは、僕のペニスを更に強く締め付け、吸い立てる。

『ああぁああぁあぁあんん!』

どびゅるぅ〜〜っ!

どくっ!どくんっ!どくんっ!

僕とイリスは同時にイって、僕は精子を触手の中に叩き込み、彼女は体液を、脈動する触手から僕の体に注ぎ込む。

僕等の体の制御は、もはや意思では行えなかった。本能のままに、快楽をむさぼろうと動いていた。

お互いに同じタイミングで顔を近付け、唇を開き、舌を絡ませる。

腕が、触手が、互いの体に抱きつき、絞め上げる。

下半身が、触手が、前後に動く。



精を吐き出す度、僕等の体は深く、深く結ばれていった。顔を除いて、皮膚で交わっているところなんて無いぐらいに。それは同時に、僕等の体の境界すら曖昧になっていった。

次第に輪郭を無くしていく僕等。理性も、思考すらも全て溶け出して、混ざり合っていく――。





そして―――





『あきぃぃぃっ!いっしょになりましょおおおぉぉぉぉぉっ!』

『いりすぅぅぅ!もうぼくははなれないよぉぉぉぉぉぉぉっ!』





残った互いに強く抱きつき、舌を絡ませ、ついに―――





『ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………………』





びゅるっ!びゅるるぅぅぅぅぅっ!



ぷしゃぁぁぁぁぁぁぁっ!



どくどくどくどくどくんっ!







二人は完全に、溶けて、混ざり合った。

文字通り、一体化したのだ。







その日、家に戻らない息子を心配した母親は警察に連絡。しかし、町内を、山の中をも厳戒体制で探したものの、見付かることはなかった。

イリス達が入った洞窟、それを見付けることができなかったのだ。

そして数日後―――





イリスの繭の中に、少しずつ変化が生じ始めた。

はじめは幽かに、中の液体が波打ったような、その程度の変化だった。

それは徐々に、波打つ速度を速めていき、ついには、



どくんっ!どくんっ!



繭の脈動が、誰もいない洞窟に大きく響きわたった。その頃には、繭の中身が何かの形を取り始めていた。



それは人の形だった。ただし、外から見る限りでは、それが男なのか、女なのかは全く分からない。

やがて、完全に人の形を取り終えると、雷が落ちたかのような音を立て、繭が裂け――――









『ふふふ…………。さぁ、みんなも一つに、幸せにしてあげるね………』





―――ここに、神が、誕生した。





fin.





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