血涙の木
かつて何かでこのような文を読んだ。
『もしかしたら、あのあたりは空気がつかめるほど固くて、ぬるぬるしているのかもしれない』
読んだ当時はカオスな表現だと感じたが、今の俺は『固くてぬるぬるした空気』の存在を信じられる。この、東南アジアの某国でならば。
鉈を振るい、草を払う。
暑く、湿った空気が腕に絡みつく。
前も後ろも木と草。
広いジャングル、俺一人。くそが。
社運をかけたプロジェクトの一環で、このあたり一帯の森を切り開いて町を造ることになった。俺はその下準備として、地元住民の理解と森の地形情報を得るために派遣されたわけだ。
まあ、地元住民の理解については十分得られた。
暑いのさえ我慢すれば、飯もうまいし、近所はいい人だし。そこまで文句はない。
ただ、問題は森の地形情報だ。
ガイドを頼んだ地元住民の男は、ある程度は快く教え、連れて行ってくれた。
しかし、10キロ四方ほどの領域については近づこうともしなかった。
『どうした、どこでも案内するって言ったろ?』
『すまないヤポーネツ(日本人、という意味だ)。竜の腹の中でも案内するとは言ったが、あそこはだめだ』
『金が足りんのか?』
『いや、あそこにはニオコマドが出るんだ』
『ニオコマド?』
『森の精霊で、悪人が住処に入ると木と捻りあわせて殺すんだ。迷信じゃないぞ、前にも街から来た偉い人が木と捻り合わせられて死んでたんだ』
そして、俺はここを歩いているわけだ。
「まったく、ニオコマドだと・・・調査に何日かかると思ってんだ・・・」
棒で足元を探りながら歩を進める。と、突然視界が開けて青空が目に入った。
樹が一本倒れている。どうやら空を覆っていた枝葉が無くなって、空が見えるようになっているらしい。
「・・・休むか」
倒木を杖でつつき、強度を確認して座る。
水筒のふたを開け、中身を少しだけ口にする。太陽がちょうど真上に昇っている。
製作途中の略地図に目を落とす。ほんの少しではあるが、大岩や窪地の記号が空白部分を埋めていた。
(今日はこのぐらいにして帰るかな)
期限までに情報をそろえればいい。明日は別の方向からこのあたりを探ることにしよう。
そのとき、影が手元の地図を覆った。誰かが覗き込んでいる。
肩越しに振り返ると、褐色の顔があった。
上下に以上に長い褐色の顔がすぐ後ろに、振り上げた棒が顔を
手足に激痛が走った。叫びとともに、目を開く。
森の中、ただしさっきの場所ではない。うっそうと生い茂る木と木と木。周りに道のようなものは見えない。
後ろを見ようと首をねじり、右手が目に入る。俺の右手が木に食われていた。
あわてて顔を反対に向けると、左手も木に食われていた。視線を下げると、両足も。
両手両足をがっちり押さえ込まれている、痛い痛い痛い。何でこんなことに?俺が何かしたか?
いくつもの疑問文が、俺の脳内で回転していた。
(まずは、落ち着け・・・すぐ死ぬってわけじゃないんだから)
深呼吸を数度繰り返す。よし、落ち着いた。
改めて体を確認すると、二本の木の間に俺は立っていた。いや、木は二本ではなく一本だったか。
食われていたように見えた手足は、一本の木を縦に四つに裂いて作られた亀裂に挟み込まれているだけだ。裂け目に打ち込まれた楔が、手足と裂け目の中に立つ俺がつぶれるのを防いでいるらしい。
(これは・・・反対派か・・・?)
脳裏に、森の開発に反対していた連中の顔と、先ほどの長い顔が浮かぶ。
(そういえば、この国の開発大臣が何年か前に事故死したと聞いたが)
事故死というのは、『こういうこと』だったのではないのか?
手足を動かしてみるが、びくともしない。
「だれ・・・」
声を上げようとして口をつぐむ。もし俺が犯人ならば、大声を上げる邪魔者はすぐに殺すだろう。
背後から草を踏む音がした。
とっさに気を失っている振りをする。
(考えるな・・・呼吸も少なく、浅く・・・)
足音が近づいてくる。
俺の右側を回り、正面に来て止まった。
「目を開けろ、起きているだろ」
高い、女の声が命じた。
おとなしく目を開く。俺の前、数メートルほどのところに長い顔があった。
正確にはそれは顔ではなく、木を彫って作った仮面だった。仮面から伸びる手足は細く、胸と腰に布を巻いただけの体は女性のものだ。
「お前は」
「すまん、せめてそのお面をはずしてくれ。少し話しにくい」
俺が頼むと、相手は数瞬考えて仮面をはずした。
仮面の下にあったのは、黒くて長い髪に褐色の肌の美人だった。歳は二十代前半といったところだろうか?
「これでいいか?」
「ああ、ありがとう。で、これは何のつもりだ?」
視線で両手両足を示し、問いかける。
「それはお前が知ってるはず」
「・・・一応心当たりはある」
「だろう」
彼女が、にぃと口の端を上げる。
「まあ、確かに手っ取り早い方法だとは思うが、そこまで進められたもんじゃないぞ」
「なに?」
「人質という方法は、基本的には有効な気がするが実はそうじゃない。実際俺の国じゃテロリストに屈するな、ということで人質が見捨てられたこともある。あと、俺を殺してもその後には第二、第三の俺が来るのでできれば放してください」
「??」
いまいち分かっていないらしく、彼女は首を傾げた。
やっぱり見張り程度ではだめだ。
「あー、話が分からんのならリーダーでも」
「まて、反対派って何のことだ?」
「?」
今度は俺が首を傾げる番だった。
と、ひとつの可能性に思い当たった。
「ひとつ聞きたいんだが」
「何?」
「お前、名前は?」
彼女は心なしか胸を張り、こう答えた。
「ニオコマドだ」
「嘘つけ」
「な、何だと!?」
「どうせ迷信になぞらえて俺を殺すつもりの反対派だろうが。ほんとに森の精霊だって言うのなら証拠を」
「裂けろ」
彼女がそばの木に手をかざし、短くつぶやく。
大人の胴体ほどの太さの幹が、べきべきと音を立てながら真っ二つに裂けた。
『森の精霊で、悪人が住処に入ると木と捻りあわせて殺すんだ。迷信じゃないぞ、前にも街から来た偉い人が木と捻り合わせられて死んでたんだ』
男の言葉が脳裏に浮かぶ。
「信じたか」
「・・・はい」
「では、覚悟しろ」
彼女―ニオコマドが近づいてくる。
「や、やめろ」
情けない泣き声が出るがかまわない。
木と捻り合わせられて死ぬのは、いやだ。
「殺さないで・・・」
「安心しろ、まずは儀式だ」
「儀式って・・・?」
「おとなしくしていれば、すぐに終わる」
ニオコマドが目の前でかがむ。そして俺のベルトを緩め、下着ごとズボンを下ろした。
「ふん、情けないな」
彼女はすっかり縮こまって、皮をかぶった俺のペニスを手にとってつぶやく。
「まて、儀式って・・・」
「ちょっと静かにしていろ」
ニオコマドの言葉と同時に、俺を拘束する木の枝が裂け、猿轡のように口をふさいだ。
彼女は俺が言葉を発せなくなったのを確認するや、、ペニスをくわえた。口内の温かな粘膜がペニスを包む。
舌が皮と亀頭の間に入り込み、うねるように動く。
勃起するまで、そうかからなかった。
ニオコマドはペニスを口から抜き、口元を軽くぬぐった。
「準備完了だな」
彼女はそう言うなり、俺の右手と右足を拘束する木の表面に手をかけ、一気に引き剥がした。
そして俺の目の前で、木の破片を口に放り込み、ゆっくりと咀嚼しはじめた。
べき、ぼき、と木の繊維が砕ける音が俺にまで届いた。
(何をしている?)
問いが俺の胸中をめぐる。
ニオコマドは作業を終えたらしく、咀嚼をやめてこちらへ戻ってきた。
俺の前にかがみ、再びペニスをくわえる。
唾液にぬれ、細かく砕かれた木の繊維がペニスを包み込んできた。
俺は先ほどの行動の理由をようやく悟った。
「ん・・・む・・・」
彼女の舌の動きに合わせて、繊維片がペニスをこする。
ざらざらとした感触が、小さな痛痒さを与える。
「ぐっ・・・おっ・・・」
俺は枝の猿轡の間から声を漏らしていた。
繊維片にまみれた舌が、亀頭をこすり裏筋を滑り降りていく。
頬の動きに合わせて、唾液に包まれた繊維片がペニスの側部をくすぐる。
(我慢・・できねぇ・・・)
舌先が繊維片とともに鈴口をえぐり、俺に限界が訪れた。
全身が痙攣するようにゆれ、開放感とともに射精する。
ニオコマドは口ですべての精液を受けきった。
「意外と早かったな」
ニオコマドは繊維片と俺の精液を吐き捨て、立ち上がりながらそう言った。
精霊とはいえ、年下にも見える小娘に言われると癪に障る。
「この程度なら、儀式もすぐに終わるだろうな」
反論しようとするが、猿轡によりくぐもったうめきしか出なかった。
彼女は先ほど真っ二つに引き裂いた木のところまで行き、裂け口に手をかざした。
「ロデス・コデス・アデス・オルテス」
彼女がつぶやき終えると同時に、木がうごめきだした。
ゆがみ、のび、粘土のように自在に形を変える。
ニオコマドは粘土のように形を変える木の一部を、本物の粘土のようにちぎった。
彼女は、手の中で自在に形を変えるそれを手に、俺のほうへ向き直った。
「さて、もう予想はついていると思うが、これをお前の股につけてやる」
さっきの木繊維を口に含んでのフェラを思い出し、俺はかすかに期待を抱いていた。
木だった物体は、彼女の手の中でぐるぐると渦巻くように動いている。
もし、あの中にペニスを突っ込んだら・・・。
「では行くぞ」
そう言うなり、彼女は手にした塊を放り投げた。塊は弧を描いて飛び、俺のペニスにかぶさった。
「んぐっ!?」
何が起こっているのか理解できなかった。
ただ、痒さと、かすかな痛みと、温かさ。
木の粘土が俺のペニス全体を包み、渦を巻いて刺激を与える。
尿道を熱い塊が駆け上り、射精していた。
「やっぱりあっという間だったな」
ニオコマドの言葉には、かすかな呆れがあった。
粘土の動きは止まってはいたが、ちくちくとした感触に、俺のペニスは再び勃起した。
「それでは、もう一度」
木の粘土が回転を始める。ただし今度は、ペニスの先端から根元へと対流するようにだ。
永遠に挿入を続けているような錯覚に陥る。
粘土を構成する繊維は、亀頭の表面を引っかき、幹をなでていく。
二度の射精のせいか、今度はすぐに射精するということはなかった。
しかしそのせいで、延々とペニスを嬲られ続けている。
「へえ、今度はしぶといな。なら」
数度指を振り、何かをささやく。
粘土の流れが変わり、今度は根元から先端へと刺激の方向が変わった。
裏筋をくすぐり、カリ首をえぐっていく。
同質の刺激だというのに、まったく違っているかのように感じる。
「ア・デ・ドグルナル」
粘土の流れが元に戻った。
再びの刺激に、猿轡からうめきがもれる。
「今度は流れが交互に変わるように設定したからな」
ニオコマドの言葉に反応するように、粘土の流れが三度変わる。
やたら長い、ざらざらとした膣に挿入しているような気分になってくる。
いや、そうとしか思えない。
猿轡で呼吸ができないせいだろうか。
そして数分後、数度の流れの変化を経て、やっと俺は三度目の射精をした。
彼女が指を鳴らすと、粘土がペニスから離れて地面へ落ちた。
「なかなかひどいことになっているな」
彼女の言葉に視線を下に向けると、そこには擦り傷にまみれた俺のペニスがあった。
いずれの傷も、出血するほど深くはないが、風に触れるだけでひりひりと痛みを発している。
もっとも、その痛みでさえ今の俺には心地よく感じた。
「それじゃ、儀式の最終段階に行くか」
ニオコマドはそう言い、地面に落ちた粘土を拾い上げ、いまだ形を変え続ける粘土の塊に放り込んだ。粘土は塊の中に吸い込まれていった。
彼女は粘土が飲み込まれる様子を黙って見、完全に飲み込まれたところで手をかざした。
その手に粘土が伸び、張り付く。そして一体化した。
最初は幻覚だと思ったが、違った。ニオコマドの手と粘土が、つなぎ目もなく混ざり合っている。
見る見るうちに、粘土の塊が次第に小さくなっていき、代わりに彼女の体が膨れ上がっていく。
そして後には、表面に彼女の顔がへばりついただけの、粘土の塊が残った。
粘土が彼女を取り込んだのか。
彼女が粘土を取り込んだのか。
俺にはわからなかった。
「さて、最後にひとつ聞きたい。正直に答えれば助けよう」
塊が声を発する。
「お前はなぜ、ここに来た?」
塊から、腕のつもりなのか木の枝が生え、二三度振る。と、俺の口元を覆っていた枝が元に戻っていく。
精一杯息を吸い、深呼吸をする。
手足を軽く動かすが、やはり抜けない。どうやら、逃げるのは無理なようだ。
「答えろ」
手足を押さえる木が、さらに圧力を増し、痛みがはしる。
諦念が俺の脳を占拠した。
「…自動車工場を中心とした工業地域開発の下調べだ」
正直に答える。
「そのために森を切り開くのだな?」
「ああ」
「…そうか、ここも無くなってしまうのだな」
塊は蠢きながらしばしの間をおいて、続ける。
「最後にひとつ聞きたい。お前は、その計画をとめることができるか?」
(こいつは…)
逃げられるかもしれない。
ニオコマドの言葉に俺の脳は高速で計算を始めた。
「多分・・・」
多少迷ったフリをしつつ答える。
無論ウソだ。
「このあたりの地盤が緩くて、建設に適さないとでも言っておけば、計画を止められる」
「それは本当か?」
ニオコマドが顔を近づけ、俺の瞳を覗き込む。
俺は目をそらさず、まばたきを抑えて、彼女の瞳を除き返しながら答えた。
「ああ、本当だ」
「それは、残念だ・・・」
彼女の言葉と同時に、楔が二本抜け飛ぶ。
衝撃、そして遅れてやってきた痛み。
全身から冷たい汗が噴出する。
挟み込まれていた両手両足が完全につぶれた。
どこからか叫び声が聞こえる。
いや、俺だ。俺が叫んでいるんだ。
涙と痛みでかすむ目を、左右に振る。
木の裂け目からは赤い液体が流れ出していた。
頭の中を火花のような感覚が飛び散り、舌に痺れが生じる。
「お前のような一介の調査員の報告一つで、そんな大計画がつぶれるとは思えん」
ニオコマドの声が聞こえる。
「正直に答えれば助けるといったのに・・・本当に、残念だ」
言葉とともに、粘土の塊が近づく。
「『罪人よ、木となり罪を償え』」
粘土が上下左右に開き俺の挟まっている木が
ニオコマドは町に近い、一本の道の側まで歩いてきた。
人目がないことを確認し、身にまとっていた樹木粘土を脱ぎ捨てる。
いまだ形を変え続ける樹木粘土に手をかざし、呪文を唱える。
「ジュルエル・デファウス」
粘土は一部分を楔のように地面へ打ち込み、一部分を空に向かって伸ばしていく。
十数秒後、そこに粘土はなく、代わりに一本の木が生えていた。
ただ、普通の木ではなかった。
「・・・・・・」
ニオコマドの見つめる先で、ねじれ、節くれだった幹から赤い液体が流れ出していた。
(正直者は、いないものか・・・)
ニオコマドは胸中でつぶやき、森の奥へと足を向ける。
あとには、ただ赤い液体を流す木だけが残った。
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