序 『妖魔の城』〜『淫魔大戦』
※ ※ ※
「九条さつき先輩ですか……? ええ、知っていますよ。園芸部の部長です」
この時間まで残っていた生徒会長――白鳥かすみという女子は、あっさりと言った。
「なんだって……? この学園に、在籍している……!?」
思わぬ事実に、俺は思わず身を乗り出してしまった。
九条さつきは、いったい何をやっているんだ――?
「は、はい……私と同級生ですけど……あれ、なんで先輩って呼んじゃうんでしょうね?」
そう言いながら、不思議そうに首を傾げる白鳥かすみ。
封印を自力で解いた後、再びこの学園に通っていた―― おそらく、関係者の記憶を操作したのだろう。
あいつの魔力なら、実に簡単な事のはずだ。
「まだ、校内にいるのか……? 園芸部とやらは、どこにいる――?」
「学内の中庭で活動しているはずですが……」
慌てた様子の俺に、白鳥かすみは答える。
「分かった、すまないな……行くぞ、メリアヴィスタ……!」
「は、はい……!」
慌てて、生徒会室から飛び出す俺達――
その前の廊下に、思わぬ人物が立っていた。
「な……! お、お前……」
九条さつき――間違いない、あの戦いで出会った時の制服姿。
雰囲気は全く別物だが、その顔は確かにマドカのものでもある。
「……お久しぶりですね。ここでは人目があります、屋上にでも行きましょう」
複雑そうな顔で――おずおずと告げる九条さつき。
「……ああ、そうだな」
おそらく俺も、同じような顔をしていただろう。
「む〜」
そして、何のつもりか同様に複雑そうな表情のメリアヴィスタ。
こうして俺達は、再び屋上へと上がったのだった。
「――そういうことだ。現在、戦力が不足している」
「なるほど――分かりました、協力しない理由はありません」
九条さつきは、あっさりと承諾した。
これで、俺達の仲間になってくれるという事でもある。
アルラウネとしての魔力と、マドカだった頃の戦闘能力――心強い味方には違いない。
「ああ、助かる……」
「はい……」
しかし――何とも微妙な雰囲気なのが困りものだ。
外野のメリアヴィスタは、横から耳をひくひくさせた。
「……いったい、何があったんですか?
この微妙な空気は、かつての恋人同士とも違う気がします――」
「……黙ってろ、メリアヴィスタ」
俺はすげなく告げると、九条さつきに問い掛けた。
「……なんで、またこの学園に通ってるんだ?」
「道を踏み外す前の所から、やり直しをしたかったのかもしれませんね――」
自分でもよく分かっていないような口調で、九条さつきは言う。
「……しかし、それもどうでもいいことです」
「封印は、自力で解いたのか……?」
「ええ……数ヶ月力を蓄え、なんとか内側から」
「ウェステンラの奴……適当な封印を施しやがって……」
あいつの適当さに、俺は舌打ちするしかなかった。
結果的に被害が出なかったから良かったものの、もっとタチの悪いバケモノだったらどうするつもりだったのだ。
「ところで、お前……ずっとその格好でいる気か? マドカは……?」
「マドカは……あなたと合わせる顔がないようですね」
「そうか……」
そして、場を沈黙が支配する。
重苦しい、息苦しい沈黙――
「な、なんですか……この空気……?
仲間が増えたんですから、もっとテンションを上げましょうよ……!」
その空気に耐えかね、バンザイの姿勢で声を上げるメリアヴィスタ。
それも、ピエロにしか見えなかった。
「あの方も、現在の仲間なのですね。乏しそうな知性とは裏腹に、かなりの高位淫魔と見ました」
「仲間ってか……まあ、色々あってな」
「そうですか――」
やはり、異様に重い雰囲気。
しばらくの沈黙の後――その空気を払拭するように、九条さつきは明るい声を出した。
「では、これから仲間として共に行動するとしましょう。隊長、メリアヴィスタさん、よろしくお願いします」
「……俺は何の隊長でもない。啓、でいい」
「ええ……あらためて、よろしくお願いします。啓、メリアヴィスタさん……」
「ああ、よろしく」
「よろしくです〜♪」
こうして――なんとか、普通の感じを装いながら折り合いをつけることが出来た。
実際はまだまだ割り切れない点も多いだろうが、時が解決するだろう。
部屋に戻れば、馬鹿のウェステンラやこうるさい沙亜羅も迎えてくれるはず。
あの馬鹿明るい連中が、少しだけありがたい――そんな気がした。
「では、ひとつ――私から、あなたに告げなければならないことがあります」
おもむろに、九条さつきは仰々しく前置きした。
その瞳は真剣そのもの――いや、決意に満ちたもの。
先程のように、重苦しさを備えた憂いは含んでいない。
「な、なんだ……? かしこまって……」
「それは他ならぬ、啓――あなた自身のことです」
「俺の……?」
突然の言葉に、俺は目をしばたかせた。
俺の知らないことを、九条さつきは何か知っているというのか……?
「あなたの側にいた時から、私が知った事実を告げるかどうか――ずっと悩んでいました。
この事実は、あなたの心に激しい爪痕を残すことは間違いありません。
しかし――あなたが真実を知らないままというのも、あまりに悲しく理不尽な話。
ゆえに私は、今それをあなたに知らせる決意をしました。
頼りになる仲間がいるらしい今のあなたなら、真実も乗り越えられる――そう信じて」
「……話す前から脅すな。俺は小さい頃からひどい目にばかり遭ってる身の上だ。
今さら何かに傷つくほど、ヤワな精神をしちゃいない」
「分かりました、では――」
先を促す俺に対し、九条さつきはようやく語り始める。
「話は、私――マドカとあなたがチームを組んでいた頃に遡ります。
マドカはあなたを深く想うあまり、あなたの夢や記憶を盗み見することがありました。
――あまりに下劣な話ですが、あなたに強く憧れたあまりの行為、許してくれとは言いませんが――」
「……いや、今さら言っても仕方ない話だ。それに、見られて困る記憶は持ってない」
俺は九条さつきの弁明を遮り、先を促した。
「では、続きを――その時に、マドカは気付いたんです。
あなたの記憶……過去の霧花村での惨劇は、どこか不自然ではないかと」
「不自然……だと?」
「はい……不審に思ったマドカは、霧花村の事件を調べました。その結果――」
そこで、九条さつきは口ごもった。
「偉そうな前置きを並べましたが……やはり、私の口から説明するのは難しいですね。
ここは実際に、霧花村に行ってみませんか?」
九条さつきは、おもむろに思わぬ提案をした。
ここから北海道まで、当然ながらかなりの距離があるはずだ。
「まさか、今からか……?」
「ええ……絶大な魔力を持つ上級淫魔なら、数名を引き連れた長距離転送も容易であると聞きますが」
ちらり……と、九条さつきはメリアヴィスタに視線をやった。
「つまり、私のことですね! 余裕ですよ、そのくらい!」
その視線を受け、メリアヴィスタは胸をどんと叩く。
簡単にそそのかされているあたり、やはりアホだ。
「じゃあ、さっそく行きますよー♪ ホッカイドーの真ん中あたりですよね。えーい♪」
メリアヴィスタが何かを唱えると、俺達三人の足下に魔法陣が出現する。
「おい……かなり大雑把だな。大丈夫なのか……?」
「そのキリハナ村ってのは、啓サマの故郷なんですよね? だったら啓サマの体に染みついた記憶を辿り、自動補正しますから♪」
「さすがは魔界生まれの上級淫魔ですね。己の認識していない場所への転送さえ可能なんて――」
「ああ、お前はすごいぞメリアヴィスタ」
「ふふっ……さあ、行きますよ〜♪」
俺達の褒め殺しに、まんまと乗せられて上機嫌のメリアヴィスタ。
なんて扱いやすく、なんてアホな奴なんだ――
こういうわけで俺達三人は、魔法陣の中に消えていった。
「ん……ここは……?」
俺達が立っていたのは、人気がない村の大通り。
周囲に立ち並ぶのは、荒廃した家々の廃墟。
忘れはしない、この光景は――
十年近くもの時が経っているが、ここは――
「霧花、村だ……」
俺達は、本当に東京から霧花村にワープしてしまったのだ。
ウェステンラでさえ、移動するときは主に電車かタクシー。
メリアヴィスタ、なんだかんだ言いつつも本当に上級淫魔なのだ。
「どうですか? ほめて、ほめてー♪」
「ええ、凄いですね」
ワープの前に比べて、九条さつきの言葉は簡素なもの。
そして彼女は、眉をひそめながら周囲を見回した。
「やはり……啓の記憶で見た光景ですね……」
「ああ……間違いない。バケモノどもに襲われ、壊滅した俺の村――」
俺は、思わず歯軋りをしていた。
父も母も、村人達も――みんな、バケモノどもに殺されたのだ。
俺はそれから、復讐の鬼となった。
その全てが、この村から始まったのだ――
「啓サマ……こんな廃墟で生まれ育ったなんて……」
「……俺が生まれ育ったときは、廃墟じゃなかった。お前はこまめにボケないと気が済まないのか?」
メリアヴィスタによって、シリアスな気分もあっけなく粉砕されてしまう。
しかし――どこか、気が楽になったような感じも否定できない。
そう思いながら、感慨深げに家々の廃墟を眺める俺だった。
「あの――少しいいですか、メリアヴィスタさん」
そんな俺の後ろで、九条さつきとメリアヴィスタは何か話しているようだ。
「あなたは、魔界生まれの上級淫魔ですよね。
そういう高貴な方にとって、人間に媚び従うなど耐えきれない屈辱なのでは……?」
「大好きな人と一緒にいることの、何が屈辱なんですか……?」
メリアヴィスタの、いかにもきょとんとした様子。
「そんなコトでプライドがどーのこーの気にしなければいけないんだったら、私は上級淫魔じゃなくていいです」
「そうですか……」
微かに、九条さつきは笑った。
「今、少しだけ……あなたのことを尊敬できた気がします」
「ふむ……」
よく分からないが――仲間同士で、信頼関係を深めるのは良いことだ。
まあ、それはともかく――
「……それで、俺の記憶が妙だというのはどういうことなんだ?」
俺は、九条さつきに本題を切り出す。
「ええ――簡潔に言います。あなたの記憶は、改竄されています」
「なんだと……!?」
その答えに、俺は思わず目をしばたたかせた。
――そんなわけがない。あの日の今もしっかりと頭の中に蘇ってくる。
喚き散らしながら、村の中を右へ左へと駆け回るバケモノ共。
血に染まり、次々と倒れていく村人達。
羽をはためかせ飛翔する天狗――こいつは血走った目で俺を見下ろし、何かを喚いていたことさえ覚えている。
そして――ヘリから降下してくる『化け物狩り』の大部隊。
必死で挑む兵員達を、次々と氷像に変えていく冷血な雪女――
それらの光景は、俺の記憶の中に焼き付いているのだ。
「……馬鹿を言うな。あの記憶が、偽物であるはずがない」
「ええ。啓の見た光景の一つ一つは、確かに全てあなた自身が目にした光景に違いありません。
ただし――その持つ意味をすり替えるよう、周到な改竄が施されているのです」
「……どういうことだ?」
「私が説明するよりも、実際に見て貰う方が良いかと――」
九条さつきは、おもむろに何かを唱え始めた。
あれは確か、その場に残った記憶を再生する魔術――
ノイエンドルフ城の『当主の間』で、ウェステンラが使用したものだ。
「真実と直面する覚悟は出来ていますか、啓……?」
「ああ……大丈夫だ」
ウェステンラでさえ、過去を乗り越えようとしたのだ。
この俺が、今さら何を恐れることがあるのか――
「では、行きますよ――」
呪文を唱え終わり、魔術を発動させる九条さつき。
俺の目の前に、懐かしき日の霧花村が蘇ってきた――
※ ※ ※
――蝉の鳴く声が響く、とある夏の日のこと。
霧花村の中央に立つ、ムラオサの立派な屋敷。
涼しげな風が吹き込む居間で、二人の男性が将棋盤を挟んでいた。
一人は三十代の男性、もう一人は袴姿の老人――ムラオサ、と村人から呼ばれている人物。
いかめしい顔に深々と皺を刻ませながら、彼は静かに駒を進めた。
「……白夜よ。今年は、故郷に戻らぬのか?」
重く響く声で、対局相手にムラオサはそう問い掛ける。
「ええ……義父さん。この村に骨を埋める以上――もう、故郷には帰るつもりはありません。
霧花村を、私の故郷だと思う所存です」
そう柔らかく返したのは、着流しの男性――須藤白夜。
「……たまに故郷には帰れ。ご両親も健在だろう」
「は、はぁ……そうですね。申し訳ありません」
白夜は、ややバツの悪い思いをしながら駒を進める。
「ま、まあ……仕事も順調です。義父さんにも夕霧にも苦労はさせませんし――」
「……元々、苦労はしとらん」
「はあ……申し訳ありません」
そう呟き、黙り込んでしまう白夜。
ふと、ムラオサは眉をひくりと動かした。
「仕事と言ったか、白夜。もしかして、あの――」
「いえいえ……文筆の方です。退魔の仕事はもう店仕舞いですよ」
「そうか――」
軽く頷きながら、駒を進めるムラオサ。
「各地の民話や伝承をまとめ、出版しているのだったな。しかし、この村のことは――」
「当然、分かっていますよ。この隠れ里のことは、決して表に出しません」
駒を進めながら、須藤白夜がそう告げた時だった。
「失礼します。お茶が入りました……」
静かに襖が開き、和装に長髪の美女が楚々とした立ち振る舞いで現れる。
その手にお盆を携え、冷えた麦茶を机の上に二つ並べた。
「どうぞ……父上、あなた」
「ん……ありがとう」
「ふむ……」
白夜とムラオサは、冷えた麦茶を口にする。
「……冷やしすぎだ、夕霧」
一呑みするなり、ムラオサは苦言を弄するのだった。
そして、他愛ない雑談が進み――
「そう言えば、啓は……?」
湯飲みを置き、ムラオサは夕霧へと問い掛ける。
「まだ学校ですよ、父上。そろそろ帰ってくるかと」
「ふむ――学校、か」
そう呟くムラオサの言葉には、なんともいえない寂しさを帯びていた。
生徒は、たった三人だけの学校。
うち一人は啓より五つも年上の女子で、一人は二つ年下の男子。
おかげで孫の啓には、同年代の友人はいないのだ。
「啓には、村の外の普通の学校に通わせてやるべきなのかもしれんな……」
太い腕を静かに組み、いかにも神妙な顔でムラオサは言った。
「……よろしいのですか、義父さん?」
「問題ないだろう。啓は、村の他のものよりも血が薄い――」
ムラオサが、そう言い掛けた時だった。
「ただいまー!」
元気な声と、そして廊下を突き進む足音が響く。
帰宅した啓が、そのまま居間へと駆け込んできたのだ。
「わーい、おじいちゃーん!」
そして、ムラオサの膝の上へと乗っかる啓。
「こら、啓……!」
注意しようとする白夜を、ムラオサは制した。
「……構わん。むぅ……」
啓は楽しそうに、ムラオサの立派な髭を引っ張る。
その光景を眺め、白夜と夕霧は苦笑いを浮かべるばかりだった。
一喝するだけで、全国五万の眷族が震え上がるというムラオサ。
そんな彼に、ここまで傍若無人な振る舞いができるのも愛孫の啓くらいだろう。
「あそびにいってきまーす!」
ひとしきりムラオサと遊んだ後、啓は天真爛漫に外へと駆け出て行ってしまった。
「やれやれ……」
白夜が、ほっと一息吐いたときだった。
「ム、ムラオサ――!! 大変でございます――!」
啓と入れ違いになる形で、村役人の一人が息切らせながら屋敷へと駆け込んできたのだ。
普段の彼は、いきなり他人の家に上がり込むほど無礼な人物ではない――
「むぅ……何があった?」
凶事を察したムラオサは、ぎょろりと眉を吊り上げた。
同時刻、村の中央通り――
「なんだ、あれ……?」
「攻撃ヘリコプターか……? まさか、人間の軍隊……?」
「凄い数じゃないか……こっちに向かってくるぞ……!」
突如として到来した異変を前に、村人達はざわざわとざわめいていた。
十機以上の黒塗りヘリが、地を揺るがすようなローター音を響かせて飛来してきたのである。
うち一機が高度を下げ、通りの近くまで降りてきた。
滞空したまま側面扉が開き、黒のタクティカルベストにフェイスマスクを付けた男が顔を出す。
「なんだ、あの格好……」
「武装してるぞ、まさか――」
「ちょっと、どいて……! どいてくれ――!」
どよめく村人達の間を掻き分け、村役人の一人が最前線に立った。
そして、高度を下げてくる漆黒のヘリを見上げる。
「……あなた達、誰の許可があって来たんです!? この村は、行政特区に指定――」
そう呼び掛けた次の瞬間――爆竹のような音が響き、彼の額にコイン大の穴が開いた。
そこからどろりと血が垂れ落ち、そのまま絶命する村役人。
どさりと地面に倒れ伏した彼の屍――それはみるみる、毛むくじゃらの獣人のものに変わっていく。
ヘリから身を乗り出したフェイスマスクの男――武装隊員が、村役人の頭を狙い撃ったのだ。
「う、撃った……!?」
「し、島岡さんが……こ、殺された……!」
「うわぁぁぁぁ……! 逃げろ……!!」
たちまち、騒然とする村通り。
パニックに陥り、右往左往する村人達。
そんな中――血気盛んな若者の一人が、ヘリの編隊を見上げて咆吼した。
「何をするんだ、人間! 我々は、ここで静かに暮らして――」
彼の抗議に対する返答は、容赦ない銃弾の雨だった。
無数のヘリから銃撃が集中し、彼の体は血煙で染まる――
「あ、ぐぅ……」
猛牛の頭部に人間の胴体――牛鬼の姿に戻り、彼は地面へと転がった。
さらに大通り一帯へと浴びせられた銃弾の雨が、逃げ惑う村人達を薙ぎ倒していく。
そのうちの一発が、年老いた女性の足を貫いた。
「ひぃぃ……」
老婆はそのまま、地面に転んでしまう。
「ハ、ハナ婆さん……!? 何てことを……ハナ婆さんは、人間なんだぞ! お前達の仲間――」
それを抱き起こそうとした中年男性――彼と老婆の全身を、無数の銃弾が容赦なく蜂の巣にした。
「同胞さえも殺めるか……人間……」
大きな魔狸の姿に戻りながら、瀕死の彼は呟き――そして絶命したのだった。
「ひぃ……助けてぇ……!」
「に、逃げろ……!」
通りを逃げ回り、家々に避難しようとする人々――
ヘリから身を乗り出した武装隊員達は眼下の村人達を一斉掃射し、容赦のない虐殺を実行する。
「ぎゃあ……!」
「あぐっ……!!」
体を撃ち抜かれて倒れた村人達は、その本当の姿――妖魔・妖怪の姿に戻っていった。
中には純粋な人間である者もいるが、いっさいの区別無く銃弾を浴びせ掛けられる。
通りはたちまち、血と屍体で埋め尽くされてしまった。
「チーム・アルファ、降下始め!」
「チーム・ベータ、降下作業を開始する――」
そして滞空するヘリの一機一機から、完全武装の特殊部隊が次々に降下を始めた。
彼等は血でまみれた通りに降り立つと、逃げ惑う人々を無慈悲に殺傷していく。
村人達はもはや人間に化けている余裕もなくなり、妖怪の姿に戻って右往左往するのみ。
それを、情け容赦なく狩っていく武装隊員達――静かな村は、地獄絵図と化していた。
「うぉぉぉぉ……! 貴様らぁぁぁ――!!」
怒り狂った村人の一部は、妖魔の力を振るって反撃を試みた。
銃撃を甲羅で防ぎながら、右腕の大鋏を振りかざして武装隊員に突進する大柄の妖怪。
「うぉぉぉぉ――!!」
「……ぐあっ!」
気迫のこもった一撃の前に、武装隊員の体は引き裂かれた。
「こちらアルファ、隊員に死者が出た。大物だ、支援を――」
「了解、すぐに向かう――」
「ぐっ……! 人間どもぉぉ……!」
その巨大な鋏が、もう一人の武装隊員の首を斬り飛ばす。
しかし――彼の果敢な反撃も、そこまでだった。
十人以上の武装隊員に包囲され、四方から銃弾を浴び――抵抗も及ばず、絶命してしまったのである。
「うぉぉぉ……! 舐めるな、人間!」
「黙って殺られるものか! お前等も地獄に落ちろぉ!!」
他にも、あちこちで果敢に反撃を試みている妖魔の姿があった。
人間を遙かに超えた怪力が、武装隊員の体を潰す。
鋭い爪や牙が、タクティカルアーマーの上から人体を紙のように引き裂く――
しかし、そんな彼等もコンビネーションの取れた武装隊員達の敵ではなかった。
数名程度の犠牲は出しつつも、武装集団は妖魔の反撃を完全に叩き潰してしまったのである。
後は、ほぼ無抵抗で逃げ惑う村人達を掃討していくのみ。
降下作業を終えたヘリは、家々にロケット弾を撃ち込んでいく。
そして飛び出してきた村人達を迎えるのは、通りで展開していた武装隊員達の弾丸だった。
「ひっく、ひっく……」
そんな地獄の中、目立たない裏通りを駆けている少年が一人。
慌てふためき、逃げ惑う村人。
村の中を駆け回る魑魅魍魎。
彼等は左右から飛来する銃弾に当たり、全身を血に染めて倒れていく。
頑強な妖魔が武装隊員の体を引き裂き、そして彼らに狩られていく。
血。血。血。
通りを埋める血。
地面に転がる無数の妖魔の屍体。
その中には、手足が千切れた人間のものもある。
「お母さん……ひっく、お父さん……」
泣きじゃくりながら、彼は必死で裏通りを走った。
何が起きているかも分からないまま、脳裏にその無惨な光景が刻まれていく。
そして――道をふさぐように、彼の前にも武装隊員が立った。
「ひっ……!」
少年は立ち止まり、そして身を竦めるしかなかった。
そんな彼に対し、何の慈悲もなく銃口を向ける武装隊員。
そのまま、無情にも引き金が引かれた。
まるでタイプライターのような、機械的な銃声が響く――
「なんだと……!?」
次の瞬間、武装隊員は目を疑っていた。
銃弾は全て少年の前で止まり、ぼろぼろと地面に落ちたのだ。
そして――彼の周囲には札のようなものが浮かび、そこから形成された光の膜に囲まれていた。
「ふぇ……?」
泣き顔の少年にも、何が起きたのか分かっていない様子だ。
「こ、これは――符術!?」
フェイスマスクの下に驚愕の表情を浮かべ、武装隊員が後ずさりした次の瞬間だった。
何か影のようなものが、ひゅっと彼の体を掠めていく。
そして――武装隊員の頭部には、大きな札が貼り付いていた。
「こ、これは……!?」
「この符術を、人間に対して使ったことはない――」
いつの間にか、少年の隣に着流しの男が立っている。
影の如く黒い衣装に、氷のような目。東洋最強の退魔師――須藤白夜。
「や、やめ――」
「――否。貴様達は人間ではない。この所行、人間であるものか――」
須藤白夜は両手で印を組み――そして、容赦なく死を宣告した。
「――滅魂」
「あが――!」
ぼしゅっ……と、武装隊員の肉体が消滅する。
まるで弾けるかのように、魂ごとこの世から消滅したのだ。
肉の一欠片さえ残さず、完全に――
「お、おとうさん……!」
ひっくひっくと泣きじゃくりながら、少年――啓は白夜の足にすがりつく。
「よしよし……怖かったな、もう大丈夫だ」
白夜は腰を屈め、息子の頭を撫でた――その時だった。
「ここだ、カジの反応が途絶えたのは――」
「バケモノだ、ここにもいたぞ!」
「おそらく大物だ、援軍を――!」
白夜の背に、五人ほどの武装隊員達が銃口を突き付けてくる。
腰を屈めて啓を抱いたまま、白夜は彼らに鋭い視線を送った。
「バケモノと呼んだか? このようなことをした貴様達が、この私を――」
啓をぎゅっと抱き、武装隊員達に背中を向けたまま――白夜は、軽く右手を掲げた。
その人差し指と中指の間には、数枚の符が挟み込まれている。
「こいつ……符呪師か!?」
「何だろうが関係ない、掃討だ!」
「符呪師が一人で、この人数を相手に――」
「――黙れ、啓が怖がる」
白夜の右手から、符が離れた――
その次の瞬間には、彼ら五人の頭部にいつの間にか符が貼り付いていた。
まさに一瞬の、彼らが知覚する暇さえない王手。
「え……!?」
「まさか、そんな――」
「――滅魂」
念を込め、静かに告げる白夜。
ばしゅっ、と五つの体が風船のように弾けた。
「あ――」
「ぎゃ……」
そんな悲鳴も最後まで残さず、五人の肉体は跡形一つ残さず消滅する。
「よし……行くぞ、啓」
そちらには一瞥もせず――白夜は、啓の小さな体を胸に抱いて立ち上がった。
「な、何ということを――!」
屋敷から飛び出したムラオサは、村を襲う惨劇を目の当たりにして表情を歪めていた。
村人達の大半は屍体に変えられ、生き残りも獣のように狩られていく。
上空を乱舞するヘリからはロケット弾が降り注ぎ、家屋を吹き飛ばしていく――
ムラオサは歯軋りをし、その身を怒りに震わせた。
「こんな、ひどい――」
その横で、哀しみと戸惑いに打ち震える夕霧。
啓は、外に遊びに行っていたはずだ。
すぐに白夜が飛び出していったが、どうなったのか――
「け、啓は――」
夕霧がそう口にしたとき――疾風のように、ひらりと影が飛来した。
「大丈夫だ、啓に怪我はない――!」
その影は、啓を胸に抱えた須藤白夜。
「良かった――」
夕霧はほっと胸を撫で下ろし――その次の瞬間には気を引き締める。
今、目の前で、大殺戮が行われているのだ。
そして――ヘリの一機が、ムラオサ達の方へと飛来してきた。
「ぬぅぅぅぅぅ……!!」
鋭い目で、それを見上げたムラオサ――その背から、ばさりと大きな翼が広がった。
その顔が赤みを増し、鼻が棒のように伸びていく。
服装も修験服に変わり、その手には大きな羽扇――ムラオサは、天狗の本性を現していた。
「おのれ、人間――」
頭上に迫るヘリを見据え、ばさりと翼をはためかせて飛翔するムラオサ。
そのままヘリに接近し、手にしている羽扇を振りかざす。
「来い、疾風よ――!」
突如として周囲に突風が荒れ狂い、ヘリはその風にあおられてしまった。
そのままコントロールを失い、墜落していくヘリ――
「……むっ?」
滞空するムラオサに、別のヘリが機銃で狙いを付けていた。
すかさず彼は、そのヘリに大きな掌を掲げる。
「――迅雷!」
次の瞬間――大地をも打ち崩すような落雷が、そのヘリを直撃した。
鋭い閃光が弾け、ヘリは真っ黒に焼け焦げながら墜落していく。
ムラオサは眼下を見下ろし、白夜の胸に抱かれている愛孫――啓を真っ直ぐに見据えた。
「白夜! 夕霧! お前達は、啓を安全な場所に逃がせい!!」
地をも揺るがすような大声で、ムラオサは叫ぶ。
「はい、分かりました――行くぞ、夕霧」
「ええ――」
二人が駆け出そうとした、その時だった。
前方の村通りから、多勢の武装隊員達が襲撃してきたのだ。
彼らは隊列を組みながら、白夜や夕霧へと発砲してきた――
「……ッ!」
弾丸を防ぐように現れたのは、厚い氷の壁。
夕霧が、その細い手を静かにかざしたのだ。
「……あなた、啓を安全な場所へ。ここは私が食い止めますので」
夕霧の体が、凍り付くような冷気に包まれていく。
青く冷え切った肌、銀色の髪、凍り付くような唇――夕霧は、雪女の姿を露わにしていた。
「だが、しかし――!」
啓を抱きながら、白夜は躊躇する。
そこへ、数名の武装隊員がナイフを抜いて接近戦を挑み掛かってきた――
「私の夫と息子を害そうとする輩――容赦はしません」
ふわり……と、夕霧は冷気を放つ。
すると――迫ってきた三人の特殊部隊は凍結し、たちまち氷像のようになってしまった。
「私が通りを突っ切り、囮となりましょう。あなたは、啓を連れて逃げて下さい――」
「馬鹿を言うな! 私も――」
「今は啓を――私達の息子のことだけを」
毅然と告げる夕霧の前に、白夜は頷かざるを得なかった。
「分かった――夕霧、死ぬなよ」
「ええ……あなた」
白夜に向けられた、夕霧の優しい微笑み――
そして彼女は武装隊員達の方に向き直り、血も凍るような氷の微笑を浮かべる。
冷気のこもった手を振ると、激しい吹雪が巻き起こり――
「あぐっ……!」
「ぐわっ……!」
群れ寄る武装隊員達の何人かが、まとめて氷の塊と化した。
そのまま――夕霧は、通りをひたひたと歩み始める。
敵を自分に引き付け、夫と息子を逃がすように――
「死ぬな……夕霧」
啓をぎゅっと抱き、そして――夕霧に背を向け、そのまま白夜は駆け出した。
通りを進みながら、群れ寄る武装隊員達を次々と氷像に変えていく雪女――
幼き啓にとって、これが最後に見た母の姿となった。
空には天下の大天狗。
地には極寒の雪女。
天狗の暴風と雷、そして雪女の雪嵐が周囲に吹き荒れる。
「うぐ……!」
「く……なんてバケモノどもだ……!」
妖魔の中でも上位に位置する二人の前に、さすがの武装隊員達も攻めあぐねている様子だ。
そして、攻撃の手も緩み始めた――
「よし、夕霧! このまま白夜と合流するぞ――!」
「はい、父上……!」
ムラオサが、そう叫んだ時だった。
滑空する彼の頭上に、一機のヘリが飛翔したのだ。
その側面扉が開き、一人の女軍人が空中へと身を躍らせた――
「む!? あれは――」
一直線に落下してくるその人物を目にした瞬間、ムラオサの背に寒気が走った。
その外見は、非常に若い軍装の美女。しかし、こいつは――
「が――!」
ヘリから落下してきた女軍人が、ムラオサと交差した瞬間――
天狗の頑強な肉体は、まばゆい閃光に引き裂かれた。
「あぐ……!」
体を引き裂かれ、そのまま大通りへと真っ逆さまに墜落していくムラオサ。
そのまま地面に激突し、天狗の大柄な肉体は地へと転がる。
それを踏みつけるように――女軍人は、その上に着地していた。
「ち、父上……!!」
ムラオサの元に駆け寄ろうとした夕霧の前に、女軍人が立ちはだかる。
凛とした雰囲気。金色の髪に、ブルーの瞳。
その手には、何も銃器のようなものを持っていない。
「駆除してやろう、この私が――」
深く被った軍帽の下から覗く目――
それは、雪女である夕霧の目よりも冷たい色に染まっていた。