序 『妖魔の城』〜『淫魔大戦』


 

 

            ※            ※            ※

 

 

 「九条さつき先輩ですか……? ええ、知っていますよ。園芸部の部長です」

 この時間まで残っていた生徒会長――白鳥かすみという女子は、あっさりと言った。

 「なんだって……? この学園に、在籍している……!?」

 思わぬ事実に、俺は思わず身を乗り出してしまった。

 九条さつきは、いったい何をやっているんだ――?

 「は、はい……私と同級生ですけど……あれ、なんで先輩って呼んじゃうんでしょうね?」

 そう言いながら、不思議そうに首を傾げる白鳥かすみ。

 封印を自力で解いた後、再びこの学園に通っていた―― おそらく、関係者の記憶を操作したのだろう。

 あいつの魔力なら、実に簡単な事のはずだ。

 「まだ、校内にいるのか……? 園芸部とやらは、どこにいる――?」

 「学内の中庭で活動しているはずですが……」

 慌てた様子の俺に、白鳥かすみは答える。

 「分かった、すまないな……行くぞ、メリアヴィスタ……!」

 「は、はい……!」

 慌てて、生徒会室から飛び出す俺達――

 その前の廊下に、思わぬ人物が立っていた。

 「な……! お、お前……」

 九条さつき――間違いない、あの戦いで出会った時の制服姿。

 雰囲気は全く別物だが、その顔は確かにマドカのものでもある。

 「……お久しぶりですね。ここでは人目があります、屋上にでも行きましょう」

 複雑そうな顔で――おずおずと告げる九条さつき。

 「……ああ、そうだな」

 おそらく俺も、同じような顔をしていただろう。

 「む〜」

 そして、何のつもりか同様に複雑そうな表情のメリアヴィスタ。

 こうして俺達は、再び屋上へと上がったのだった。

 

 

 

 「――そういうことだ。現在、戦力が不足している」

 「なるほど――分かりました、協力しない理由はありません」

 九条さつきは、あっさりと承諾した。

 これで、俺達の仲間になってくれるという事でもある。

 アルラウネとしての魔力と、マドカだった頃の戦闘能力――心強い味方には違いない。

 「ああ、助かる……」

 「はい……」

 しかし――何とも微妙な雰囲気なのが困りものだ。

 外野のメリアヴィスタは、横から耳をひくひくさせた。

 「……いったい、何があったんですか?

  この微妙な空気は、かつての恋人同士とも違う気がします――」

 「……黙ってろ、メリアヴィスタ」

 俺はすげなく告げると、九条さつきに問い掛けた。

 「……なんで、またこの学園に通ってるんだ?」

 「道を踏み外す前の所から、やり直しをしたかったのかもしれませんね――」

 自分でもよく分かっていないような口調で、九条さつきは言う。

 「……しかし、それもどうでもいいことです」

 「封印は、自力で解いたのか……?」

 「ええ……数ヶ月力を蓄え、なんとか内側から」

 「ウェステンラの奴……適当な封印を施しやがって……」

 あいつの適当さに、俺は舌打ちするしかなかった。

 結果的に被害が出なかったから良かったものの、もっとタチの悪いバケモノだったらどうするつもりだったのだ。

 「ところで、お前……ずっとその格好でいる気か? マドカは……?」

 「マドカは……あなたと合わせる顔がないようですね」

 「そうか……」

 そして、場を沈黙が支配する。

 重苦しい、息苦しい沈黙――

 「な、なんですか……この空気……?

  仲間が増えたんですから、もっとテンションを上げましょうよ……!」

 その空気に耐えかね、バンザイの姿勢で声を上げるメリアヴィスタ。

 それも、ピエロにしか見えなかった。

 「あの方も、現在の仲間なのですね。乏しそうな知性とは裏腹に、かなりの高位淫魔と見ました」

 「仲間ってか……まあ、色々あってな」

 「そうですか――」

 やはり、異様に重い雰囲気。

 しばらくの沈黙の後――その空気を払拭するように、九条さつきは明るい声を出した。

 「では、これから仲間として共に行動するとしましょう。隊長、メリアヴィスタさん、よろしくお願いします」

 「……俺は何の隊長でもない。啓、でいい」

 「ええ……あらためて、よろしくお願いします。啓、メリアヴィスタさん……」

 「ああ、よろしく」

 「よろしくです〜♪」

 こうして――なんとか、普通の感じを装いながら折り合いをつけることが出来た。

 実際はまだまだ割り切れない点も多いだろうが、時が解決するだろう。

 部屋に戻れば、馬鹿のウェステンラやこうるさい沙亜羅も迎えてくれるはず。

 あの馬鹿明るい連中が、少しだけありがたい――そんな気がした。

 

 「では、ひとつ――私から、あなたに告げなければならないことがあります」

 おもむろに、九条さつきは仰々しく前置きした。

 その瞳は真剣そのもの――いや、決意に満ちたもの。

 先程のように、重苦しさを備えた憂いは含んでいない。

 「な、なんだ……? かしこまって……」

 「それは他ならぬ、啓――あなた自身のことです」

 「俺の……?」

 突然の言葉に、俺は目をしばたかせた。

 俺の知らないことを、九条さつきは何か知っているというのか……?

 「あなたの側にいた時から、私が知った事実を告げるかどうか――ずっと悩んでいました。

  この事実は、あなたの心に激しい爪痕を残すことは間違いありません。

  しかし――あなたが真実を知らないままというのも、あまりに悲しく理不尽な話。

  ゆえに私は、今それをあなたに知らせる決意をしました。

  頼りになる仲間がいるらしい今のあなたなら、真実も乗り越えられる――そう信じて」

 「……話す前から脅すな。俺は小さい頃からひどい目にばかり遭ってる身の上だ。

  今さら何かに傷つくほど、ヤワな精神をしちゃいない」

 「分かりました、では――」

 先を促す俺に対し、九条さつきはようやく語り始める。

 「話は、私――マドカとあなたがチームを組んでいた頃に遡ります。

  マドカはあなたを深く想うあまり、あなたの夢や記憶を盗み見することがありました。

  ――あまりに下劣な話ですが、あなたに強く憧れたあまりの行為、許してくれとは言いませんが――」

 「……いや、今さら言っても仕方ない話だ。それに、見られて困る記憶は持ってない」

 俺は九条さつきの弁明を遮り、先を促した。

 「では、続きを――その時に、マドカは気付いたんです。

  あなたの記憶……過去の霧花村での惨劇は、どこか不自然ではないかと」

 「不自然……だと?」

 「はい……不審に思ったマドカは、霧花村の事件を調べました。その結果――」

 そこで、九条さつきは口ごもった。

 「偉そうな前置きを並べましたが……やはり、私の口から説明するのは難しいですね。

  ここは実際に、霧花村に行ってみませんか?」

 九条さつきは、おもむろに思わぬ提案をした。

 ここから北海道まで、当然ながらかなりの距離があるはずだ。

 「まさか、今からか……?」

 「ええ……絶大な魔力を持つ上級淫魔なら、数名を引き連れた長距離転送も容易であると聞きますが」

 ちらり……と、九条さつきはメリアヴィスタに視線をやった。

 「つまり、私のことですね! 余裕ですよ、そのくらい!」

 その視線を受け、メリアヴィスタは胸をどんと叩く。

 簡単にそそのかされているあたり、やはりアホだ。

 「じゃあ、さっそく行きますよー♪ ホッカイドーの真ん中あたりですよね。えーい♪」

 メリアヴィスタが何かを唱えると、俺達三人の足下に魔法陣が出現する。

 「おい……かなり大雑把だな。大丈夫なのか……?」

 「そのキリハナ村ってのは、啓サマの故郷なんですよね? だったら啓サマの体に染みついた記憶を辿り、自動補正しますから♪」

 「さすがは魔界生まれの上級淫魔ですね。己の認識していない場所への転送さえ可能なんて――」

 「ああ、お前はすごいぞメリアヴィスタ」

 「ふふっ……さあ、行きますよ〜♪」

 俺達の褒め殺しに、まんまと乗せられて上機嫌のメリアヴィスタ。

 なんて扱いやすく、なんてアホな奴なんだ――

 こういうわけで俺達三人は、魔法陣の中に消えていった。

 

 

 

 「ん……ここは……?」

 俺達が立っていたのは、人気がない村の大通り。

 周囲に立ち並ぶのは、荒廃した家々の廃墟。

 忘れはしない、この光景は――

 十年近くもの時が経っているが、ここは――

 「霧花、村だ……」

 俺達は、本当に東京から霧花村にワープしてしまったのだ。

 ウェステンラでさえ、移動するときは主に電車かタクシー。

 メリアヴィスタ、なんだかんだ言いつつも本当に上級淫魔なのだ。

 「どうですか? ほめて、ほめてー♪」

 「ええ、凄いですね」

 ワープの前に比べて、九条さつきの言葉は簡素なもの。

 そして彼女は、眉をひそめながら周囲を見回した。

 「やはり……啓の記憶で見た光景ですね……」

 「ああ……間違いない。バケモノどもに襲われ、壊滅した俺の村――」

 俺は、思わず歯軋りをしていた。

 父も母も、村人達も――みんな、バケモノどもに殺されたのだ。

 俺はそれから、復讐の鬼となった。

 その全てが、この村から始まったのだ――

 「啓サマ……こんな廃墟で生まれ育ったなんて……」

 「……俺が生まれ育ったときは、廃墟じゃなかった。お前はこまめにボケないと気が済まないのか?」

 メリアヴィスタによって、シリアスな気分もあっけなく粉砕されてしまう。

 しかし――どこか、気が楽になったような感じも否定できない。

 そう思いながら、感慨深げに家々の廃墟を眺める俺だった。

 

 「あの――少しいいですか、メリアヴィスタさん」

 そんな俺の後ろで、九条さつきとメリアヴィスタは何か話しているようだ。

 「あなたは、魔界生まれの上級淫魔ですよね。

  そういう高貴な方にとって、人間に媚び従うなど耐えきれない屈辱なのでは……?」

 「大好きな人と一緒にいることの、何が屈辱なんですか……?」

 メリアヴィスタの、いかにもきょとんとした様子。

 「そんなコトでプライドがどーのこーの気にしなければいけないんだったら、私は上級淫魔じゃなくていいです」

 「そうですか……」

 微かに、九条さつきは笑った。

 「今、少しだけ……あなたのことを尊敬できた気がします」

 「ふむ……」

 よく分からないが――仲間同士で、信頼関係を深めるのは良いことだ。

 まあ、それはともかく――

 「……それで、俺の記憶が妙だというのはどういうことなんだ?」

 俺は、九条さつきに本題を切り出す。

 「ええ――簡潔に言います。あなたの記憶は、改竄されています」

 「なんだと……!?」

 その答えに、俺は思わず目をしばたたかせた。

 ――そんなわけがない。あの日の今もしっかりと頭の中に蘇ってくる。

 喚き散らしながら、村の中を右へ左へと駆け回るバケモノ共。

 血に染まり、次々と倒れていく村人達。

 羽をはためかせ飛翔する天狗――こいつは血走った目で俺を見下ろし、何かを喚いていたことさえ覚えている。

 そして――ヘリから降下してくる『化け物狩り』の大部隊。

 必死で挑む兵員達を、次々と氷像に変えていく冷血な雪女――

 それらの光景は、俺の記憶の中に焼き付いているのだ。

 「……馬鹿を言うな。あの記憶が、偽物であるはずがない」

 「ええ。啓の見た光景の一つ一つは、確かに全てあなた自身が目にした光景に違いありません。

  ただし――その持つ意味をすり替えるよう、周到な改竄が施されているのです」

 「……どういうことだ?」

 「私が説明するよりも、実際に見て貰う方が良いかと――」

 九条さつきは、おもむろに何かを唱え始めた。

 あれは確か、その場に残った記憶を再生する魔術――

 ノイエンドルフ城の『当主の間』で、ウェステンラが使用したものだ。

 「真実と直面する覚悟は出来ていますか、啓……?」

 「ああ……大丈夫だ」

 ウェステンラでさえ、過去を乗り越えようとしたのだ。

 この俺が、今さら何を恐れることがあるのか――

 

 「では、行きますよ――」

 呪文を唱え終わり、魔術を発動させる九条さつき。

 俺の目の前に、懐かしき日の霧花村が蘇ってきた――

 

 

            ※            ※            ※

 

 

 ――蝉の鳴く声が響く、とある夏の日のこと。

 

 霧花村の中央に立つ、ムラオサの立派な屋敷。

 涼しげな風が吹き込む居間で、二人の男性が将棋盤を挟んでいた。

 一人は三十代の男性、もう一人は袴姿の老人――ムラオサ、と村人から呼ばれている人物。

 いかめしい顔に深々と皺を刻ませながら、彼は静かに駒を進めた。

 「……白夜よ。今年は、故郷に戻らぬのか?」

 重く響く声で、対局相手にムラオサはそう問い掛ける。

 「ええ……義父さん。この村に骨を埋める以上――もう、故郷には帰るつもりはありません。

  霧花村を、私の故郷だと思う所存です」

 そう柔らかく返したのは、着流しの男性――須藤白夜。

 「……たまに故郷には帰れ。ご両親も健在だろう」

 「は、はぁ……そうですね。申し訳ありません」

 白夜は、ややバツの悪い思いをしながら駒を進める。

 「ま、まあ……仕事も順調です。義父さんにも夕霧にも苦労はさせませんし――」

 「……元々、苦労はしとらん」

 「はあ……申し訳ありません」

 そう呟き、黙り込んでしまう白夜。

 ふと、ムラオサは眉をひくりと動かした。

 「仕事と言ったか、白夜。もしかして、あの――」

 「いえいえ……文筆の方です。退魔の仕事はもう店仕舞いですよ」

 「そうか――」

 軽く頷きながら、駒を進めるムラオサ。

 「各地の民話や伝承をまとめ、出版しているのだったな。しかし、この村のことは――」

 「当然、分かっていますよ。この隠れ里のことは、決して表に出しません」

 駒を進めながら、須藤白夜がそう告げた時だった。

 「失礼します。お茶が入りました……」

 静かに襖が開き、和装に長髪の美女が楚々とした立ち振る舞いで現れる。

 その手にお盆を携え、冷えた麦茶を机の上に二つ並べた。

 「どうぞ……父上、あなた」

 「ん……ありがとう」

 「ふむ……」

 白夜とムラオサは、冷えた麦茶を口にする。

 「……冷やしすぎだ、夕霧」

 一呑みするなり、ムラオサは苦言を弄するのだった。

 

 そして、他愛ない雑談が進み――

 「そう言えば、啓は……?」

 湯飲みを置き、ムラオサは夕霧へと問い掛ける。

 「まだ学校ですよ、父上。そろそろ帰ってくるかと」

 「ふむ――学校、か」

 そう呟くムラオサの言葉には、なんともいえない寂しさを帯びていた。

 生徒は、たった三人だけの学校。

 うち一人は啓より五つも年上の女子で、一人は二つ年下の男子。

 おかげで孫の啓には、同年代の友人はいないのだ。

 「啓には、村の外の普通の学校に通わせてやるべきなのかもしれんな……」

 太い腕を静かに組み、いかにも神妙な顔でムラオサは言った。

 「……よろしいのですか、義父さん?」

 「問題ないだろう。啓は、村の他のものよりも血が薄い――」

 ムラオサが、そう言い掛けた時だった。

 「ただいまー!」

 元気な声と、そして廊下を突き進む足音が響く。

 帰宅した啓が、そのまま居間へと駆け込んできたのだ。

 「わーい、おじいちゃーん!」

 そして、ムラオサの膝の上へと乗っかる啓。

 「こら、啓……!」

 注意しようとする白夜を、ムラオサは制した。

 「……構わん。むぅ……」

 啓は楽しそうに、ムラオサの立派な髭を引っ張る。

 その光景を眺め、白夜と夕霧は苦笑いを浮かべるばかりだった。

 一喝するだけで、全国五万の眷族が震え上がるというムラオサ。

 そんな彼に、ここまで傍若無人な振る舞いができるのも愛孫の啓くらいだろう。

 「あそびにいってきまーす!」

 ひとしきりムラオサと遊んだ後、啓は天真爛漫に外へと駆け出て行ってしまった。

 

 「やれやれ……」

 白夜が、ほっと一息吐いたときだった。

 「ム、ムラオサ――!! 大変でございます――!」

 啓と入れ違いになる形で、村役人の一人が息切らせながら屋敷へと駆け込んできたのだ。

 普段の彼は、いきなり他人の家に上がり込むほど無礼な人物ではない――

 「むぅ……何があった?」

 凶事を察したムラオサは、ぎょろりと眉を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 同時刻、村の中央通り――

 

 「なんだ、あれ……?」

 「攻撃ヘリコプターか……? まさか、人間の軍隊……?」

 「凄い数じゃないか……こっちに向かってくるぞ……!」

 突如として到来した異変を前に、村人達はざわざわとざわめいていた。

 十機以上の黒塗りヘリが、地を揺るがすようなローター音を響かせて飛来してきたのである。

 うち一機が高度を下げ、通りの近くまで降りてきた。

 滞空したまま側面扉が開き、黒のタクティカルベストにフェイスマスクを付けた男が顔を出す。

 「なんだ、あの格好……」

 「武装してるぞ、まさか――」

 「ちょっと、どいて……! どいてくれ――!」

 どよめく村人達の間を掻き分け、村役人の一人が最前線に立った。

 そして、高度を下げてくる漆黒のヘリを見上げる。

 「……あなた達、誰の許可があって来たんです!? この村は、行政特区に指定――」

 そう呼び掛けた次の瞬間――爆竹のような音が響き、彼の額にコイン大の穴が開いた。

 そこからどろりと血が垂れ落ち、そのまま絶命する村役人。

 どさりと地面に倒れ伏した彼の屍――それはみるみる、毛むくじゃらの獣人のものに変わっていく。

 ヘリから身を乗り出したフェイスマスクの男――武装隊員が、村役人の頭を狙い撃ったのだ。

 「う、撃った……!?」

 「し、島岡さんが……こ、殺された……!」

 「うわぁぁぁぁ……! 逃げろ……!!」

 たちまち、騒然とする村通り。

 パニックに陥り、右往左往する村人達。

 そんな中――血気盛んな若者の一人が、ヘリの編隊を見上げて咆吼した。

 「何をするんだ、人間! 我々は、ここで静かに暮らして――」

 彼の抗議に対する返答は、容赦ない銃弾の雨だった。

 無数のヘリから銃撃が集中し、彼の体は血煙で染まる――

 「あ、ぐぅ……」

 猛牛の頭部に人間の胴体――牛鬼の姿に戻り、彼は地面へと転がった。

 さらに大通り一帯へと浴びせられた銃弾の雨が、逃げ惑う村人達を薙ぎ倒していく。

 そのうちの一発が、年老いた女性の足を貫いた。

 「ひぃぃ……」

 老婆はそのまま、地面に転んでしまう。

 「ハ、ハナ婆さん……!? 何てことを……ハナ婆さんは、人間なんだぞ! お前達の仲間――」

 それを抱き起こそうとした中年男性――彼と老婆の全身を、無数の銃弾が容赦なく蜂の巣にした。

 「同胞さえも殺めるか……人間……」

 大きな魔狸の姿に戻りながら、瀕死の彼は呟き――そして絶命したのだった。

 

 「ひぃ……助けてぇ……!」

 「に、逃げろ……!」

 通りを逃げ回り、家々に避難しようとする人々――

 ヘリから身を乗り出した武装隊員達は眼下の村人達を一斉掃射し、容赦のない虐殺を実行する。

 「ぎゃあ……!」

 「あぐっ……!!」

 体を撃ち抜かれて倒れた村人達は、その本当の姿――妖魔・妖怪の姿に戻っていった。

 中には純粋な人間である者もいるが、いっさいの区別無く銃弾を浴びせ掛けられる。

 通りはたちまち、血と屍体で埋め尽くされてしまった。

 

 「チーム・アルファ、降下始め!」

 「チーム・ベータ、降下作業を開始する――」

 そして滞空するヘリの一機一機から、完全武装の特殊部隊が次々に降下を始めた。

 彼等は血でまみれた通りに降り立つと、逃げ惑う人々を無慈悲に殺傷していく。

 村人達はもはや人間に化けている余裕もなくなり、妖怪の姿に戻って右往左往するのみ。

 それを、情け容赦なく狩っていく武装隊員達――静かな村は、地獄絵図と化していた。

 「うぉぉぉぉ……! 貴様らぁぁぁ――!!」

 怒り狂った村人の一部は、妖魔の力を振るって反撃を試みた。

 銃撃を甲羅で防ぎながら、右腕の大鋏を振りかざして武装隊員に突進する大柄の妖怪。

 「うぉぉぉぉ――!!」

 「……ぐあっ!」

 気迫のこもった一撃の前に、武装隊員の体は引き裂かれた。

 「こちらアルファ、隊員に死者が出た。大物だ、支援を――」

 「了解、すぐに向かう――」

 「ぐっ……! 人間どもぉぉ……!」

 その巨大な鋏が、もう一人の武装隊員の首を斬り飛ばす。

 しかし――彼の果敢な反撃も、そこまでだった。

 十人以上の武装隊員に包囲され、四方から銃弾を浴び――抵抗も及ばず、絶命してしまったのである。

 「うぉぉぉ……! 舐めるな、人間!」

 「黙って殺られるものか! お前等も地獄に落ちろぉ!!」

 他にも、あちこちで果敢に反撃を試みている妖魔の姿があった。

 人間を遙かに超えた怪力が、武装隊員の体を潰す。

 鋭い爪や牙が、タクティカルアーマーの上から人体を紙のように引き裂く――

 しかし、そんな彼等もコンビネーションの取れた武装隊員達の敵ではなかった。

 数名程度の犠牲は出しつつも、武装集団は妖魔の反撃を完全に叩き潰してしまったのである。

 後は、ほぼ無抵抗で逃げ惑う村人達を掃討していくのみ。

 降下作業を終えたヘリは、家々にロケット弾を撃ち込んでいく。

 そして飛び出してきた村人達を迎えるのは、通りで展開していた武装隊員達の弾丸だった。

 

 

 

 「ひっく、ひっく……」

 そんな地獄の中、目立たない裏通りを駆けている少年が一人。

 慌てふためき、逃げ惑う村人。

 村の中を駆け回る魑魅魍魎。

 彼等は左右から飛来する銃弾に当たり、全身を血に染めて倒れていく。

 頑強な妖魔が武装隊員の体を引き裂き、そして彼らに狩られていく。

 血。血。血。

 通りを埋める血。

 地面に転がる無数の妖魔の屍体。

 その中には、手足が千切れた人間のものもある。

 「お母さん……ひっく、お父さん……」

 泣きじゃくりながら、彼は必死で裏通りを走った。

 何が起きているかも分からないまま、脳裏にその無惨な光景が刻まれていく。

 そして――道をふさぐように、彼の前にも武装隊員が立った。

 「ひっ……!」

 少年は立ち止まり、そして身を竦めるしかなかった。

 そんな彼に対し、何の慈悲もなく銃口を向ける武装隊員。

 そのまま、無情にも引き金が引かれた。

 まるでタイプライターのような、機械的な銃声が響く――

 

 「なんだと……!?」

 次の瞬間、武装隊員は目を疑っていた。

 銃弾は全て少年の前で止まり、ぼろぼろと地面に落ちたのだ。

 そして――彼の周囲には札のようなものが浮かび、そこから形成された光の膜に囲まれていた。

 「ふぇ……?」

 泣き顔の少年にも、何が起きたのか分かっていない様子だ。

 「こ、これは――符術!?」

 フェイスマスクの下に驚愕の表情を浮かべ、武装隊員が後ずさりした次の瞬間だった。

 何か影のようなものが、ひゅっと彼の体を掠めていく。

 そして――武装隊員の頭部には、大きな札が貼り付いていた。

 「こ、これは……!?」

 「この符術を、人間に対して使ったことはない――」

 いつの間にか、少年の隣に着流しの男が立っている。

 影の如く黒い衣装に、氷のような目。東洋最強の退魔師――須藤白夜。

 「や、やめ――」

 「――否。貴様達は人間ではない。この所行、人間であるものか――」

 須藤白夜は両手で印を組み――そして、容赦なく死を宣告した。

 「――滅魂」

 「あが――!」

 ぼしゅっ……と、武装隊員の肉体が消滅する。

 まるで弾けるかのように、魂ごとこの世から消滅したのだ。

 肉の一欠片さえ残さず、完全に――

 

 「お、おとうさん……!」

 ひっくひっくと泣きじゃくりながら、少年――啓は白夜の足にすがりつく。

 「よしよし……怖かったな、もう大丈夫だ」

 白夜は腰を屈め、息子の頭を撫でた――その時だった。

 「ここだ、カジの反応が途絶えたのは――」

 「バケモノだ、ここにもいたぞ!」

 「おそらく大物だ、援軍を――!」

 白夜の背に、五人ほどの武装隊員達が銃口を突き付けてくる。

 腰を屈めて啓を抱いたまま、白夜は彼らに鋭い視線を送った。

 「バケモノと呼んだか? このようなことをした貴様達が、この私を――」

 啓をぎゅっと抱き、武装隊員達に背中を向けたまま――白夜は、軽く右手を掲げた。

 その人差し指と中指の間には、数枚の符が挟み込まれている。

 「こいつ……符呪師か!?」

 「何だろうが関係ない、掃討だ!」

 「符呪師が一人で、この人数を相手に――」

 「――黙れ、啓が怖がる」

 白夜の右手から、符が離れた――

 その次の瞬間には、彼ら五人の頭部にいつの間にか符が貼り付いていた。

 まさに一瞬の、彼らが知覚する暇さえない王手。

 「え……!?」

 「まさか、そんな――」

 「――滅魂」

 念を込め、静かに告げる白夜。

 ばしゅっ、と五つの体が風船のように弾けた。

 「あ――」

 「ぎゃ……」

 そんな悲鳴も最後まで残さず、五人の肉体は跡形一つ残さず消滅する。

 「よし……行くぞ、啓」

 そちらには一瞥もせず――白夜は、啓の小さな体を胸に抱いて立ち上がった。

 

 

 

 「な、何ということを――!」

 屋敷から飛び出したムラオサは、村を襲う惨劇を目の当たりにして表情を歪めていた。

 村人達の大半は屍体に変えられ、生き残りも獣のように狩られていく。

 上空を乱舞するヘリからはロケット弾が降り注ぎ、家屋を吹き飛ばしていく――

 ムラオサは歯軋りをし、その身を怒りに震わせた。

 「こんな、ひどい――」

 その横で、哀しみと戸惑いに打ち震える夕霧。

 啓は、外に遊びに行っていたはずだ。

 すぐに白夜が飛び出していったが、どうなったのか――

 「け、啓は――」

 夕霧がそう口にしたとき――疾風のように、ひらりと影が飛来した。

 「大丈夫だ、啓に怪我はない――!」

 その影は、啓を胸に抱えた須藤白夜。

 「良かった――」

 夕霧はほっと胸を撫で下ろし――その次の瞬間には気を引き締める。

 今、目の前で、大殺戮が行われているのだ。

 そして――ヘリの一機が、ムラオサ達の方へと飛来してきた。

 

 「ぬぅぅぅぅぅ……!!」

 鋭い目で、それを見上げたムラオサ――その背から、ばさりと大きな翼が広がった。

 その顔が赤みを増し、鼻が棒のように伸びていく。

 服装も修験服に変わり、その手には大きな羽扇――ムラオサは、天狗の本性を現していた。

 「おのれ、人間――」

 頭上に迫るヘリを見据え、ばさりと翼をはためかせて飛翔するムラオサ。

 そのままヘリに接近し、手にしている羽扇を振りかざす。

 「来い、疾風よ――!」

 突如として周囲に突風が荒れ狂い、ヘリはその風にあおられてしまった。

 そのままコントロールを失い、墜落していくヘリ――

 「……むっ?」

 滞空するムラオサに、別のヘリが機銃で狙いを付けていた。

 すかさず彼は、そのヘリに大きな掌を掲げる。

 「――迅雷!」

 次の瞬間――大地をも打ち崩すような落雷が、そのヘリを直撃した。

 鋭い閃光が弾け、ヘリは真っ黒に焼け焦げながら墜落していく。

 ムラオサは眼下を見下ろし、白夜の胸に抱かれている愛孫――啓を真っ直ぐに見据えた。

 「白夜! 夕霧! お前達は、啓を安全な場所に逃がせい!!」

 地をも揺るがすような大声で、ムラオサは叫ぶ。

 「はい、分かりました――行くぞ、夕霧」

 「ええ――」

 二人が駆け出そうとした、その時だった。

 前方の村通りから、多勢の武装隊員達が襲撃してきたのだ。

 彼らは隊列を組みながら、白夜や夕霧へと発砲してきた――

 「……ッ!」

 弾丸を防ぐように現れたのは、厚い氷の壁。

 夕霧が、その細い手を静かにかざしたのだ。

 「……あなた、啓を安全な場所へ。ここは私が食い止めますので」

 夕霧の体が、凍り付くような冷気に包まれていく。

 青く冷え切った肌、銀色の髪、凍り付くような唇――夕霧は、雪女の姿を露わにしていた。

 「だが、しかし――!」

 啓を抱きながら、白夜は躊躇する。

 そこへ、数名の武装隊員がナイフを抜いて接近戦を挑み掛かってきた――

 「私の夫と息子を害そうとする輩――容赦はしません」

 ふわり……と、夕霧は冷気を放つ。

 すると――迫ってきた三人の特殊部隊は凍結し、たちまち氷像のようになってしまった。

 「私が通りを突っ切り、囮となりましょう。あなたは、啓を連れて逃げて下さい――」

 「馬鹿を言うな! 私も――」

 「今は啓を――私達の息子のことだけを」

 毅然と告げる夕霧の前に、白夜は頷かざるを得なかった。

 「分かった――夕霧、死ぬなよ」

 「ええ……あなた」

 白夜に向けられた、夕霧の優しい微笑み――

 そして彼女は武装隊員達の方に向き直り、血も凍るような氷の微笑を浮かべる。

 冷気のこもった手を振ると、激しい吹雪が巻き起こり――

 「あぐっ……!」

 「ぐわっ……!」

 群れ寄る武装隊員達の何人かが、まとめて氷の塊と化した。

 そのまま――夕霧は、通りをひたひたと歩み始める。

 敵を自分に引き付け、夫と息子を逃がすように――

 「死ぬな……夕霧」

 啓をぎゅっと抱き、そして――夕霧に背を向け、そのまま白夜は駆け出した。

 通りを進みながら、群れ寄る武装隊員達を次々と氷像に変えていく雪女――

 幼き啓にとって、これが最後に見た母の姿となった。

 

 

 

 空には天下の大天狗。

 地には極寒の雪女。

 天狗の暴風と雷、そして雪女の雪嵐が周囲に吹き荒れる。

 「うぐ……!」

 「く……なんてバケモノどもだ……!」

 妖魔の中でも上位に位置する二人の前に、さすがの武装隊員達も攻めあぐねている様子だ。

 そして、攻撃の手も緩み始めた――

 「よし、夕霧! このまま白夜と合流するぞ――!」

 「はい、父上……!」

 ムラオサが、そう叫んだ時だった。

 滑空する彼の頭上に、一機のヘリが飛翔したのだ。

 その側面扉が開き、一人の女軍人が空中へと身を躍らせた――

 

 「む!? あれは――」

 一直線に落下してくるその人物を目にした瞬間、ムラオサの背に寒気が走った。

 その外見は、非常に若い軍装の美女。しかし、こいつは――

 「が――!」

 ヘリから落下してきた女軍人が、ムラオサと交差した瞬間――

 天狗の頑強な肉体は、まばゆい閃光に引き裂かれた。

 「あぐ……!」

 体を引き裂かれ、そのまま大通りへと真っ逆さまに墜落していくムラオサ。

 そのまま地面に激突し、天狗の大柄な肉体は地へと転がる。

 それを踏みつけるように――女軍人は、その上に着地していた。

 「ち、父上……!!」

 ムラオサの元に駆け寄ろうとした夕霧の前に、女軍人が立ちはだかる。

 凛とした雰囲気。金色の髪に、ブルーの瞳。

 その手には、何も銃器のようなものを持っていない。

 「駆除してやろう、この私が――」

 深く被った軍帽の下から覗く目――

 それは、雪女である夕霧の目よりも冷たい色に染まっていた。

 

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