序 『妖魔の城』〜『淫魔大戦』
※ ※ ※
「――任務の報告は以上です」
発言を終えた僕は、会議室の椅子へと腰掛けた。
ここは、法王庁の一角にある人目に付かない会議室。
この組織でも『裏』に属する聖職者10名が、その不景気そうな顔を付き合わせているのだ。
「ふむ……確かに、報告は受け取った」
「淫魔の女王に対する君の健闘は、賞賛に値するだろう」
「……ありがとうございます」
暗殺任務に失敗したにもかかわらず、それを責める声はないようだ。
つまり――僕は最初から、衛星兵器の実効性を確認するための捨て石だったということか。
任務成功は元より、生還さえ不可能――そう目されていたようだ。
相変わらず、人の命を命とも思わない連中だ――僕が言えた義理ではないが。
「あと――その、任務中に知り合った少女。彼女は問題だ」
「君の報告によれば、単なる民間人ということだが――やはり、始末しておくべきだろう」
「その一点のみ、君の任務遂行に問題があった」
おもむろに、そう発言する聖職者達。
その言い分は、僕の中の導火線に火を付けてしまったのかもしれない。
「よって、君はその少女を始末するのが新たな任務――」
「……やれやれ。あんた達が偉そうにふんぞり返れるのは、どこの誰が手を汚してるからなのか……」
僕はつい、本音を口にしてしまった。
なるべく、円満に収めようと思っていたのに――
「な、何だと……!?」
「今の言葉を撤回しろ!」
聖職者達は、たちまちどよめき始める。
「全く……無能なのに、自分たちへの批判には敏感なんですね。
そのプライドに見合った行動をしてくれれば、僕ももう少しのんびりできるっていうのに――」
謝ろうとも思ったのだが、実際に出た発言はまるで逆だった。
やはり、沙亜羅の事が絡んでしまうとついムキになってしまうらしい。
「ふざけるな! お前の態度は、いつも目に余る!」
「そうだ、貴様には信仰心が足りん!」
「やはり、あの男の弟子だ! お前も破門されたいか――」
まさに、非難囂々。
さすがに言い過ぎた。これは謝ろう――
「破門……? 誰に対して言ってるんだ……?」
そう思っていたのに――僕は椅子の上でふんぞり返って両足を上げ、テーブルの上にどんと置いた。
思いっきり偉そうな体勢で、そのまま足を組む。
「できるものならやってみなよ、三流……」
売り言葉に買い言葉の応酬で、会議室は沸きに沸いた。
「もう許さん! 破門の上で、討伐部隊を差し向けてやる!」
「法王庁一万の手勢を相手にして、勝てるつもりでいるのか!」
「一万人が相手……? そんなの勝てるわけないでしょ、とっとと逃げますよ」
僕は足を組んだまま、オーバーに肩をすくめる。
「いったん逃げて消息をくらませた上で、あなた方を一人一人暗殺していくに決まっているでしょう。
忘れましたか? そういうやり方は、僕の方が専門なんですよ?」
「何を、貴様……!」
太った聖職者が、机を叩いて立ち上がった。
そんな彼に、僕は言葉の刃を向ける。
「バルボ枢機卿。あなたが入り浸っている愛人の部屋……あそこ、ずいぶんと狙撃しやすそうですよね。
幸い、向かいのビルには空き部屋が多いですし……」
「貴様、我々を脅迫するつもりか――!」
そう叫びながら、痩せて神経質そうな聖職者が怒りの眼差しを向ける。
「チョチアーノ枢機卿。あなたの隠し子も、随分と大きくなりましたねぇ。
でも彼の住んでいるアパート、隣の部屋に麻薬中毒者がいるようですよ。
そんな危ない環境だと、いつ彼が刺殺死体で見つかってもおかしくない……」
「ぐ……!」
「私は、なんら神に後ろめたいことはしていない! 脅しは通じんぞ!」
それでも怯まず、声を上げる髭の聖職者。
「確かに、バーンズ枢機卿……あなたは全く後ろ暗いところもない、母親思いの素晴らしい人物ですね。
その大切な母親――月に一度、腰痛の薬を医者に貰っているとか。
気をつけないといけませんよね。医者が、処方を間違えないとも限りませんから……」
「き、汚いぞ……! 貴様!」
「ふふ……」
その言い草に、思わず含み笑いが漏れてしまう。
汚い――いったい、誰に対して言っているのか。
「ええ、汚いですよ。この仕事に手を染めている僕が、綺麗だとでも思ったんですか……?」
僕はそう言って、押し黙る一同を見回した。
「さあ、次は誰ですか? 何か、文句のある人は――?」
「……もういい。お前が無差別の暗殺に出た場合、我々には対処法などない」
議長を務めていた長老役の聖職者が、重々しく口を開く。
彼がそう認めた以上、この場の意向は決定したようなものだ。
「ご理解下さって幸い。僕は別に多くを望んでいるわけではないし、あんた達と同じ席に座りたいわけでもない。
ただ任務を任された以上、僕のやり方でこなしたいというわけです」
「分かった……結果さえ出せば、過程は問わん。
さて、報告は聞いた……会議は以上だ。しばらく静養するがいい、アウグスト・グリエルミ」
「どうも……」
静養といっても、すぐに法王庁の専用機で日本に戻るわけだが。
こうして、この場は解散となり――
出席者達は、苦々しい顔をしながら会議室を出て行った。
うち何人かが、結託して僕を除こうとするかもしれないが――正直、そんなものは怖くも何ともない。
この法王庁で本当に怖いのは、こんな小悪党どもなどではないのだ――
会議室を出た僕は、豪華な廊下をだらだらと歩いていた。
いちおう制服でもある司祭服は、袖を通さず肩へと羽織っているだけ。
どうもこの服を着ると、この組織に心身共に縛られた気分になってしまうからだ――
そう思いながら、聖職者達が行き交う広く長い廊下を歩いていた時だった。
「……?」
不意に、ぞわぞわと嫌な雰囲気が漂ってくる。
ずっしりとのしかかるような、重苦しい空気。
いつしか周囲から人通りが消え、こつこつと僕の靴音のみが響く。
そして、前方には――廊下の真ん中を塞ぐように、三人の異様な男女が立っていた。
中心人物は、三十代後半の男性。司祭服に袖を通さず、僕のように肩へと羽織っている。
前髪の一房だけが顎の辺りにまで垂れているという、独特の髪型。
一見したところ、セールスマンのように人当たりの良い顔付きだが――
僕のような人間から見れば、世の中の表も裏も知り尽くした薄暗さや狡猾さが滲み出ている。
眼鏡の奥の鋭い目は、その緩やかな表情とは裏腹に全く笑ってもいない。
とうてい、一筋縄ではいきそうにない厄介な人物――彼こそ、バチカン異端審問機関の長だった。
法王庁で最も恐ろしく、油断のできない人物だ。
「おや、君は――さっきの会議で、さっそくやらかしたようですねぇ」
機関長は、僕の姿を前にして目を細めた。
彼が従えている二人の男女も、異端審問機関のエージェント。
妖魔狩りを専門とした、法王庁の切り札。そこらのエクソシストなどとは格が違う精鋭だ。
一人は二十代と思われる女性、もう一人は――おそらく十代前半、少女と見間違えそうな少年。
女性の方は長身で、漆黒の聖服をまるでローブのように纏っている。
その裾はボロボロで、まるでボロきれを羽織っているかのようだ。
長い髪と羽織った服が、風に吹かれてひらひらとはためいている姿は、まさに異様の一言。
顔付きは非常に端整で、いかにも寡黙な雰囲気。射貫くような鋭い眼差しが特徴的だ。
何より異様なのが、全身に備わった数々の武装。
その背には無数の剣や槍、太刀や弓、矢筒――大小様々、多種の武器がまとめて背負われている。
両腰にも刀剣、太股にはナイフケース、腕には小型の折りたたみ弓や盾などが仕込まれ――
羽織ったボロきれの下に見えているだけでも、二十以上の武器を携えているようだ。
相当な重量だろうに、平然としている様子は明らかにおかしい。
何より、重苦しい圧迫感が尋常ではない――人間より、妖魔に近いような印象だった。
そして、利発そうな少年の方は――
まだ声変わり前、少女のような愛くるしさと生意気さが同居したような外見。
もう一人の女のように重苦しい圧迫感はないものの――魔術の匂いが異様に濃い。
そう言えば、白魔術や黒魔術はもちろん、カバラや秘数術、陰陽術、呪術、方術までをマスターした天才少年がいるという――
目の前の彼が、おそらくそうなのだろう。
彼は僕の顔を見据え、くすくすと笑っている。
「やぁ……機関長。相変わらず元気そうですね」
いつものように僕は、適当な軽口で応じた。
「いやいや……最近は世界中で妖魔が暴れ出してねぇ。猫の手も借りたいくらいなんですよ……」
そう愚痴る機関長――相変わらずまるで底が読めない、食えない男だ。
とりあえず確かなのは――僕は、彼らに快く思われてはいないということ。
もし彼らが裏切った場合、造反者を片付ける役割なのが僕である以上――好ましく思うはずもない。
「ほら、あれ……何と言ったかな? なんとかウィルス……」
「H-ウィルスですか?」
「ああそうだ……H-ウィルス。すみませんねぇ、本来なら私達が出向くはずなのに。
あれを追い回して、日本でひどい目に遭ったんでしょう……? なにやらH-ウィルスが拡散する危機だったとか」
へらへらと笑う機関長――その意図は、やはり伺い知れない。
「まあ日本なんて、別に壊滅しても構わないんですけどね。この世から消えて無くなっても、神は悲しまれないでしょう……」
「……」
機関長の後ろで、異様な雰囲気の女性が僅かに眉をひそめる。
「おっと……失礼しました、アルテミス。日本は確か、君の故郷でしたねぇ」
……この女も、日本人なのか?
そう言われれば、確かに瞳も髪も黒だ。
アルテミスというのは、おそらくコードネーム。
思わず、腕に装着された弓に目が行ってしまったが――まさか、弓の達人だからというわけでもあるまい。
得意武器をコードネームでバラすほど、異端審問機関も馬鹿ではないはずだ。
「でも、淫魔の女王と戦って無事に戻ってくるなんて――凄いではありませんか」
今までニコニコと笑っていた少年が、おもむろに口を開いた。
「もっとも――僕ならば、その女王を滅ぼして戻ってきたでしょうけど」
いかにも生意気な口調に、僕は閉口するばかり。
とは言え、意外に分かり易い性格の少年のようだ。
機関長やアルテミスのような、異様なまでの底知れなさはあまり感じられかった。
「ははは……僕は、妖魔狩りは専門じゃないからね」
僕はへらへらと笑うと、少年はむっとした表情を浮かべたようだ。
「……僕を馬鹿にしているのですか? これでも僕は、すでに何百匹もの妖魔を――」
「……」
アルテミスが、静かに少年を睨む。
「す、すみません……口が過ぎましたね」
すると少年は、たちまちしょんぼりしてしまった。
だいたい、彼等の力関係も分かってきた気がする。
「妖魔の城ですか。そちらも本来、我々が出向くべきだったのでしょうが――」
機関長は、腕を組んで溜め息を吐く。
「さすがに、我々でもきつい仕事かもしれませんねぇ。
一番の手練であるアルテミスが出向いたところで、女王には勝てなかったでしょう。
その従者――エミリアとかいうのと差し違えるのが精一杯というところでしょうか」
「エミリアを……?」
――馬鹿を言うな。
あんな怪物を、独力で倒せる人間などいるか。
「さすがに、それは無理でしょう……」
「いえいえ……アルテミスは、百八姫のうち二人を殺っています。できない仕事でもないでしょう」
機関長は、思わぬことを言った。
こいつが――?
確かに尋常ではない雰囲気だが、そこまでの手練なのか?
上級淫魔ともなれば、もう人間では勝てないという印象。
まして、百八姫など――
「……本当だ」
疑いの眼差しを向けていた僕に対し、アルテミスはぼそりと言った。
芯の入った、重い声――こいつは、いわゆる武人タイプか。
「それは、心強いなぁ……」
心の疑念を隠しつつ、僕は軽口で応じる。
「でも――よく、百八姫なんかがそこら辺を歩いていましたね」
「そう……それが問題なんですよ」
おもむろに、機関長の目が鋭くなった。
色々と底の読めない人物だが、確かなことが一つある。
それは――彼が、妖魔や人外といったものを深く憎んでいるということだ。
いかなる時でも妖魔の敵である、という一点においてのみ、この人物は信用できる。
「百八姫なんてのが、平気な顔をして人間界に入っているのは異常です。
それに加え、ジェシア・アスタロトなどという超大物の活動も確認されました。
どうも、ただごとではないようですねぇ……」
「……」
『約束の時』――その報告も、あの会議で終えている。
当然、ウェステンラなどのことは伏せているが。
「まあ、じきに忙しくなるでしょう――お互いにね」
おもむろに、機関長はつかつかと歩き出した。
僕の横をすり抜け、そのまま立ち去っていく――
その後に、アルテミスと少年も続くのだった。
こうして異端審問機関の三人は立ち去り、僕は大きな溜め息を吐く。
そもそも、なぜ僕に接触してきたのかも良く分からない。
単に愚痴をこぼしに来たとは思えない以上、何か情報を引き出そうとしたのか――
「やれやれ……厄介そうな連中だなぁ」
あの三人がおそらく、異端審問庁の中枢だろう。
食えない、底が読めない、胡散臭い、の三拍子揃った機関長。
そして彼自身も、かなりの腕利きなのだと聞く。
ああ見えて、妖魔相手に最前線で暴れることも多いのだそうだ。
そして、人間離れした雰囲気の女性アルテミス。
何より妖魔を憎む機関長の下についている以上、彼女も人間であることに間違いはないのだろうが――
その実力も尋常ではないようで、嘘か本当か百八姫のうち二人を滅ぼしたとか。
そして、女の子のような少年――
古今東西あらゆる術に通じ、すでに異端審問機関の中枢戦力として動いているようだ。
その性格は生意気で、自負心が強い感じ。その分単純で、かなり分かり易い。
「……腹が減ったな」
時刻は午前七時――かなり早いが、開いているカフェくらいあるだろう。
腹を鳴らしながら、僕はふらふらと法王庁の建物を出たのだった。
「……ふぅ」
カフェテラスで、朝食を注文して軽く一服。
席について、ウェイトレスに注文を出し――
そして、僕の足下の影に声を掛けた。
「おい……いつまで隠れてる気なんだ?」
「……あれ? 気付いていたんですか?」
影の中から出てきたのは、あの少年だった。
「僕の影忍びに気付くなんて――普通の人にしては、なかなかやりますね」
「いいのかい、そんな異端の術なんて使って……」
白魔術を正法とする法王庁にとって、陰陽術など異端のワザであるはず。
「いいのですよ。機関長は文句など言われませんから――
あの人は、異端や異教よりも妖魔が大嫌いなんです」
くすくす笑いながら、少年は僕の対面に座った。
「……何か、用なのかい?」
「せっかくですし、少しお話でも――と思いまして。迷惑だったですか?」
「……別に」
そう言いながら、僕はずるずるとコーヒーを飲んだ。
「でも僕は、君の名前も知らないんだけど……」
「ルカ、と申します。コードネームではなく、本名ですよ」
「へぇ……」
僕のことは知っているだろう、名乗る必要もない。
それにしても、いったい何をしに来たのか。
本当に彼の独断で話をしに来たのか、機関長から何か命令されているのか――
「僕に、面白い話は出来ないよ。任務も達成できず、逃げ帰ってきた身だからね」
「あはは……本当に、僕が行けばよかったですよね。
その淫魔の女王とやらの首、バチカンに持って帰ってきたのに……」
「ははは……」
本当に、知らぬが仏という奴だ。
「淫魔とそこらへんの怪物がどう違うのか分かりませんが、しょせんその女王など――」
「ちょ、ちょっと待て……」
今、ルカは妙なことを言った。
「淫魔がどういう妖魔なのか、知らないの……? 戦ったこともないのか?」
「はい……誰も教えてくれませんし、まだ交戦したことはありません。
吸血鬼みたいなもの、とは聞きましたが。人間の体から何か吸うんですよね?」
「……精液、なんだが」
誰か、教えてやれよ――そう思いながら、僕は告げる。
「せいえき……って、何ですか?」
「ぶはっ……!!」
僕は、口に含んでいたコーヒーを吐き出した。
「な、なんです、汚い……! 何かの術ですか……?」
「いや――驚いただけなんだけど」
ハンカチで口を拭きながら、僕はルカの顔をまじまじと眺める。
「その、妙なことを聞くようなんだけど……赤ちゃんがどうやって出来るのか、君は知っているかな?」
「……馬鹿にしないで下さい。僕は、森羅万象の知識を修めているんです」
いかにも威張った様子で、ルカは椅子にもたれた。
「……お父さんとお母さんが、十字架の前で神様にお願いするんですよ。
すると、天使様が赤ちゃんを授けてくれるんです」
「そうか……」
もはや、何も言うまい。
「あの、ご注文を――」
そこで、若く可愛らしいウェイトレスが注文を聞きに来た。
「あ……はい! えっと……ご、ごちゅうもん……ですね? そ、それは――」
それまでの慇懃無礼はどこへやら、たちまち挙動不審となるルカ。
何度も言葉を噛み、あわあわしながらもようやくミルクを注文する。
頬を赤く染めて、照れているようだが――
「分かりました。ミルク、ですね――」
注文を読み上げ、立ち去っていくウェイトレス。
「ここで一つ、興味深い事例を教えてあげましょう――」
するとルカは、何事もなかったかのように話し出した。
「現在、世界各地で大天使ミカエルに『とある』啓示を受けたという聖職者が続出しています。
その数は百人以上、多くは信心深く敬虔な方達――つまり、嘘などは言わないような方々です。
彼等の受けた啓示は、いずれも共通しているのです」
「百人以上、だって……?」
一人や二人なら、ただのいたずらや話題作りで片付くかもしれない。
しかし世界各地で百人を超える数の人間が同じ啓示を聞いたとなると、尋常ではない。
「で、その内容は? 世界の終わりが来る、とかかい?」
「間もなく、『黙示の時』が来る――という啓示です」
「……!」
重々しく告げるルカに対し、僕は一瞬だけ硬直してしまった。
「冗談だろ、あんなのは教義上の寓話――」
その時に、突如としてマルガレーテの言葉が脳裏に蘇った。
『約束の日』――それはまさか、『黙示の時』の時と同じものではないのか――?
「……あなたの考えていることは分かっています。
淫魔の女王が口にしたという『約束の日』――それは、『黙示の時』に関連があるのではないか。
いや――それは全く同じものではないか? そう、考えているのでしょう」
そう言って、ルカは僕の顔を真っ直ぐに見据えた。
「……僕も同感です。機関長も同じようにお考えです。
だとすると問題ですね。我々はまだ、天使を迎える用意など出来てはいない――」
「……ご注文をお持ちしました」
盆に置いたミルク片手に、そこに現れるウェイトレス。
「あ、はい……!」
慌てた様子で、ルカがそれを受け取ろうとしたときだった。
ミルクのグラスをテーブルに置こうとした際、ルカとウェイトレスの手が触れてしまったのだ――
「……ひゃっ!」
ルカは高い声を上げ、椅子を倒して立ち上がった。
その頬は、まるでリンゴのように真っ赤になっている。
「す、す、すみません……!」
「いえいえ……ふふっ」
くすり……と笑い、ウェイトレスは去っていった。
ルカはがちがちと固まった後――テーブルに着いて、ようやく元に戻る。
「……失礼。ともかく僕は、あなたとも協力していくべきだと思っているのですよ。
確かにあなたは普通の人で、特に傑出した才能があるとは思えませんが――」
「いや、それはいいんだけど……君、ひょっとして女性が苦手かい?」
「え……?」
一瞬、呆けたような表情を浮かべるルカ。
「まあ、その……多少、平常心を欠いてしまうところはあります。
しかし、まあ――戦闘では関係ありませんよ。若い女性が襲ってくるわけではありませんから」
「はぁ……ところで、淫魔の女王ってどういう奴だと思ってるんだい?」
「魔界に住んでる女王って言うくらいだから、意地汚そうな老婆でしょう?
しわくちゃで鼻が長くて、絵本に出てくる悪い魔女みたいな――」
「そうか……」
僕は、ルカを前にして確信していた。
この少年、淫魔との戦いでは全く役に立たないだろう――と。
※ ※ ※
『化け物狩り』組織本部ビル――
その近代的な建物の廊下を進む一人の少女。
黒いゴシックなドレスを着た、なんとも高貴で偉そうな風貌――ウェステンラだ。
彼女はそのまま階段を降り、地下の研究区画へと進む。
この組織のトップであるカーネル・ガブリエラは今、そこにいるという。
ウェステンラは彼女がいる第七研究室の扉の前に立つと、吹けば飛ぶようなか細い声を出した。
「……申し訳ありません。長官にご紹介いただいた魔導師ウェステンラ、所用にて参ったのですが……」
「ああ……入るがいい」
中から聞こえてきたのは、凛とした女性の声。
「ふむ……貴様一人であったか」
傲慢な口調に戻りながら、ウェステンラは扉を押し開けて中へと入る。
その部屋自体は広くなく、その壁の一角は丸ごとマジックミラーになっていた。
そのミラーの向こうは、中庭のように広い空間。
この研究室から、向こうの部屋に離された実験動物を観察できるようになってあるのだろう。
そして研究室の真ん中には――軍服姿が恐ろしく似合う、金髪の麗人が立っていた。
カーネル・ガブリエラ――『化け物狩り』組織の総責任者。
『鉄の女』の異名を持つ、冷徹にして聡明な北欧系の美女。
「……姫君か。また、戦力の無心にでも来たのか?」
カーネル・ガブリエラは、その冷たそうな顔に微かな笑みを浮かべた。
「ちょうどエインズワース率いるチーム・イプシロンが日本で任務に就いているが……これはやれんぞ。
あの須藤啓を持って行かれて以来、実働戦力が足りんのだ」
「いや……今日は、そのことで来たのではない。少し、聞きたいことがあるのだが――」
そう切り出したウェステンラに、カーネル・ガブリエラは掌を見せた。
「……少し待て。ちょうど今、テストタイプの試験が始まる」
そしてカーネル・ガブリエラは、マジックミラーの壁――その向こうに広がる空間へと視線をやった。
「テストタイプ……?」
広場の両端には、それぞれ強固な鉄格子が備わっていた。
それぞれ向こう側にいる実験動物を、この広間に離す仕組みになっているのだろう――
円形の広間、その両端に入場口のごとく設置された格子。それはどこか、コロシアムのようにも見えた。
「何が始まるのだ? 淫魔用の新しい武器でも開発したのか……?」
「まあ、そのようなものだ。武器ではなく、使う側だがな――」
「……なんだと?」
ウェステンラが眉を釣り上げた次の瞬間、檻の片方が開いた。
「はぁ、はぁ……」
そこからゆらりと現れたのは――目がらんらんと輝く、野戦服姿の若い男だった。
細身だが貧弱ではなく、鍛え抜かれた体格。息が荒く、明らかに様子がおかしい。
「現在完成も間近なのが、アンチ・サキュバス・ヒューマン――つまり、対淫魔兵。
最新の分子生物学や生物工学で生み出された、淫魔と戦える『ヒト』だ」
「なんだと……!?」
ウェステンラは、あらためてマジックミラーの向こうにいる男を見据えた。
生気のない表情ながら、目だけが異様な輝きを見せている。
しかし、あれは――
「……ガブリエラ。あれは、吸血鬼化しかかっているただの人間ではないか?」
「ああ……その通り。あれは、任務中にヘマをしてしまった能無しの部下だ。
対淫魔兵のテストデータを収集するためのモノだな」
カーネル・ガブリエラはそう言い放ち、インカムで何か指示を出した。
すると、男の向かい側にある檻が開いていく――
「あれが、対淫魔兵……?」
そこから姿を見せたのは――なんと、十歳程度の可愛らしい少女だった。
その体格も少女特有のちんまりしたもので、身に纏っている軍服はまるでコスプレのよう。
しかし――少女の表情には何の感情も伺えず、あまりに空虚なものだった。
対淫魔兵という少女は、目の前に立つ男をただ静かに見据えている。
それはまるで、主人の命令を待つ猟犬のようだった。
「……これは、どういうことだ?」
「思春期前の少女――いや、幼女ならば、サキュバスの淫気も通用しにくい。
ゆえに、改造前の生体は八歳から十歳ほどの少女を選んでいる。
その肉体をベースに、重要な体組織をカーボン化。筋繊維を増強などの処置を施したのだ。
また脳内分泌物の活性化なども行い、敏捷性も反射神経も通常の人間と比較にならん。
痛みも性欲も――余計な感情など、いっさい持ち合わせない対淫魔兵。それがあのASH-016なのだ」
「それで出来たのが……あれか」
少女の無感情な表情を見据え、ウェステンラは眉に皺を寄せた。
「自我は持たず、命令には絶対遵守――まさに理想の兵士とは思わんか?」
カーネル・ガブリエラはそう言った後、インカムで指示を出した。
「――命令だ、ASH-016。その敵を倒すがいい」
「……」
――すると、不意に少女は動き出した。
たん、たん、たん――と壁や床を蹴り、凄まじい勢いで男との間合いを埋める。
軽いステップのような動作にも関わらず、その動きは人間を遙かに超越していた。
「う、おぉぉ……!」
目の前にまで迫ってきた少女に、男はその細い腕を叩きつけようとする。
吸血鬼化が進行している以上、大岩さえ破砕するほどの怪力を持っているはず――
しかし少女は、頭上から迫る一撃を、小さな小さな掌で正面から受け止めた。
みしり……と少女の両足が床にめり込むが、彼女の肉体にはいっさいダメージがないようだ。
「なんと……」
「見ての通りだ……素晴らしいだろう」
なんとも満足げな表情を浮かべるカーネル・ガブリエラ――
そして少女は男の背後に回り、その腰を掴んで強引に地面へと引き倒した。
そのまま少女は、仰向けに倒れる男の腕を封じ――
そして、おもむろに男の股間へと小さな手を伸ばしたのだ。
無表情で無感情のまま、まるで体術の一環のように――
「……あれは、どういうつもりだ?」
「男性器、女性器の区別なく、徹底的に股間を責めるよう仕込んであるのだ。
相手が淫魔である以上、こういう戦い方もまた一興だろう――?」
冷たく微笑むカーネル・ガブリエラの前で、感情を失った少女による陵辱が始まった。
少女は男の股間をまさぐり、肉棒をズボンから引き出す。
それを小さな掌に収め、ごしごしと激しく扱きたて始めたのだ――
「う……あ、あ……」
男はもがこうとするが、少女の怪力で地面に引き倒されて動くこともできない。
その股間を、容赦なく手で責めたてる少女――その動作は極めて無機質で、インプットされた行動を忠実に実行する機械のよう。
男の絶頂が近付くにつれ、その手の動きは激しくなっていき――
「あ、あぁぁぁ……!」
そして、ペニスからびゅるびゅると飛び散る精液。
少女は、あっという間に男を射精に導いてしまったのだ。
撒き散らされる精液に掌を汚されながら、なおも少女は手淫をやめはしない。
まるで感情が伺えない、男を快楽に追い込むためだけの動きである――
「……ASH-016、オプションFに移行」
カーネル・ガブリエラが指示を出すと、少女はすぐさま手淫を中断した。
そして、男のモノに顔を近付け――その小さな口で、ペニスをぱっくりと咥え込んだのだ。
そのまま少女は、じゅぱじゅぱと小刻みに口を動かし始めた――
「うぁぁ……あぁぁぁ……」
凄まじい快楽を与えられているのだろう、男は体を弱々しくわななかせた。
そして――男の体が、不意にガクガクと震えてしまう。
同時に、少女の唇の端から白濁がとろりと滴った。
その口技の前に、男は早くも少女の口内へと精を送ってしまったのだ。
それでも少女は表情一つ変えず、口内に射精されてもなお、男のモノを無感情に責め続ける――
「見ての通り、命令されるまで決してやめはしない――そしてその技術は、淫魔さえよがり狂わせるほどのもの。
男だろうが女だろうが、あっという間に快楽に浸らせて無力化させてしまうのだ」
そう言っている間にも、少女は男の股間を責め続けている。
口の端からだらだらとこぼれる白濁は増す一方で、凄まじい量の精液が吸い取られているのが分かるほどだ。
「あ……あぅ……」
そして、徐々に男の動きが鈍り――とうとう、失神してしまったようだ。
その場に倒れたまま、ピクリとも動かなくなってしまった。
「……よし、もういいぞ」
「……」
カーネル・ガブリエラの一声で、少女は男のペニスから口を離す。
ウェステンラは、一連の様子を見据えて眉をひそめるのみだった。
「どうだ、素晴らしいだろう……? これが間もなく、我が組織の主力となる対淫魔兵だ」
「……貴様、あんなモノを何体造ったのだ?」
誇らしげな様子のカーネル・ガブリエラに、ウェステンラは問い掛ける。
「汎用タイプのASH-001からASH-016、それに指揮タイプのASH-000RとASH-000L。合わせて18体だ。
今後はチームを組ませ、試験的にだが実戦参加させるつもりでいる――」
「……あんなモノを、18体も……」
「他にも、もっと興味深いものがあるぞ。ヴェロニカ研究所から試験的に供出された、キメラタイプの最新型――」
「……もういい。ヘドが出そうだ」
カーネル・ガブリエラの話を遮り、ウェステンラは吐き捨てた。
「それより……さっきも言った通り、今日は聞きたいことがあって来た」
そう前置きをして、ウェステンラはカーネル・ガブリエラを見据える。
その視線は、敵意さえ感じられるほど鋭いものだった。
「貴様より身柄を譲り受けた、須藤啓のことだ。
あいつは、霧花村で生まれ育ったと言っていた。これは一体、どういうことなのだ……?」
「ふっ……。どういうことも、何もない――」
ウェステンラの鋭い視線さえ、カーネル・ガブリエラは軽く受け流す。
「――あなたの想像通りだ、姫君」
「ッ……」
ウェステンラは唇を噛み――
「……最低だな、貴様は」
軽蔑を込めて、そう吐き捨てた。
「……今さらだな、姫君。ずっと以前から、私は『こう』なのだ。
人間も、淫魔も、そして私自身でさえ――戦いを彩る駒に過ぎん」
「……この戦闘狂が」
ウェステンラの罵言さえ、カーネル・ガブリエラには通じない。
彼女にとっては、当然のことを指摘されたに過ぎないからだ。
「そう……私は戦闘狂だ。目前に『ラグナロク』が迫っている今、楽しみで楽しみで仕方がないのだ。
その局面に、どんな風に駒を動かすか――いかに、淫魔や『奴等』を打倒するか――
それを愉しむために、私はこの地位にいるのだから」
そう告げたカーネル・ガブリエラの目には、明らかに狂気の色が宿っていた。
颯爽とした軍服の麗人が、その心に潜める狂気――
それを目の当たりにし、ウェステンラは言葉を失うのだった。
この娘さんに搾られてしまった方は、以下のボタンをどうぞ。