妖魔の城


 

 「……このっ!」

 僕は懐に腕を突っ込み、手榴弾を取り出した。

 これは、非致死性のスタングレネード。

 強烈な閃光と轟音で、周囲の人間の視覚と聴覚を麻痺させてしまうというものだ。

 それを僕は、ピンを抜いて足元へと落としていた。

 この位置だと自分も食らうが、それは仕方がない――

 

 「この鎖をもって、我――えっ?」

 マイの呪文詠唱は中断され、彼女の視線は足元に転がるスタングレネードに向く。

 僕はぎゅっと目を閉じ、両手で耳を塞いだ――

 

 次の瞬間、至近距離でスタングレネードが弾けていた。

 凄まじい大音響と、視覚を一瞬で真っ白に染めるフラッシュが室内を支配する。

 「――ッ!!」

 耳を塞いだにも関わらず、僕の聴覚はやられてしまったようだ。

 だが、まだチカチカと光が明滅するものの、視覚はなんとか無事。

 「きゃっ!!」

 一方、マイはまともに閃光と音響を受けてしまったようだ。

 背中に回されていた腕が緩み、少女は大きく怯む。

 「よし……!」

 僕はマイの体を突き飛ばし、なんとかその拘束から逃れた。

 「あっ……!」

 少女はふらふらとよろけ、何が起こっているかも分からないまま後ずさる。

 スタングレネードの衝撃をまともに食らい、視覚と聴覚が完全に麻痺しているようだ。

 

 僕は脱兎のごとく駆け出し、出入り口の扉に体当たりした。

 そのドアは施錠されておらず、いともあっさりと開く。

 「待ちなさい、どこ……!?」

 なんとか機能を取り戻していく聴覚は、そんなマイの声を微かながら捉えていた。

 少女はしばらく何も見えず、何も聞こえない。

 両腕を突き出し、闇の中をよろよろとあてもなく進むしかない状態である。

 それでも僕を追跡しようとしているのは、僕に対する深い憎しみ――

 

 「くっ……!」

 僕はマイをその場に置いて、扉から廊下へと飛び出していた。

 あれなら、殺せた――はず。

 しかしあの弾切れが怖いし、年端もいかない少女を手折るのも気が引ける。

 そういうわけで、僕は狭く薄暗い廊下を疾走していた。

 ここは、落とし穴に落ちた末に辿り着いた地下通路。

 とりあえず、一階へと上がらなければ――

 

 「はぁ、はぁ……」

 息が上がるまで走り、僕は足の動きを弱めた。

 地下室に残したマイに、追い掛けてくる気配はない。

 スタングレネードの直撃を受けたのだから、視覚と聴覚の回復にはもうしばらく時間が掛かるのだろう。

 「やれやれ、参ったな……」

 とは言え、マイが僕を放置などしないことは明らか。

 彼女は、メイの仇とばかりに僕を追い掛けてくるだろう。

 そして今度マイに捕まってしまえば、何をされるか分からない――

 ネメシアに続いて、追跡者がもう一人増えたというわけだ。

 女に追われる身というのは辛いもの――そんな冗談どころではない。

 

 「……沙亜羅は、どうなったんだ?」

 とりあえず、沙亜羅を助けなければ。

 確かメイの話によれば、アステーラとかいうサキュバスが沙亜羅をさらったはず。

 そいつを探すのが当面の目標だが、居場所を聞いて回るわけにもいかない。

 とにかく、この地下道から脱出しようと一歩を踏み出す僕――

 

 「――誰だ!?」

 異様な気配。

 僕はすぐさま振り返り、懐から抜き出した拳銃を構えていた。

 「……気付いたか、勘が良い。訳の分からないまま、一瞬で犯し尽くしてやろうと思っていたのに……」

 まるで蜘蛛のように、天井に貼り付いていた黒衣の女性。

 彼女は、すたりと床に着地した。

 その身に纏っているのは、忍者装束そのものの黒衣。

 しかし顔は隠さず、端整な素顔をさらしている。

 「私は忍。この城に侵入した者を、心身ともに陵辱するのが使命」

 その服装も、長い髪も全てが漆黒。

 エキゾティックな顔立ちの、妖艶な美女――そのくのいちは、ゆらりと僕の前に立った。

 「参ったな……また女か」

 弾切れを心配しながら、僕は銃口をくのいちに向ける。

 「五条すばる、参る――」

 いかにも腕の立ちそうなくのいちサキュバスは、静かにこちらへと歩み寄っていた。

 

 

            ※            ※            ※

 

 

 ノイエンドルフ城、植物園――

 ネメシアの肉体は、巨大植物淫魔エイミの子房内に呑み込まれていた。

 後は、溶かして養分にするのを待つのみの状態である。

 

 「……」

 エイミは本能に近い感覚で、満足感を味わっていた。

 食欲は、この侵入者を消化することで満たされるだろう。

 沸き上がってきた性欲は、餌として与えられる男の子をぐちゅぐちゅに搾り取って処理しよう。

 この子房で幼い男茎を包み、たっぷりと啜り嫐ってあげる。

 男の子は泣き喚きながら、何度も何度も青臭い精を漏らす――

 それをちゅうちゅうと吸い尽くし、性欲と食欲を同時に満たすのだ。

 

 「……!?」

 エイミがそんなことを考えていると、異常が起こった。

 何かがドロドロしたものが、エイミの身体の中で膨らんでいく。

 子房の中で、何かが体積を増していく――

 それがネメシアの肉体だと分かった頃には、もはや手遅れだった。

 大木のごとく巨大なその全身から、じゅくじゅくと肉の粘液が染み出してくる。

 内部から溢れ出たそれは、たちまちエイミの身体をねっとりと包み込んでしまっていた。

 まるで、逆にエイミを貪り尽くしてしまうかのように――

 

 「……! ……!!」

 ぐじゅりぐじゅりと肉が脈動し、エイミの全身をじっくりと蝕む。

 この光景を見る者がいたならば、コケにみるみる浸食されていく大樹を連想しただろう。

 己の存在を誇示するかのごとく咲き誇っていた深紅の花も、たちまち肉に呑まれてしまった。

 ネメシアの肉はすっかりエイミを覆い尽くし、ぐちゅぐちゅと蠢きながら貪っていく。

 ツタを振り乱して抗い続けるエイミ――その動きがゆっくりと鈍くなっていった。

 全身をネメシアに取り付かれ、エイミは完全に動けなくなったのである。

 

 

 

 そして――植物園に君臨していた大樹は、跡形もなく消失していた。

 「……」

 その巨体を貪り尽くし、取り込んでしまった悪魔――

 そこには、拘束服を身に纏った細身の女性が無表情で立っていたのだった。

 

 

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