妖魔の城
「あれが、ノイエンドルフ城――」
丘の向こうに見える、まるでRPGの世界から抜け出したような巨大城。
中世のごとく優雅な光景を、僕はぼんやりと眺めていた。
「やっぱり、航空写真にも残ってないわね。あの城、特定の時期だけ現れてるのよ」
バインダーに挟んだ資料をチェックしながら、いかにも勝気そうな少女が呟く。
「特定の時期? 現れてる? そんな、まさか……」
僕は無理に笑おうとしたものの、眼前には確かにあの城がある。
しかしながら上空から撮影した航空写真にも映っていないし、地図にも載っていない。
少女の言葉通り、『特定の時期だけこの世に現れている』としか思えないのだ。
「でも、沙亜羅……そんな馬鹿な事があるのか?」
僕は多少の戦闘訓練を受けた事があるが、それはあくまで対『人間』だ。
こんな馬鹿な事態は、流石に夢物語としか思えない。
「目の前で起きてるんだから、あるんでしょ?」
狼狽している僕に比べ、横に立つ少女――沙亜羅はほとんど表情を変えていない。
彼女は幼い頃から対『化物』の訓練を受けた人間であり、この程度の怪異は慣れっこ――なのかもしれない。
「妖魔の中には、『結界』ってのを使うヤツがいるって話は聞いた事があるけど……
あの城自体に、その結界のゴージャス版が作用してるんじゃない?」
資料をリュックにしまいながら、そう呟く沙亜羅。
その口振りからして、彼女自身も結界を使う妖魔と戦った事はなさそうだが。
そして沙亜羅は、僕の方に鋭い視線を送った。
「とにかく、あの城の中に――」
「……ああ。H-ウィルスが搬入されてるって事だな」
僕は彼女の視線を受け止め、静かに頷く。
そして僕達二人は、そのノイエンドルフ城に向かって歩き始めた。
この城の存在が浮上したのは、一ヶ月前の事だった。
世界各地にあるH-ウィルス研究施設の一つ――ネヴァダ州にある研究所を襲撃した際、とあるリストを入手。
それには様々なデータと共に、H-ウィルスの搬入先が記載されていたのだった。
そこに挙がっていた場所の一つが、アルプスにあるというノイエンドルフ城。
一年前に一回、そしてその取引からちょうど一年後――今日この日に、H-ウィルスが運び込まれる事になっていたのだ。
航空写真にも地図にも記載されていない、存在しないはずのあの城に――
「現れたり消えたりする城……って事は、相手は人間じゃないって事か」
うっそうと茂った森を抜けながら、僕は呟いた。
「そういう事ね。私が在籍してた『化物狩り』部隊の相手は、吸血鬼とか人狼とか、知能の低い怪物ばかり。
でも、そういう連中とは違う、知性ある妖魔の存在も確認されているわ。
その中には、人間男性の精液を糧に生きている連中もいるという話なの」
「人間男性の精液を……?」
僕は、あの研究所での一件を思い出していた。
H-ウィルスが拡散したあの町では、その類の化物で溢れ返っていたのだ。
「ええ。その種の生物は、実際に何種類か確認されているの。
その……男の人のおちんちんを包んで、精液を吸い出す構造になってる下等生物。
搾精蛇とか搾精ナメクジとか、非常に知性の低い生物ね」
「あの研究所の地下水路にも、そういうヤツがいたな……」
あの地下水路で襲われた、ヒル状の化物を思い出す僕。そういった異形の生物は確かに存在するのだ。
しかしあの町にいたのは、そんな下等生物だけじゃなかった。
「知性があり、それに準じた女性の姿をして、精を糧にする妖魔……その存在は、以前から極秘裏に囁かれていたの。
信憑性なんて皆無、ただの猥談の類だと思ってた――父の研究を知るまでは」
それだけを言って、沙亜羅は黙り込んだ。
「精液を糧に生きる化物か……確かに、H-ウィルスと似通ってるな」
沙亜羅の心情をはばかり、僕は言葉を選ぶ。
精液を糧にして生きる妖魔、そしてH-ウィルスの存在。
H-ウィルスに感染した生物が元となり、その噂が流れたのか。
それとも、もっと別の形で関連が――
「それにしても、奇妙ね……」
「……ああ」
主語も何も無い沙亜羅の問い掛けにもかかわらず、僕は頷いた。
ここはアルプスにも関わらず、城への道――いや、城近辺の地形は奇異だったのだ。
僕達が歩いているのは、うっそうと生い茂った森。そして、非常に温暖な気候。
ノイエンドルフ城の周辺だけ、明確に気候が違うのだ。
「これも、結界とやらのせいか……?」
「あれ見てよ、優」
沙亜羅は立ち止まると、真横にそびえている木を指し示した。
枝にツタが絡み合ったような、非常に奇妙な樹木だ。
「あんな木、見た事ある? それに――」
沙亜羅の見上げる先には、空を飛んでいる大きな鳥。
距離があってはっきりとは確認できないが、どうも腕の部分が大きな翼になった人の姿にも見える。
「……ああ。ここは、もう僕達の知ってる世界じゃないのかもな」
この城は、特定の時期に現れるのは間違いない。
それどころか、周囲の地形ごとこの世に出現するのかもしれない――僕はそう思い始めていた。
「……!」
不意に沙亜羅は、木の陰に飛び込んだ。
そして、草むらに潜む何かを素早く捕まえる。
それは、掌を広げた程度の大きさをした生物。
半透明な傘状の体から、数本の触手を生やした――クラゲそのものの姿をしていた。
「なんだ、こりゃ? こんな生物が陸上にいるなんて……」
僕は、沙亜羅の手にしている異形の生物を眺める。
それはまだ生きており、沙亜羅の手から逃げるべくうにうにと蠢いていたのだ。
「これ、資料を見た事があるわ。搾精クラゲよ――」
沙亜羅は異形の生物を掴み上げ、眉をひそめて言った。
「さっき話したでしょ? 男の人のおちんちんを包んで、精液を吸い出す下等生物」
「そんな生き物が、なんでここに……?」
「ここはもう、別の世界って事でしょ」
そう言いながら、その搾精クラゲとやらの体をつぶさに観察する沙亜羅。
生物に対する好奇心が非常に強いのは、遺伝なのだろうか。
「この搾精クラゲは、精液を吸い尽くすって生態を除けば極めて無害の生物らしいわ。
拘束する力も極めて弱い――資料によれば、襲われた獲物は搾精による快感で抵抗できなくなるらしいけど」
そう言いながら、沙亜羅は蠢く搾精クラゲを丹念に調べる。
指でつつき、その傘をぐにゃりと広げ――
「あ……この穴で、おちんちん呑み込むんだ。すると、弾力のある傘全体で包み込まれるってわけか。
触手は搾精の補助ね。これを絡めて奥に引き込んだり、根元をマッサージしたり……」
そこで沙亜羅は、僕の方にくるりと視線を移した。
「どう、優? 試してみる? コレ、凄く気持ちいいらしいよ。溜まってるならヌいてもらえば?」