妖魔の城


 

 

            ※            ※            ※

 

 

 魔界――それは、幾億もの淫魔が蠢く異界。

 法や倫理に縛られず生きている彼女達にも、『権威』というものは存在する。

 いや――悪徳が横行する魔界では、人間界以上に『権威』というものが重視されていた。

 そうした『権威』の頂点に位置するのが、魔界元老院。

 女王七淫魔しか参加を許されない、魔界の最高権威である――

 

 

 

 魔界元老院の立派で荘厳な廊下を、つかつかと進む一人の少女。

 そして、彼女に影のように従う女性――

 マルガレーテとエミリアは、会議室へと足を踏み入れた。

 なんとも豪華で豪壮な室内には大理石の柱が並び、その中央には円形の会議机が置かれている。

 その机を囲むように、並んだ椅子が七つ――しかし、六つは空席だった。

 そしてただ一人、その席に君臨していたのは――銀髪に褐色肌の、異様なまでに妖艶な美女。

 周囲の全てを魅了してしまうほどの美貌と、あらゆる淫魔をひれ伏させてしまうほどの迫力。

 その一挙一動で、魔界が動く――そう言われるほどの絶対的存在。

 彼女は、『魔王』と呼ばれていた。

 そして、その背後に控えている武装従者が三人――

 『魔王』直属の従者である以上、彼女達のいずれも只者であるはずがない。

 

 「……久しいわね、魔王ベールゼブブ」

 会議室内に足を運ぶなり、そう告げるマルガレーテ。

 魔王はその金色の瞳を、ノイエンドルフ家当主に向ける。

 「……久しいな、ノイエンドルフ。卿が議場に足を運ぶのは、当主交代の時以来か」

 「……!」

 魔王が口を開いた瞬間、まるで衝撃波が放たれたかのようにエミリアは錯覚した。

 当然、何も放たれてはいない――魔王の凄まじい威厳と迫力が、そう感じさせただけのことだ。

 「ええ……確か、二百年ほど前のことかしら? ここに来たのもあの一度きり……今日で二度目ね」

 一方で、マルガレーテはまるで平然としながら席に着いた。

 その背後に、影のように控えるエミリア。

 涼しい顔を浮かべながらも、その掌は汗でびしょ濡れになっている。

 ヒトの姿をした怪物――魔王を眼前に控え、エミリアでさえも圧倒されていたのだ。

 

 「魔界元老院に集う、女王七淫魔――ということなのだけれど」

 含み笑いを漏らしながら、マルガレーテは空席を見回す。

 七席のうち二席が埋まり、空席は五席――その出席率は、とても良いとは言えない。

 「相変わらず、常に顔を出すのは貴女のみのようね……魔王」

 「愚かな問いよ。ここ二百年、この議に足を運びしは常に余のみ。……否。ごく稀にして、あの狐も見たか」

 「あら、私が一度来て以来じゃない……」

 マルガレーテは、くすくすと笑みをこぼした。

 つまり魔王は、ほぼ誰も姿を見せない魔界元老院に足繁く通っているということだ。

 それも、この魔界を統べる者としてのプライドなのだろうか。

 「……」

 この集まりの悪さは、エミリアも少し呆れるほど。

 魔界の頂点である魔界元老院。

 女王七淫魔が集い、魔界の先行きを決定する場所――

 それがこんな状態だということを知る淫魔は少ない。

 結局のところ――この魔界元老院で、話し合わねばならない事項など特にないのである。

 そもそも女王七淫魔とは、こういう集まりに意義を感じない者達。

 主君のマルガレーテさえ、興味がないという理由で最初の一回以外に足を運ばなかった。

 他のメンバーは、もっとひどい。

 魔王が『あの狐』と呼んだ淫魔――妲己の気まぐれさは、魔界でも有名なほどだ。

 乙姫は人間界の深海に引きこもり、ここ数百年は魔界にさえ現れない。

 女王ネフェルシェプスは、自らの構築した異空間から出ようともしない。

 冥王ハディトも、数千年は冥界に閉じこもりっきり。

 出られないのか、出る気がないのか――それは、エミリアには分からない。

 堕粘姫ジェシア・アスタロトは、そもそもコミュニケーションなど不可能。

 結局のところ、まともに集まるはずもない連中なのだ――

 

 「……?」

 エミリアは、ちくりと刺すような殺気を察知していた。

 マルガレーテを狙う不届き者か――いや、違う。

 これは、エミリアに対して挑戦するかのような殺気。

 それを放ったのは――魔王の背後に控える三人の従者のうちの誰かだ。

 龍鱗の鎧に身を固めた龍属の女騎士、いかにも凛とした風貌の『猛龍姫』ドラクリア。

 死神のように黒いローブを身に纏い、3メートルはある巨大鎌を手にした『死鎌姫』ミレイシア。

 動きやすく作られた軽装の闘衣、美しくしなやかな四肢を持つ半獣人の美女、『獅子心姫』メリアウォード。

 この三人のうちの誰かがエミリア個人のみを対象に殺気を放ったことは間違いないが――誰かは分からない。

 「……」

 エミリアは、魔王の従者達を見据える。

 いずれも、測りがたい実力者であることは間違いない――三人とも、百八姫に名を連ねし者である。

 それだけではない――魔王ベールゼブブは、さらに多くの百八姫を配下として抱えているのだ。

 その淫魔姫や淫魔貴族の総数は、なんと666名。

 その一人一人が、ぞれぞれ自前の軍を抱えているのだから――魔王全配下の総数は、凄まじいものとなる。

 魔界を統べる者という立場に相応しい、魔界の最大勢力なのである。

 

 「して、ノイエンドルフ。卿の城、手ひどく荒らされたと聞いたが」

 「ええ。なかなかに面白かったわ……」

 くすくすとマルガレーテが笑った――その時だった。

 「えへへ……」

 あどけない笑い声と共に、柱の隙間をぴょこぴょこと駆ける影。

 その影の主は非常に小さく、大人の腰の高さほどしかない。

 どう見ても十歳程度の可愛らしい少女が、柱の影からにゅっと顔を出した。

 「あら、あなたは――」

 「ほう――妲己か」

 この場に似つかわしくない娘の出現に、マルガレーテと魔王は目を瞬かせた。

 これだけ集まりの悪い魔界元老員に、三人ものメンバーが揃う――こんな事態は、一万年ほどなかったかもしれない。

 「えへへ……妲己ちゃんだよ〜♪」

 そのまま少女――妲己はちょこちょこと円形テーブルに歩み寄り、ぴょこんと椅子に座った。

 天女のような中華風の装束に、お尻で揺れる九本の尾。そのふさふさの尻尾を、妲己は機嫌良さそうに振る。

 「ふむ……誠に珍しいことよ。これも、卿の気まぐれか?」

 「えへへへへ〜♪」

 くすくすと笑う妲己。

 そのあどけない姿から、エミリアは血も凍るような禍々しさを感じ取っていた。

 なにせ彼女は、史上最悪の毒婦――中国の古代王朝など、彼女に滅ぼされた国家は枚挙に暇がない。

 人間界に最大規模の被害をもたらした女王七淫魔は、間違いなくこの妲己なのだ。

 九尾の狐――彼女の名は、人間界でさえ有名である。

 

 「さて。話の続きぞ。人間界よりの侵入者に、ノイエンドルフの城は随分と荒らされたと聞かん。

  乃ちこれは魔界への挑戦。而るに、人界へ報復に値すべきである」

 「えへへ……やり返しちゃえ〜♪」

 魔王の言葉に続き、机をぱしぱしと叩いてはしゃぐ妲己。

 「報復――ねぇ」

 しかし肝心のマルガレーテは、なんとも気が乗らない顔だ。

 「そんな野蛮……趣味ではないし、興味もないわ」

 「しかし、蛮性を制するもまた蛮性。愚かなヒト共は、罪を罪と気付かぬ」

 「まして、罰を罰とも気付かないわ――」

 魔王の言葉を、微笑で受け流すマルガレーテ。

 「時に、聞きたいのだが――」

 不意に妲己は、落ち着いた口調で問い掛けた。

 「――その者達は、強かったか……?」

 その口調は無骨だが大人びたものに替わり――そして、いつの間にか外見までも変貌している。

 さっきまでの妲己は幼女の姿だったが、今は二十代前半の外見だ。

 身に纏っている装束までが、その長身の体に相応しいよう変化していた。

 「ええ……強いわよ」

 そんな妲己に対して、マルガレーテは涼やかに頷く。

 「ならば重畳――ぜひ手合わせ願いたいな」

 そして妲己は、いかにも好戦的な笑みを浮かべた。

 この女王七淫魔の一人、妲己――彼女の中には、九つの人格が存在するという。

 さっきの幼女の人格は、蘇喜媚。今の武人風の人格は、蘇華と呼ばれる人格――

 そして人格が入れ替わると、その肉体や年齢までが変貌してしまうのだ。

 

 「ともかく――」

 会議室に響き渡る声で、魔王は話を戻した。

 「ノーブル・ロードの居城に土足で踏み込んだという所行、許し難い。

  これは魔族そのものに対する侮辱であり――而るに、その責は全人類が等しく受けなければならぬ。

  ゆえに――人間界への報復攻撃を実行すべきであると断じよう。……異議のある者は?」

 「ふふっ……面白そうじゃない……♪」

 いつしか妲己は、十代後半ほどの別人格に替わっていた。

 さっきの幼女、次の武人――そして今は、若き淫婦といったところか。

 彼女はくすくすと笑いながら、魔王の動議に賛成する。

 「……気が乗らないけれど、特に反対というわけでもないわ」

 マルガレーテも、どうでも良さそうに言った。

 三人のうち、明白な反対者はいない――ならば、話は決まりだ。

 

 「……?」

 その時、またもエミリアは妙な殺気を感じ取る。

 その主は――今度は特定できた。

 三人の魔王護衛の一人――『死鎌姫』ミレイシア。

 彼女の深く被ったローブから、挑戦的な笑みがこぼれていた。

 特に恨まれる覚えもなく、その殺気からは怒りや恨みの念は感じられない――

 だとすると、同じ従者同士のライバル心か、強者ゆえの自負心か――そんなところだ。

 そんなものに、いちいち応じる意味もない――

 エミリアは、涼しい顔でミレイシアの殺気を受け流すのだった。

 

 「さて、何か意見はあるか……?」

 そんな従者同士の火花を、意に介するはずもなく――魔王は、二人の参議者に視線をやった。

 「ないわよ〜ん♪」

 「ええ……何事も無いわ」

 妲己にもマルガレーテにも、特に言うべきことなどない。

 「……ならば、これにて議を終える。人間界総攻撃――卿達も、しかと参ぜよ。

  我が666の軍団にノーブル・ロードたる卿達の力をもって、人界を餌場とせん!

  『約束の時』に先立ち、より多くの魂魄を魔祖に捧げるとしようぞ――!」

 魔王は椅子から立ち上がり、両手を広げてそう宣言する。

 その金色の両瞳――『明けの明星』が、魔界全土にまばゆく煌めいた。

 

 

 

 ...To Be Continued Next Long Story

              長編『淫魔大戦』

 


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